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もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

160508 気が付けば一週間、是枝裕和監督「海街diary」DVDをずっと繰り返し観ている。感想5

2016年05月09日 02時07分15秒 | 映画・映像
5月8日(日): 
    
 気が付けば、この一週間様々な作業をしながらBGM的に映画「海街diary」DVDをずっと繰り返し観ている。まだ谷崎潤一郎の「細雪」は読んでいないが、現代版の四姉妹作品である。細やかな感情の機微が丁寧に描き込まれている。観ているとじんわり気持ちがほぐされていくようですごく良い作品である。優しい気分になれる。本当にすごくいいです。

 是枝裕和監督って「そして父になる」しか観てなかったけれど、冷酷なトカゲ顔の高市総務相によるTV局への不法な恫喝発言をBPO委員としてしっかり批判したことも含めて、今一番信頼できる表現者のひとりだと思う。

160402 忘れないことが真の闘いだ!「SEALDs 7.24国会前抗議行動 ほぼノーカット版 2:14:47」 感想5

2016年04月03日 02時06分24秒 | 映画・映像
4月2日(土):

しばらくネットから離れる前に、You Tubeで「SEALDs 7.24国会前抗議行動 ほぼノーカット版 2:14:47」(衆議院本会議で、戦争法案が強行採決されて1週間、7.24安倍政権NO! 首相官邸包囲行動が、7万人の参加でおこなわれた。)を久しぶりに観ている。あと1時間ほどあるが、本当に元気をもらえる動画だ。昨夏の怒りを絶対に忘れないために折に触れて繰り返し見る価値がある。これからもずっと見続ける!そして、この若者たちを決して絶望させてはならない!、と心から思う。

am2:45、最後まで見終わった。とっても良かった。感想5

再掲「150801 「SEALDs 7.24国会前抗議行動ほぼノーカット版2:14:47」動画で血が熱くなった。戦争絶滅受合法案 」
                2015年08月02日 01時33分11秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」
8月1日(土):
 「SEALDs 7.24国会前抗議行動 ほぼノーカット版 2:14:47」動画を観ていて、血が熱くなる気分になった。もはや憲法違反の戦争法案反対と安倍晋三リコール運動は盛大過ぎる「祝祭(お祭り騒ぎ)」になっている。日本社会の岩盤が動いた。政治状況の次元が変わった。もはや供犠・生贄victimは安倍晋三の首と法案廃案しかない。安倍晋三は、もう終わった。さもなければ日本の次世代を担う大切な若者たちが深刻・無残な機能不全に陥るだろう。彼ら・彼女らを見殺しにしてはいけない!絶対に孤立させてはいけない!心ある大人はみんなこの運動を支持し、連帯すべきだ。「この闘いは俺たちの国の歴史と記憶を守る闘いなんだ」と最後に総括した青年の言葉はすごい。感動、感動、感動だった!パンドラの箱(壺)に残った「希望」が動き始めた。

 抗議集会に駆け付けた哲学者の高橋哲哉さんが、戦争法案に賛成した参議院議員と衆議院議員に対して「落選運動」を起こす提案をするとともに、「戦争絶滅受合法案」を紹介して、「まず自称権力者の安倍晋三が最初に戦場に行くべきだ!」と言っていた。「戦争絶滅受合法案」を是非拡散してほしいと思う。

 朝日新聞に巣食う安倍の犬、宦官・去勢豚アイヒマン曽我豪もこの動画を見て、自分の醜悪さ、恥ずかしさを思い知ってジャーナリストをやめろ!安倍に拾ってもらえ。お前の存在自体が、もはや朝日新聞の名を貶めるだけなのだ。ジャーナリストに、自称世渡り上手の大人は必要ではない。軽蔑と不信の対象だ。
      
戦争絶滅受合法案(せんそうぜつめつうけあいほうあん) 長谷川如是閑(1875-1969)
 第一次世界大戦(1914年〜1918年)が終結して10年後の1929年(昭和4年)、長谷川如是閑はせがわにょぜかんという人が、『戦争絶滅受合法案せんそうぜつめつうけあいほうあん』という一文を、デンマークの軍人が書いたものを紹介するという形で発表しました。
 その趣旨は、「戦争が始まったら10時間以内に、国家元首、大統領、国家元首の親族で16歳に達した男性、総理大臣・大臣・次官、戦争に反対しなかった国会議員、戦争に反対しなかった宗教家を最下級の兵卒として召集し、最前線で敵の砲火の下に実戦につくべき」というものです。
 また、女性では、「有資格者の妻、娘、姉妹などは、戦争が続く間、看護婦又は使役婦として召集し、最も砲火に近い野戦病院に勤務させるべき」 としています。
 「世界各国がこの法案を成立させれば、世界から戦争がなくなること “ 請け合い ” 」というものです。
 ここに、長谷川如是閑が書いた全文を紹介します。
 なお、長谷川は、「名案だが、これを各国で成立させるためには、もう一つホルム大将に、「戦争を絶滅させること受合の法律を採用させること受合の法律案」を起草して貰わねば」とも記しています。
 この一文に触発されたかどうかは定かではないが、 1982年の「広告批評」6月号に、コピーライターの糸井重里氏とアートディレクターの浅葉克己氏が作った『まず、総理から前線へ。』という作品が載っている。当時の編集長の天野祐吉氏(1933年4月27日 - 2013年10月20日)が、このいきさつなどを2008年1月のブログで紹介している。 ▶ 天野祐吉氏のブログ(2008-01-14)

戦争絶滅受合法案
 世界戦争が終つてまだ十年経つか経たぬに、再び世界は戦争の危険に脅かされ、やれ軍縮条約の不戦条約のと、嘘の皮で張つた太鼓を叩き廻つても、既に前触れ小競り合ひは大国、小国の間に盛に行はれてゐる有様で、世界広しと雖も、この危険から超然たる国は何処にある? やゝその火の手の風上にあるのはデンマーク位なものだらうといふことである。
 そのデンマークでは、だから常備軍などゝいふ、廃刀令以前の日本武士の尻見たやうなものは全く不必要だといふので、常備軍廃止案が時々議会に提出されるが、常備軍のない国家は、大小を忘れた武士のやうに間のぬけた恰好だとでもいふのか、まだ丸腰になりきらない。
 然るに気の早いデンマークの江戸ツ子であるところの、フリツツ・ホルムといふコペンハーゲン在住の陸軍大将は、軍人ではあるがデンマーク人なので、この頃「戦争を絶滅させること受合ひの法律案」といふものを起草して、これを各国に配布した。何処の国でもこの法律を採用してこれを励行したら、何うしたつて戦争は起らないことを、 牡丹餅ぼたもち 判印で保証すると大将は力んでゐるから、どんな法律かと思へば、次ぎのやうな条文である。
戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後、十時間以内に次の処置をとるべきこと。
 即ち左の各項に該当する者を最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従はしむべし。
一、国家の××(元首)。但し△△(君主)たると大統領たるとを問はず。尤も男子たること。
二、国家の××(元首)の男性の親族にして十六歳に達せる者。
三、総理大臣、及び各国務大臣、并に次官。
四、国民によつて選出されたる立法部の男性の代議士。但し戦争に反対の投票を為したる者は之を除く。
五、キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、其他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。
上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として召集さるべきものにして、本人の年齢、健康状態等を斟酌すべからず。但し健康状態に就ては召集後軍医官の検査を受けしむべし。
上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦又は使役婦として召集し、最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし。」
 これは確かに名案だが、各国をして此の法律案を採用せしめるためには、も一つホルム大将に、「戦争を絶滅させること受合の法律を採用させること受合の法律案」を起草して貰はねばならぬ。
ーーー 如 是 閑 ーーー (一九二九、一、一)

 ←現代社会で最も醜い生き物。朝日新聞のアイヒマン(ダニ野郎) 曽我豪「僕ちんは大して悪いことをしていない、権力者とお鮨一緒に食べただけ…、だってなにか僕ちんが偉くなった気がするんだもん」朝日新聞購読者激減の立役者!

