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もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

170504 重松清ドラマ「とんび」(NHK版:2012年)を観ながら(感想5)気持ちよい涙が止まらなかった。

2017年05月05日 01時47分54秒 | 映画・映像
5月4日(木):  

職場の下らない春の親睦会を2件キャンセルして1万円(4千円+6千円)のあぶく銭があった。「これを本の購買にまわすぞ!」と考えていた。そして、今日、ブックオフの20%オフのウルトラセールに気合を入れて、店舗を二軒はしごして25冊の大人買いをした…。それで結果が計3800円ってのも、自分の貧乏性に呆れた。

夜、重松清原作ドラマ「とんび」(NHK版:2012年:前編・後編 73分×2)を角瓶を何杯も呑み続けながら観た。気持ちよい涙が延々と流れ続けて止まらなかった。「おとうさん」という言葉の響きが何とも言えず心にしみるのだ。

元々は、TBS版(2013年)の「とんび」(主演:内野聖陽)に魅せられて、原作も読み、何度も繰り返して録画を観直してきたのだが、今回久しぶりにNHK版で「とんび」を観てみると、これはこれで最高によくできている。本当によく作り込まれた、贅沢な俳優陣の作品である。堤真一のやっさん、小泉今日子のたえ子姉ちゃん、古田新太のなまぐさは、ほぼ完ぺきだ。それ以外の俳優陣も素晴らしい。長い物語りを短い時間におさめ切って原作の風味を生かし切っているのは、芸術に近いと思う。

TBS版の評価を下げるつもりは全くないが、このNHK版はこれはこれで別格である。特に、堤真一のやっさんは、あの名優内野聖陽のやっさんを凌駕して寄せ付けない。役者は演技力が大事なのは当然だが、それでは越えられない当たり役というか、存在感というかが大きいのを感じさせられる。堤真一は、やっぱりすごい!

あと、小泉今日子って本物の女優としてすごい!。古田新太も当たり前のように存在感がすごい!の一言に尽きる。

まあ、酔っぱらってまうすm(_ _)m。

追加:やっさんの飲み仲間で喧嘩友達の伊達酒造社長 役が、元広島カープ選手(捕手)・監督だった達川光男さんだったのにはびっくりした。存在感のあるとてもいい演技をしていた。中堅以上の名のある俳優さんだと思っていたのだが、ドラマ出演はこの一本だけというのにも驚いた。
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170430 河瀬直美監督 映画「あん」(ドリアン助川原作:2015)感想4(特5)*3回観た。

2017年04月30日 21時09分51秒 | 映画・映像
4月30日(日):        

3度繰り返して観た。感想4は楽しめたかどうかだけのこと。理屈や評価を超えて社会に必要な作品というものはある。河瀨直美監督が物語りも画面も非常に美しく作り込んだ作品という意味でも、本作が存在する価値は、特5だろう。

街角の小さなどら焼き屋さん、店長はやる気がなく、味は良くない。ある日「ハンセン病(癩(らい)病)」療養所から、バイトで通って来るようになったおばあさんから、どら焼きの美味しい「あん」の製法が伝授される。一時は大繁盛するが、無知による心無いうわさが広がり、偏見・恐怖心と差別に火がつき、立ち寄る客が激減する。おばあさんを店長と客の一人の中学生が療養所へ訪ねていく。筋立てはシンプルだ。我々が、忘れようとして、実際に忘れかけている人間の存在を丁寧に思い出させてくれる作品なのだ。

この作品では、「ハンセン病(癩(らい)病)」療養所(保菌者はいない)の人々が描かれているが、世の中には形を変えて様々な忘れてはいけない存在がある、と立ち止まって思い起こすべきだろうと思う。

子どもの時、親から「近所でらい病の人が出るとその人はいつの間にかいなくなって、二度と戻って来なかった」というのを聞かされたことがある。それがハンセン病患者に対する厳しい差別政策によるものだと知ったのは大人になってからだった。

・「お墓を作れない私たちは誰か一人亡くなるたんびに一本ずつ木を植えてきたのよ。徳ちゃんの木、これよ。」

・「ねえ店長さん、私たちはこの世を、見るために、聞くために、生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても、私たちは、私たちには生きる意味があるのよ ウフフ」(徳江おばあさん)

