5月23日(土): 記録ですm(_ _)m。ブログの開設から3150日。
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朝日デジタル:今ではない、早期の学校再開へ力注げ 元文部科学事務次官・前川喜平さん
いまじゃないだろう。
「コロナへの対応として学年の始まりを9月にずらしては」という記事を読んだとき、そう思った。「学校生活が休校のたびに減っていく」とツイートした高校3年生の気持ちはわかる。だが、それに知事たちや官邸が乗っかるのは情けない。世紀の愚策だと思う。
いま重要なのは、学校に行けていない子どもたちの学ぶ権利だ。オンライン授業を可能にしながら感染防止の対策を尽くし、学校をいかに早く再開するかに力を注ぐべきだ。
政府は今月、緊急事態宣言を延長する際、博物館や美術館、図書館、公園について全国で条件付きでの再開を認めるとしたが、ならば学校が先だろう。
小中高校が9月入学・始業となると、いまの1年生を9月まで待たせることになり、7歳5カ月で入学する子が出てくる。いまの小中高校生のうち9月1日以前に生まれた子は、16歳で中学を、19歳で高校を卒業して大学受験は1浪状態になる。また、新小学1年生には9月までに6歳になる子も含まれる。いまでも早生まれと遅生まれの発達の差の問題があるのに、17カ月の月齢差を乗り越えられるのか。さらに、いま幼稚園や保育園の子は、誕生日が9月1日以前か2日以降かで小学校入学時に別れ別れになってしまう。
こうした問題を保護者は納得するだろうか。しかも全ての学校がずっと休校しているわけではなく、予定通り授業を受けている子どもたちがいるにもかかわらずだ。
高校と大学はどうか。
大学は学年の始まりは今でも学長が決められ、9月入学の定員も設けられる。今年の高校3年生のためを考えるなら、9月入学枠をもっと増やせばよい。ただ大学は受験料や授業料収入が後ろ倒しになるため、救済策として補助金を出し、減収分を補う必要がある。
もっと高校生活の時間がほしいという生徒が多いなら、臨時的に高校に専攻科や別科を設けることも考えていい。その場合、問題になるのは入試だが、大学入学共通テストを1月と7月の年2回実施すればよい。大学入試センターは大変だろうが、小中学校の9月入学よりは簡単だ。
私は実は9月入学・始業に反対ではない。高校生は海外の大学を受けやすくなる。就職時期が遅れ企業が困るといっても、既に新卒一括採用は揺らいでおり、通年採用にすればいい。もしやるなら入学時期を毎年少しずつずらし、5~10年計画で9月入学まで持っていけば、子どもに大きな影響を与えずにすむかもしれない。
この改革は大変大がかりになる。「平時は難しいが非常時の今だからできる」というものではない。国民のよほどの理解がなければ、できるはずがない。
*1955年生まれ。東京大学卒。旧文部省に入省、初等中等教育局長などを経て文部科学事務次官。2017年、天下り問題の責任をとり退職。同年、加計学園をめぐる問題で「行政がゆがめられた」と証言した。現在は講演や執筆活動のほか、自主夜間中学の講師も務める。
東京新聞:【社説】9月入学案 「特効薬」にはならない
コロナ禍で休校を続ける自治体も多い中、入学時期を九月とする議論が浮上している。確かに利点もあるのだろうが、学びの保障ができない現状を一気に解消できる「特効薬」にはなり得ない。
いつ学校を再開するかは感染状況などにより、自治体によって判断が分かれる。インターネットを通じたオンライン授業も一部で試みられているものの、パソコンなどの環境が整っていない家庭も当然あり、踏み切れるかどうかは自治体の財政状況にも左右される。
九月入学を訴える知事らは、地域による学力格差の解消につながり、秋入学が主流の欧米に合わせることで国際化も推進できると主張する。高校生や、保護者の中からも待望論がある。政府も検討を進める考えだ。
だが、まず足元で生じている学びの停滞を少しでも解消していくことが最優先のはずだ。学校を再開できることが一番望ましい。ただ休校が長期化したり再休校の事態を想定すれば、パソコンなどの貸与をはじめオンラインの環境整備は急いだ方がよいのではないか。国も全力で支援すべきだ。
夏休みに授業や補習を行う場合は、猛暑対応や密集回避のため学校以外の場所も確保することや、外部からの応援をあおいで指導体制を手厚くするなど、柔軟な対応が必要となるだろう。自治体と国、民間が連携し、今からさまざまな事態を想定して、知恵を絞ってほしい。
新型コロナウイルスの脅威と向き合う期間が長期化する可能性もある中で、入学時期をずらすことの効果は不透明だ。
明治時代、国の会計年度が曲折を経て四月からとなり、それに教育制度も足並みをそろえていった。会計年度については、税収のもととなるコメの収穫時期などが影響したという説もある。
四月入学である必然性があるわけではないが、長い慣習の中で定まっていったさまざまな制度との整合性を図っていくには多大な労力を必要とする。今、それが可能な時期だろうか。
グローバル化をうたい、英語の民間試験導入などを柱とした大学入試改革が昨年、制度設計の詰めの甘さで事実上破綻したことも忘れてはならない。
学ぶ内容は、一年単位でなく、もう少し長い期間の中で補っていく必要も出てくるかもしれない。難題ばかりだが、地道に一つひとつ解いていくしかない。