160329 映画「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」(2011) 感想5

2016年03月30日 00時48分11秒 | 映画・映像
3月29日(火):  

映画「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」の録画を観た。俺は幼稚で観る目が無いのか…?めちゃめちゃ面白かった! 娯楽に徹していて痛快で見ごたえがあった。アトス、アラミス、ポルトス、ダルタニアン、プランシェ;ミレディ;少年王ルイ13世;リシュリュー枢機卿、ロシュフォール;バッキンガム公;コンスタンスの名前とともにあらすじは、以前に観たNHK人形劇(三谷幸喜)で人間関係とともに知ってはいた(岩波文庫で原作を持っているが、まだ読めていない、とほほ)が、わずか2時間弱の短い中でよくぞこれほどまでに表現し楽しませてくれたと言えるできばえだった。

特にミラ・ジョヴォヴィッチのミレディは出色の存在感だった。この映画を観ると、マンガ「ルパン三世」の峰不二子のモデルが、「三銃士」のミレディだったと気づかせてくれる(当たってるかどうか知らないが)。ついでにこれは冗談だが、三銃士やダルタニアンたちに斬られまくる枢機卿の衛兵たちはショッカーの原型のようだった。

160223 映画「アラビアのロレンス 4Kレストア版」(1962:3:47)感想 特5

2016年02月24日 02時20分52秒 | 映画・映像
2月23日(火):
        

2日ほど前に録画した映像を観るともなしに見始めていた。この作品は10年に一度くらいのペースで繰り返し観てきたと思う。intermissionをはさんで3時間47分の大作である。半ば過ぎても全編を見切るとは思ってもいなかった。俺も公私ともにそれなりに忙しい日々を送っている。しかし、中断できなかった。まず、リマスター版の画像があまりにも鮮明で美しかった。知ってる方はよくお分かりだろうが、本作品ほど砂漠の映像で美しい作品はない。それを再現するのに、今回録画した映像は、おそらくかって俺が目にしたどの映像よりも美しかった。生々しい肌触りを覚えさせるほどに鮮明な色彩が出ていた。

次いで、ストーリーにはまった。時は第一次世界大戦、カイロ駐在の一情報将校(中尉)に過ぎなかったロレンスが、メディナ周辺に潜むファイサル王子の動向を調べるために単身で辺境のアラブに派遣される。ロレンスの活動は、正規の任務から逸脱し、アラブの立場に立った行動が目立ち始め、あげくにアラブの2部族の対立をまとめ上げて、死のナフド(ママ)砂漠を越えてトルコの軍港アカバを奇襲・陥落させてしまう。一度は、カイロに戻るが、狡猾な英軍アレンビー将軍により少佐に昇進され、アラブ軍を率いたトルコの後方撹乱を命じられる。アラブの部族社会の対立はひどいもので、「アラブなんて知らない。あるのは部族間の恩讐だけ」という状態だったが、アラブの文化を深く理解し、数々の奇跡(的勝利)を演じ、大英帝国を背後に持つロレンスの存在はすでに”預言者”に準ずるもので、対立するアラブの部族もロレンスの指示には従い、アラビアでのトルコの活動はかなりダメージを受ける。しかし、一方でロレンスは、戦後のアラブの支配をもくろむ英仏の意志(サイクス・ピコ協定)と、独立を目指すアラブの旗頭になっている自己との矛盾に引き裂かれ、さらに自らの手で繰り返す殺人によって心を壊していく。

アラブを離れて平穏な生活を求める心と、アラブの民族運動の先頭に立ち、戦場を求める心の間でふらふら動揺しながら、ロレンスが最後に求めたのは、英国軍よりも1日も早くダマスカスに入場することだった。それを果たしたロレンスは、自ら中心になってアラブ民族会議を起こしてダマスカスを占拠するが、いまだ中世の部族社会に生きるアラブ人たちに、大都市のインフラを維持できるわけもなく、次々に部族がダマスカスを後にし、ロレンスが一人取り残される。見せかけではあってもアラブの大義を実現させようとしたイギリス人ロレンスは、残された2000人のトルコ傷病兵たちのアウトレイジャスな惨状に打ちのめされる。

ダマスカスで大佐に昇進したロレンスは、英国政治家ドライデン、将軍アレンビーとファイサル王子がアラブの今後について話し合う席に呼ばれるが、すでに廃人のようであった。その後、イギリスに帰り、約17年後の1935年オートバイ事故で47歳で亡くなる。なまじ有能で型破りであったがために利用され、大国の意志の前にもみくちゃにされ、擦り切れていった哀れな人間の一生のように感じた。事実上の自殺のようにも思えた。

今回は、映像がすごく美しかったが、もう一つ今までで一番ストーリーがよく理解できた。長く生きているので世界史の知識もずいぶんついていたようだ。

・英語の映画なので「アッラー」というところが「ゴッド」になっていた。
・ピーターオトゥール、オマーシャリフ、アンソニークィン、他、存在感抜群の役者ぞろいだったのと、CGでないスケールの大きな本物の映像に満足度120%だった。特に砂漠が美しい。美し過ぎる!
・ロレンスの立場(ウィキペディアより):オスマン帝国軍から解放されたアラビアは、もはやロレンスを必要とはしていなかった。フサイン=マクマホン協定を信じてイラク・シリア・アラビア半島を含む大アラブ王国(汎アラブ主義) を構想する老練な族長ファイサルにとって、白人のロレンスがアラブ反乱を指揮した事実は邪魔となっていた。また、サイクス・ピコ協定によりアラブをフランスとともに分割する方針を決めていたイギリス陸軍の将軍にとっても、大アラブ王国を支持し奔走するロレンスは政治的に邪魔な存在となっていたからである。

160129 映画『阪急電車 片道15分の奇跡』(2011) 感想4+

2016年01月30日 03時35分40秒 | 映画・映像
1月29日(金):    

2度目だが、良い作品だ。作業しながらの横眼で眺め鑑賞だが、観終わった後の後味がよく、心が温かくなった。いい映画だと思う。キャストはほぼ完ぺきだ。脚本もとてもよくできている。

151225 中井貴一主演・森崎東監督作品 「ラブ・レター (浅田次郎原作)」(1998)感想4+

2015年12月26日 04時33分37秒 | 映画・映像
12月25日(金):    

17年前の映画。何度見返してきたことだろう。主演の中井貴一は37歳。山本太郎は24歳。

300万円という大借金をして偽装結婚し、金を稼ぎに日本に来た若い中国女性康白蘭(カン・パイラン)が死んだ。知らせを受けた戸籍を貸した形だけの夫高野吾郎は房総の片田舎へ遺体の引き取りに向かう。誰もが偽装の事実を知っていて知らぬふりをして流れるように手続きが進んでいく。次第に違和感を募らせていった吾郎は、遺骨と一緒に吾郎宛の白蘭の手紙を読み、日本社会の最底辺で水商売・売春をしながら金を稼ぐ白蘭が紙切れだけのつながりの夫にすぎない吾郎に対する愛を支えに日々を懸命に生きていたことを知る。この社会と自分自身のあり方のおかしさを思い知った吾郎は、心のバランスを完全に崩して東京を去る。白蘭の遺骨を抱いて故郷北海道佐呂間に帰るのだ。

若き中井貴一の演技に、高倉健さんの片鱗を見た。俺が中井貴一の大ファンになったのは、その2年前「ふぞろいのリンゴたちⅢ」(脚本山田太一)を見た頃からだったと思う。良いドラマだった。また、24歳の現参議院議員山本太郎氏も非凡な存在感を発揮していた。

それにしても最近の中井貴一の演技力はずば抜けている。今一番演技力で見せてくれる俳優さんだ。特に「最後から二番目の恋」は、スペシャルも含めて第一シリーズ、第二シリーズともにすべてDVDにして、何度も何度も観返している。とにかく小泉今日子との掛け合いの演技が絶妙で本当に洒落ているのだ。何度観ても気持ちよくしてくれる演技力で勝負できる数少ない役者である。

高野吾郎 - 中井貴一/康白蘭 - 耿忠/中山サトシ - 山本太郎/佐竹義則 - 根津甚八/穴吹樟雄 - 大地康雄/醍醐ミサオ - 倍賞美津子/伊藤常夫 - 柄本明/質屋の亭主 - 名古屋章/警官 - 佐藤B作、大杉漣/吾郎の兄 - 平田満/偽ダイヤモンドをセールスする女 - 洞口依子/火葬場職員 - 笹野高史/スナックのマスター - 浦田賢一/他

151219 知のドラマ「下町ロケット」3と情のドラマ「コウノドリ」5。何度でも観れるのは情のドラマ。

2015年12月20日 02時54分05秒 | 映画・映像
12月20日(土):         

