もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150531 水上勉「拝啓池田総理大臣殿」( 『中央公論』1963年6月号,pp.124-134)

2015年05月31日 19時32分04秒 | アーカイブ
5月31日(日):

拝啓池田総理大臣殿
水上 勉 1963 『中央公論』1963年6月号,pp.124-134
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 われわれの税金は果して正しくつかわれているだろうか。身体不自由な娘をもった一人の作家が、税制の不合理と社会保障の欠陥を追及した切々たる公開状

拝啓 池田総理大臣殿
 ご多忙な総理が、ふと自宅でテレビをみておられて、定時制高校卒業生の差別問題にいたく心を動かされ、さっそく、翌日にこの問題を閣議の席上で審議にかけられ、長いあいだの課題であった定時制高校卒業生の資格に、陽の目をあたえられたという新聞記事をよんで私は、正直のところ、あなたにほのかな親しみを感じたものの一人であります。そこで、このような文章をあなたにさしあげる勇気が出ました。どうぞ、テレビでもごらんになるつもりで、私のこの拙文に三、四十分あまりの時間をさいて下さい。
 私は、主として今日まで推理小説を書いてきた作家です。三、四年前から、日本の読書界に起こった推理小説ブームのおかげもあり、私は私の名を一部読者におぼえられるようになり、小説の注文も月々多量にひきうけるような境遇にあります。むかし(といっても、つい四、五年前まで)にくらべますとずいぶん収入も多くなり、本年度の私の居住する地域の東京都豊島区税務所の査定によりますと私には三千四百万円もの収入があり、それに課税された所得税額は、五百八十七万円ということでありました。これは所得税額だけであって、そのほか、区民税、さらに納入ずみの諸税金を加えますと私の税金はだいたい一千一百万円近い額にのぼるということを税務所の方から申しわたされました。私は正直のところ、びっくりしました。私は三、四年前までは、家内を外へ働きに出し、私も、また洋服の行商をしているというような貧乏な間借り生活をしておりました。所得税はおろか、区民税さえも期日に払うことが出来ずに、何ども督促をうけながらも、ようやく利子をつけて支払うような生活を長いあいだしてまいりました。そのためか、一千万円以上の税金を支払△124▽125うなんてことはまったく夢のような気がしたものです。
 しかし、収入はそのとおりありましたし、私がハンコを押して受けとっているのでもありますから、政府でおきめになった税法どおり、私は払わざるを得ません。それで、私はきめられたとおりにすでに、第一期分を支払い、五月の末までには、残額全部を支払わねばならない立場にあります。ところで、一千万円以上もの金が、いったん、私のふところに入っておって、それがまた時日を経てから出てゆくかと思うと一抹のかなしさが無くはありません。私は人いちばい強欲なのでしょうか。小さい時から、貧乏な家に育ち、禅宗の寺へ小僧にやらされ、小僧がいやでその寺をとび出して以来、十二歳ごろからひもじい思いばかりして放浪してきて、お金なども、財布に入れてもらったことのないほどの貧乏をしてきておりますので、つい、自分の手に入った大金が、法律によって、よそへ出てゆくというようなことが、実感としてわからなく、まったく損をするみたいな気もちになるわけです。
 決して、私の税金を払うことを私がイヤがっていっているわけではありません。毎日毎夜寸時も原稿紙からはなれたこともなく、背中のよこにコブを二つもつくり、四年前からの痔の手術も、歯槽膿漏の手術もする時間も惜しんで、原稿用紙に小説を書いて得た金が、一年間三千四百万にもなったのであります。そのうちの三分の一の金が、よそへ逃げてゆくかと思うと私はただかなしい思いがするだけです。だが、これも、日本国民としての私の納税義務だとあきらめてしまえばそれで納得もできるのでありますが、正直のところ、わたしは、この約一年前ごろから、とくに、今日このごろ、私が一生懸命勤労する仕事の量と、税金と、それから、私の生活面に起ってきているある特殊な事情の三つが関連してどうしても、私は暗い気分にならざるを得ないのであります。それをうちあけたったのが、この文章の目的なのです。