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朝日デジタル:今ではない、早期の学校再開へ力注げ 元文部科学事務次官・前川喜平さん
2020.5.10
いまじゃないだろう。
「コロナへの対応として学年の始まりを9月にずらしては」という記事を読んだとき、そう思った。「学校生活が休校のたびに減っていく」とツイートした高校3年生の気持ちはわかる。だが、それに知事たちや官邸が乗っかるのは情けない。世紀の愚策だと思う。
いま重要なのは、学校に行けていない子どもたちの学ぶ権利だ。オンライン授業を可能にしながら感染防止の対策を尽くし、学校をいかに早く再開するかに力を注ぐべきだ。
政府は今月、緊急事態宣言を延長する際、博物館や美術館、図書館、公園について全国で条件付きでの再開を認めるとしたが、ならば学校が先だろう。
小中高校が9月入学・始業となると、いまの1年生を9月まで待たせることになり、7歳5カ月で入学する子が出てくる。いまの小中高校生のうち9月1日以前に生まれた子は、16歳で中学を、19歳で高校を卒業して大学受験は1浪状態になる。また、新小学1年生には9月までに6歳になる子も含まれる。いまでも早生まれと遅生まれの発達の差の問題があるのに、17カ月の月齢差を乗り越えられるのか。さらに、いま幼稚園や保育園の子は、誕生日が9月1日以前か2日以降かで小学校入学時に別れ別れになってしまう。
こうした問題を保護者は納得するだろうか。しかも全ての学校がずっと休校しているわけではなく、予定通り授業を受けている子どもたちがいるにもかかわらずだ。
高校と大学はどうか。
大学は学年の始まりは今でも学長が決められ、9月入学の定員も設けられる。今年の高校3年生のためを考えるなら、9月入学枠をもっと増やせばよい。ただ大学は受験料や授業料収入が後ろ倒しになるため、救済策として補助金を出し、減収分を補う必要がある。
もっと高校生活の時間がほしいという生徒が多いなら、臨時的に高校に専攻科や別科を設けることも考えていい。その場合、問題になるのは入試だが、大学入学共通テストを1月と7月の年2回実施すればよい。大学入試センターは大変だろうが、小中学校の9月入学よりは簡単だ。
私は実は9月入学・始業に反対ではない。高校生は海外の大学を受けやすくなる。就職時期が遅れ企業が困るといっても、既に新卒一括採用は揺らいでおり、通年採用にすればいい。もしやるなら入学時期を毎年少しずつずらし、5~10年計画で9月入学まで持っていけば、子どもに大きな影響を与えずにすむかもしれない。
この改革は大変大がかりになる。「平時は難しいが非常時の今だからできる」というものではない。国民のよほどの理解がなければ、できるはずがない。
(聞き手 編集委員・氏岡真弓)
*1955年生まれ。東京大学卒。旧文部省に入省、初等中等教育局長などを経て文部科学事務次官。2017年、天下り問題の責任をとり退職。同年、加計学園をめぐる問題で「行政がゆがめられた」と証言した。現在は講演や執筆活動のほか、自主夜間中学の講師も務める。
東京新聞:【社説】9月入学案 「特効薬」にはならない
2020年5月9日
コロナ禍で休校を続ける自治体も多い中、入学時期を九月とする議論が浮上している。確かに利点もあるのだろうが、学びの保障ができない現状を一気に解消できる「特効薬」にはなり得ない。
いつ学校を再開するかは感染状況などにより、自治体によって判断が分かれる。インターネットを通じたオンライン授業も一部で試みられているものの、パソコンなどの環境が整っていない家庭も当然あり、踏み切れるかどうかは自治体の財政状況にも左右される。
九月入学を訴える知事らは、地域による学力格差の解消につながり、秋入学が主流の欧米に合わせることで国際化も推進できると主張する。高校生や、保護者の中からも待望論がある。政府も検討を進める考えだ。
だが、まず足元で生じている学びの停滞を少しでも解消していくことが最優先のはずだ。学校を再開できることが一番望ましい。ただ休校が長期化したり再休校の事態を想定すれば、パソコンなどの貸与をはじめオンラインの環境整備は急いだ方がよいのではないか。国も全力で支援すべきだ。
夏休みに授業や補習を行う場合は、猛暑対応や密集回避のため学校以外の場所も確保することや、外部からの応援をあおいで指導体制を手厚くするなど、柔軟な対応が必要となるだろう。自治体と国、民間が連携し、今からさまざまな事態を想定して、知恵を絞ってほしい。
新型コロナウイルスの脅威と向き合う期間が長期化する可能性もある中で、入学時期をずらすことの効果は不透明だ。
明治時代、国の会計年度が曲折を経て四月からとなり、それに教育制度も足並みをそろえていった。会計年度については、税収のもととなるコメの収穫時期などが影響したという説もある。
四月入学である必然性があるわけではないが、長い慣習の中で定まっていったさまざまな制度との整合性を図っていくには多大な労力を必要とする。今、それが可能な時期だろうか。
グローバル化をうたい、英語の民間試験導入などを柱とした大学入試改革が昨年、制度設計の詰めの甘さで事実上破綻したことも忘れてはならない。
学ぶ内容は、一年単位でなく、もう少し長い期間の中で補っていく必要も出てくるかもしれない。難題ばかりだが、地道に一つひとつ解いていくしかない。