この秋、録画したドラマは「下町ロケット」(感想3)と「コウノドリ」(感想5)の二作品である。

「下町ロケット」は、「水戸黄門」のように勧善懲悪の筋を確認するだけで十分なので二度見はなかった。「コウノドリ」は、以前受けた研修会で講師を務めていた大学の先生が、原作のコミックを「10月に始まるドラマの原作ですが、すごく良い作品ですよ」と推奨されていたので楽しみにしていた。実際にドラマが始まると、先ず見るのに何故か勇気(気力?)が要り、見るときは片手間ではなく、じっくりと腰を据えて観ることになった。そして二度・三度と繰り返し観てしまえた。NICUの赤ちゃんの姿は何度見ても意外なほど可愛く、その姿に涙が止まらなかった。

故桂枝雀師が「知には記憶があるが、情には記憶がない。赤ちゃんの顔を何度見ても可愛らしさは変わらない。」と言われていたのを思い出した。筋を確認すればよいだけの「下町ロケット」が”知”のドラマだとすれば、「コウノドリ」は”情”のドラマなのだと思う。その世界に浸りたいという気持ちが起これば、筋がわかっていて、どうなるのかわかっていても何度でも見直したくなる。何よりもNICUの赤ちゃん・新生児たちの姿を見ただけで泣けるのだから。涙には心の浄化作用がある。

「コウノドリ」はそこまで意図されて作られたのかどうかはわからないが、丁寧に作られたなかなか出会えない”情”のドラマになっている。また、周産期センターという出産の危険にもっとも寄り添う世界を舞台にすることで生きた”知”(生きる力となる”知”)を与えてくれるのもうれしい作品になっていた。

今後、スペシャルドラマを一本とって、第2シリーズが作られることを期待している。

「よくできたドラマの原作は、必ずそのドラマよりも良い内容だ」という法則はたいてい当たっている。コミックの「コウノドリ」をどうしたら買わずに読むことができるのか。しばらく悩みそうだ。

151118 映画「野火 (原作 大岡昇平 1951)」(市川崑監督:1959) 感想4

2015年11月18日 23時21分27秒 | 映画・映像
11月18日(水):      

今日放送のNHK-BSの録画を観た。1:45。白黒作品。

  56年前の1959年は、まだ戦後14年である。作品としては、白黒映像が貧乏臭く、リアルさに少し欠けたが、出演者が皆ガリガリに痩せていたのは制作陣の映画に対する思いの深さを感じさせた。この映画を製作してる人々は、ほぼ全員戦争経験者である。その意味での意義深さはあるはずである。楽しい作品ではない。実感は感想3+だが、それでは申し訳ないし、感想5はつけられない。感想4は、そんな感じで付けた。

  内容は比較的原作に忠実だったが、決定的に違う部分も結構あった。それが原作に比べると映画の印象を弱めているように思った。1959年当時は、その当時の表現上の規制があったのだろう、と思う。例えば、以下の点だ。
・主人公が死んだ兵士の血を吸った山ビルの血をすすって間接的に人肉食をしてしまうシーンがなかった。
・念仏を唱える狂人の将校は、原作に登場したか…?、しなかったような気がする。
・人肉食を自分の意志でやろうとして、右手に軍刀をかざした時、左手が勝手に右手首を持って、人肉食を止めたシーンがなかった。ここは、原作では相当印象的なシーンなので、ないと物足りない。
・死の寸前に永松に助けられて、猿の肉(実は人肉)を与えられ、それを食べることで元気を回復するシーンがなかった。要するに映画の中では、主人公は人肉食をしないで終わった。
・原作では、フィリピンのゲリラにつかまり大けがをするが、捕虜となり日本に変えるが、映画では戦場で死んだ?形で終わっている。