 去年の九月のはじめに、私の妻は一人の身体不自由な子を産みました。病名は脊椎破裂といい、背中の骨がとび出て、大きな肉腫ができていました。せむしのような恰好で出てきたのをみて、私たち夫婦は、死んでしまいたいほどびっくりしました。医者は、一万人の中の一人の子だと申しまして、たぶん、このまま死ぬだろうからあきらめてくれ・・・・というなことをいうかと思うとまた、ある医者は手術をすれば、背中のコブはなくなる。けれど神経障害はまぬかれない、だが、それも、根気よく治療してゆけば、一人前の人間にすることは可能だといいました。私たちは、看護婦からも、医者からも見はなされたような、奇型の子が、ガラスの箱の中でもがいているのをみました時、どうにかして、生かしてやりたい、この子が生きようとするのなら、全力をつくして、生かしてやりたいと思うようになりました。まもなく外科手術を行ない、背中の肉腫を除去することに成功しまし△125▽126た。手術後の経過はよくて、子もふつうの赤ちゃんと同じようなつややかな顔をとりもどして笑顔をみせるようになりましたが、今日も頭形肥大、両肢不随、歩行困難の症状はなおりません。
 約三ヶ月間病院に入れておりましたけれど、月々に八十万円ちかい諸経費も大変に思われもしましたので、豊島区の自宅へつれてもどり、只今は自宅療法と病院通いをしているわけです。私たちは最初、この子がうまれた時、世にも不幸な親たちは自分たちではないかと思ったりもしたものです。ところがあとになって、私は、私の子と同じような症状の赤ちゃんが、この世に、なんと、何万人とも知れず生まれている、そうしてその子たちが半身不髄のまま今日も生きているということをきいてびっくりしたのです。
 私は作家であります。この子のうまれた当日の模様や、親としてのかなしみや、新しく芽生えてきたこの子への愛などについて、考えるところもありましたので、そのことを、雑誌に、体験記ふうに発表してみたことがあります。すると、この私の文章を読んで、全国から約三百通あまりの手紙が私あてに届きました。それらはみな、私と同じようなかなしみをもち、身体不自由な子を養っていらっしゃるお母さんからの手紙なのです。私はふたたび、びっくりしました。中にこんなのがあったからです。
 「水上センセイ。ワタクシモ、アナタト同ジセキツイハレツノ子ヲモッテヰマス。ワタシノ子ハコトシ十八才ニナリマスガ歩ケマセン。学校ヘイッテヰマセン。十八年間、ワタシハ子ヲ病院ヘカヨワセテヰマス。子ハ両足ガフラフラシテヰテ、頭モ大キク、ウチデジィットシテヰマス。ケレドモ、ワタシハコノ子ヲカワイガッテ育テテヰマス。コノ子ヲ愛シテクダサル人ハ世ノ中ニナイカラデス。ワタクシダケガコノ子ノ母ダカラデス。十八年カン、ワタシハイロイロトコノ子ニ教エラレタコトガアリマシタ。ニイガタハ雪ノ多イトコロデス。病院ヘユクタメニ、車ニノセテユキマス。雪ミチノスベル日ハ、車ニチェンヲマイテ、ワタシハ元気デ車ヲオシテユキマス。
 水上センセイ。アナタノオ子サンモ、キット、リッパニ大キクナリマス。ワタシハセンセイガ、ワタシト同ジ子ヲモッテオラレルトキイテ、一ソウ元気ガデマシタ。コレカラモ。友ダチニナッテクダサイ。」
 片仮名で書きましたのは理由があります。この婦人は四十歳を出た人でした。おそらく農村の人ではないでしょうか。病院へゆくのに、手押車でゆかねばならないところだといっておられますから。私は十八年間も、学校へもゆかないで、田舎の家で自宅療養しておられるこの手紙の主のお子さんのことを思うと眼がくもりました。こんなのがあります。