ウィキペディアの解説はまとまりが悪くて分かりにくいので、少し探してみた。分かりやすい解説は、国立ハンセン病資料館」のホームページの「キッズコーナー」に載っていた。一部転載する。

Q1 ハンセン病はどんな病気?
A1
 ハンセン病は「らい菌」に感染することで起こる病気です。発病にはその人の免疫力めんえきりょく(抵抗力)や衛生状態、栄養事情などが関係しますが、日本では、感染し、発病することはほとんどありません。治る薬がない時代には手足に変形を起こすことがありました。その変形のせいで、社会の人から嫌われてしまうこともありました。今ではよく効く薬が作られ、早く病気を見つけて正しい治療を行えば治ようになりました。

Q2 ハンセン病はいつ頃から出現したのですか?
A2
 大変古くから存在する病気です。今から4000年前(紀元前2000年ごろ)に、エジプト、中国、インドの古い文書にハンセン病について書かれています。日本では、1300年前(8世紀前半)につくられた「日本書紀」という歴史書に100年前(7世紀前半)の出来事として「白らい」(皮膚にできる白い発疹)のことが記されています。

Q3 昔の人はどのようにしてハンセン病のことを知ったのですか?
A3
 ハンセン病は、皮膚と末梢神経が侵される病気です。治療薬のなかった時代には、顔や手足に皮疹(皮膚の発疹)ができたり、顔・手・足の形が変わったりすることからハンセン病と考えたようです。

Q4 ハンセン病はどのようなことが原因で感染や発病するのですか?
A4
 ハンセン病は、らい菌による普通の病気です。らい菌が体に入っても、多くの場合、体の抵抗力でらい菌は、排除されます。らい菌は、発病させる力が弱く、たとえらい菌に感染しても、現在の日本のように、十分な栄養がとれ、衛生的な社会では発病することはほとんどありません。しかし、免疫力が弱い乳幼児の頃、多くのらい菌が何回も体の中に入った時に感染し、その人が年を取り病気などで抵抗力が低下したときに発病することがたまにあります。

Q5 ハンセン病は、どのような薬で治療するのですか?
A5
 現在は、ダプソン、クロファジミン、リファンピシンなど多くの優れた治療薬があります。ハンセン病は、これらの薬を組み合わせた多剤併用療法で治ります

Q6 ハンセン病患者から感染しますか?
A6
 らい菌は、多剤併用療法により数日で感染力を失うので、他の人に感染させることはありません。ハンセン病は、治療中でも治療終了後も社会で共に働き・学び・一緒に過ごすことができる普通の病気です。

Q7 早期発見とは、どの段階なら早期ですか?
A7
 早期の症状としては、顔や手足などの体温の低いところに現れる皮疹(皮膚の病変)と、末梢神経炎により、痛い、熱いなどが感じにくくなるなどの知覚障害が出てきます。さらに運動障害を伴うこともありますが、この段階で、治療を始めればほとんど障害を残さず治ります。もちろん治療中でも患者さんは、学校に通うことも、家族と一緒に過ごすこともできます

Q8 ハンセン病になると、ハンセン病療養所に入れられるのですか。
A8
 ハンセン病療養所に入る必要はありません。1996年に「らい予防法」が廃止されハンセン病の治療に保険が使えるようになり、大学病院や一般病院皮膚科で通院して治療ができるようになりました。

Q9 現在のハンセン病患者さんは、日本に何人ぐらいいるのですか?
A9
 世界全体で新規患者数は年間約22万人、日本人は年間0~数人です。日本人の新規患者は、70歳前後の高齢者がほとんどです。ほかに治ったあとに再発する人が年間3~5名人出ることから、日本人のハンセン病患者数は10人前後です。