原作については「4 012 大岡昇平「野火」(新潮文庫;1951)感想 特5」を読んで下さい。

ストーリー紹介(いくらおにぎりブログ 様から):
  レイテ島を彷徨う敗残の日本兵たち。田村一等兵は、部隊から追い出され、病院にも入れてもらえないまま、一人で行動するのですが、やがて「猿」の肉で食いつないでいる兵隊たちと再会し……
  亡くなった船越英二の「代表作」と言えば、この映画。大映東京の中堅どころとして、若尾文子主演の映画などで、名バイプレイヤーぶりを発揮した船越英二ですが、この映画ではまさに鬼気迫る演技を見せていました。
  「バカやろう。帰れといわれて帰ってくるヤツがあるか」と分隊長に殴られている兵隊。どことなく焦点の合わない目つきで、無感動なこの兵隊は田村一等兵(船越英二)です。レイテ島の日本軍は軍とは名ばかり、ただ食いつなぐために、芋を掘り、その日その日の食べるものにも窮している流浪の集団なのです。
  そして田村一等兵は肺浸潤のため、芋ほり作業などの重労働ができない体。ですから、原隊からは体よく追っ払われ、また病院でも邪魔にされる立場なのです。
  もう帰ってくるな、病院に入れてもらうまで、ひたすら粘るんだ。それがダメなら、その手榴弾で……と分隊長に脅かされた田村は、無感動に「田村一等兵、これよりただちに病院に赴き、入院を許可されない場合は自決いたします」と言って、トボトボと病院への道を歩き出すのでした。
  雑嚢に入った手榴弾一個と、わずかばかりのヒョロヒョロの芋が、田村の持ち物。そんな田村は、ようやくのことで病院につくことができました。もちろん、軍医は食糧を自弁できる者、もっと言えば、自分たちにも食糧を渡すことのできる者しか入院させようとはしないので、自然と病院の前の林には、入院を許可されず、さりとて原隊にも帰れない者たちがたむろしており、田村は自然と、その仲間になったのです。
  林にいたのは、おっさんと呼ばれる安田(滝沢修)、永松(ミッキー・カーチス)、松村(佐野浅夫)など、いずれも棺おけに片脚を突っ込んだような廃兵ばかり。彼らは、あるいはタバコと食糧を交換したり、あるいは病院に忍び込んで芋を盗んだりと、どうにかこうにか、命を繋いでいるのです。
  ある日、病院が爆撃されました。まず第一に逃げ出したのは食糧事情のいい軍医や衛生兵たち。次に林の兵隊たちも散り散りばらばらに逃げ出します。もちろん入院患者たちや、残っている食料をあさろうと病院に潜り込んだ松村などは、一緒くたに病院ごと爆発して死んでいくのです。
  どこをどう逃げたのか、気づくと一人になっていた田村。湧き水を見つけると、ゴクゴクと飲み干し、水筒に水を詰めます。
  「俺は死ねと言われたんだ。自分でもそのつもりだ。そんなら何故逃げるんだ。水筒に水なんか入れる必要はないだろ」と、手榴弾を取り出し、笑い始めます。ふと横を見ると、大勢の日本兵が倒れています。「お前らの中には、まだ生きている奴もいるだろ。だけど、俺は助けに行かないぜ。俺だってすぐ死ぬんだ。おあいこだよ」
  <幾日かがあり、幾夜かがあった>
  河原で眠りからさめた田村。川に足をつけると気持ちが良さそうです。おや何でしょう、遠くの高い塔がキラキラ光っています。「村があるんだ。村の教会の十字架に違いない。俺は見つかったら殺されるのに決まっているのに、何故あそこへ行きたいんだろう」と自問自答しながらも、重い足を引きずるように歩き出す田村です。
  田村は村に着きました。しかし、村には人っ子一人いません。いるのは腹をすかせた野犬とカラスばかり。教会に着きます。「これが俺の見た十字架か」と嘆息する田村、しかし、遠くから見たときには、あれほどキラキラ輝いていた十字架も、近くで見ると薄汚れ、そして、教会の入り口には日本兵の死体がうずたかく積まれて腐っているのです。どうやら、原住民に殺されたらしい日本兵たち。しかし、相次ぐ日本兵の侵入に、村人は村を捨てて、何処へか去ったのでしょう。
  歌が聞こえてきました。女の声です。見れば、ボートに乗った男女の原住民が、海からあがって村の方へ手をつないで走ってくるではありませんか。銃を構え、さっと身を隠す田村。男女は一軒の小屋に入りました。田村がそっと覗くと、二人は床板をはがし、何かを取り出しているようです。
  銃を突きつけながら「マガンダーハポン」と言う田村。女が悲鳴を上げ始めました。ためらわずに女を撃つ田村。男はきびすを返して逃げ出します。追いかけ、銃を撃つ田村。しかし、弾丸は当たらず、男はボートに乗って逃げ去ってしまいました。
  女の元に戻る田村。女は虫の息のようです。それをじっと見つめる田村。おやっ。ふと気づくと、床下には、大量の塩が隠されていました。もう女にはすっかり興味を無くしたように、邪険に転がし、塩を雑嚢に詰め始める田村。田村は途中で、銃を川に投げ捨て、どこへともなく歩いていくのです。
  何日が経ったのでしょう。田村は、丘にうごめく人影を見つけました。「日本兵だ」と喜んで近づいていく田村。そこには班長(稲葉義男)を中心に、3人の日本兵がいたのです。斬り込み隊の生き残りという班長たちに同行を申し出る田村。「俺たちはニューギニアじゃ人間まで喰って苦労してきた兵隊だ。一緒に来るのはいいが、まごまごすると喰っちまうぞ」と迷惑そうな表情だった班長ですが、田村が塩を持っているのを知ると、態度を一変させるのでした。舐めさせろ、と塩を貰った3人。ひとりの兵などは、「うまい」と涙を流しています。
  4人が少し歩くと、焼け跡がありました、「狼煙のあとだ」と怯える田村。しかし班長は「ビックリさすない。ただの野火じゃねえか」と言うのです。これは重要な違いです。狼煙だとしたら、原住民が米軍に日本兵の存在を知らせる危険なもの。しかし野火であれば、そこでは農民たちがトウモロコシの殻を焼き、来年の収穫に備えている、いわば「平和」や「生活」を象徴しているのですから。
  日本軍の集結地であるパロンポンを目指す一行。街道を歩くと、そこかしこから幽鬼のような日本兵たちが、ひとり、またひとりと現われ、ゾロゾロと歩いていきます。たまにプロペラ音がすると、それは米軍の飛行機。日本兵たちは棒切れのように、その場に倒れ、機銃の銃撃がミシンのように街道を縫っていきます。そして飛行機が去ると、いく分か数を減じた日本兵が、再び立ち上がり、またヨロヨロと歩いていくのです。
  「いやあ田村、まだ生きていたのか」と声をかけてきたのは、病院前の林で一緒だった永松です。永松は歩けない安田に代わって、街道でタバコと食糧を物々交換して、どうにか生きているのでした。とはいえ、タバコの葉を持っているのは安田なので、ほとんど召使のようなものですが。
  「早くパロンボンに行った方が勝ちだぜ」と忠告する田村に、しかし、永松は「安田はパロンボンに行く気はねえんだ。米さんに会い次第、手をあげるつもりだ」と言い、自分も降伏する気である事を匂わすのでした。
  途中で、街道を越えようとして班長たち仲間を失ったり、白旗をあげて降伏しようとしたところ、先に降伏した兵士が、そのまま撃ち殺されるのを見たりしつつ、ただただ歩いていく田村。再び、一人になって彷徨したあげく、またも永松と出会いました。永松は親切に、水をくれ、猿の干し肉までくれるのです。「弾丸(たま)あるのかい」「ああ、大事に使っているからな」「お前、俺を猿と間違えたんじゃないのかい」「まさか」。そんな会話を交わしつつ、安田とも合流して久しぶりに3人が顔を合わせました。
  安田はなぜか熱心に猿の干し肉を田村に食べさせようとしますが、田村はすっかり歯が悪くなって、干し肉を食うことができません。しかし「本人がいいって言ってるんだ。無理に食わすことねえや」という永松に、安田は「バカ、ここに来やがったからには、食わねえとは言わさねえぞ」と、血相を変えて怒り出すのです。
  永松は、粗末な食事を終えたあと、自分のねぐらに田村を誘います。すでに、永松は安田のことを全く信用していないので、寝ている間に大事な銃を取られることを恐れているようなのです。そして、田村が後生大事に抱えてきた手榴弾も、決して安田に見せてはならないと言うのでした。
  しかし、ある日のこと、田村は、言葉巧みに言いくるめられ、安田に手榴弾を取られてしまいました。田村が「返せよ」と言うと、安田はもの凄い顔で銃剣を突きつけて来ます。諦めて「やるよ」と言うと、ニンマリ笑って、そうこなくちゃいけねえ、それにしても永松は最近生意気だ、と猿撃ちに出かけている永松を罵り始める安田です。
  と、その時、銃声が響きました。「やった」と嬉しそうな安田。田村は顔を引きつらせながら走っていきます。すると、目に飛び込んだのは、永松が必死に逃げていく日本兵を銃で狙っている姿だったのです。
  「見たか?」
 「見た」
 「猿を逃がした。今度、いつまた見つかるか分からねえ」
 「猿がお前の目の前にいる」
  しかし、永松は田村を撃ちませんでした。もちろん、最初は、田村が持っていると思った手榴弾を恐れたからですが、むしろ安田をやっつける仲間として選んだのです。
  まずは、物音を立てて、安田に手榴弾を使わせてから、やっつける、という簡単な計画を立てる永松。案の定、安田は手榴弾を投げつけてきて、武器は無くなりました。しかし、歩けないはずの安田は、そのままジャングルに逃げ込んでいったのです。
  しかし、水が無ければ人は生きられません。安田は必ず水場に戻ってくるはずです。そのまま、水場を見渡せる場所に隠れる二人。そして三日が経ちました。何も安田をやらなくても、このままパロンポンに行こうと言う田村に、「安田をやって食糧を作ってから、米さんのところに行こうじゃねえか」と答える永松です。
  と、はるかかなたに煙が一筋立ち昇りました。「狼煙か」と怯える永松に、「いや、野火だ。トウモロコシの殻を焼く煙だそうだ。俺はあそこに行こう」と答える田村。そこに、「おーい」と安田の声が聞こえてきました。仲直りをしよう、と姿を見せる安田。しかし、永松はためらわずに引き金を引いたのです。倒れた安田に駆け寄り、銃剣でバラシはじめる永松。田村は、永松の置いていった銃を手に取り、永松を撃ち殺すのです。
  銃を捨て、手をあげてフラフラと歩き出す田村。
  「あの野火の下には農夫がいる。あそこへ行くのは危険なのは分かっている。でも俺は普通の暮らしをしたい」
どこからか、田村を狙って銃弾が飛んできます。かまわずに歩き続ける田村。そして田村はガックリとレイテの大地に倒れ伏すのでした。

  まるで田村は死んでしまったような終わり方です。しかし、原作は、捕虜として敗戦を迎え、今は精神病院に入っている田村の手記という形を取っています。
  他にも原作と違うところは、原作では田村は「猿」の肉を食っていましたが、映画では、歯が悪いという理由で食っていません。
  もちろん、この映画も、原作も「人肉嗜食」を大きなテーマとしている点に変わりはありませんが、「食べたか」、「食べないか」の扱いの違いから、微妙にスタンスが違っているようです。つまり、原作では、(薄々そうと知りながら)あくまで猿の干し肉という名目であれば食べられるが、あえて殺してまで食べるのはいけないんじゃないかと、田村は感じているようです。しかし映画の方は、もっと根源的なタブーとして、そして生理的な嫌悪感として、あくまで田村は人肉を食べられないようなのです。
  ここに、実際にフィリピン戦線で捕虜になった原作者の大岡昇平と市川崑監督の違い。そして作られた時代の違いが現われているように思えます。
  つまり、大岡昇平にとって、そしてまだ戦争が生々しい時代には、人肉を口に入れてしまうことじたい、どこか「やむを得なかった」という意識があったのではないでしょうか。
  しかし、市川崑監督にとって、そして戦争が少し遠くなった時代においては、それはとても「気持ちの悪い」できごとだったのでしょう。
とは言え、南方戦線から命からがら帰ってきた兵士たちを断罪することもできない話です。だったら死ねば良かったのか、と問われて、そうだ、と答えることのできる人間は、日本のどこにもいないのですから。
  そんな躊躇せざるを得ない気分というか、遠慮が、この映画を少し歯切れの悪いものにしてしまったようです。
  そうはいっても、減量をして臨んだという船越英二の演技は、まさに賞賛に値すると思います。「読む」ことによって伝わるものと、「見る」ことによって伝わるものの違いというか、まさしく、ここレイテの大地に一人の彷徨して苦吟する日本兵がいる、というのを「姿」として見せてくれた船越英二には、本当に圧倒されました。