 「水上先生、私は先生と同じ子をもつ熊本県の一母親です。先生の直子さんと同じように、うちの子も生れたときは医者△126▽127に見はなされました。けれども、理解ある個人外科医の手術で、どうやら脊椎神経を直すことに成功して、頭形肥大、歩行困難の子として今日になりましたが、今は七歳になり入学を迎えました。ところが、一般の学校へ入れるのは子がかわいそうな気もしますし、どこか、重症身体障害児の学校がないものかと思ってさがしますけれど、熊本県には一校もありません。それで、何とか義務教育だけはさせてやりたいと日夜悩んでおります。
 先生のお子さまも、やがて、学校へゆかれる日がこられるでしょう。東京には私どものような障害児の学校があるときいていますが如何せん、私ども安サラリーマンの家庭では、子を遠い町へ放してまで、養育する余裕はありません。いろいろと悩んでおりますが、先生の雑誌の文章を読んで励まされました。たとえ歩けない子でも、立派な人間にしてやろうと書かれた先生の父親としての文章に、本当に元気づけられました。義務教育がうけられなくても、私たちはうちの子を立派に育てようと思っております」
「私は先生の文章をよんで感じたことを書きます。じつは私も、神経障害で、ことし、二十歳になる女性です。私は歩けますが、後遺症の難聴でこまっています。家が貧しいので働かなければなりませんので、耳が遠いこと秘して就職しますと、すぐにクビになってしまいます。そのために、私は、今日まで二十二の職業を転々としてしまいました。つくづく、世の中がいやになって死んでしまいたいと思うことがあります。けれども、こんど先生の文章を読んで元気がでました。先生も、元気でお子さんを大切にお育てになるように祈ります。」
 三通の手紙は、その代表的なものではありません。手許にあります三百通の手紙の一部をおみせするまでです。それぞれ似たような境遇の成人になられた本人か、もしくは母親や父親の、障害児をもったために、苦しまねばならなかったかなしみで充満したものばかりであります。

 総理大臣。私はこのような手紙をあなたによんでいただきたいために、わざわざこの手紙をここにつらねたのではありません。世の中には、不幸な子をもつ家がずいぶん多いものだということを総理に知ってほしかったためなのです。
 私は、熊本県に身体障害児を教育する学校が本当にないか、そのことについてまだしらべていません。しかし、私へきた手紙では、一校もないといってきております。おそらく、新潟県の雪の村で十八年間も家にひきこもっておられる障害児の村も、そういう施設は遠いのではありますまいか。私は、身体障害の子としてうまれた人間は、日本のある地方では教育からしめだしを喰っているような思いがして、慄然(りつぜん)としました。
 私は、都内や周辺にある身体障害児の施設や養育園に関△127▽128心をもつようになったのは、これらの手紙に接してからであります。正直のところ、私自身、ひとりの障害児をもっているとはいえ、生来、暢気な性質でもある私はまだ、二歳になってまもない私の子供の五年のちの入学のことや、教育のことなど、切実に考えるところまでいっていなかったのでした。私の考えていることは、何とかして、歩かせてやりたい、それだけが切実な希望だったのであります。ところが、これらの手紙に接してからというものは、私の子も入学期がくることに思いが走り、どのような施設に入れて、義務教育をうけさせてやろうかと心配が起きたからにほかありません。ところが、しらべてみますと、軽症児童の学園や養育園でさえが満員で、なかなか入れないという母親たちの声が私にきこえてきました。つまり設備が足りないということなのでしょう、重症児は尚更であります。
 いま、手もとにあります『厚生白書』という本を繙いて、総理大臣におみせします。次のように書かれてあります。
 「いわゆる『重症心身障害児』の問題がある。これは障害がきわめて重度であり、また二種以上の障害が重複しており、現行の児童福祉施設への収容は、実際上不可能である。現在は、民間団体において、収容療育の方法を研究中であるが、能力開発がとうてい期待しえないこれらの児童に対しては手厚い保護をよりいっそうに強化すべきであろう」(傍点筆者)
 因みにこの白書は昭和三十八年二月十五日の発行であります。今年の二月現在において、政府は、白書の示すとおりの、重症心身障害児に対しては、このような民間の篤志家まかせの対策しかもちあわせていなかったのでありましょうか。