Q10 ハンセン病は治る病気だとわかっているのに、なぜ差別や偏見が続いたのですか?
A10
 国は、1931年以降、らい予防法によってハンセン病患者をハンセン病療養所に強制的に入所させました。患者の出た家を真っ白になるほど消毒をしたり、国民を指導して「無らい県運動」を進めるなどして、ハンセン病は国の恥、恐ろしい病気という誤った意識を国民に植え付けました。終戦後の1947年から、日本の療養所でもアメリカから輸入したプロミンや東大の石館守三(いしだてもりぞう)教授の合成したプロミンの治療でハンセン病は治る病気になりましたが、一度、植えつけられた差別意識はそう簡単になくすことはできません。それどころか国は、日本国憲法下においても、らい予防法を廃止せず、強制隔離政策や「無らい県運動」を継続したため、ハンセン病患者と回復者への偏見・差別による人権侵害が助長されることになりました。

Q11 有効な薬が開発されてからも、なぜすぐにハンセン病患者に薬を投与しなかったのですか?
A11
 1941年、アメリカのカービルにあるハンセン病療養所でプロミンによる治療が始まり「カービルの奇跡」と言われるほどよく効きました。しかし、太平洋戦争のため、アメリカからプロミンの輸入ができず、 終戦後、1947年にアメリカから輸入したプロミンや東大の石館いしだて守三もりぞう教授の合成したプロミンによる治療が開始されました。患者自治会の働きかけで1949年には、5,000万円のプロミン予算が組まれ、希望者へのプロミン治療が可能となりました。

Q12 ハンセン病が治る病気だとわかっても、なぜすぐにらい予防法が廃止されなかったのですか?
A12
 日本では1947年にプロミンによる治療が始まり、治る病気になったにもかかわらず、国は療養所での生活や医療の改善の予算の確保を優先して、らい予防法を廃止しないで、強制的に隔離する政策を継続しました。医師や弁護士も積極的に予防法廃止の声を上げませんでしたし、さらには私たち国民の無関心、あるいはハンセン病についての理解不足も、1907年の最初の法律の施行から1996年のらい予防法廃止までの90年間の長期にわたり、らい予防法による人権侵害を通用させました。じつは病気が治った回復者のみなさんたちも、らい予防法の廃止により、生活の場である療養所が閉鎖されてしまうことを恐れました。故郷との絆きづなも断たれていて、病気の後遺症もある、そしてまだまだ社会には根強いハンセン病への差別・偏見が残っていました。回復者のみなさんは、らい予防法の廃止を強く主張できない事情があったのです。回復者のみなさんに、そのような想いを抱かせてしまった国や医学会、法律家、そして社会を構成する私たち国民も反省しなければならないと思います。

Q13 日本以外の国、海外ではハンセン病とどのように向かい合っていきてきたのですか?
A13
 ハンセン病の治療薬がなかった時代は、多くの国で隔離かくり政策が取られていましたが、第5回国際らい会議でハンセン病の治療薬であるダプソンの有効性が確認されてからは、隔離して治療する政策から通院治療に変わりました。
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170427 久しぶりにDVDで是枝裕和監督「海街diary」(2015)を観た。感想5

2017年04月28日 01時20分08秒 | 映画・映像
4月27日(木):  

鎌倉の風景って、なんだかとってもいい。
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170402 黒澤明監督「赤ひげ」(1965)感想特5

2017年04月03日 03時05分00秒 | 映画・映像
4月2日(日):      
深夜なのに、明日から嫌な仕事の日々が始まるのに、自分でも馬鹿じゃないかと思うが、黒澤明監督「赤ひげ」(1965)を見始めてしまった。この映画は「別格」だ。論じるのも烏滸がましい。
特に、佐八とおなかの関係」は愛し合う男女の関係で最も残酷で絶望的な関係の極致

「自分の女房が他人の子を産んで、目の前でその子に乳を飲ませてるなんて、それがどういうわけかもう哀れで哀れで(佐八の独白)」

赤ん坊(子ども)は夫婦のかすがいと言われるが、逆に愛し合う男女の関係において最も取り返しのつかない楔となる。生まれた赤ん坊(子ども)に罪はないのが何よりのとどめだ!その赤ん坊を母無し子に、その子の父を妻に赤ん坊を残して消えられた不幸な男性にしてしまった。失恋ですらない。その時、心が壊れた。「心が壊れるものだ」という経験を初めて知った。本当はそんな経験なんてしない人生の方がいいに決まっている。しかし、佐八のつらい思いを理解できるのは実際に経験をした者にしかわからないだろう。

