9月16日(月):
413ページ 所要時間9:00 ブックオフ510円
著者54歳(1960生まれ)。
2度目。父母や母方の伯父、山田義塾⇒早慶学院の個性的な塾の先生と中学生時代の著者のやり取りが、非常に鮮明で明晰過ぎる記憶の中で再現されている。中学生と言えども実際に深く思索する子どもは恐るべき深さでものを考えているのだと知らされる。一方で、著者の反応や考え方は極めてまっすぐであり、ゆがみが無い。あるのは知性・感性の人並外れた深さである。著者は、絶滅危惧種化しつつある戦後日本の良質な知性の系譜に位置づけられる人間だと思う。
著者の本は自分の立場を決して誤魔化さない。明確に自身の思想的立場を、その生い立ちも含めて極めて明らかに示してくれる。すなわち、著者は日本資本主義論争における講座派(共産党)を否定し、労農派(社会党、現社民党)を自らの立ち位置としている。本書でも著者に影響を与える人々の多くが共産党に否定的、反感を持つ人々だった。
俺が若い時所属した職場の労働組合が共産党系で、俺は何度か強く異議を申し立てたが、執行部およびその取り巻き連中により「ガキの意見」のように排除された。孤立無縁の中で「この場で自分の頭でものを考えて意見を述べてるのは俺だけだ」と思い詰めていたが、著者の本を読むと「自分が間違っていなかった」ことを確認することができる。
あの時、俺を軽く扱い否定していた連中は自分の頭で考えていなかったし、共産党という大きな後ろ盾を得て、異端者をはじき出していい気持になっていたのだ。政界全体でみると共産党は少数派だが、その共産党の傘下の組合の中では多数派で少数派を一方的に潰しにかかっていたのだ。著者の
「共産党は自民党と同様に日本で最も保守的政党である」という言葉を俺は実感をもって同意できる。
俺は、人間の見えない講座派ではなく、人間の痛みや肌触りを大切にする労農派である。若い時、組合で排除されたのは俺が稚拙さではなく、自分の目で見、自分の頭で考えることを認めない講座派(共産党)の組織に巻き込まれていた結果だ。あの頃のことを思い出すと今も共産党を支持することはできないはずだが、トートロジー小泉を加えたアベ・アソウ腐敗政権の現状があまりにもひどいので<政権交代>を実現するための野党共闘に協力する限りで今の俺は共産党を支持することができる。
予想外に時間のかかる読書になったが、本書には俺にとってすごく大切なことがたくさん書き込まれていたと思う。多少は大人の著者による補足修正があったと思うが、「これが13~15歳の子どもの思索・読書の記録だ」と考えると改めて強い衝撃を受ける。浦和高校に合格してから後の北海道旅行の部分は余分かな?という印象だったが、それも現実の体験なので仕方がない。一つの青春文学たり得ていると思う。
【目次】僕の両親/あさま山荘/山田義塾/哲学と神様/スカウト/数学の先生/革命/進路相談/高校受験/春休み/塩狩峠/稚内/帯広/立席特急券/父の背中
【内容情報】
モーパッサンの「首かざり」を教えてくれた国語の先生。『資本論』の旧訳をくれた副塾長。自分の頭で考えるよう導いてくれた数学の師。-異能の元外交官にして、作家・神学者である“知の巨人”はどのような両親のもとに生まれ、どんな少年時代を送り、それがその後の人生にどう影響したのか。思想と行動の原点を描く自伝ノンフィクション。
6 018 佐藤優「先生と私」(幻冬舎文庫:2014) 感想4
2017年01月05日 21時44分55秒 | 一日一冊読書開始
(2017年)1月5日(木):
413ページ 所要時間1:50 ブックオフ510円
著者54歳(1960生まれ)。
1ページ15秒の眺め読み。途中で集中力が切れなかったので、最後まで眺めることができた。この速度だと、筋を追いかけるのが精一杯で味わうところまではいかない。それでも、集中はできたことが大きい。味わいたいけど、味わえば本書とは縁を結べなかったのも確かなことだ。
本書は著者が、生まれてから中学で地元の進学塾に通い、浦和高校に合格するまでの15年間に出会った人々との交流を書いたものである。以前に読んだ著者の『私のマルクス』が、同志社大学での学生時代が中心だったのに対して、本書は中学での受験勉強時代が中心だ。著者の早熟ぶりがわかるほか、『私のマルクス』でも興味深く紹介されていた塾の先生らの様子がより詳しく描かれている。
ただ、内容的には『私のマルクス』より数段下がると思う。特に、浦和高校に進学が決まった後の北海道旅行は、著者にとっては大切な思い出なのかもしれないが、正直言って<蛇足>だと思う。もう少しで、感想3+にしそうになった。でも、もう一度ゆっくり読み直してみたいとも思う。
※こんな不十分な形の読書でも、本を読むと少しだけ幸せな気分になれますね。