 東京の南多摩郡多摩村落合中沢というところに、島田療育園という重症心身障害児の収容施設があります。
 ここには約五十人の盲、オシ、ツンボ、精薄、脳性麻マヒ、テンカン、奇型などの障害を、一身でいくつも背負っているかわいそうでみじめな子供が収容されています。こうした子供さんたちは、ダブル・ハンディキャップといわれて、人一ばい手がかかるために、一般の児童福祉施設や精薄児や盲、ロウアの施設などからしめだしをくったのです。ところが、ひとりの篤志家の決意によって設けられたこの施設に収容されることになったのです。「世の中には、重症心身障害の子を家にかくしてひそかに育てている人たちが、何万人いるだろう。むかしのように座敷牢に入れたり、まるで飼い殺しにするような状態から、何とかしてその子たちを救いたい」念願からこの療育園は出発したのだと小林提樹園長はいっています。「重い心身障害をもつ子どものお父さん、お母さん、どうぞ、連絡して下さい。どうしたら、その子がしあわせになれるか、いっしょに考えようではありませんか」と園長さんは世間によびかけているそうです。
 ところがこの島田療育園に、現在まで政府が、どのような援助をなされたか、私がしらべたところによりますとだいた△128▽129い、次のようになります。昭和三十六年度四百万円。三十七年度六百万円。それだけであります。現在この療育園で、一児につき実費三十六万円かかるそうです。現在では合計二千七百万円の実費のかかる収容児をもっていますが、政府補助は、わずかに全経費の二割にしかなりません。療育園では、この不足分をどうしておられるかというと、募金などに頼っているとの返答です。小林園長はこうつけ足しています。
 「昭和三十八年度は″重症心身障害児養育費″として補助費が出る約束はしてくれているが、交付金はまだ発表されていない。地方自治体のレベルでは重症児に対して年金を払うというような動きも出てきていて、たとえば神戸市などでは、昨年十月から、一児に対して年間一万円弱の年金です。神戸市長はこの額では慰労程度のものだが、といっているそうですが、新しい動きとして注目されます」
 まことに寒い思いがします。総理大臣はどう思われましょうか。

 私は、総理が日本の政治の総元締の地位にあられることを知っています。外交、文教、開拓、商工振興、鉄道、観光など、あらゆる国が事業を行なう上(うえ)にあって、それを統率遂行なさる立場にある方だと知っております。総理は日夜、多忙であられます。そこで、総理は本年初頭に、明年度の予算は健全積極性のものにすると表明されました。一般会計の規模は二兆八千五百億円(外債などを入れると一兆七百億円)ぐらいで、本年度に比べて、一般会計で、一七・五パーセント、財政投資計画で二〇パーセントの増となるだろうということを言われました。
 作家の私が、総理が本年初頭に発表されたこのような予算編成の声明を気をつけてみていたわけではありません。これも、いま、私は手もとにある『ジュリスト』という雑誌の一△129▽130月十五日号を繙いているにすぎないのです。そこには、政府の積極財政について、次のようなことを記しています。
 「明年度は不況のせいで、税の自然増収がせいぜい三千億円ぐらいしかみこめないし、財政投融資の原資も窮屈であるが、一方で景気のテコ入れを行なう必要があるところから、なんとか積極性をもりこもうとしているのである。財源は不足だし、既定経費の当然増で、新規政策費に廻せるものは少ないが、それでも公共投資、文教、社会保障の三つの柱を中心にして積極性のある予算を組もうと苦心している。(中略)しかし、社会保障の充実にしても生活保障基準の二一パーセント引き上げ、福祉年金支給率のひき上げ、国民健康保険の国費分担率の引き上げ、医療費の地域格差の是正の要求が厚生省から出されているが、大蔵省は財源不足を理由にこれをできるだけ低目に押さえようとしており、三本柱の一つも、どこまで重点がおかれるか心配されている」(傍点筆者)