映画「赤ひげ」は深い。完璧な映画だ。世情よく話題にされる黒澤映画の傑作「七人の侍」(数日前に観た)よりも上だ。原作者の山本周五郎とその思いを汲み取った黒澤明が本当に深かったということだろう。

泥酔ではないけれど今、相当酔っ払ってます。明朝早く起きなければいけないのに、深夜3時にこんなブログを書いている自分をつくづく馬鹿だと思う。もう寝ます。
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170402 中国映画『ヘブン・アンド・アース 天地英雄』(何平(フー・ピン)監督)を観た。感想4

2017年04月02日 19時18分49秒 | 映画・映像
4月2日(日):    

録画してあった中国映画『ヘブン・アンド・アース 天地英雄』(何平(フー・ピン)監督)を観た。残念ながら日本語吹き替え版なので中井貴一が折角苦心した中国語を聴くことができなかったが、筋立てはとてもよく分かった(最後のワンシーンだけは?だったが)。

中国人の俳優陣は、違和感のない親しみのもてる良い感じの俳優ばかりだった。その中で、中井貴一もしっかりと存在感のある演技をしていた。さすが我らが中井貴一である。見せ場の殺陣なかなか見応えがありなかなかの映画だった。この映画は、中井貴一の履歴を決して汚すものではないと断言できる。

4か月にわたる撮影の裏事情を知りながら観ると、「ごく自然に見られているシーンも、実は大変な苦労や時間、いきさつの中で撮られてるんだ」と、格別の味わいを覚えた。いろいろ揉めたりごたごたがあっても最後にはそれなりの映画に仕上がっていくものなんだなあと思った。

ストーリーは以下の通り。時は紀元700年、13歳で遣唐使として唐に渡り25年の長期間、軍事技術を学び研鑽を重ねた日本人来栖旅人(くるすたびと:準主役)が、皇帝から帰国につながる最後の任務として、西域のお尋ね者「無敵の李隊長(主役)」を殺すことを命じられる。李隊長は、婦女子を含めて捕虜を皆殺しにせよという朝廷の命に逆らって捕虜を逃がしたことでお尋ね者になった。シルクロードのキャラバンの護衛を仕事にして生きていた。そんな中、李の護衛するキャラバンとヒロインを連れた来栖旅人が出合い、長安までキャラバンを護るために命を狙う者同士が協力し合うことになる。このキャラバンは、西域の仏教諸国を支配する上で絶対的な意味を持つ<(奇跡を起こす)仏舎利>を運んでいたのだ。西域支配を目指す突厥(トルコ族)のハーンが、馬賊の親玉の安(アン:準主役)を手先にして執拗にキャラバンを付け狙い、最後には古城を舞台に攻城戦を展開する。来栖旅人も含めキャラバンは全滅するが、<仏舎利>に手を触れて奪おうとした安(アン)も突厥の将軍も奇跡により命を落とす。その後、何故か<仏舎利>はいきなり???長安に無事届いていて、そののち唐は広大な西域諸国も版図に含めて大繁栄期を迎えるという終わり方だった。

筋立ての展開に意味不明な部分もあるが、それが中国人の感性では自然なのかもしれない。むしろそういう違和感を感じる部分が予想していたよりも少なかったことの方が意外だったかもしれない。

最後にこの映画を観る上で一番のポイントは、「ほぼ全編が実際に辺境のシンチャンウイグル自治区で撮影されている」事実を知っておくことだろう。あと、この撮影中にアメリカで9.11同時多発テロが起こり、米軍によるアフガニスタン攻撃が始まったことも、何かの感慨を覚えさせてくれる。もう一つ、最後に近いシーンで来栖旅人が「自分は『日本人』だ」と李隊長に伝えるシーンがあるが、『日本』という言葉が生まれたのが、まさにこの少し前の天武・持統朝の時である。火薬っていつはつめいされたんだろう?

