もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

180817 再掲:7 026 佐藤優「自壊する帝国」(新潮社:2006)感想5+

2018年08月18日 02時58分24秒 | 一日一冊読書開始
8月17日(金): 以下に前回の読書ブログを再掲します。
       ※再掲の操作ミスで、1月4日(木)の掲載分を消してしまい、変則的掲載になってしまいました。

7 026 佐藤優「自壊する帝国」(新潮社:2006)感想5+
                       2018年01月05日 04時29分15秒 | 一日一冊読書開始

1月4日(木):  

414ページ      所要時間5:10     アマゾン258円(1+257)

著者46歳(1960生まれ)。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省。在英日本国大使館、ロシア連邦日本国大使館などを経て、1995(平成7)年から外務本省国際情報局分析第一課に勤務。2002年5月、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕。2005年2月執行猶予付き有罪判決を受け、現在上告中(末尾を参考に)。主な著書に『国家の罠ー外務省のラスプーチンと呼ばれて』(毎日出版文化賞特別賞)、『自壊する帝国』(新朝ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞)などがある。

結局失敗したが、1ページ15秒のつもりで眺め続けた。漠然と何について語られてるのかがわかる程度であったが、著者の筆力と外交官としての経験の凄味は十二分以上に感じられた。読書をしているとたまに「世の中には、途方もない規格外れの壮大な器(“頭脳”構造)の持ち主がいる」ということを思い知らされる時がある。著者がまさにその典型である。この人、やっぱりすごい。

著者は、同志社大学神学部を卒業した後、キャリアでない一般職としての外務省職員に採用され、イギリスで語学研修を受けたのち、モスクワに派遣された下級外交官として活動を行った時の回想録である。1980年代前半から1991年のソ連邦崩壊の過程を経て、その後1990年代の終わりまでの時期が記されている。

リクルートなどの広告・情報会社がアンケートで、企業が大学生に求める能力として第1番が「コミュニケーション能力」だというのを目にするたびに、俺はいつも片腹痛い感じでせせら笑っているが、本書でその思いをより強くした。深い教養に裏打ちされた中身もなしに、「私は運動部で鍛えてますからとか、明るい性格なのでとか、誰とでも社交的に仲良くできます、話せますよ」ってそれはコミュニケーション能力じゃないだろう。むしろ沈黙こそが大事な時があるだろう。責任ある相手と深いコミュニケーションを結ぶには、やはり分厚い教養とどん欲に学習する意欲に裏打ちされた思考力が前提で、その上で社交性があれば、それもいいかな、って程度だ。大事なのは学力・教養力に裏打ちされた思考力と意志力だ。その証拠に、旧ソ連邦崩壊期に大車輪の活躍をした著者は「もともと、人見知りが激しいので、」(413ページ)と自分を位置付けている。俺としては我が意を得たりの感がある。

著者は、1979年のアフガニスタン侵攻とチェルノブイリ原発事故でドツボに落ちて、まさに崩壊過程に入った旧ソビエト連邦の末期に、下っ端外務官僚として、モスクワに赴任し、まさに外交の最前線の現場に立って情報収集活動を行っている。壮大な器としての頭脳をもち、カルバン派プロテスタントと母親が沖縄戦で自決寸前で生き延びたというアイデンティティを持ち、20代後半から30代前半という最も人生で頭脳と体が活動的になる時期を迎えた著者の外交活動は、重要人物の下に身を投げ出し、ウォトカを何本も飲み合い、絶大な“日本円”の力で金ををばら撒いて、下っ端の一外交官としてはあり得ない幅広い人脈と信頼を勝ち得ていく。

例えば、1991年5月、アントニオ猪木参議院議員に著者の人脈でヤナーエフ副大統領との会見を設定している。ヤナーエフはその後、8月にクーデターを起こし、ゴルバチョフを監禁して三日天下に終わった。眺め読みではあるが、非常に興味深い話に引き込まれた。たとえ、本書の内容がすべて作り話であったとしても壮大な推理小説のような醍醐味がある。しかも、ここに記されていることは、ほぼ事実であり、著者の活発な人脈作りは、「ロシア共産党第二書記時代、イリイン(もみ注:旧共産党幹部)はマサル(著者)について『ああいう人材が党のイデオロギー部にいれば有り難いんだけど』といつも冗談半分に言って、あなたと会うことを楽しみにしていたよ」(397ページ)と評価されるところまでいっていたのである。

著者の目を通してみると、ロシア正教会とソビエト共産党との関係、共産党員のイスラム教への改宗、ソビエト共産党守旧派やエリツィンらの非共産・民主派以外にもラトビアなどのバルト三国の民族派などとの交流について、「どれが正義なのか」という目ではなく、等価な現象として観察・記述されている。そうすると、ソ連邦は、ゴルバチョフが現れなくても自壊したであろうし、もし共産党が生き残ったとしても、それはいわゆるソ連邦ではなく、開発独裁の時代錯誤状態の混乱を生み出したことになる。また、自壊するように崩壊したソ連邦崩壊・消滅の後、1998頃ロシア連邦で共産党が第一党になったことが示され、その裏事情なども示されていて、当時の様子が立体的に見えてくる。それとともに少し残念だが、俺の中でゴルバチョフ旧ソ連大統領に対する憧れが少し色褪せて見えるようになった。