と解説者は記したあとで、次のように記しています。
 「だが、われわれ国民大衆が一番注目するのは減税問題だ。減税は、今まで池田内閣の重点施策の一つの柱となっていたが、今度は抜けてしまっている。池田首相なども『毎年大幅減税をやってきたのだから、今後ぐらい休んでもいいのではないか』とか『一般国民はそれほど減税をのぞんでいない』とかいいながら、減税、とくに所得税中心の減税を見送ろうとしている。一方、政府の税制調査会では、物価の値上がり、累進税率などによって、もし減税しなければ、所得税の増税になるということから、所得税について基礎、配偶者、扶養の各控除をそれぞれ一万円ずつ引き上げることを答申した。ところが、池田首相、賀屋政調会長あたりは、こうした所得税中心の減税よりも、資本家蓄積重点の減税に熱心で、利子および、配当所得への税制上の特別措置を優先しようとしている。いわゆる政策減税といわれるものである。(中略)
 こうした政策減税が優先したため、一般の所得税減税の方は、税制調査会の答申よりさらに後退して、基礎控除一万円引き上げ、その他の配偶者、扶養の二控除および、中小企業者の専従控除は五千円引き上げということに落ち着きそうである」
 この記事をよみましても私は、総理が減税政策の統率者でないことをあらためて考えざるを得なくなります。自由民主党の幹部の方たちの考え方は、なりふりかまわず大資本の擁護をはかるというやり方を露骨に出しておられるという思いがしますが如何でしょうか。
 こんなことをとつぜん私がひきあいに出しましたのは、前述したように、日本の隅々に、学校へゆけない重症身体障害児が何万と放置されているということと、そうして、その子供たちが、高所得者の家庭によりも、低所得生活者の家庭に多いようにみうけられるからであります。私あてに、全国から集まりました身体障害者の手紙はそのようなことを明らか△130▽131に示していたからです。公共投資、文教、社会保障の三つの柱のどこに重点がおかれて予算が組まれるか心配である、と先の雑誌の解説者を憂慮させるような現実では、社会保障の項目に当然入るであろう、これらの下積みの身体障害者の保護施設問題が等閑視されはしないかと私に心配されるからでありました。
 ところで、私は、冒頭に私の所得額と税額を総理に示しました。私はしつこいようですが、もういちど言わせていただきますと、大体一千一百万円の税金をおさめねばならないことになっています。私は作家でありますから、個人企業といえましょうか。私が孤独に働いて得た金であります。ふつうの会社や、法人組織の団体のように、社員や、大ぜいの人の力で得た金ではなくて、私が、日夜、原稿用紙に向って得た収入から、おさめなければならない金なのであります。
 ところで私のように、個人で、一年に一千万円以上もの税金を支払う境遇にあるものは当然、高所得者の部類に入るではないかと思います。私は総理の所得税額はいくらか存じませんが、おそらく、池田さん、あなたよりも、多額の所得税を私は政府に支払っているのではないかと思いますが、どうでしょうか。もし、それが事実であれば私は一国の宰相よりも、多額の収入があるということになります。冒頭で、夢のような気がすると書きましたのも、そのような感慨があるからでありました。私は、こんなに多額の税金をおさめるようになったのは、つい最近のことだといいました。いま私の手もとにある本年度の納税申告書をみてみますと、過去三年間の課税対象額は、昭和三十五年三百四十四万、三十六年千四百三十八万、三十七年二千百五十三万となっております。三十五年は私がまだ妻を外に働かせて洋服の行商をしていた生活から作家に移行する時期でありましたし、小説注文も少なくて収入もなかったからでありましょう。しかし翌年には、一千万以上に昴り、翌々年には二千万近い上昇を示すにいたりました。
