もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

4 040 石田由香理・西村幹子「<できること>の見つけ方」(岩波ジュニア新書:2014) 感想4

2015年02月03日 01時28分49秒 | 一日一冊読書開始
2月3日(月):  

161ページ  所要時間 2:40   図書館

石田由香理 25歳(1989生まれ):1歳3カ月で網膜芽細胞腫により両眼を摘出し全盲となる.和歌山県立和歌山盲学校,筑波大学附属視覚特別支援学校卒業後,1年浪人し国際基督教大学教養学部に入学.2014年3月に大学を卒業後,9月より英国サセックス大学教育系大学院修士課程在籍.
西村 幹子 42歳(1972生まれ):専門は,国際教育開発論,教育社会学.現在,国際基督教大学教養学部准教授.

1章~4章を石田が、はじめにと5章・おわりにを西村が書いている。この作品は、「大作」ではないが、間違いなく「さわやかな佳作・佳品」である。

1歳3カ月で全盲となった女の子が、10代後半に母親から疎外を受け一念発起和歌山の盲学校から東京の進学校の盲学校へ、国際基督教大を受験するが一度目は撃沈、京都の盲学校で猛勉強の浪人生活を送り、見事合格。しかし、国際基督教大入学後も「自分は周りの人々に迷惑な存在ではないか」「どんなに頑張っても、結局、社会に必要とされてない」という思いに悩み、ひきこもりがちになる。

そんな時、NGO主催のフィリピンへのスタディツアーに参加して、フィリピンの貧しい人々の生活に触れ、自分の存在を必要としてくれる存在を知る。その後長期休暇ごとにフィリピンへ行くようになり、3年終了後、1年間のフィリピン留学を果たし、貧しい障害者教育の現場に体当たりで取り組み、ついには子どもたちを放置している教師らとけんかになり、学校を追い出される。視覚障害者のヘルパー無しの町歩きを禁ずるフィリピンの習慣にストレス、不満満載で破裂寸前に、日本の障害者の価値観を外国で無理に当てはめる愚に気付く。超貧乏な教会で、教育を受けられなかった大人の障害者らに日本の折り紙を教えたりする。

日本に帰って、自分が周囲の人間を強く引き付ける磁場をまとっていることに気付く。引っこみ思案だった自分はもはや存在しない、点字サークルの仲間をはじめ、本当に多くの人々によって支えられていることに素直に感謝して、自分を前に薦めることが逆に自分を支えてくれている人々に良いお返しになっていることが腑に落ちる。

「共生」や「共に生きる社会」というものは、バリアフリーや点字がゆきわたるだけでは実現しない。形だけを重視すれば障害者を「自立」という「孤立」に追い込むことになるだけであり、「自分は少しぐらい不便でも、また痴漢やストーカーの危険にさらされても、やはり多くの人の中で、人との関わりを通してしか真の「自立」は成立しない」と石田さんは考える。

俺はどうも若い女の子が、懸命に生きている物語りに弱いようだ。読みながらずっと感想は3+だった。まだ、筆者が若過ぎる。書かれている経験内容もやや舌足らずで、もの足りない。しかし、どうしても3+を付けることに抵抗がある。最後に第5章で、もう一人の著者西村が、若い石田の体当たりの生き方を、ケイパビリティ、インクルーシブ教育を通した「誰もが必要とされ、それを実感できる社会」へ取組としてきれいにまとめてくれていたので、「まあしゃーないなあ、感想4にしとこか」って感じである。

この作品はとにかく、「読後感がさわやか!」なのがいのちだ。ただ、石田さんは、大変な苦労を重ねてはいるが、人並み離れた知的能力と素晴らしい支えてくれる人々との出会いに恵まれた「まれな存在である」。障害者の「勝ち組」なんて意地の悪い相反した表現もあり得る。その点についても西村が丁寧にフォローしているし、だからこそ多様なすべての障害者のケイパビリティの充実の必要性の議論が存在するのだろう。

最後に、石田さんが、さまざまな負担やお世話をかけることに敢えて目をつぶり、その支援を受けて障害者として社会に積極的に出ていくことによって、「障害者」ではなく、そういうマイナスの個性を抱えた、ただの「一人の人間」として認知されたいという声には、十分共感できた。

昔、何度も(少なくとも10回以上)見なおした山田太一のドラマ「車輪の一歩」(1979年)のことが思い出された。35年後の日本は、確かにハード面は変わったかもしれないが、「障害者が人間らしく生きるために必要な人に迷惑はかけてもいいのではないか。いやかけるべきなんじゃないのか。社会もそれは、受け入れるべきだ!」という提議から、人の心をはじめとするソフト面では何も変わっていないんじゃないか? という気になる。

以下、岩波書店HPから
裏表紙:視覚障害を理由に将来の可能性を否定され,傷つき悩んだ10代の頃.果たして彼女はどのように壁を乗り越えたのでしょうか.盲学校での生活,受験勉強,キャンパスライフ,フィリピン留学…,様々な経験を通して自らの可能性を広げていく姿をたどりながら,誰もが生きやすい共生社会のありかたを考えます.
■目次
はじめに 人との出会いが教えてくれること
1.一通のメール/2.常識を覆された出来事その① 授業でのワンシーン/3.常識を覆された出来事その② 本当のバリアって何?/4.常識を覆された出来事その③ がんばる意味
1章 私がいたら邪魔?:1.生い立ち/2.存在否定/3.大学受験をめぐって/4.信じ続けてくれた人
2章 自ら壁を作っていたかも知れない最初の一年:1.友達は沢山いたけれど/2.けっきょく必要とされていない?/3.堕落/4.フィリピンへのスタディツアー
3章 みんなの「できること」を見つけたい:1.小さな成功が自信につながる/2.やっと見つけた「できること」/3.私の経験も役に立つ?/4.可能性を信じたい/5.基準なんて無いかも知れない/6.折り紙で自信を取り戻す
4章 見方が変われば景色が変わる:1.以前と何が変わったの?/2.小さな親切のエピソード/3.可能性を広げる/4.共生って何だろう?/5.みんなの優しさが力になる
5章 誰にでもできることがある社会を求めて:1.選択肢を拡大する力――ケイパビリティ/2.葛藤するアイデンティティ――何が障害をつくるのか/3.「インクルーシブな社会」とは
おわりに 誰もが必要とされている
■内容紹介
視覚障害を理由に将来の可能性を否定された著者,石田由香理さんが,盲学校を卒業後,大学進学,海外留学などを経て,壁を乗り越え,自らの可能性を広げていった過程をたどります.
石田さんは何をきっかけに〈できること〉を見つけていったのでしょうか. 誰もが必要とされる社会とはどのような社会なのでしょうか.
インクルーシブ教育の研究者であり石田さんのよき理解者である西村幹子先生の体験的共生社会論”を窓口にして,私たちにとって望ましい社会のあり方を考えます.
ぜひご一読ください.

石田 由香理
1989年生まれ.1歳3カ月で網膜芽細胞腫により両眼を摘出し全盲となる.
和歌山県立和歌山盲学校,筑波大学附属視覚特別支援学校卒業後,1年浪人し国際基督教大学教養学部に入学.2014年3月に大学を卒業後,9月より英国サセックス大学教育系大学院修士課程在籍.

西村 幹子
1972年生まれ.米国コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ博士課程修了(Ed.D.).専門は,国際教育開発論,教育社会学.国際協力機構ジュニア専門員,国際開発コンサルタント,神戸大学大学院国際協力研究科准教授等を経て,現在,国際基督教大学教養学部上級准教授.

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