OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

祭りばやしの諦観と感傷

2012-02-12 16:01:54 | 日本のロック

祭りばやしが聞こえるのテーマ / 柳ジョージ (Bourbon)

人は誰でも自分の仕事が上手くいけば嬉しいし、度合いの違いはあるにせよ、達成感に満足も覚えるでしょう。

しかし先週のサイケおやじがやった事は、生贄を選び、首つりの足を引っ張るのと同じでした……。

もちろんそこには「仕事」という、まさに大義名分の逃げ道があるんですが、実際には物凄い怨みを背負ってしまったと思うばかりで後味も悪く、だから本日のサイケおやじの気分は、ぶる~す、ですよ。

まあ、必要以上にカッコつけるわけじゃないんですけどねぇ。

そんなこんなで感傷と諦観の歌が聴きたくなり、針を落したのが掲載したシングル曲というわけです。

歌っている柳ジョージは先日の訃報も記憶に新しい、偉大なるニッポンのブル~スマンのひとりですが、後にはレイニーウッドと共に数多くのヒット曲や名演名唱を残す功績はもちろん神のみぞ知る領域であり、ゴールデン・カップスの末期メンバーでもあった履歴にしても、この時点では知る人ぞ知る……。

おそらく多くの人にとっては、この「祭りばやしが聞こえるのテーマ」が、柳ジョージの歌声と存在の初体験だったと思います。

なにしろジャケ写にも記載があるとおり、萩原健一主演の同名人気テレビドラマが毎週放映される度に、故人のシブイ歌声と絶妙にして自然体の泣きを滲ませる節回しがそこにあるんですから、既にリアルタイムでたまらないものが♪♪~♪

ちなみに、ご存じのとおり、「祭りばやしが聞こえるのテーマ」には、このシングル盤のバージョンとレイニーウッドをバックにしたバージョンのふたつがあり、こちらはエレピとホーンセクションを大きく使ったアレンジということで、如何にも作編曲者の大野克夫らしさが全開です。

しかし、やはり何よりも魅力なのは柳ジョージのソウルフルな歌声である事は、言うまでもありませんよねぇ~♪

全篇にミディアムスローのグルーヴが企図された中、せつない切迫感、タメとモタレの余韻が最高の一芸主義に結実した、これぞっ! 柳ジョージの真骨頂が昭和52(1977)年のテレビからは毎週流れていたのですから、良い時代でした。

そして以降の柳ジョージがレイニーウッドを引き連れて、大きな人気を獲得していく物語は、実は本人にとっては日本語の歌は苦手というか、抵抗も最初はあったと言われていますが、やはり我々にとっては柳ジョージの「魂」と「ぶる~す」は直截的に理解出来る言葉で伝えられてこそ、尚更の共感と感動を覚えるのですから、大正解ですっ!

あぁ、これこそ、日本のロックですよっ!

ということで、今のサイケおやじには、柳ジョージの歌声に癒されるものが強くあります。

もちろん客観的な告白だとしても、自分には柳ジョージのハードボイルドには遠く及ばない立ち位置しかありませんし、自然体の生き様も難しいわけです。

しかし、そうであればこそ、柳ジョージの歌に浸り、感傷に満たされる自由は確実にあるわけです。

そして自らの非道、人の道に外れる事も人の道……、なぁ~んていう自分勝手に言い訳に酔ってしまうのでした。

本日は不様な独善、失礼致しました。

コメント
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