追記:もう一回見直して、最後のシーンの?は、生き残った李隊長がヒロインとともに長安に仏舎利を送り届けたことで赦免され、復権して、再度西域に派遣されることになった、と理解すべきなのかな…と思った。ちなみに、映画に登場する坊さんは、実はチョウ・ユンという女優さんである。
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170325 BSシネマで「鴨川ホルモー」(2009)を観たが、原作(2006)よりも随分堕ちる気がした。感想3

2017年03月26日 02時26分40秒 | 映画・映像
3月25日(土):    
昔、原作を読んだはずだが、もっと面白かった気がする。
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170322 中井貴一・小泉今日子ドラマ「最後から二番目の恋」(2012年)DVDを久しぶりに観た。最高!

2017年03月22日 23時50分49秒 | 映画・映像
3月22日(水):    

久しぶりに中井貴一・小泉今日子主演のドラマ「最後から二番目の恋」(2012年)DVDを観た。新鮮だ!あれほど昔、繰り返し観たドラマなのに久しぶりに観ると最高に面白い!楽しい!やっぱりドラマは、配役もだが俳優の演技力が命だ!
中井貴一と小泉今日子の掛け合いは本当に最高だ。脇を固める俳優陣もすごくイケてる。このドラマは、ドラマ史に残る作品の一つだと言える!
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170205 映画「赤ひげ」(1965:黒澤明監督、山本周五郎原作) 感想特5

2017年02月05日 19時48分10秒 | 映画・映像
2月5日(日): 

185分。図書館で借りているDVDを観た。10年ぶりぐらいだろうか。何度も観ているが、前回いつ見たかを思い出せない。部屋を暗くして、映画館の雰囲気で籠って観た。内容については、ウィキペディアに出ているので省略する。途中で何度も気持ちよく涙が流れた。終わり頃に「他人様から感謝される仕事がしたいなあ」という言葉が自然に出た。映画のセットも別格。この映画は、特別な映画の部類に入る。

特に「むじな長屋で死んだ車大工の佐八(山崎努)とおなか(桑野みゆき)の悲しい恋の物語を佐八の死の床で聴いて胸に迫る」(ウィキペディア)の話は、男女の物語りで最もやるせない絶望的な物語だ。互いに思い合っていようと、一方が相手を思っていようが、いずれにしても「別の男が生ませた赤ん坊」を抱いた元妻・元恋人の姿は「絶望的」としか言いようがない。赤ん坊の存在を抹殺することはできない。その存在を前にして結ばれることは絶対にありえない。この型の物語りは、重松清「流星ワゴン」で、男の子(の霊)が、父以外の男性の子を生んだ母親とその弟に出会うという、もっと残酷な形で出てきたのを思い出した。
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161019 舞妓Haaaan!!!(2007年) - 主演・鬼塚公彦 役 ※阿部サダヲ初主演作 文句なし!感想5

2016年10月20日 00時46分04秒 | 映画・映像
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161016 『パッチギ! LOVE&PEACE』(2007:井筒和幸監督)の流し観をした。感想4だけど支持するので5!

2016年10月16日 23時16分33秒 | 映画・映像
10月16日(日):

桐谷 健太が、なかなか良い! 信念に支えられた勇気ある映画だ。俺は史実としても、物語としても全面的に支持する!

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161015 久しぶりに映画「パッチギ!」(井筒和幸監督)を流し観した。やっぱりすごい作品だ。感想5

2016年10月16日 01時23分41秒 | 映画・映像
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160609 ドラマ「早子先生、結婚するって本当ですか?」の録画溜めを4話ほど一気観をした。感想4

2016年06月10日 01時43分57秒 | 映画・映像
6月9日(木):       

すごくほっとするドラマだ。こんな感性の世界、俺は結構好きである。 
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160522 NHK「ポアンカレ予想」と「リーマン予想」をめぐる数学者の物語はむちゃくちゃ面白い!各感想5

2016年05月22日 14時23分14秒 | 映画・映像
5月22日(日):  ポアンカレ(1854~1912)   ペレリマン(1966~)   リーマン(1826~1866)

 これまで何度も繰り返し観てきた録画を昨日・今日と延々と繰り返し観ている。俺は家で仕事を集中的に行うときには気に入っている録画をBGMのように流し続けるのだが、今回の選択は大正解だった。超難問に取り組む天才数学者たちの物語は数学理論が理解できなくても天才たちの叙事詩としてすごく興味深くて楽しめる。

