もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

永田 久「時と暦の科学」抜粋メモ 短期連載2

2011年12月11日 04時35分56秒 | 一日一冊読書開始
12月10日(土):

出し惜しみなんかしません!どんどん行きます!  今日は忘年会、二日酔いで苦しんでます。遊書はお休みです。

第7回 グレゴリオ暦の構造:現在の≪グレゴリオ暦≫は、1582年2月24日、教皇グレゴリウス13世(天正遣欧使節がお世話になりました)によって制定。ユリウス暦は、11分14秒ずつずれが生じる→128年でほぼ一日分となる。16世紀グレゴリウス13世の時代には年差10日にも達していた。3月21日のはずの春分が、3月11日なっていた。このため改暦によって、誤差10日間を暦から省いて、1582年10月4日の翌日を10月15日とした。しかし、週の翌日はそのまま続けたので曜日の中断はなかった。
そして閏年の規則を「西暦年が4で割り切れる年を閏年とする。但し、西暦年が100で割り切れても、400で割り切れない年は平年とする。閏日は2月29日とする」に改めた。ユリウス暦の一年は、365.25日だが、グレゴリオ暦の一年は、365.2425日となり、一年間の誤差は約26秒で、3319年たてば、ほぼ一日分の誤差になる。/グレゴリオ暦は、カトリック諸国では同時、プロテスタント諸国では200年遅れ、ギリシャ正教諸国は、最後までユリウス暦にこだわったが、ソ連・トルコが1918年、中国は辛亥革命の1912年に採用。日本は、1873年(実は1872年12月3日)。/世界暦の試み(エリザベス・アケリス)

第8回 日本の改暦事情:明治五(1872)年の改暦=12月3日を、明治六(1873)年1月1日に改める(グレゴリオ暦の採用)。同時に、西暦年に660年を加えた紀元を神武紀元とする。この改暦により、政府は、明治5年12月分と明治6年閏6月分の官吏の月給二ヶ月分を節約できた。福沢諭吉は『改暦弁』で、改暦に慌てふためく世間に対して「日本国中の人民、此改暦を怪しむ人は必らず無学文盲の馬鹿者なり。これを怪しまざる者は、必らず平生学問の心掛ある知者なり。されば、この度の一条は、日本国中の知者と馬鹿者とを区別する吟味の問題といふも可なり」の名調子はすごく良い。

第9回 陰陽五行説:日本の日・月・火・水・木・金・土の名称は、中国の≪陰陽五行説≫から来たもの。但し、諸子百家の鄒衍(すうえん)によって、五行説は五つの惑星に結び付けられている。/五行説では、天地万物は五行の現れた姿と考えるので、例えば、方角としては東・西・南・北と中央、色でいえば青・赤・黄・白・黒、季節では春・夏・秋・冬と土用と言うように、五つずつのパターンを<五行配当>という。「土用」とは、土気がさかんになって物を変化させるという「土旺用事」の略語.。土は五行の根本で、木・火・金・水は土より出て土に帰るとして、四季はすべて土気を含んでいる。/土用は夏だけ実用化されていて、立秋より18日前に始まるので、現在では7月20日ごろが土用の入り、立秋の前日が土用明けとなる。/五行相生と五行相剋

第10回 十干十二支:十干と十二支を組み合わせると、10と12の最小公倍数は60だから60の組み合わせができる=<六十干支>。/西暦年から3を引いて、60で割った余りをを求める。この余りの番号を六十干支表で読めば求める干支となる。

第11回 二十四節気:太陰暦のずれは、1年で約11日(10.875日)なので、補正するために2年または3年ごとに「閏月」を設けて暦日と季節を調節する。しかし、暦月と季節が一致することはない。正しい季節の到来を暦の中に≪二十四節季≫という目印をおいた。二十四節季とは、太陽の復活する冬至を原点として、1太陽年を24等分した時点を含む日をいう。二十四節季を一つおきに「節」と「中」に分け、四季を春・夏・秋・冬と定めて、立春・立夏・立秋・立冬から季節が始まるとし、節から、つぎの節の前日までを「節月」といい、立春・啓蟄・清明・立夏・芒種・小暑・立秋・白露・寒露・立冬・大雪・小寒・立春の間に正月~十二月までを当てはめる。この「節月」は、要するに太陽暦だ!、二十四節季が太陽暦なのだ!。「中」から「中」の間隔は30.4日で、太陰太陽暦の29.5日より長いので、32ヶ月か33ヶ月ごとに「中」を含まない月が生ずる。そこで、暦の一ヶ月すなわち朔から晦までの間に「中」を含んでいない月を閏月と定めた。/立春を年初とするようになったのは、漢の時代からで、古くは年初は冬至であった。光の春は冬至から、気温の春は立春から。光の春より気温の春をのぞみ、もっとも寒い日であろうと、その後はしだいに暖かさが肌に感じられるようになる立春を春・年初として「立春思想」が成立した。立春を基準に日を数える風習→「八十八夜(種まき)」、「二百十日(中稲の開花期で台風の厄日)」

第12回 人生の宇宙観:「八卦」は、万物の現象を八つの象(かたち)にあらわしたもの。「対極」→「両儀」→「四象」→「八卦」=乾(けん;天を意味し、太陽の光り輝く状態を示す)・兌(だ;沢が伸びて、悦び解きほぐす状態である)・離(り;火をあらわし、物について明らかにする)・震(しん;雷があたりを震わすさまを示す)・巽(そん;風が吹いて従う状態である)・坎(かん;水を意味し、穴に流れ落ちるさまである)・艮(ごん;山が動かずとどまっている状態)・坤(こん;土を意味し、大地をあらわす)。八卦は根本原理として自然現象を取り込んで、そこから内容を発展させている。/鬼門は、五行説の「相生」と「相剋」を「八卦」に当てはめてみると、「艮」のところだけが両隣り坎、震に対して相剋となっている。八卦の「艮」は五行説によって相剋のきわみとして、その方角まで忌み嫌われるようになった。/八卦に易が導入されて、八卦は複雑になった。/易には二とおりの方法「亀卜(きぼく)」と「蓍筮(しぜい)」があった。/中国に生まれた「易」は亀の甲と筮竹を用いて、神の意志をきく呪術であり、その神意が森羅万象の消長として表わされたものが「八卦」なのである。/占星術astrology=「星の学問」、天文学astronomy=「星の法則」/天体に住む神、いや天体そのものを神として、その運行によって神の意志と摂理の法則を知る術として発達したのが占星術である。人間は生まれた瞬間の星の位置によって運命づけられるという論理。生まれた瞬間の惑星の位置が、天に記された星の文字として、人間の性格も運命も決定する。人間にもっとも支配力をもつと考えられる太陽が、生まれたときに「黄道十二宮(ギリシャの天文学者ヒッパルコスが考案)」のどの宮にいるかで「何座生まれ」が決められる。

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