【目次】 序章 「改革」と「自壊」/第1章 インテリジェンス・マスター/第2章 サーシャとの出会い/第3章 情報分析官、佐藤優の誕生/第4章 リガへの旅/第5章 反逆者たち/第6章 怪僧ポローシン/第7章 終わりの始まり/第8章 亡国の罠/第9章 運命の朝

【内容情報】ソ連邦末期、世界最大の版図を誇った巨大帝国は、空虚な迷宮と化していた。そしてゴルバチョフの「改革」は急速に国家を「自壊」へと導いていた。ソ連邦消滅という歴史のおおきな渦に身を投じた若き外交官は、そこで何を目撃したのか。大宅賞、新潮ドキュメント賞受賞の衝撃作に、一転大復活を遂げつつある新ロシアの真意と野望を炙り出す大部の新論考を加えた決定版。


以下【ウィキペディア】より、
◎逮捕・起訴
  2002年に鈴木宗男に絡む疑惑が浮上したことに連座する形で、2月22日に外務省大臣官房総務課外交史料館担当課長補佐へ異動 。4月に外務省を混乱させたとして給与20%・1カ月分の懲戒減給を受ける。
  同年5月14日に鈴木宗男事件に絡む背任容疑で逮捕される。同年7月3日、偽計業務妨害容疑で再逮捕。512日間の勾留の後、2003年10月に保釈された。
  2005年2月に東京地方裁判所(安井久治裁判長)で執行猶予付き有罪判決(懲役2年6か月、執行猶予4年)を受け控訴していたが、2007年1月31日、二審の東京高等裁判所(高橋省吾裁判長)は一審の地裁判決を支持し、控訴を棄却。最高裁判所第3小法廷(那須弘平裁判長)は2009年6月30日付で上告を棄却し、期限の7月6日までに異議申し立てをしなかったため、判決が確定した。国家公務員法76条では「禁錮以上の刑に処せられ、その執行を終わるまで又は執行を受けることがなくなるまでの者」は失職すると定められており、これにより外務省職員として失職した。懲戒免職や諭旨免職ではなく失職」となるケースは、逮捕された公務員の退職理由としては異例である。

 ※支援委員会をめぐる背任
  佐藤は次の2つの容疑で起訴された。
  ・2000年1月、テルアビブ大学教授ガブリエル・ゴロデツキー夫妻をイスラエルから日本に招待した際
  ・同年4月、テルアビブ大学主催国際学会「東と西の間のロシア」に7名の民間の学者と外務省から6人のメンバーを派遣した際
  この2回の費用を外務省の支援委員会から違法に引き出して支払った疑いである。この疑いに対し佐藤は、支援委員会から支払をすることは通常手続きである外務事務次官決裁を受けており正当なものだった、と主張している。また、佐藤の上司だった当時の外務省欧亜局長東郷和彦は、「外務省が組織として実行しており、佐藤被告が罪に問われることはあり得ない」と証言している。そして、東郷は、佐藤が逮捕された時海外にいたが、事務次官野上義二と電話で「こんなことが犯罪になるはずがない。何も問題はない」と話し、しかも、野上はこのことを記者会見で述べるとまで語ったと佐藤の著書には書かれている[6]。
 ※北方領土支援にからむ偽計業務妨害
  2000年3月に行われた国後島におけるディーゼル発電機供用事業の入札で、鈴木の意向を受け、三井物産が落札するように違法な便宜を図ったり、支援委員会の業務を妨害したとの疑いである。この疑いに対し佐藤は、北方領土の事情に通じた三井物産の選定は妥当であり、鈴木の「三井に受注されればいい」との発言を三井側に伝えただけだ、と主張している。もしこれらの便宜を図っていたら、佐藤の国家公務員生命を脅かすような事態で、非常にリスクが高いが、三井物産から佐藤へは金品の授受などは一切なかった。そのことは検察も認めており「動機なき犯罪」になる。

◎論壇へ
  一審判決で執行猶予がついたことを機に、捜査の内幕や背景などをつづった著書『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を2005年に出版すると大きな反響を呼んだ。同書などにおいて、佐藤本人は自身にかけられた一連の容疑・判決を「国策捜査」であると主張。この著書は第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞し、以後、新聞・雑誌などに外交評論や文化論を執筆している。
  2006年より、魚住昭、宮崎学らとメディア勉強会「フォーラム神保町」を運営。2009年に失職するまで「起訴休職外務事務官」を自称していた。2010年から、外務省時代の体験を元にした漫画「憂国のラスプーチン」の原作を手がける(伊藤潤二作画、長崎尚志脚本)。また、静岡文化芸術大学では招聘客員教授に就任した[7]。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失う。

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