もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

9 050 司馬遼太郎「竜馬がゆく(五)」(文春文庫:1963)感想5

2020年05月24日 18時00分08秒 | 一日一冊読書開始
5月24日(日):  

414ページ       所要時間9:50         蔵書

著者40歳(1923~1996:72歳)。

所要時間9h50mは少し異常だ。少なくとも半分の5h以内で読めなければいけない。その気になれば十分に可能だ。本書はそれほど難解に書かれていない。ただ楽しみながら、付箋をして、線を引いて、味わって読むとこうなってしまう。その代わりに、読書の苦痛は少ない。読みながら、大河ドラマの再放送を視聴しているような気分になっているのだ。

本書では元治元年(1864)のみの話になっている。長州藩で古武士の風韻のある木島又兵衛が「君辱めらるれば臣死す。」を呼号し、高杉晋作すら手に負えない。あくまで京都に残って長州藩の先兵となり、尊王攘夷、討幕を果たそうとする諸国の志士たちが池田屋事件で新選組の襲撃で壊滅する。この時、ただ一人参加していた長州人吉田稔麿(松下村塾)が、奇跡的に切り抜けて、長州藩邸に救援を求めた後、再び池田屋に戻って切り死にしたのは、長州への信頼をつなぎとめるエピソードである。

長州藩全体が発狂して2000の兵が京都を包囲し、御所をめざして薩摩・会津を中心とした幕府軍5万と激突(蛤御門の変)するが、当然敗れ去る。御所に弓を引き、「玉(ぎょく:天皇)の奪い合い」に敗れた長州は「朝敵」の汚名を着せられ、幕府の号令の下、征伐(Ⅰ)を受けることになる。竜馬の神戸海軍塾もあおりを受けて閉鎖・終幕を迎え、師匠の勝海舟も幕府からとがめを受けて罰せられる。

この時期、幕臣でありながら、日本全体のことを考える勝海舟がすごく魅力的で面白い。竜馬と西郷を「会ってみな」と会わせたのも勝である。俺は以前から勝海舟を<幕末の妖精>と他人に語ってきたが、その元はどうも「竜馬がゆく」をはじめとして司馬さんの作品の影響にあるらしいと分かった。

竜馬と西郷は私心・私欲がない点において極めて似ており、互いに強い信頼で結ばれた。「坂本竜馬とは、西郷を抜け目なくしたような男だ」(勝海舟)。神戸海軍塾を失った竜馬たちの庇護者として薩摩藩が手を差し伸べる。それは極めて手厚いものだった。竜馬の横には、紀州徳川藩を15歳で脱藩した陸奥陽之助がついている。

8月、京都で大敗した長州藩は、国元で四国艦隊(英仏米蘭)による下関砲撃事件でも大敗し、にわかに佐幕保守派が実権を持ち、尊攘過激派は三家老の切腹をはじめ関係者の処刑が行われるなど厳しい弾圧を受け、粛然、ひっそりとなりを潜めていた。

全国の尊攘派の希望の星だった長州が凋落して、幕府権力が再び息を吹き返そうとしている。師走、薩摩藩の大阪藩邸にかくまわれている竜馬一党の下に、長州で高杉晋作が単独で挙兵し、クーデターを起こそうとしている。それに奇兵隊が呼応し、三条実美らを担いで決起をしそうである、という噂が聞こえてくる。さて、情勢はどう動くのか。というところで本書は終わる。

【内容情報】池田屋ノ変、蛤御門ノ変と血なまぐさい事件が続き、時勢は急速に緊迫する。しかし幕府の屋台骨はゆるんだようにも見えない。まだ時期が早すぎるのだ…次々死んでゆく同志を想い、竜馬は暗涙にむせんだ。竜馬も窮迫した。心血を注いだ神戸海軍塾が幕府の手で解散させられてしまい、かれの壮大な計画も無に帰してしまった。
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