もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

4 032 米原万里「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」(新潮文庫:1995) 感想 特々5

2014年12月26日 01時46分56秒 | 一日一冊読書開始
12月25日(木):

326ページ  所要時間 6:40   蔵書(2003年版:本体定価514円)

著者45歳(1950生まれ)。ロシア語通訳家。

 本書は、著者の15年間のロシア語通訳の経験をまとめて書き上げたものである。当時は、ソビエト連邦崩壊期であり、ゴルバチョフからエリツィンへと権力が奪取されていく時期でもあり、世界のニュースがソビエト、ロシアに集中している時期である。著者をはじめロシア語通訳は、完全に需要がキャパを超えていて、死に絶えようとするほどに忙殺されていた。

 そんな中書かれた本書は、サービス精神旺盛で、とにかく笑わせてくれる。本文中に「キンタマのしわを云々」といった類のシモネッタ言葉・エピソードが繰り返し堂々出てくる。でも、面白さを追求した本かと言うとさにあらず。この本ほど、ためになり、かつ他所で話したくなるような知識、逸話、冗談、小話に満ち満ちた本は最近読んだ記憶がない。通訳は否応なく言葉(遊び)の達人になる。通訳ほどスリリングで遣り甲斐のある仕事はない。「通訳と乞食(ママ)は三日やったらやめられない」

 本書は、通訳を志す人々、通訳に関心を持つ人びとに対して、本当に実のある入門書になっている、と同時に完成の無い職人芸としての通訳の真髄を披歴する書になっている。一見、よく似た行為に見える通訳と翻訳が如何に異なるものであるかが詳説された上で、通訳者にとって、翻訳活動を行うことが通訳技術向上に必要であることも述べられている。また、英米語一極集中に対して、それが如何に危ういことであるか。英語以外にもう一つ外国語を習得するべきだと警鐘を鳴らしている。また、「結局、外国語を学ぶということは母国語を豊かにすることであり、母国語を学ぶということは外国語を豊かにすることなのである。287ページ」と母語教育の重要性を主張する正統派である。俺は、本書の内容すべてに共感できた。その意味で、本書は、大いなる良識の書であると言える。

 すごく興味深くて、読み甲斐があるだけで感想は特5であるが、本書は、その上に俺をげらげらと笑わせてくれた分が加算されて、珍しい感想 特々5となった。本書には、筋の通った反骨と<哄笑文学>の要素が色濃い。「笑ってもらってナンボ。けど、弱いもんいじめはせえへんで!」というおおらかでどっしりとした精神が、繊細だけど図太い知性で覆われている。本書が処女作だなんて正直信じられない思いである。「米原万里に、ハズレ無し」の印象が出てきた。

 最後に、本書の中に、井上ひさし「吉里吉里人」の翻訳の可能性が論じられていたのにはのけぞった。「吉里吉里人」を読んでいた時、俺は「村上春樹よりも井上ひさしの方が、ずっと上だと思うが、井上ひさしの「吉里吉里人」だけは、外国語に翻訳されることはありえない」と嘆いていたものだが、まさか、その翻訳の可能性を論じる人間が存在するとは、驚き以外の何ものでもなかった。

 まあ、稀有なテキストである騙されたと思って読んでみて下さい。気の利いた小話を取得できますよ。そして、世間で小さな才を振り回して威張っている連中が本当に小さく見えます。例えば、百田某など。人間謙虚が一番!

目次:
プロローグ 通訳=売春婦論の顛末
第1章 通訳翻訳は同じ穴の狢か―通訳と翻訳に共通する三大特徴
第2章 狸と狢以上の違い―通訳と翻訳の間に横たわる巨大な溝
第3章 不実な美女か貞淑な醜女か
第4章 初めに文脈ありき
第5章 コミュニケーションという名の神に仕えて
エピローグ 頂上のない登山

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