「NHKスペシャル 数学者はキノコ狩りの夢を見る~ポアンカレ予想・100年の格闘~」(2007年)番組紹介:宇宙はどんな形をしているのか。近年、この謎に迫る数学の難問「ポアンカレ予想」が、ロシアの天才数学者、グリゴリ・ペレリマン博士によって証明された。ところが、博士は数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞の受賞を拒否し、数学界からも姿を消したのである。世紀の難問はなぜ解けたのか。彼はなぜ失踪(しっそう)したのか。博士の行方を追いながら、世紀の難問に魅せられた数学者たちの100年間の闘いに迫る。語り:小倉久寛、上田早苗

「NHKスペシャル 素数の魔力に囚われた人々 リーマン予想・天才たちの150年の闘い」(2009年)
番組紹介:「リーマン予想」はドイツの数学者・リーマンが1859年に提起し、150年たった今も解かれていない数学史上最大の難問である。「リーマン予想」は、「一見無秩序な数列にしか見えない“素数”がどのような規則で現れるか」という問いに答えるための重要な鍵である。「創造主の暗号」とも言われる素数の謎をCGや合成映像を駆使して、わかりやすく紹介し、その魔力に取りつかれた天才数学者たちの格闘を描く。語り:小倉久寛、上田早苗
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160515 ジョン・フォード監督「駅馬車」(1939:モノクロ:日本語字幕)感想4+

2016年05月16日 00時29分30秒 | 映画・映像
5月15日(日):    

 立ち寄った図書館で偶然上映会に出くわして「これも御縁だ」と思い参加した。題名だけは聞いたことがあったが、文字通りの鉄道の走る前のアメリカの大平原の交通手段「駅馬車」のありようを知ることができた。99分間。時代は1885年ティピカルなアメリカン西部劇だった。先住民への差別・偏見はもちろんあるが、登場人物の造形やストーリー展開がとてもよくできていた。スタントのアクションもなかなかのものだ。フランスなんかの映画と違って、アメリカの映画はつくづくわかりやすい。

ウィキペディアより:【ストーリー】

ジェロニモがアパッチ族を率いて居住地を出たという情報が飛び交っていた頃、アリゾナ州トントからニューメキシコ州ローズバーグに向かう駅馬車が出発した。乗客は町から追放された娼婦ダラス(クレア・トレヴァー)、アルコール中毒の飲んだくれ医者ブーン(トーマス・ミッチェル)、はるばるバージニアから来て夫のマロリー騎兵隊大尉に会いにいく貴婦人ルーシー(ルイーズ・プラット(英語版))、小心者の酒商人ピーコック(ドナルド・ミーク)であった。出発の際に南部出身の賭博師ハットフィールド(ジョン・キャラダイン)が「マロリー夫人の護衛」として乗り込んだ。御者のバック(アンディ・ディバイン)とカーリー・ウィルコック保安官(ジョージ・バンクロフト)が加わり、合計7名で駅馬車は出発する。

さらに出発してすぐにトントの町はずれで銀行家ヘンリー・ゲートウッド(バートン・チャーチル)が駅馬車に乗り込んできた。彼は5万ドルを横領し、ローズバーグへ逃げて雲隠れするつもりであった。駅馬車が砂漠にかかる時、突然銃声がして馬車が止まった。ライフルを軽々とクルリと回して現われたのは脱獄囚のリンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)であった。保安官カーリーと御者バックはリンゴ・キッドとは旧知の間柄であった。リンゴが脱獄で500ドルの懸賞金がかけられていることも知っていたが、彼が父と兄弟を殺したプラマー兄弟に敵討ちをするためにローズバーグへ行くことも予知していた。そしてカーリーはリンゴがローズバーグに行くことを予想してこの駅馬車に乗ったのだった。「リンゴがプラマー兄弟と決闘しても殺される」に決まっていると考え、ライフルを取り上げてリンゴを逮捕した。リンゴの父とは同じ牧童仲間で父親代わりであったカーリーにとって、逮捕することがリンゴを安全にする方法であった。また皮肉なことに同乗した飲んだくれ医師ブーンは、かつてリンゴの殺された弟を治療したことがあった。

