もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

4 004 内田樹「憲法の「空語」を充たすために」(かもがわ出版;2014/8/15)感想5

2014年10月01日 00時24分09秒 | 一日一冊読書開始
9月30日(火):

95ページ   所要時間 3:00    図書館

著者64歳(1950生まれ)。

短くても、「さすが!」と唸らせてくれる内容だ。先日読んだ白井聡「永続敗戦論」も踏まえて、十二分に噛んでふくめて読ませてくれる平和ボケ安倍自民党「従米・売国奴」政権論である。

読んで面白いと思ったところに付箋をしてハリネズミのようになった本書を前にして、底の抜けたバケツのような俺の頭がほとんど内容を忘れているのが悔しい。

短いけど、読み甲斐のあるテキスト! 超お勧め本である。内田先生が今の日本について考えてることと、俺が考えてることはほとんど同じだ。ただ俺はうまく言葉にならないが、内田先生は分かりやすい言葉を与えてくれるので、何か便秘がなおって気持ちのよいお通じが出た感じである。とりわけ、今回は2014年5月3日の憲法記念日の講演録の加筆なので要を得て簡で分かりやすい。

日本国憲法の弱点は「百点満点の答案を書いたのが受験生自身ではなかった」ということである。しかし、69年間、その憲法を守り、有効活用して戦争により、一人の外国人も殺さず、一人の国民も外国の軍隊に寄り殺されていないことの重みと価値は称賛に値する。ノーベル平和賞に値する。それを受けるのは日本国民である。

自民党憲法案は、グロテスクの極み。「立憲主義というのは国民が憲法制定の主体であるという法擬制のことですが、この自民党改革案の制定主体は日本国民ではありません。というのは、国民はこの憲法の尊重擁護義務を憲法で命じられているからです。43ページ」。現行憲法で憲法尊重義務を命じられているのは公務員だけである。「彼ら(自民党)はただ前の選挙で相対的な過半数を得ただけです。総選挙での絶対得票率が15.4%しかない政党が、革命や独立戦争の遂行主体しか自らに賦与しえない「超憲法的主体」の座を要求するのは、やはりグロテスクという他ない。47ページ」

本書では、与党の安倍政権が、国会を軽視して、特定秘密保護法案成立や集団的自衛権容認の解釈改憲を目指して、北朝鮮にも負けない<独裁政権化>を突き進んでいるを指摘する。しかしそのことよりも、むしろその独裁政権化する政府を有権者の多くがいまだに支持している(批判能力を失っている)ことをこそ深刻な問題として取り上げる。そして、その原因を日本社会が「株式会社のサラリーマン」のものの見方を深く内面化してしまったせいだ、と考える。

株式会社の「有限責任」感覚で、国民国家の「無限責任」をすり替えてしまう論法は大阪市長の橋下徹が民主主義を骨抜きにするためによく使ってきたやり方だ。橋下のエピゴーネンの安倍は、不満があれば「次の選挙で私を落とせばよい」というまったく児戯に等しい見当外れの言葉を吐き散らす。しかし、株式会社は、潰れたらそれでしまいだが、政府や政治家の失敗は取り返しがつかない。今回の原発事故然り、戦争をしてしまえばやはり取り返しのつかない「無限責任」を問われる。橋下や安倍の言葉は、それだけで彼らに政治家の資質の重大な欠如を示すものだ。

橋下や安倍だけでなく、日本の?グローバル企業の悪質さ、保守を旗印にしながら、国を守らず、伝統をどぶに捨てる自民党の実体について、自民党の改憲草案「第二十二条の一項、二項」を取り上げて説明する。これを読むと、本人たちにきちんと自覚されているかは別にして、自民党の本質が、グローバル経済推進を掲げる保守のふりをした、実は「売国奴」集団であることがよくわかるのである。

目次:
1.「日本国民」とは何か: 神戸憲法集会について/公務員には憲法尊重擁護義務がある/敗戦国の中での日本の特異性/日本国憲法のもっていた本質的な脆弱性/憲法九条にはノーベル平和賞の資格十分/憲法の主語はそれにふさわしい重みを獲得していない
 2.法治国家から人治国家へ:法治から人治への変質/株式会社的マインドが日本人の基本マインドに/メディアが方向づけした「ねじれ国会」の愚論/国家の統治者が株式会社の論理で政治を行うことのいかがわしさ/「日本のシンガポール化」趨勢
 3.グローバル化と国民国家の解体過程:自民党改憲草案二十二条が意味すること/グローバル資本主義にとって障害となった国民国家/「日本の企業」だと名乗るグローバル企業の言い分

・本来であれば、ナショナリズムは「グローバル資本主義打倒」というスローガンを掲げるはずなのです。略。/でも、日本のナショナリストたち、安倍晋三や橋下徹や石原慎太郎がその典型ですけれど、彼らは伝統を保守することには何の関心もありません。国語を豊かにすることにも、伝統文化を受け継ぐことにも、伝統的な生活習慣を守ることにも何の関心もない。関心もないどころか積極的にそういうものを破壊しようとしてさえいます。彼らが最優先に語るのは「金の話」です。次が「軍事の話」です。金が無いから不幸になる、軍事力が無いから侮られる。だからあらゆる手立てを尽くして金を稼ぎ、軍事力を強めて隣国を威圧すべきだ、極言すれば彼らが語っていることは「それだけ」です。そのような目的のためであれば、たしかに自由貿易のためにすべての障壁を破壊し、生産性の低い産業セクターを潰し、採算の合わない事業は淘汰に委ねるという選択は合理的なのでしょう。/でも、そういったふるまいのどこが「ナショナリスティック」なのか、僕にはよく分からないのです。たしかに隣国から警戒され、嫌われるという点で言うと「ナショナリズムの負の効果」は発揮しているようですけれど、自国の人々を一つの広々としたヴィジョンのうちにとりまとめ、老若男女が、年齢も立場も超えて、相互に支援し合い扶助し合う共生の仕組みを作るという「ナショナリズムの正の側面」については何の達成もしてない。ゼロ以下です。/ですから、今の世界でグローバル化の進行とナショナリズムの強化が「同時的に起きている」という言い方はおそらく不正確なのだろうと思います。グローバル化は起きているが、ナショナリズムは実は生まれていない。われわれが今見ているのは「ナショナリズムのようなもの」です。ナショナリズムの排外主義的傾向、強権的体質、非寛容、暴力性「だけ」を抽出した畸形的なイデオロギーです。それがグローバル資本主義の補完物として活発に機能している、そういう表現のほうがむしろ適切だろうと思います。91~92ページ

・そうやって見ると、今の日本で起きている政治的現象も、グローバル資本主義の爛熟期に固有の「うたかた」のようなものだということがご理解頂けただろうと思います。いずれ安倍政権はが開始、その政治的企ての犯罪性と愚かしさについて日本国民が恥辱の感覚とともに回想する日が必ず来るだろうと僕は確信しています。でも、彼らが主役の舞台の幕が下りるまでに安倍晋三とその盟友たちがどれほどのものを破壊することになるのか、それを想像すると気鬱になります。僕たちにとりあえずできることは、彼らの破壊の手から「それだけには手を触れさせてはならないもの」を守り抜くことです。そのために全力を尽くすこと、それが僕たちの当面の任務であろうと思います。95ページ
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