 私は、毎日毎日、働いております。私が、こんなに働くようになりましたのは、私の子が身体障害者であるからです。頭部肥大、下半身不随で、歩行困難が予想されるからです。一時は月に八十万円もの医療費がかかったほど、この子は私どもを泣かせました。私はこの子の医療費を得るために、がむしゃらに小説を書いてきました。おかげで、退院も出来て、今日は自宅で療養いたしていますけれど、この子の将来を思うと私は暗たんたる気もちになります。生涯歩けないのでは廃人同様だからです。廃人同様であっても、私たちの産んだ子でありますから、世間様にめいわくのかからないように、どこかで、ひっそりと天命を全うするまで、生活させてやらねばならない責任が父親としてのわたしにあります。私は、この子のためにいくらかの貯蓄を余儀なくされたわけです。△131▽132そこで、がむしゃらに働いたわけですが、今日になって、その子に、どこか陽当りのいい、空気の澄んでいる郊外の家でもつくってやろうと思ってみましても、所得額のうちから三分の一の一千万円以上もの税金をもってゆかれるようでは、画餅に終ってしまったわけです。私は私の子にやるべき金を、政府にとられたような気がした錯覚さえおぼえたのは、このためにほかありません。総理は、私が一年や二年の労働で、子の生涯の養育費をひねり出そうとしていることをお笑いになるかもしれない。しかし、これには、理由があるのです。
 私は、個人企業の、孤独な作家であります。二十歳時代に肺病をやり、今日も痔、歯槽膿漏の病気を背負いながらあまり健康でもない?を酷使して働いているのですが、かりに、私が、急に病気で寝てしまうと、私の収入はぴたりと止ってしまいます。会社員ではありませんから、生活の保障はないのです。一家は路頭に迷わねばなりません。それに作家という商売は、なかなかなことでは出来ません。骨の折れる仕事である上に、今日のように高所得を持続することはそんなに続くものでもないのです。病気でなくても、書けない時期もくるのでありまして、無収入の年のことも計算に入れると、つい、私は、書きたいことのあるうちは、一生懸命働いてみようという心もちになって、今日も原稿用紙に向っているわけなのです。
 ところで、私がこの孤独な書斎作業で働いて得る金と、同額ぐらいの収入のある中小企業の会社は、私よりも、税額が少ないということが、私に妙な感じを抱かせております。豊島区の税務署の方は、私の妻に、こんなことをいわれたそうです。「秘書を二人ぐらいお置きになるとか、運転手をお傭いになるとかなされば必要経費としてみとめられます」私は総理のように秘書は要りません。運転手もいりません。なぜならば書斎労働だからです。つい三年ほど前まで、三百四十四万の課税対象額しかなかった生活者です。秘書をやとって、小説の書けるような人間に出来ておりません。運転手をやとうことも面映ゆい気がして出来ません。私は禅宗のお寺で少年時を送りました。そういうことは勿体ないと考えるような教育をされてきていて、粗衣粗食に甘んじ、節約一心に勤労するというような生活態度を今日も、尊いとしておるものです。私が、日夜、働くのも、こうした少年時の勤労の教えを守っているのであります。ところがこの勤労生活は、今日の税制からみますと、おかしな云い方かもしれませんが、損であるように思われます。すなわち、私が、秘書をやとい、運転手をやとって、なるべく?を酷使しないような方法をとり、世の中でもっとも孤独作業であるべき創作の仕事を、共同工場化して、生産するような組織にもってゆけば、税金も安くてすむような仕組みにできているのです。おかしなことに思われてなりません。小説は共同で出来るものでも△132▽133なく、秘書の力で出来のよくなるものでもありません。あくまで、孤独につくられるものなのです。なぜ、こつこつと孤独に働いて、収入をより多く得た者に、税率が多く課せられるのでありましょうか。今日の税金政策が、勤労精神と相反するように見えてならないのは私だけでしょうか。