151010 NHK「私が愛する日本人へ ~ドナルド・キーン 文豪との70年~」感想5 ノーベル賞は谷崎だった!

2015年10月10日 23時00分40秒 | 映画・映像
10月10日(土):  
NHKスペシャル「私が愛する日本人へ ~ドナルド・キーン 文豪との70年~」(午後9時00分~9時58分放映)を見るともなく見ていたが、意外なほど手厚く丁寧に作られていた。文化勲章受章者。録画してるので、もう一度ゆっくり見ようと思う。

【番組ナビゲーター】渡辺謙
【ドラマ出演】川平慈英、篠井英介、斉藤由貴、南野陽子、温水洋一、パトリック・ハーラン、木下隆行、蛭子能収(順不同)ほか


1963年(昭和38年)にドナルドキーンさんは、ノーベル文学賞委員会に1位谷崎潤一郎、2位川端康成、3位三島由紀夫で推薦をしていた。谷崎潤一郎(1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)が、あと少し長く生きていれば、1968年(昭和43年)のノーベル文学賞は川端康成ではなく、谷崎潤一郎が受賞していただろうことを再確認できた。

内容紹介:「日本人と共に生き、共に死にたい――」東日本大震災の直後、日本国籍を取得したアメリカ生まれの日本文学研究者、ドナルド・キーンさん(93歳)。キーンさんは戦後70年に渡って、日本の文学の魅力を世界に伝え続けた。吉田兼好から太宰治や三島由紀夫までを次々と英語に翻訳。キーンさんの功績なしに、日本文学が世界で読まれるようにはならなかったとも言われ、その見識の高さからノーベル文学賞の審査に影響を与えたほどだ。太平洋戦争の最中、敵国・日本の情報分析係として日本語を身につけたキーンさんは、戦場で出会った様々な日本兵の姿から日本人に深い興味を抱いた。そして戦後、文学者となったキーンさんは、幾度となく滞在した日本で、数多くの文豪たちとの交流を重ねながら「日本人とは何者なのか」という壮大な問いを考え続けてきた。番組では、ドラマとドキュメンタリーを交差させながらキーンさんの波乱に満ちた歩みを描き、キーンさんが長い時間をかけてたどり着いた日本人への暖かくて厳しいメッセージを伝えてゆく。

以下に、ドナルド・キーンさんの読書記録を再掲する。

「110冊目 ドナルド・キーン「日本の面影」(NHK人間大学4月-6月;1992) 評価5」
                         2011年12月27日 07時44分34秒 | 一日一冊読書開始
12月26日(月):
130ページ  所要時間:5:35
  著者70歳、コロンビア大学教授。速読どころか、お勉強をしてしまった。著者は先日89歳で、日本に骨を埋める意志で帰化(国籍取得)して、日本人となられた、<日本文学・文学史>の生き字引の碩学ドナルド・キーン大先生。
  非常にわかりやすい説明で、頭にすらすら入ってくる。本の帯文「日本文学のさまざまな流れや作家と作品などの話を中心に、日本人の論理と感性、日本人の伝統文化と現代社会など、キーン教授が愛する「私の日本」を語る。」     
目次:
  第1回 日本と私=最初の出会いは『源氏物語』の翻訳(18歳)。中国語の勉強から日本語へ。1942年、海軍の日本語学校入学、11ヶ月集中授業後、海外で軍務。書類・日記の翻訳。沖縄戦は一番悲劇的体験。京都大学留学(2年間)。
  第2回 「徒然草」の世界―日本人の美意識=随筆は、エッセイとは違い、東洋的な文学。徒然草243段は、ある家の壁に貼ってあった。今川了俊が発見、整理。暗示性(余情)、象徴主義。不規則性、いびつへの嗜好。偶数嫌い、7・5・3が好き。簡素(白木の美)。
  第3回 能と中世文学=京都今熊野社での17歳の義満と11歳の世阿弥の出会いが決定的事件。義満の庇護。舞台装置は影向(ようごう)の松のみ。能の象徴性。シテ(中心人物)、ワキ(観衆のためにシテに質問するだけの人)、ツレ、子方;囃子方(笛、小鼓、大鼓、太鼓)、地謡(誰でもない8人)。能の台本「謡い」は多層的で素晴らしい文章(一番翻訳しにくい)。題材は『平家物語』の悲劇が多い。夢幻能(幽霊)と現在能(現実の人間)。世阿弥の時代の能は今の2倍のスピード。遅くなったのは、徳川時代の権威付けによる。;狂言=太郎冠者(頭のいい召使い)、大名(威張って失敗する人)、女性(全部悪人)、僧侶(エラクない)。面白さは、話の筋と独特の発声法。
  第4回 芭蕉と俳句=芭蕉はキーン氏にとって最高の詩人。俳句は完成した詩型として世界で最も短い。芭蕉の俳句は、発句であって明治の俳句(正岡子規が発明)とは違う。紀行文もよい。非常に翻訳しにくい。俳句は、取り替えのできない言葉を用いるのが鉄則。ユーモア。俳句第二芸術論(桑原武夫)には反対。
  第5回 西鶴の面白さ=中世の憂き世から江戸の浮き世へ。西鶴の一番は「好色物」だが義務教育ではNG。西鶴は写実主義的、近松はロマンティック。「町人物」のテーマは、金持ちになること。「武家物」は失敗。
  第6回 近松と人形浄瑠璃=平安の傀儡子たちは、西アジアの外国人。クグツは外国語。近松は世界的な劇作家、世話物(普通の庶民の悲劇)が断然面白い。『曽根崎心中』の道行き「この世の名残り夜も名残り、死ににゆく身をたとふれば、仇しが原の道の霜、一足づつに消えてゆく、夢の夢こそ哀れなれ」は名文。万国共通でオというのは悲しい音。イは高い音で、むしろ華やか。
  第7回 近代文学1―漱石と鷗外=二葉亭四迷(ロシア語翻訳家)の言文一致は大きい。漱石の「道草」は私小説だが、読むと本当に暗くなるので要注意。
  第8回 近代文学2―谷崎と川端=谷崎は意地の悪いサディスティックな女性が好き。関東大震災で作風が変わる。「細雪」が最高峰。ノーベル賞を受賞すべき作家だった。川端はもともと前衛文学者、一番の傑作は「雪国」だが、何度も書き直している。男性をあまり書けない。キーン先生は谷崎・川端・三島と直接深く付き合っている。
  第9回 近代文学3―太宰と三島=大宰の「斜陽」は20世紀日本文学の最高傑作のひとつ。40歳自殺。太宰と三島の本質は同じ。逆に三島は太宰を毛嫌い、作風が重ならないようにした。最高峰は「金閣寺」、最大の作品は「豊饒の海」四部作。45歳自殺。おそらく神武天皇以来、外国で最も知られてる日本人は三島由紀夫である。それは自決事件のせいではない。
  第10回 日本人の日記から1―子規と一葉=日記文学というジャンルは日本だけ。「更級日記」「成尋阿闍梨母集」、阿仏尼「うたたね」、「とはずがたり」、芭蕉の紀行文。一葉の「たけくらべ」は傑作だが、日記も素晴らしい。23歳死去。子規は短歌・俳句よりも日記が最高にいい、「墨汁一滴」「病しょう六尺」、特に本音は「仰臥漫録」(自殺念慮まで記述)。
  第11回 日本人の日記2―啄木、荷風、有島武郎=啄木は天才だったという他ない。啄木が焼き捨てるように遺言した「ローマ字日記」は鷗外・漱石を凌駕する面白さ・傑作。日記の比較だと「子規は近代人、啄木は現代人」。27歳病死。戦争非協力を貫いた荷風の日記「断腸亭日乗」。有島武郎は学習院で大正天皇のご学友。札幌農学校進学は周囲を驚かせた。有島の日記「観想録」
  第12回 古典と現代―「源氏物語」を中心に=日本文学の際立った特徴①時間的継続性(時代的切れ目がない文学)、②源氏物語の影響力の巨大さex.源氏名。日本料理の席での美的宇宙の創造。手紙の料紙・墨の濃淡・字の形すべてにこだわる。<ますらおぶり>より<たおやめぶり>のほうが強い。
  第13回 日本文学の特質=余情の文学。主観の文学。座の文学。美術との密接な関係。特殊性より普遍性が強い。 
※12月27日(火)に見直して、追加・整理しました。参考になれば、うれしいです。

150926 NHK「映像の世紀第9集『ベトナムの衝撃』」(1995)感想5

2015年09月26日 19時03分26秒 | 映画・映像
9月26日(土):     MLキングとマルコムX 
録画したばかりのNHK「映像の世紀第9集『ベトナムの衝撃』」(1995)を観た。ベトナム戦争の始まりから終わりにかけて1960年代~1975年まで、アメリカの国内・国外(ベトナム)の激しい変化と政治家たる大統領の無能な「あともう一息優勢に元込んでから(戦争を終わらせたい)」という判断の過ちから泥沼化していく様子(旧日本軍部と同じ!)が良く描かれている。

世界大戦や革命のような耳目をそばだてるような派手さはないが、現代社会を考える上で重要な見方・考え方の多くがこの時代に形成されている。黒人差別と公民権運動が、沖縄に対する差別、基地反対闘争と重なって見えた。また2度のワシントン行進のシーンが、8月30日の国会前の12万人のデモと重なって見えた。どんなに強く見えても、負けない権力はないのだ。最後は必ず正当な主張をしている市民側が勝つのだ!We shall overcome!!

