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もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

7 031 成田龍一「シリーズ日本近現代史④ 大正デモクラシー」(岩波新書:2007)感想5

2018年02月02日 22時27分24秒 | 一日一冊読書開始
2月2日(金):  

268ページ     所要時間8:15     ブックオフ105円

著者56歳(1951生まれ)。大阪市に生まれる。1983年早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士(史学)。専攻、日本近現代史。日本女子大学人間社会学部教授

著者は、俺が最も信頼し重視する歴史家の一人だ。そして、「大正デモクラシー」って言うか、いわゆる“戦前”になる前の日本に対して関心があった。暗い話ばかりではないはずだ…、それじゃあどれくらい明るかったのか、イメージ的にはドーンと“黎明”の薄明かりかな?と考えたりもしたが、確かめるすべもなく今まで来ていた。

この本を手にして、いつものように眺めるつもりでいいから、と1ページ30秒なら3時間で終わりまでいける、とつぶやきながら眺め始めた。すぐに気が付いた。絶対無理!悪くすれば、1ページに2~3分かかるぞ、やばいやめようか。でも行けるところまでできればどんな形でもいいから終わりまで行きたいと目を這わせ続けた。

途中から、読み込みはじめ、付箋だけでなく鉛筆で線まで引き始めてしまって、所要時間は御覧の通りである。逆に、8時間以上かけても手放すことができなかった内容だったとも言える。読みにくい本であることは間違いない。日本近現代史の基礎知識が無ければ、まず何のことか分からないだろう。俺自身、少し油断して集中が途切れると、単に目が動いているだけになり、眠気とともに意識が飛びそうに何度もなった。

テキスト!。本書が対象とするのは日露戦争後の日比谷焼き討ち事件から満州事変前夜に至る四半世紀(1905~1931)である。

真ん中を過ぎたころから、本書が極めて困難な課題を乗り越えた画期的な本だというのがわかってきた。困難な課題とは、この戦間期の四半世紀、日本は多くの植民地や支配領域を従えた“帝国”であり、社会全体に非常に多様な活動や考え方とその可能性の芽が満ち満ちているのである。通史という役割を果たしながら、それらの多様な動きをきちんと捉えきることは至難の業である。

しかし、史家として最も著者らしいところが、通常の歴史像以外に、弱者、マイノリティの人々の目線を大事にして多角的、複眼的、多層的に社会全体に目配りをして、新しい歴史像を読者に提示することである。そして著者の目を通して描き出される、“大正デモクラシー”の光景は、あまりにも多様で多岐にわたり、新しい“帝国”日本の人々が手探りでさまざまな立場で、様々な活動をしている。どれもまだまだ未熟だがキラ星の如く光を放っている。

普通の歴史家では、なかなかこんな風にはいかない。著者の面目躍如という豊穣な歴史が映し出されている。そして読んでいて強く感じたのは、悲惨で貧しかったけれど、この時代は今の日本よりも活気があり、輝いていたように見える。もちろん、それは錯覚で、今の日本の方がマシなのは間違いないだろうが、次々に新しい考え方や活動、取り組むべき課題が出てきた時代の活気を感じさせてくれる内容に仕上がっている。

この複雑な時代を丸ごと掬い上げようとする試みは、いささか無謀であり、一つ一つの事項について、やや言葉足らずに思えるところも多々あるけれども、新書のボリュームでこれだけの内容を盛り込み、それをまとまった“時代”としてまとめあげた内容はお見事と言う他はない。新しい発見がたくさんあった。読み通してから、振り返るとスゴイ本だった。

印象に残っていることを少し書きだすと、まず大正デモクラシーは、帝国のデモクラシーであるということ。当時、吉野作造と石橋湛山の存在感が非常に大きかった。到達点として普通選挙法と治安維持法による“1925年体制”の成立があり、それを終わらせたのが“満州事変”である。普通選挙法によって、“内地”にいる朝鮮人や台湾人にも選挙権が与えられていた事実に驚いてしまった。今もって戦後日本で「在日」コリアンをはじめとする定住外国人の人々に選挙権が与えられていない現実から見れば、これは注目に値するだろう。

ちなみに近現代史で俺が信頼するもう一人の先生が、鹿野政直氏であるが、恐らく著者の師であろう。俺は、鹿野政直『日本の歴史27 大正デモクラシー』(小学館、1976年)ももっているので、いつか読んでみようと思う。

日露戦争後の都市民衆騒擾をきっかけに、民本主義の潮流として台頭した大正デモクラシーは、第一次世界大戦とロシア革命、米騒動により加速し、「改造」の動きを生み出した。雑業層や旦那衆、労働者・農民、あるいは女性、被差別や植民地の人びとが、それぞれの立場からアイデンティティを掲げ、社会変革を訴えた。また、こうした各階層の主張は、「日本人」や「国民」と重ねられてもいた。そして、この動きによって、普通選挙法と治安維持法による一九二五年体制が創出される。 / 関東大震災を経ての一九二〇年代後半の様相を切りとってみれば、A民本主義、Bマルクス主義・社会主義、C国粋主義、という三つの主張の鼎立がみられた(図参照)。三者は、「近代」のさらなる追求(A)と、「近代」の克服や否定(B、C)という対立軸を持ち対抗すると同時に、A-B-Cが互いに支えあう局面を有し、重なりあう部分に位置する人物や団体もある。237ページ
満州事変は大正デモクラシーの転換を促す。/満州事変は、日本社会内の対立を先鋭化させるかたわら、対立と対抗の存在を解消し、消去してしまう論調を作り上げた。「沸きたつ祖国愛の血 全日本にみなぎる!」とは、『東京朝日新聞』(一九三一年一一月一八日)の見出しである。略。このように満州事変以降に、人びとの感情は一挙に挙国的となった。これまでの批判的な発言は矛が収められ、図のような三潮流が鼎立した状況は、急速に流動化していく。239ページ
 
【目次】 はじめに/第1章 民本主義と都市民衆/第2章 第一次世界大戦と社会の変容/第3章 米騒動・政党政治・改造の運動/第4章 植民地の光景/第5章 モダニズムの社会空間/第6章 恐慌下の既成政党と無産勢力/おわりに/あとがき

【内容紹介】多彩な言論や社会運動が花開き、政党内閣の成立へと結実した大正デモクラシーの時代。それは、植民地支配が展開する時代でもあった。帝国のもとでの「民衆」の動きは、どんな可能性と限界をはらんでいたか。日比谷焼打ち事件から大正政変、米騒動、普通選挙の実施、そして満州事変前夜に至る二五年の歩みを、「社会」を主人公にして描く。
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