 私は、今日の税制が、さきの雑誌の解説者の憂えたように、大資本擁護の立場をとっていることを身をもって知るものです。いっておきますが、総理大臣、私は、あなたよりも所得税を多く政府に払います。しかし、私は貧乏であります。そうして、私ばかりでなく、私のように、孤独に働いて、多額の税率をかけられて、文句もいわずにそれを納め、真面目に生活しておられる無数の貧しい人びとのことも思うと暗くなります。ふっと、その人たちの暗い家の隅で、歩けない子がかくれていることを思うと私は、ぎょっとなるのです。雪の新潟から、片仮名まじりできた手紙は、車にチェンをまいて十八年間、重症の子を町の病院へ通わせてきたと書いてきていました。南の九州から、熊本には、歩けない子の学校は一校もないと書いてきておりました。私はふっと、その子たちの親たちが、いったい、どんな思いで税金を払っているのかと思いを馳せてみました。
 私はこの三月に税務署から査定金額を申しわたされて、帰ってきた妻にいいました。
 「いったい、うちの直子(歩けない子)に、政府はいくら補助金をくれるのか」
 妻はこたえました。
 「六千円ひかれます」
 「ひかれるって、税金のはなしをしているんじゃないんだ。うちの病気の子に、政府がいくら、医療保護のお金をくれるのかということきいているんだ」
 「区役所からも都庁からも、そんなお金をくれはしません△133▽134よ。ただ、あんたの稼いだお金から六千円をひいてくれるだけですよ」と妻はいいました。
 私の子の政府の医療補助費は、私が稼いでいることになるのかもしれない。そのことが、私の身に沁みました。
 総理大臣、私は、あなたに私の泣きごとをかいてみたかったのではありません。私は、重症身体障害者を収容する島田療育園に、政府が、たったの二割しか補助を行なっていないことに激怒したからなのです。政府が、今日まで、あのオシや、ツンボや、盲やのかわいそうな子供たちが、施設からしめ出しを喰って、収容されている療育園に、これまで助成した金は、二年間にわたってたったの一千万円でした。三十六年度に四百万円、翌年に六百万円でした。しかも、これは研究費というめいもくです。私が本年一年におさめる税金の一千一百万円よりも少ないのです。私は、私の働いた金が、この島田療育園の子らにそそがれるのであったら、どんなに嬉しいかしれません。私ひとりの子でなく、私の子と同じように歩けない子らの上に、そそがれる金であったら、私はどんなに嬉しいかわかりません。
 無茶なことをいう奴だと総理はお笑いになるかもしれない。私は何も、私の税金をそっくりそのまま、重症身体障害児の施設に廻せといっているのではないのです。そうなれば嬉しいといっているだけのことなのであります。私は月に一どほど島田療育園の近くにあるゴルフ場へゆくことがあります。私は健康上の理由から、芝生の上でクラブを振ることをおぼえて、ここ半年ほど前からゴルフをやるようになりました。私はそのゴルフ場へ行く途中で、島田療育園の山の下を通ります。ああここだな、と私は心につぶやきます。島田療育園の建物は、山をきり崩した中腹の平坦地に、まだ地ならしも完了していない赤土が出ている所です。粗末なていさいでたってみえます。そこへゆく途中の道路は悪く、建物も貧弱で、寒々としてみえるのです。対岸にあるゴルフ場のキャディ宿舎の方がはるかに立派です。白いペンキのぬった療育園の小さな窓は格子がはってあります。その窓の中に、手足のうごかない子供が五十人もいるかと思うと、私はふっと、みどりの芝生を歩いている五体健康の私の身のありがたさに身をひきしめます。そうして、やがては、そうした施設に入れて、教育させてやらねばならない私の奇型の子のことに思いをめぐらせます。だから、私はゴルフをやらねばなりません。健康を保って、働かねばなりません。
 総理大臣。とりとめのないことを書きました。どうか、あなたのご多忙な日々のある時間に、身体障害の身でありながら、生きようとしているたくさんの子らのいることに思いを馳せて下さい。来年から、どうか、この子たちのために出来るだけの予算をとって、施設を拡大してあげて下さい。大勢の気の毒な子とその両親を代表して、心からお願い申し上げます。△134

◇黒金 泰美 196307 「拝復水上勉様――総理に変わり『拝啓池田総理大臣殿』に応える」,『中央公論』1963年7月号,pp.84-89

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