印象的だったシーンを思い出すままに列挙すると、
アパルトヘイト(for coloured)、南ベトナム政権成立、南ベトナム解放戦線(ベトコン)、ジョンFケネディ大統領、トンキン湾事件、ベトナム戦争開始、非暴力の黒人差別撤廃運動、公民権運動、MLキング牧師、公民権法成立、ケネディ暗殺、オズワルド、オズワルド暗殺、ジョンソン、北爆、ワシントン行進、ビートルズ、ヒッピー、マルコムX、ストークリー・カーマイケル、ブラックパンサー党、ベトナム反戦運動、We shall overcome、テト攻勢、枯葉剤、ナパーム弾、キング牧師暗殺、暗殺数日前のキング演説、ロバート・ケネディ大統領候補暗殺、アポロ11号による月面着陸、共和党ニクソン大統領就任、保守派サイレント・マジョリティ呼びかけによるベトナム戦争延長、割れるアメリカ社会、学生運動、ウォーターゲート事件によるニクソン退陣、1975年4月30日サイゴン政権陥落、超大国アメリカの敗北、ベトナムの勝利etc

若かった時、60年代後半、差別の激しい北部にキング牧師が乗り込んで、デモ行進中に銃声を聞いてびくりと怯えて首を竦めるシーンと最後の演説のシーンをこの「映像の世紀」で観て、キング牧師の勇気に感動して泣きそうになったことを思い出した。

※キング牧師暗殺(ウィキペディア):1968年4月4日に遊説活動中のテネシー州メンフィスにあるメイソン・テンプルで “en:I've Been to the Mountaintop”(私は山頂に達した)と遊説。(略)
暗殺の前日にキング牧師がおこなった最後の演説の最後の部分は以下のようなものであり、『申命記』32章のモーセを思わせる、自らの死を予見したかのようなその内容は“en:I Have a Dream”と共に有名なものとなった。
…前途に困難な日々が待っています。でも、もうどうでもよいのです。私は山の頂上に登ってきたのだから。皆さんと同じように、私も長生きがしたい。長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいのです。神の意志を実現したいだけです。神は私が山に登るのを許され、私は頂上から約束の地を見たのです。私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。神の再臨の栄光をこの目でみたのですから。

150710 NHK時代劇「風の果て(藤沢周平 作)」(2007)感想5+。待ち切れず録画で最終回を観てしまった。

2015年07月11日 00時19分59秒 | 映画・映像
7月10日(金):
 
 8年前にはまったNHK時代劇「風の果て(藤沢周平 作)」(2007:全8回)が再放送されている。今日はとうとう第7回。政敵杉山忠兵衛(仲村トオル)を殿様の御前で退け、主席家老にまで上り詰めた桑山又左衛門(佐藤浩市主演)に旧友の野瀬市之丞(遠藤憲一)が果たし状を送りつける。潔く一対一で決戦の場に現れる桑山に、満足げに野瀬が正対するところで、To Be Continued…。

 ここまで観ればもう止まらない。昔録画したDVDを探し出して、画質は落ちるが第8話を見続けた。第8話は、藤沢周平の原作と違う独自のものらしいが、どこが違うのかは分からない。でも十分過ぎるほど納得・満足のいく内容だった。そして、引きずらずにさらりと終わった。粋だねー! 佐藤浩市はとっても良い!

 原作の評価も、アマゾンでは上巻4.7、下巻4.9である。やはり、よくできたドラマの原作は必ず傑作なのだ。そして俺の手元には、ブックオフで105円で買った上下巻がある。一方で、2003年のHNK時代劇「蝉しぐれ」(内野聖陽主演)の録画(当然、感想5+!)とブックオフで手に入れた原作がある。この原作もアマゾンで4.7の高評価、かつ東大の先生方もお勧めの傑作である。

 なにか藤沢周平の世界に大きく手招きされているような気分になってきた。

150510日本人はなぜ戦争へと向かったのか第3回「“熱狂”はこうして作られた」感想5 桐生悠々と無恥曽我豪

2015年05月10日 15時33分57秒 | 映画・映像
5月10日(日):

 NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第3回「“熱狂”はこうして作られた」(初回放送:2011年2月27日放送 49分)を観た。現在のNHKでは政策不可能な内容だ。これを放送したのはNHK内にまだ良識が残っている証拠だろう。この番組で、信濃毎日新聞主筆桐生悠々の存在をを再認識できた。

 放送の中で松平定知アナウンサーが「メディアがおかしくなれば、国家は直ぐにおかしくなる」と言っていた。安倍晋三の幇間(たいこもち)、宦官・去勢豚の曽我豪朝日新聞編集委員はぜひこの番組を観て、桐生悠々の姿と格好の悪い汚れた自分を見比べて恥を知れ!そして、朝日新聞を辞めろ!おまえがいるだけで、朝日新聞の読者はどんどん減っていくぞ!

番組HP紹介文:NHKアーカイブスでは、戦後70年のことし、「平和」をテーマにした様々な番組を振り返っている。5月は、2011年放送のNHKスペシャルのシリーズ「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」から、メディアと民衆を見つめた第三回を見る。戦後、「太平洋戦争開戦は日本陸軍の暴走だった」という側面が強調されていたが、日中戦争から対米戦争へ向かった背景には、「世論」が大きく影響を及ぼしていた。満州事変後、「守れ満蒙」と関東軍支持へと舵を切った新聞。戦意高揚の役割を大いに担ったラジオ。メディアが世論を作り、その世論がまたメディアの論調を作っていった。その連鎖を見つめる。//日本が戦争に向かう中、新聞やラジオなどのメディアが果たした役割を徹底解剖。軍とメディアと民衆のトライアングルが、時の政策判断に大きな影響を与えていた。熱狂した「世論」の実体に迫った。
   
※【ウィキペディア】桐生 悠々(きりゅう ゆうゆう、1873年5月20日 - 1941年9月10日)は、石川県出身のジャーナリスト、評論家。本名は政次(まさじ)。明治末から昭和初期にかけて反権力・反軍的な言論(広い意味でのファシズム批判)をくりひろげ、特に信濃毎日新聞主筆時代に書いた社説「関東防空大演習を嗤(わら)ふは、当時にあって日本の都市防空の脆弱性を正確に指摘したことで知られる。

「関東防空大演習を嗤ふ」
1933年(昭和8年)8月11日、折から東京市を中心とした関東一帯で行われた防空演習を批判して、悠々は社説「関東防空大演習を嗤ふ」を執筆する。同文中で悠々は、敵機の空襲があったならば木造家屋の多い東京は焦土化すること、被害規模は関東大震災に及ぶであろうこと、空襲は何度も繰り返されるであろうこと、灯火管制は近代技術の前に意味がないばかりか、パニックを惹起し有害であること等、12年後の日本各都市の惨状をかなり正確に予言した上で、「だから、敵機を関東の空に、帝都の空に迎へ撃つといふことは、我軍の敗北そのものである」「要するに、航空戦は...空撃したものの勝であり空撃されたものの負である」と喝破した。この言説は陸軍の怒りを買い、長野県の在郷軍人で構成された信州郷軍同志会が信濃毎日新聞の不買運動を展開したため、悠々は同9月に再び信濃毎日の退社を強いられた。

