もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

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170826 実に嫌なニュース!小池都知事の朝鮮人虐殺・追悼文拒否は歴史修正主義者安倍晋三への秋波。恥ずべき正体見たり。

2017年08月26日 22時30分57秒 | 時代の記憶
8月26日(土):
朝日デジタル小池氏「特別な形、控える」 関東大震災の朝鮮人追悼文   8/25(金) 23:50配信
  小池百合子・東京都知事が、関東大震災の朝鮮人犠牲者の追悼式に追悼文を送るのを取りやめた問題で、小池氏は25日の定例記者会見で、一部の犠牲者を特別扱いしないとの判断をしたことを明らかにした。ただ具体的な理由はあいまいな説明に終始した。識者らからは「震災時の虐殺の歴史を見えにくくする行為だ」などの批判が出ている。
  小池氏は会見で「(朝鮮人犠牲者に対する)特別な形での追悼文の提出は控えた」と説明した。都慰霊協会が毎年春と秋に催す追悼行事で、都知事として全ての犠牲者に追悼の意を表しており、朝鮮人犠牲者もそこに含める考えを繰り返した。
  小池氏が追悼文送付を見送った朝鮮人犠牲者追悼式は、市民団体の日朝協会などが毎年9月に開催し、震災直後に「朝鮮人が略奪や放火をした」などのデマが広がる中、虐殺された朝鮮人らも合わせて追悼している。政府の中央防災会議は2009年までにまとめた報告書で、虐殺の犠牲者数を震災の全犠牲者10万5千人余のうち「1~数%」と推計している。震災当時の在日朝鮮人慰問班による「6600人」との調査や、「5千人」とする推定があり、犠牲者は数千人に上るとみられるが、正確な人数ははっきりしていない。
  会見で虐殺の犠牲者は天災による犠牲とは違う」との主催者側の主張への考えを問われると、小池氏は「切り口は異なっているかと思うが、不幸な死を遂げた方に対する慰霊をする気持ちは変わらない。知事として全ての方に哀悼の意を表することは大変意味の深いことだ」と述べた。「民族差別という観点より、災害の被害、様々な被害で亡くなった方々への慰霊をしていくべきだ」とも話し、虐殺犠牲者を特別視しない考えを示した。追悼文の送付中止が虐殺行為の否定を意味するとの批判があることについては「様々な歴史的な認識があろうかと思う」などと述べるにとどめた。
  石原慎太郎・元都知事は追悼文を寄せており、その後、都知事になった猪瀬直樹氏、舛添要一氏も送付していた。小池氏も昨年はそれにならい、「わが国の歴史の中でもまれに見る、誠に痛ましい出来事」などとする追悼文を送った。対応を変えた理由については「昨年は慣例的に事務的に(主催者に追悼文を)戻していた」と説明し、今回は自ら判断したとした。都によると、昨年の追悼文は担当の都建設局が作ったが、小池氏本人は読んでいなかったという。


実に嫌なニュースである。「切り口」とか知事の言葉遣いが実に軽い!。歴史を誤魔化したり、軽んじたりすることほど卑劣で罪深い政治的行為はない。小池百合子は、朝鮮人虐殺の慰霊祭をわざわざ不自然な形で拒否することによって、安倍晋三をはじめとする歴史修正主義者新自由主義者に秋波を送っている。要は、「わたしもお仲間なのよ」と媚びを売っているのだ。

こんな形で、過去の歴史を軽視し、あまつさえ利用する小池百合子都知事は、短期的には権力を強めたように見えるかもしれないが、「根っこは安倍晋三らとおなじ穴の腐り果てた政治屋である」ことを自分で暴露してしまったのだ。長い目で見れば、失わなくてよかった信用を自らの意志でどぶに捨てたようなものである。

今回の件で俺も、かすかに残っていた小池百合子に対する「わずかでも信じたい」という思いは、きれいに吹っ切れて、ごみ箱に捨てられた!

1923(大正3)年9月1日に起こった関東大震災直後、「不逞鮮人ら来襲し、井戸への投毒・放火・強盗・強姦をする」などの流言飛語に惑わされた自警団などの一般市民により少なくとも6000人以上の朝鮮人が虐殺されたという事実は、歴史の教科書にも記載されている事実である。絶対に忘れてならない歴史の教訓である。それを、平気で軽んじ、政権への媚を売るのに使える感性が、小池都知事にあることを絶対に許してはならない。

   「6 082 中村哲・澤地久枝「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束」(岩波書店:2010)感想5」の中にあった記述を書き写しておく。

澤地:お父様は、中学を出てから、さらに学校へ行ってらっしゃるのですか。
中村:早稲田大学中退です。
澤地:それは、誰がお金を出したのですか。
中村:書生としてどこかお金持ちの家に住み込んで、いまでいえば苦学生ですね。ロシア革命の報せを聞いて、じっとしておれなくて上京したらしいです。早稲田大学で勉強しているときに、関東大震災です。それ以来、すっかり東京の人が嫌いになってしまって……。
澤地:なぜ嫌いになってしまわれたのですか。朝鮮人の虐殺とか、そういうことと関係がありますか。
中村:まさにそれです。九州訛りが強かったものですから疑われて。いつも、そのことをこと細かに話していましたけれども、隅田川は朝鮮人の死体であふれていたそうです。うちの父も、町内会の一団の人々が、日本刀やら、木刀を持って、通行人を検閲しているのに出会って、「この人は言葉がおかしい」といって、朝鮮人と間違えられて、あやうく殺されそうになった。ところが、ちょうどそこに下宿屋のおじさんが通りかかって、「これは、うちにいる九州から来た早稲田の学生さんだ」と言ってくれて助かったらしい。
  それ以来、東京嫌いになってしまって、「あの人たちは、普段は立派なことを言ってるけれども、いざというときになると集団で何をするかわからんぞ」と。私もそれを聞かされて、そういう偏見にはぐくまれました(笑)。大杉栄もそのどさくさで殺されました。そのことが日本人のあいだで、すぐさま忘れ去られる。そのことに対して、父はいつまでも憤りを抱いていました。
  北朝鮮の拉致事件があって日本中が騒ぎましたよね。私は、すぐにそのことを思い出しました。私は、いま、家内の里の大牟田というところにいますが、あそこには、何百人だか、何千人だか、強制連行で朝鮮人が連れてこられて、何百人も死んでいます。そのことは、もう皆、忘れてるんですね。拉致という行為そのものは、国家的犯罪ですから、北朝鮮が悪くないなどということはひと言も言いませんが、それ以上のことを日本はした。大牟田の炭坑で数百人死んでいて、いちばん労働条件の過酷なところに朝鮮人労働者は回されている。その合同葬儀がちょうど、横田めぐみさんの拉致などを連日報道しているときにあったのです。在日の知り合いに、意見を聞いたら、「先生、それを言うと日本中から袋叩きにあいます」というのです。つまり、彼ら自身も自粛するような、このムード。これは、戦時中のムードに近いものじゃないかと感じました。
   自分の身は、針で刺されても飛び上がるけれども、相手の体は槍で突いても平気だという感覚、これがなくならない限りだめですね。
( 29~30ページに記載あり )

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