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~サッカーを中心に日々の雑感など~

『雲が出るまで』

2006年05月17日 | 映画
2004年/フランス/ドイツ/ギリシャ/トルコ/98分。脚本・監督はトルコ人女性のイェシム・ウスタオウル。トルコ映画。第一次大戦中、国外追放されたトルコのギリシャ系移民の家族。生き残った姉と弟。民族紛争によって、引き裂かれた家族の悲劇を描いた物語。

第一次大戦中、トルコのギリシャ系移民は国外追放された。どこまでも行進が続く長い南下の果てに生き残った姉と弟。ギリシャ名を隠し、二人を保護してくれたトルコ人の新しい父と新しい姉がいる家族の一員として暮らしてきた。弟は行動を共にしなかった。アイシェ/エレニ(ルチュハン・チャルシュクル)はその姉の夫が亡くなった後に、長い間独身のまま、一緒に暮らして世話をしてきた。

トルコ北東部、1975年。ツレボレーという小さな港町に、朝から一斉に行われた国勢調査が入る。8歳の少年メフメツ(ルドワン・ヤージュ)が頻繁にアイシェのところへ出入りしている。実の親子のように仲がいい。アイシェのところに二人の調査員がやってきて、聞き取りを始めた。

その最中に姉のセルマが亡くなった。アイシェは本当はギリシャ人であることが知られ、一気に50年前の出来ごとの中に引き戻された。山の景色、雲の行方を毎日眺めては長い間苦しんできた弟ニコのことを思い出す。一人になったことで生きる気力をなくし、死にたいと思うようになる。異教徒とわかった後でもメフメツとその母親は立ち直らせようと世話をしてくれた。

そんな中、港町にふらりと一人の老年の男が訪れた。タナシスと言った。舟で働く同年代の男に語りかけ抱き合う。1916年、家族とロシアに逃げたときに助けてくれたなという。その後、ギリシャに移り、1947年ゲリラになったが逆にソ連に追いやられることになり、28年間抑留されたという。

今になってギリシャ政府は帰郷を許した(軍事政権が倒れたことによるのではないか。)59年前追い出された場所に戻った。どこが故郷か探しに来たと語った。メフメツたちは彼がニコに違いないとアイシェに会わせる。一緒にギリシャにいこうとその男がいうが、アイシェは断った・・・

トルコにいて暮らしながら、名前を隠し心の中でギリシャ人であることを捨ててはいない。そういう立場の人間を抑圧した側のトルコ人が脚本・監督をして映画にした。そのことだけでも拍手したい気持ちになる。

トルコとギリシャ、それにバルカン全体にかかわる歴史はあまりにも入り組んでいて、ちょっと本を読んだぐらいではとてもおぼえられない。この映画ではやはり故郷がどこか探しているタナシスという同類の人間が登場したときから、一気に歴史が動いていくような感じになった。タナシスも故郷から強制的においだされ、自分の居場所が見つからない歴史に翻弄された人間だった。

ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の「シテール島への船出」の中でやはりロシアから帰還してきたかつてのパルチザンの老活動家の男が登場する。敵と戦った山はスキーのリゾート地として売り出され、村の住民はこぞっって契約書にサインしようとするが、彼は資本に屈服することに同調出来ずに、大混乱を引き起こす。

ロシアの船に引き渡そうとするが、当局は彼がそれも同意せずに困り果て、港の浮き桟橋に置いてきぼりにされる。それを見て、長い間留守を守って子供を育て上げた妻が、彼のところへ行きたいと叫ぶ。この映画では妻が男を助けようとする。アイシェは逆にタナシスに助けられる。いわば同士のようなあたたかい気持ちを持って見守ってくれた。

タナシスは「シテール島への船出」の帰還する老活動家に重なって見えた。どこに身を置いていいのかわからない、過去の歴史の亡霊に付きまとわれ、新しい空気になじめない人間。多くの喪失したものを取り戻そうとしている人間。

アンゲロプロス監督の映画は簡単には解釈がわからないような終わり方をするが、最後に救えるのは人間のあたたかい愛情ではないか、というところはおんなじように見えた。ウスタオウル監督はトルコ人の良心を貫く存在として、どうしてもメフメツ親子を登場させたかったのだろう。