【青空文庫】関東防空大演習を嗤う  桐生悠々

 防空演習は、曾て大阪に於ても、行われたことがあるけれども、一昨九日から行われつつある関東防空大演習は、その名の如く、東京付近一帯に亘る関東の空に於て行われ、これに参加した航空機の数も、非常に多く、実に大規模のものであった。そしてこの演習は、AKを通して、全国に放送されたから、東京市民は固よりのこと、国民は挙げて、若しもこれが実戦であったならば、その損害の甚大にして、しかもその惨状の言語に絶したことを、予想し、痛感したであろう。というよりも、こうした実戦が、将来決してあってはならないこと、またあらしめてはならないことを痛感したであろう。と同時に、私たちは、将来かかる実戦のあり得ないこと、従ってかかる架空的なる演習を行っても、実際には、さほど役立たないだろうことを想像するものである。

 将来若し敵機を、帝都の空に迎えて、撃つようなことがあったならば、それこそ人心阻喪の結果、我は或は、敵に対して和を求むるべく余儀なくされないだろうか。何ぜなら、此時に当り我機の総動員によって、敵機を迎え撃っても、一切の敵機を射落すこと能わず、その中の二、三のものは、自然に、我機の攻撃を免れて、帝都の上空に来り、爆弾を投下するだろうからである。そしてこの討ち漏らされた敵機の爆弾投下こそは、木造家屋の多い東京市をして、一挙に、焼土たらしめるだろうからである。如何に冷静なれ、沈着なれと言い聞かせても、また平生如何に訓練されていても、まさかの時には、恐怖の本能は如何ともすること能わず、逃げ惑う市民の狼狽目に見るが如く、投下された爆弾が火災を起す以外に、各所に火を失し、そこに阿鼻叫喚の一大修羅場を演じ、関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだろうとも、想像されるからである。しかも、こうした空撃は幾たびも繰返えされる可能性がある。

 だから、敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我軍の敗北そのものである。この危険以前に於て、我機は、途中これを迎え撃って、これを射落すか、またはこれを撃退しなければならない。戦時通信の、そして無電の、しかく発達したる今日、敵機の襲来は、早くも我軍の探知し得るところだろう。これを探知し得れば、その機を逸せず、我機は途中に、或は日本海岸に、或は太平洋沿岸に、これを迎え撃って、断じて敵を我領土の上空に出現せしめてはならない。与えられた敵国の機の航路は、既に定まっている。従ってこれに対する防禦も、また既に定められていなければならない。この場合、たとい幾つかの航路があるにしても、その航路も略予定されているから、これに対して水を漏らさぬ防禦方法を講じ、敵機をして、断じて我領土に入らしめてはならない。

 こうした作戦計画の下に行われるべき防空演習でなければ、如何にそれが大規模のものであり、また如何に屡しばしばそれが行われても、実戦には、何等の役にも立たないだろう。帝都の上空に於て、敵機を迎え撃つが如き、作戦計画は、最初からこれを予定するならば滑稽であり、やむを得ずして、これを行うならば、勝敗の運命を決すべき最終の戦争を想定するものであらねばならない。壮観は壮観なりと雖も、要するにそれは一のパッペット・ショーに過ぎない。特にそれが夜襲であるならば、消灯しこれに備うるが如きは、却って、人をして狼狽せしむるのみである。科学の進歩は、これを滑稽化せねばやまないだろう。何ぜなら、今日の科学は、機の翔空速度と風向と風速とを計算し、如何なる方向に向って出発すれば、幾時間にして、如何なる緯度の上空に達し得るかを精知し得るが故に、ロボットがこれを操縦していても、予定の空点に於て寧ろ精確に爆弾を投下し得るだろうからである。この場合、徒らに消灯して、却って市民の狼狽を増大するが如きは、滑稽でなくて何であろう。

 特に、曾ても私たちが、本紙「夢の国」欄に於て紹介したるが如く、近代的科学の驚異は、赤外線をも戦争に利用しなければやまないだろう。この赤外線を利用すれば、如何に暗きところに、また如何なるところに隠れていようとも、明に敵軍隊の所在地を知り得るが故に、これを撃破することは容易であるだろう。こうした観点からも、市民の、市街の消灯は、完全に一の滑稽である。要するに、航空戦は、ヨーロッパ戦争に於て、ツェペリンのロンドン空撃が示した如く、空撃したものの勝であり空撃されたものの敗である。だから、この空撃に先だって、これを撃退すること、これが防空戦の第一義でなくてはならない。

↓現在の幇間・去勢豚メディアの恥知らずども↓ 絶対に赦さない!

150416 小林正樹監督「切腹」(1962)感想4+

2015年04月17日 01時52分56秒 | 映画・映像
4月16日(木):
 
NHKBS映画「切腹」(1962)を観た。仲代達矢VS三國連太郎・丹波哲郎。

 寛永年間、井伊家江戸上屋敷で起こった牢人の「切腹するから庭先を貸してくれ」に対する井伊家家老の軽率な厳しさがもたらした悲劇。切腹の美名と家名の誉れに隠された実体。途中少しだれたが、全体として良かった。
 特に、仲代達也が50年も前の若い時から、今と同じ重厚老成した演技をしていたことに一番びっくりした。他の丹波哲郎や三國連太郎はすごく若かったのに、とても対照的だった。

監督 小林正樹/脚本 橋本忍/原作 滝口康彦/出演者 仲代達矢・石浜朗・岩下志麻・丹波哲郎・三國連太郎

あらすじ[編集]ウィキペディア

1630年(寛永7年)5月13日、井伊家の江戸屋敷を安芸広島福島家元家臣、津雲半四郎と名乗る老浪人が訪ねてきた。半四郎は井伊家の家老である斎藤勘解由に「仕官もままならず生活も苦しいので、このまま生き恥を晒すよりは武士らしく、潔く切腹したい。ついては屋敷の庭先を借りたい」と申し出た。これは当時、江戸市中に満ち溢れた食い詰め浪人によって横行していたゆすりの手法であった。このような浪人が訪れるようになった原因は、ある藩で切腹志願の浪人の覚悟を認められ仕官が適ったという前例があったからであり、それがうわさとなり他の浪人達も同じ手を使って職を求めてくるようになったという経緯がある。当然諸藩はこれらの浪人を皆召し抱えることは出来ない。以後処置に困り、切腹志願者に対しては職を与えるのではなく表向き武士の覚悟を評価するという名目で褒賞として金銭を渡すことで引き取ってもらっていた。藩は実際に切腹する気はないことは十分承知していたが、武士の情けを示したのである。しかしながらこのような浪人の出現がたび重なり藩としても対処に苦難するようになった。温情を掛けることが結果として、切腹志願の浪人を招きよせるという構図が出来上がってしまったのである。

勘解由はこの悪循環を断つべく、先日、同じように申し出てきた千々岩求女という若い浪人を庭先で本当に切腹させるという挙に出た。ただし世間の倫理的批判を躱すために切腹志願者に対して、礼を尽くした対応をする必要があると考え、求女を入浴させ、衣服まで与えた。その際求女に対し、一旦仕官が適いそうなそぶりをし希望を抱かせ、そのあと切腹に至らせるという念の云った陰険さを示した。切腹に際し求女はいったん家に帰り戻り切腹することを申し出たが、勘解由はそれを逃げ口実と解し許さず直ちに切腹を命じた。実は求女には病気の妻子がおり、最後の別れを告げようとしていたのである。ここに至っては求女は武士の意地を通すために切腹する覚悟を決めた。だがもともと切腹する心積もり気はなかったので、腹を召す脇差を準備していなかった。千々岩求女は武士の魂である刀でさえ質草に出さねばならぬほど困窮し、携えていたのは竹光であった。しかしながら勘解由はその事実を知りながら冷酷に竹光での詰め腹を切らせたのである。だがこの判断は世間からの倫理的な批判を招きかねない危険な処置でもあり、部下からも諌められたが耳を貸さずあえて断行してしまった。結果としてこの判断の誤りが事を複雑にこじらせる原因となった。切れぬ竹光を腹に突き悶え苦しむ求女に介錯人の沢潟彦九郎は無慈悲にも首を落とす時間を故意に遅らせ死に至るまで壮絶な苦痛を与えた。勘解由の意を汲んで、藩士においてサディスティックな心理を共有する雰囲気が醸成されてしまったのである。

