もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

0054 福沢諭吉「文明論之概略」(岩波文庫;1875) 感想5

2013年04月07日 19時28分56秒 | 一日一冊読書開始
4月7日(日):

391ページ(本文305ページ) 所要時間3:30   蔵書

著者40歳(1835~1901)。一万円札の肖像の人。

そもそも丸山真男が悪い。偉そうに岩波新書で「『文明論之概略』を読む(上・中・下)」なんて厳めしい本を出すから怖くなって、ずっと手を出せなくなっていたのだ。「緻密に精読する時間も元気も無い。別に難解でわからなくてもいい。ご縁だけでも結ぶ、眺め読みをしよう」と思い立った。1ページ30秒のルールを正確に守って、目を這わせた。ページを折り、たまに付箋と線引きをしながら終りまで、本文だけなら2:40で到達した。多少、世界地理、世界史、日本史、哲学・宗教の知識は必要だったが、特に、難解というほどのことは無かった。考えてみれば、明治初年のベストセラーだったわけで、そんなに難解な本である訳が無かったのだ。そうだとすれば、なおさら丸山真男が悪い! ってことになるだろう。まあ、とにかく、読み通せただけで嬉しい。人生の宿題を、一つやり終えた感じだ。

短時間で、内容の深い含意を読みとるのは勿論無理だし、読んだ内容についてまとめなさいと言われれば、やはり無理である。しかし、意外だったのは、それでも楽しい読書になった、ということだ。

本書が書かれたのは、1874(明治7)年民撰議院設立建白書が左院に提出され、翌1875(明治8)年大阪会議が開かれ、漸次立憲政体樹立の詔が出されて、自由民権運動が開始された時期である。福沢は、当時オピニオン・リーダーとして、まさに啓蒙活動の先頭に立って、本書を出版しているのだ。巻末の解説で知ったのだが、当時政府を下野していた大西郷も本書を通読して、少年子弟に「この著書は読むが宜しとかたりしことあり」(365ページ)というのだ。そう言えば、司馬遼太郎「坂の上の雲」の秋山好古が少年の頃、弟の真之に福沢のことを「日本で一番えらい人じゃ」と語るシーンがあったが、好古少年が『学問のすゝめ』『文明論之概略』を読んで世界への視野を広げていたことはほぼ間違いないだろう。

内容は、「結局、我輩の旨とする所は、進みて独立の実を取るにあり。退てその虚名(*日本の伝統文化か?)を守るが如きは、敢て好まざる所なり。略。国の独立は即ち文明なり。文明にあらざれば独立は保つべからず。」(300~301ページ)「自国独立の四字」(305ページ)を掲げることにあるのだが、福沢の文章は、具体的でわかりやすく、表現が生き生きとしているのだ。

前に、福沢が本を書く秘訣として「サルにでもわかるように書け!」と言っていると読んだことがあるが、本書はまさにその通りに書かれている。先ず、例え話が具体的で、卑近な例がさまざまに多用されている。アフリカも含めた世界地理、日本史(秀吉や正成、後醍醐など)・東洋史(中国は唐虞三代から李鴻章まで)だけでなく、欧米史について古くはローマ帝国、宗教改革、近くはアメリカ独立戦争、南北戦争、1870(明治3)年の普仏戦争まで、掌を指すように語り、仏教(神道)、儒教、キリスト教、カースト制度、とにかく向かうところ敵なしの談論風発・縦横無尽な語り口で、つい話の調子に引き込まれてしまうのだ。そして、日本の置かれている状況、取りうる選択肢、何を選ぶべきか、どのようにすべきか、などがいつの間にか熱く論理的に語られているのだ。

きちんと読みとれた訳ではないが、恐らく福沢は中途半端な「和魂洋才」などではなく、覚悟を決めて最後の一歩を踏み出して、西洋の文明を受け入れてしまえ。そんなことで、日本のアイデンティティーが無くなってしまうようなことはありえない。西洋に伍して、国の独立を守るためには敵を知り、その良さを認めて積極的に受け入れる覚悟をせよ! と、明治初年の日本人に指し示したかったのだろう。




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