駅馬車は最初のステーションであるアパッチウェルズに到着する。ここでトントから随行してきた護衛の騎兵隊との交代の部隊がいなかった。ジェロニモがアパッチ族を率いて居住地を出た情報がある中、護衛なしで前進してローズバーグを目指すか、引き返すかの投票が行われ、ローズバーグに向かうことに決定する。

道中の馬車の中で、賭博師ハットフィールドはさかんにルーシーのために気を使い、ルーシーに銀のカップを差し出す。ルーシーはそのカップを見て「これはグリーンフィールド家の紋章では?」[2]と問う。ハットフィールドはどこかで賭けて儲けたものと云う。ダラスに対しては皆の目は冷たく、無視されている。そのことでリンゴが怒ったりしていた。また酒商人ピーコックが販売拡大の営業のため持ってきたサンプルの酒が、飲んだくれ医師に飲まれてしまう。

次のステーションであるニューメキシコのドライフォークに到着するが、ここでメキシコ人のクリスから「マロリー大尉が負傷してローズバーグに運ばれた」と伝えられてルーシーは倒れる。ルーシーは妊娠していてショックで産気づいてしまう。メキシコ人の牧童たちがジェロニモの襲撃を恐れて夜のうちに逃げ出し、クリスの妻も姿をかくしてしまう。飲んだくれ医師ブーンがコーヒーを浴びるように飲んで正気に戻り、ダラスの助けもあって無事にルーシーは女児を出産する。リンゴは道中親しくなったダラスにプロポーズし、一緒にメキシコに住もうと誘うがダラスは答えなかった。そしてダラスに励まされ、リンゴは敵討ちを諦めメキシコに逃げようとして、アパッチの狼煙(のろし)を発見する。狼煙は襲撃の合図であった。リンゴはメキシコ行きを諦める。そして駅馬車はドライフォークから川の渡し場に行き、川を渡ってローズバーグを目指そうとした。

だがすでに渡し舟を含め川の渡し場全体が焼討ちにあっていた。そこで駅馬車に筏をつけてそのまま浮かして川を渡りきり、難関を突破した。渡っている間にアパッチの襲撃はなく、一同は安堵するが、渡し場でアパッチの光信号のようなきらめきを見たハットフィールドは警戒を続けていた。危機が去ったとして終着駅がもうすぐだとしてブーンが祝杯を挙げようとしたその瞬間、突然弓矢が飛び込みピーコックの胸に突き刺さった。ついに総攻撃をかけてきたアパッチ族に、駅馬車の男たちは必死に応戦する。バックは腕を打たれ、リンゴが先頭馬まで飛び移り手綱を引いた。やがて弾薬が底をつき、ハットフィールドは最後の一発をルーシーに向けた時、アパッチの流れ弾に撃たれて命を落とす。その直後にラッパの音が聞こえ騎兵隊が到着し、危機一髪で駅馬車は難を逃れた。結局一人の犠牲者と二人の負傷者と共にローズバーグに到着する。

ローズバーグに着いてから、リンゴはカーリーに「10分だけくれ、絶対に戻るから」と云う。カーリーはライフルを渡して「弾は無いぞ」と云う。しかし実はリンゴは3発だけ隠し持っていた。ダラスにも「きっと戻ってくる」と言い残してプラマー兄弟のいる酒場に一人向かった。酒場ではルーク・プラマーがポーカーをしていて、リンゴ・キッドがやって来たと知らされて、その場に捨てたポーカーのカードはAと8の黒のツー・ペア[3]であった。ルークを筆頭とするプラマー三兄弟はリンゴと酒場の前でにらみ合う。一瞬の銃撃戦の末、酒場に再びルーク・プラマーが戻ってきた。ルークはカウンターに近付いた瞬間に床に倒れた。 リンゴは無傷でダラスの元に戻ってきた。カーリーとブーンが馬車を用意していて、リンゴはカーリーにダラスを牧場まで送るように頼む。カーリーはダラスもリンゴも馬車に乗せて送っていくことにすると言う。そういった後にブーンと馬車から降りる。カーリーとブーンは馬に石を投げ、「彼ら(リンゴとダラス)を文明から逃がす」のだった。カーリーはブーンに「一杯おごるよ」と誘い、ブーンは「一杯だけな」と答え、ダラスとリンゴの二人が乗った馬車は荒野へ去って行った。



