もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

180610 西園寺公望「大臣に人を得ないかぎり、次官以下、どんなに人材を集めてみたところで、大したことは出来ツこないよ。」(磯田道史「日本人の叡智」より)

2018年06月10日 13時00分18秒 | 徒然・雑感
6月10日(日):       西園寺公望(1849~1940)   

昨日は昼頃起きて、深夜まで、仕事で必要な書類をまとめるためにパソコンと向かい合っていた。途中,BGM代わりに久しぶりにドラマ「コウノドリⅡ」の録画を流し続け、全11話をコンプリート!した。途中、気持ちの良い涙も流れたが、何よりも仕事が捗った。ほぼ書類をまとめ切り、あとは細かな点検をするばかりである。

今朝目覚めて頭にすぐに浮かんだのは、最近の俺が漠然と考えていることを少しわかりやすく文章に書き留めておきたいということだ。昨日の「コウノドリⅡ 全11話」の影響かもしれない。

俺はこのブログで割合本音を語っている。見に来てくれている人は俺が大切にしている価値観を大体理解してくれていると思う。すなわち、第一に「過去に目を閉ざすものは、現在・未来に対して盲目である」という歴史への誠実さ、第二に弱者・マイノリティの基本的人権を守り、保障する必要性である。

そのために何よりも「日本国憲法を護り、活用し切ることが大事だ」と考えている。しかし、「一切、憲法改正に触れてはいけない」と教条的、硬直的に考えているわけではない。環境権、プライバシー保護と知る権利、社会保障の充実、地方自治の充実、自衛隊関連であれば特別裁判所の設置など今の憲法の精神を発展的に改正することにはむしろ前向きである。ただ、今行われている憲法の精神を踏みにじる「戦後レジームの改正」「憲法9条破壊」という非常にレベルの低い憲法軽視、破壊のたわ言に対して断固反対するということだ。

天皇制に対してもこの平成の時代を生き抜く中で現天皇の姿を通して象徴天皇制に対する俺の意識は相当大きく変わった。前向きに受け入れる意識が芽生えている。もし皇室典範が、現天皇の意志を尊重して「女性天皇を認める」方向で改正が行われていれば、俺は天皇制を強く支持するだろう。

一方で、俺は戦後体制の維持のために「日米同盟の大切さ」を十分に認めている。20世紀の前半、日英同盟を結んだことが日本の国際的地位を高め、どれほど大きく支えてくれたか、そしてそれを失った時に難しい協調外交のかじ取りを求められ、結局失敗して、外交を過ち破滅した。その時、どれほどの大きな犠牲を国内外に出したか。日本国民は被害者であると同時に途方もない加害者にもなった。

俺が言いたいのは、日英同盟及び協調外交失敗の轍を踏まないために、やはり日米同盟は大切だが、日英同盟で日本はイギリスの子分ではなかった。従属国ではなかったということだ。それに比して日米同盟をアメリカに従属し、何を言われても自分の意見を言えずに、沖縄を始め自国の国民の人権を踏みにじって、自国の国民の血税でアメリカから人殺しのための武器を大量購入して、「何があってもアメリカにすがりつき続けるのが正しい外交の道だ」というような<隷属的>日米関係に納得がいかないのだ

人権の問題で言えば、すべての人権を護ることはまだまだ厳しい状況が続くだろう。俺だって身近に「障害」者や移民の外国人、LGBTの人々がいれば、自然にふるまい彼らと仲良く手を携えて生きることに戸惑いを覚えるだろう。また、税金とともに高い社会保険料を日々取られて「辛い!、痛い!」と感じ続けている我が身に振り返って生活保護や「障害」者福祉、親の年金に頼って生活するミッシングワーカーなど社会的弱者へのケアの話などを聞くとやはり戸惑ってしまう。

