もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

9 051 司馬遼太郎「竜馬がゆく(六)」(文春文庫:1963)感想5

2020年05月30日 01時36分00秒 | 一日一冊読書開始
5月29日(金):  

421ページ       所要時間9:40         蔵書

著者40歳(1923~1996:72歳)。

キングダム実写版の放送録画(感想3+)を観ていたら、本書の感想を書けなくなった。キングダム実写版はいまいちだったが、映画化されたこと自体が嬉しかったのと信、政役の若手俳優がとても良かった。山の民の描き方は、ちょっとひどかった(特に野蛮な踊りが非常識だった)。

本書の感想は、書ければまた書くつもり。

【内容情報】幕府を倒すには薩摩と長州が力を合せれば可能であろう。しかし互いに憎悪しあっているこの両藩が手を組むとは誰も考えなかった。奇蹟を、一人の浪人が現出した。竜馬の決死の奔走によって、慶応二年一月、幕府の厳重な監視下にある京で、密かに薩長の軍事同盟は成った。維新への道はこの時、大きく未来に開かれたのである。

※以下、200530 5月30日(土)追加して記す。

元治2年(慶応元年:1865)、前年末挙兵した高杉晋作のクーデターは、明けて正月5日絵堂太田で山県狂介率いる奇兵隊200人が俗論党上士による正規軍1000人を奇襲し、撃破することにつながった。これで日本史は大きく回転する。まさに歴史が動いた。尊王討幕の長州藩がよみがえる。

一方、幕府も小栗上野介が中心となり、野心家ナポレオン3世のフランスの援助を受けて急速に強化されつつある。徳川は自己保身のために日本を売ろうとしている。このままでは長州は滅亡を免れない。幕府は返す刀で薩摩など雄藩も倒してしまうだろう。竜馬が薩摩・長州を盛んに往来し始める。まず薩摩の援助で、長崎に亀山社中を作り薩摩の貿易を代行し始める。

第二次長州征伐を前に、同じ土佐の中岡慎太郎が西郷を馬関(下関)に連れてくることに失敗する。激怒する桂小五郎に竜馬は彼の亀山社中が、薩摩名義で最新式元込めせじょう銃(ライフル銃)のミニェー銃4300挺と蒸気船を買い込み、長州に横流しすることを約する。主義や立場ではなく、先ず経済からという竜馬独特の思考法で薩長の歩み寄りをめざす。当時世界ではアメリカの南北戦争が終わったばかりで大量の新型銃の中古が余っていた。

長州から伊藤俊介、井上聞多が長崎に派遣され、奔走する竜馬の代わりに土佐の近藤(饅頭屋)長次郎が、英国商人グラバーを通じて見事に周旋する。感激した長州藩からの感謝を長次郎は、のちに自己の手柄として英国留学を目指したが発覚し、竜馬不在の亀山社中で腹を切ることになる。

長州、薩摩、京都と竜馬の奔走の結果、ついに京都の薩摩藩邸で薩長同盟が結ばれることになる。命懸けで京都に潜入した桂小五郎が、薩摩藩邸で連日の馳走攻めを受けるが、両藩とも同盟の言葉をどちらが先に吐くかの面子にこだわり、様子見に来た竜馬に桂が悲壮な顔で「坂本君、僕はもう帰る」という。同盟締約破綻の危機に対して,怒った竜馬が西郷の下に直談判して「長州がかわいそうじゃなかか」とつげ、これを契機に慶応2年(1866)1月21日、薩長同盟は成立する。

幕府を倒す体制を築き上げ、大きな達成感とともに寺田屋に引き上げくつろぐ竜馬を、100人を超す幕府の捕り手が襲い掛かる護衛の長州藩士と立った二人で窮地を突破する。伏見の薩摩藩邸にお竜が急を告げる。連絡を受けた西郷は伏見奉行所との戦争を決意するが、その後無事を確認して竜馬を京都藩邸に迎え、保護する。

左手親指に深手(動脈断裂)を受けた竜馬に対して献身的な開放をし続けるお竜に対して、竜馬はひょんな気分になり、結婚を申し入れる。結婚とは好きなだけではできない。ひょんな気分が必要であるらしい。傷の回復後、京都の町中を不用心に歩き回る竜馬に手を焼いた西郷は、竜馬を鹿児島に迎える。この時、お竜が同行して、これが日本における新婚旅行の始まりとされる。

薩長秘密同盟締結後、薩摩藩は藩論を180度転換し、第二次長州征伐を義のない<徳川と長州の私闘>であるとして、反対・不参加を表明する。薩摩の支持を失った長州征伐は捗らない。やがて、長州に幕府軍が芸州口、大島口、小倉口、石州口から襲い掛かる(四境戦争)。長州では新式銃を調達して、各地で幕府軍を押し返す。大島口の幕府の大艦隊に対して、自身が”柴船”と自嘲する老朽艦オテントサマ丸(200トン)一艘で小倉から高杉晋作が夜襲を仕掛ける。恐慌状態に陥った幕府艦隊は大島口から撤退。

小倉口で高杉とともに長州海軍を率いて幕府大艦隊と対等以上の戦いを展開した竜馬は、わずか500人の長州陸軍(奇兵隊)が、無類の強さを発揮して小倉藩や幕府の正規武士団を圧倒する情景を見て「長州が勝っちょるのじゃない。町人と百姓が侍に勝っちょるんじゃ」(402ページ)と感動する。これが身分制を否定する竜馬の理想だった。「あれが、おれのあたらしい日本の姿だ」(403ページ)。

7月20日大坂城中で将軍家茂死去。7月30日、幕府軍現地総大将ともいうべき老中小笠原長行が小倉から脱出。九州探題ともいうべき小倉城落城。西国諸藩は幕命を聞かず不戦の態度をとる。事実上日本の政府が消滅した。

いま、「大ヒットしたドラマ『JIN-仁』は、この『竜馬がゆく』の世界に南方仁という現代の医師を放り込む形で作られたものであり、『竜馬がゆく』を再構成、アレンジし直した作品である。司馬遼太郎の世界観で創作されたものであり、それで良かった。」と改めて確認するような思いがする。

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