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160515 何度目だろう?山田洋次監督「学校Ⅱ」(1996) 感想4

2016年05月15日 21時49分53秒 | 映画・映像
5月15日(日):  

久しぶりに観た。学校シリーズの中では、一番出来が悪い作品だと思うが、高等養護学校という存在と、そこで働く教師の考え方を世の中に広げる大きな意味のある作品だ。「男はつらいよ」や「釣りバカ日誌」などの喜劇のシリーズを多作しながら山田洋次監督は、世の中に必要なメッセージをたくさん送り届け、世の中に必要な作品もたくさん作り続ける。正しいことは、たくさんの笑いを送り届ける中で一緒に伝える。真面目な顔で正しいことを話すのは不粋の極み。伝わるモノも伝わらない。どこかに遊びが必要なのだ。志の高い喜劇作家こそが最も良き存在なのだと思う。井上ひさしを思い出した。二人には通底するところがある。

ウィキペディアより:高等養護学校を舞台に、重い障害を持つ生徒と軽い障害を持つ生徒の交流・葛藤、就職問題等を入学から卒業までの、3年間の出来事を描いた作品。
ストーリー
留別(りゅうべつ)高等養護学校では、様々な障がいを持つ生徒たちが寮生活を送りながら教育を受けている。2年前この学校に入学してきたのは、いじめに遭って以来一言も話さなくなった高志や言語障害と歩行障害がある佑矢たち。彼らを受け持つのは、クラス担任の竜平とそれをサポートする玲子、それに新人教師・小林の3人。佑矢は特に手のかかる生徒で、すぐに暴れ回るため小林はつきっきりでその対応に追われる。竜平たちは長い月日をかけて生徒との関係を築いていく。しかし3年生になった高志はある日、佑矢を連れて「買い物へ行く」と寮を出たまま失踪する。
Amazonレビュー:
北海道の小さな町にある養護学校。リュー先生(西田敏行)のクラスには、知恵遅れで心を閉ざした高志(吉岡秀隆)や、障害の重い佑矢(神部浩)などがいて、新任の小林(永瀬正敏)はノイローゼ気味だが、そんな彼らを玲子先生(いしだあゆみ)は常に優しく見守っている。やがて高志たちは差別に満ちた厳しい世間の現実を思い知らされていくのだが……。名匠・山田洋次監督が『学校』の好評を受けて、舞台を養護学校に移して描いたヒューマン映画シリーズの第2弾。ここでは障害児問題という重いテーマに真正面から取り組んでいるが、最後には気球を用いてファンタジックに映える設定も用意されている。公開時はそこに賛否が分かれたが、あくまでも映画は娯楽であるという基本を崩すことなくテーマ性を揺るがすこともない山田監督の姿勢は認めていいだろう。障害児という難しい役柄を吉岡秀隆が熱演し、新境地を開いている。(増當竜也)


・あれ、佑矢、おまえちょっと、ケツ濡れてる? おしっこした? ちょっとお尻上げてごらん
 よいしょ よいしょ よいしょ ああしてるわ ああ (苦笑) ま ウンコよりましか
 ウンコもしてんだ? (がっくり)

・(学校の教育というのは)与えるとか、教えるとかじゃないんだよ。子どもたちから学んだことを返してやる。そういうことなんだよ。俺たちの仕事は。

・(離婚して暮らす妻にあてて)僕たちは由香に多くのことを期待してはいけないと思う。僕たちだけではない。おばあちゃんや学校の教師がこの娘に独り善がりな期待を抱くことが、本人にとってどんなに大きな負担であるかを思ってやるべきだ。僕たちができることは、あの娘に寄り添ってやることだと思う。どうかあの娘に過大な期待をかけて苦しめないでほしい。あの娘にどんな花が咲き、どんな実がなるのかを知っているのは、親や教師ではなく本人なんだから。離れて暮らす父親の心からのお願いです。
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150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)