ただ、俺が求めているのは、その戸惑いを社会的弱者、マイノリティの人々をヘイトする方向に誘導されることでは断じてない。逆に、そういった人たちへの配慮・ケアが如何に大切なことであり、日本の未来の明るい展望につながることであるかを上の人間から示して、俺の偏見や誤解を正し、将来への展望を持って納得させてほしいのだ。北欧型の魅力ある社会に導いてほしいのだ。端的に言って、俺だって、俺の家族だっていつ社会的弱者の立場になるかわからない。その違いは紙一重の違いだ、と俺は感じている。

社会福祉・社会保障・社会保険制度の充実は結構しんどくて重い課題ではあるが、今政府が一度に数千億円単位でアメリカから買わされている武器購入額をしっかりと抑えれば、相当多くの分野で問題が改善されるはずだ。特に保育所不足や年金・介護などの緊急性を要する分野で改善が見込まれるだろう。

それを不平等なアメリカとの関係に疑問を持たせずに隷属的に盲従して、国民の血税で莫大な人殺しの武器を買わされ、沖縄の人々の「米軍基地反対」の意志を強制力だけで踏みにじり切っている。こんな日米同盟関係は明らかに間違っている。好きな言葉ではないが、これこそが<国益(=国民益)>に反する<売国奴>的行為であり、我々に自分の払っている血税・社会保険料に対する納得いかない思いを生んでいるのだ。

被差別、社会的弱者、マイノリティの人々への人権を大切にすること、そして戦争と原発だけは絶対に許さない難しいかじ取りを全力で上に立つ人間にやってもらいたい。

俺が、世の中のおかしさを指摘するのではなく、「人権を大事にする社会が当たり前の社会なのだ。それが結局俺自身や俺の大切な人々を大事にすることにつながるのだ。だから、戸惑いはあっても、「障害」者と自然に付き合えるようになるべきだし、生活保護をはじめ社会保障制度は現役世代を安心させ、次世代を担う若者をきちんと育てるとても大事な制度であり、同時に彼らの再就職できる環境を社会全体が責任をもって、支え、用意していくことが大事なのだ。外国からの移民についても、手探りだがまず彼らが基本的人権を持つ人間なのだということから考えていくべきなのだ。」

「何よりも戦争だけは断じてしてはならないし、平和を維持する努力が大切であり、その際憲法で保障された人権を真ん中に据えて、アメリカの奴隷ではない<自立した日米同盟>と中国・韓国をはじめとする<近隣諸国との平和的関係構築>に最大限の努力をすべきなのだ。そして、そのためには<過去の負の歴史(加害者としての歴史)>についてしっかりと国民的記憶を根付かせておくことが大前提になるのだ。」
と、むしろ政治の側から理想を掲げて国民の偏見や誤解をたしなめて、教え導いてほしいのだ。それができない政治に存在価値はない、どころか百害あって一利なしであって、一日でも早く退陣すべきなのだ。

そんな時代が来るわけないという人には、俺の記憶で二度だけあった気がすると言いたい。1990年代から2000年代初頭にかけて、戦後世界史の大きな変わり目で多事多難な時代だったが、河野談話(宮沢内閣)が出され、村山内閣の頃、戦後50年の村山談話が出され、沖縄米軍基地問題が真剣に論じられたことがあった。この時、政治の中心で活躍していたのが野中広務である。また、2000年代末の一瞬ではあったが、鳩山内閣のマニフェストと施政方針演説の中にそれ(理想・理念)はあった。これを台無しにしたのは野田汚物前原詐欺師。改めて考えてみれば、政治に理想が掲げられたのは、いずれも「政権交代」が背景にあった時の気がする。

この国の仕組みと社会の有り様は、この5年間で取り返しがつかないほど破壊されてしまった。その意味で政治家の資質が国家にいかに影響するか」、「愚かな政治屋に権力を握らせ、その愚か者が国家権力をかさに着て私利私欲で地位に居直った時に国家がどれほど大きくミスリードされ、ダメージを受け破壊されてしまうのか」を本当に目の当たりにさせられ、国民の責任を残念な方で思い知らされる日々である。

以上2900文字、約2時間の手遊びのなぐり書きです。乱筆、ご無礼。今後、訂正箇所があれば、少しずつ直していきます。m(_ _)m
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