FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

引き裂かれたイレブン~オシムの涙~

2007年04月08日 | 映画
2000年/オランダ/85分/ドキュメンタリー。1987年のサッカーワールドユースチリ大会。そこで優勝した旧ユーゴ代表はザグレブに凱旋し、ベオグラードでも大歓声で迎えられた。90年代はユーゴスラビアの時代といわれ、若きタレントが溢れていた。

しかし、旧ユーゴ崩壊の過程で、代表選手になった彼らは祖国のシンボル的な存在を期待され、最後の代表監督となったオシム監督は分離独立の流れに抗して、なんとかサッカーで繋ぎ止めたいと苦闘していた。

1992年春、ユーゴによるボスニアのサラエボ侵攻が始まり、オシム監督は妻と子どもが取り残されていた。同胞からも自分だけが逃げたという非難を浴び、ついにベオグラードで辞任会見を行う。「サラエボのために唯一出来ることです。」オシム監督が見せた、このときの苦渋に満ちた涙ー。

その後、ユーゴ代表はUEFA(映像にも出てきたここのヨハンセン会長は、ついこの間のプラティニ新会長になるまで何回当選したんだろう?)が国連の制裁決議に従ったため、2000年ユーロには予選通過にもかかわらず出場できなかった。選手たちもキャリアの空白が出来た。

インタビューにこたえるオシム監督の言葉。サッカーで祖国崩壊を何とか食い止めようと真剣に考えていた。ドン・キホーテだった。忘れることなど絶対に出来ない。監督としても栄光にも苦しめられた。過去の業績が否定され、将来への夢や希望も打ち砕かれた。

何を喜びに生きていけばいいのか。戦争で死んだ人たちはある意味でしあわせだ。ひどい言い方だということは分かっている。家族を失って悲しむ人々は大勢いるからね。だが私たちは「たましい」を殺されたんだ・・・。

映像には見たことがある選手たちが映っていた。ミランにいたクロアチアのボバンは何回も見て覚えている。モンテネグロのミヤトビッチは今はレアルマドリードのゼネラルマネージャーかなんか?写真では見たことがあった。

ラツィオにいたミハイロビッチもセリエAの映像で記憶にある。その後、日本に来てプレーしたストイコビッチはインタビューには出ていないが、代表選手として一列に並んでいた。それにスペインに行ってプレーしている選手も、名前は忘れたが並んでいた。

国家と民族が分断される悲劇。この映像の解説者になっている木村元彦氏の本を以前に読んだことがあって、この映画の映像より、その解説を読みたかったくらいだ。バルカン半島の悲劇といってしまえば、日本からはるか遠いところの理解しがたい出来事。しかし日本が身を置くアジアに話を置き換えれば、いまだに離れ離れになっている民族が存在し、解決しないままになっている・・・。









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