だがそのことに勘解由は良心の呵責を感じ、自分がした酷な判断を多少なりとも悔いていた。それゆえに今回は「勇武の家風できこえた井伊家はゆすりたかりに屈することはない」からと、そのいきさつを語り聞かせて思いとどまらせようとした。だが半四郎は動じず、千々岩求女の同類では決してなく本当に腹を切る覚悟であると決意のほどを述べた。こちらの温情を受け入れない頑なな態度に勘解由は腹を立て、同じ過ちを繰り返すことになることを知りながら配下の者に切腹の準備を命じた。実は半四郎は求女の育ての親でありかつ娘の婿であり、求女が冷酷にも詰め腹を切らされたことに遺恨を持っていたのである。半四朗にとって求女の帰宅の嘆願を拒絶したことは、勘解由がその場では事情を知る由もなかったため致し方なくもあると考えたが、竹光での切腹の強要については断じて許すことのできないものであった。

いざ切腹の時となり、半四郎は介錯人に井伊家中の沢潟彦九郎、矢崎隼人、川辺右馬介を名指しで希望した。しかしその三名は奇怪なことに揃って病欠であった。介錯は誰か他の者にという勘解由に、半四郎は、この切腹の背景となった衝撃的な事実を語りはじめた。三名は実は求女を死に追いやった者たちであり、それを知った剣の達人の半四郎によって復讐として髷を切り落とされていたのであった。武士にとって不覚にも髷を切られるのは万死に値し死を以て恥を雪がねばならないが、卑劣にも三名は命を惜しみ髷が生え揃うまで仮病を偽り出仕しないつもりであった。その経緯を知ると勘解由は井伊家の恥が世間に広まることを恐れ、部下に半四郎を取りこめ斬り捨てるように命じた。情け容赦もなく浪人の求女を竹光で切腹させ、かつ家臣が不覚にも髷を落とされたことが世間に知られれば、譜代といえども幕府よりおとがめを受けずにはいられないことを勘解由は知っていたからである。しかしながら半四郎は剣の達人であり、返り討ちに遭い多数の死傷者を出すに至った。結局半四郎は討ち死にしたが、上記の病欠の三名については、沢潟は切腹して果て、他の二人は勘解由によって拝死を受け、返り討ちによる傷者は手厚い治療を受けた。そして公儀には半四郎は見事切腹したとし、死者は病死として報告された。管理職の勘解由にとって最優先すべきことは組織(藩)の存続であり、武士道は建前に過ぎなかったのである。だが勘解由の処置は結果的に適切で、井伊家の名誉は守られ、武勇は以前にもまして江戸中に響き、老中よりも賞讃の言葉を賜ったのであった。


150322 「接続(접속)ザ・コンタクト」(1997)の録画を久しぶりに観た。感想5

2015年03月23日 00時18分09秒 | 映画・映像
3月22日(日):

今、I.W.ハーパーでかなり酔っている。酔ったついでに

 韓国映画の「接続(접속)ザ・コンタクト」(1997)の録画を久しぶりに観ている。昔、ハングン・マルの勉強をしていた時を思い出す。この映画と「八月のクリスマス」が俺の韓国のイメージの原点だ。激情もあるが人の良さ、繊細で優しい奥行きのある世界だ。いずれもハン・ソッキュが出ている。韓国は、こんなに素敵な映画をつくる国なのだ。Kポップは理解できないが、韓国の俳優はとっても良質で良い。「接続」では特にヒロインのチョン・ドヨンが可愛くてとっても良いのだ。韓国語を勉強していた当時、この映画を見ながら、俺にとって韓国は本当に素敵なあこがれの国だった。

 今の日韓のぎすぎすした関係は悲し過ぎる。理屈ではなくて、素朴な感覚で今の状況が残念でならない。Kポップ以外では、安っぽいドラマが何の説明もなく垂れ流されている。それを支えるべき背景としての隣国への敬意・憧憬が存在しない。このちぐはぐな状況は何なんだ!

 本来、最も近い感性を持ち、理解し合える国同士が一緒になれない状態は異常だ!これは理屈じゃない!

 パク・クネは嫌いだが、安倍晋三はもっともっと最低だ。俺の根っこには韓国に対する強い強い憧れと親愛の情がある。韓国は、日本にとってどこの国よりも本当に心の底から信頼し合える仲間の国になれる国だ。その国といがみ合っているとは情けなくて涙が出る。ネトウヨの馬鹿ども、それと同レベルの安倍晋三の低能は本当に悲しいほどのクズだ。

 オモニ・ハッキョでの素敵な人たちとの出会い、韓国外国語大学校と高麗大学の自費で語学研修に行った日々が懐かしい。そして、映画「風の丘を越えて(ソピョンジェ)」「八月のクリスマス」「接続」「春の日は過ぎゆく(ポム・ナルン・カンダ)」、ドラマ「冬のソナタ」が俺の韓国への思いを形作っている。

 チクショウ! なぜこんなに素敵な信頼できる国と仲良くできないんだ! 今の日本の政府は、日本近代史上最低の政府だ!その自覚がないのが、本当に最低だ。従軍慰安婦をはじめ、特攻隊として死んでいった朝鮮の若者たちの無念も含めて、日本は誠心誠意謝罪すればいい。歴史教育で事実を事実として認めればよい。それが正しいことなのだ。韓国と日本が真に信頼によって良好な関係を結べることを心から望む。

150315 ETV特集「冷戦終結 首脳たちの交渉~ゴルバチョフが語る舞台裏~」(150314)感想5

2015年03月15日 14時32分44秒 | 映画・映像
3月15日(日):
      
 ウクライナ東部で激化する紛争をめぐってアメリカ・EUとプーチンのロシアとの対立に「冷静な話し合いによる解決を求める」手紙を、元ソ連共産党書記長・大統領のゴルバチョフが、オバマ、プーチン双方に送っていたことを紹介して、そこから四半世紀前ゴルバチョフとアメリカ、ヨーロッパ首脳たちとのひざ詰めによる信頼関係の深化・構築を通して東西冷戦体制が、各国首脳の意志と英知によって終わらせられていった過程について振り返る内容だった。

 当時、東西陣営には賢明な判断と決断を自らの意志でできる指導者たちがいたのだ。こんな大きな事業をできる政治家たちがいた欧米に対して、自国民である沖縄の人々を凌辱し、辺野古基地移転を強行しようとする知恵も品性もない今の日本政治屋の状況と比べてため息が出た。古代ギリシャの哲学者プラトンは『知識がない人間の統治は不正義』と言ったそうだが、いまの日本は救いようのない不正義の中であえいでいるのだ。

 そして、もう一つ、東西冷戦体制崩壊以後の旧西側(現EU)勢力が、ロシアに切迫している状況が実感をもって確認された。アメリカ・EUの側からではなく、ロシアの側からこの情勢の変化を見ればいかに強い危機感を持たざるを得ないか。ワルシャワ条約機構は解体したが、NATOは今もって拡大強化されているのだ。そして、ロシアと国境を接するウクライナは2014年にNATO加盟を目指していたのだ。

 ロシアが圧力をかけつつ実施された住民投票を口実にクリミア半島のロシア領併合を強行したことは、肯定されるべきではないし、厳しい対立を生んだのは当然だが、この番組を観て、やはりロシアの側からの言い分を一切無視して一方的に非難するだけでは何事も解決は不可能だろうと思った。オバマとプーチンは、この一年半以上直接会っていない。

※番組HPから:世界を巻き込む東西対立を引き起こしたウクライナ危機から1年。ことし2月には、ドイツ、フランス、ロシア、ウクライナの4か国首脳が集まり、ウクライナ東部での停戦合意が結ばれた。しかし、その後も親ロシア派とウクライナ政府の衝突が起きるなど、予断を許さない状況が続いている。
この危機が起きる前に、ロシア・プーチン大統領とアメリカ・オバマ大統領に警告の手紙を出した人物がいた。元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフである。両首脳に、ウクライナに平和が戻るように断固とした行動を求めていた。
ことし84歳のゴルバチョフをモスクワに訪ねた。「いま新たな境界線が生まれていることを私は懸念している。私たちが歩んできた道、それは壁をなくすことだったはずだ」
ゴルバチョフは、東西の首脳たちが交渉によって冷戦を終結へと導いた時代を、いまこそ見つめ直してほしいと語る。
米ソの止まらない軍拡競争で核戦争の危機が世界をおおう中、米ソ首脳はどのように核軍縮の交渉を進めたのか。冷戦の対立の最前線だった東西ドイツ、その再統一をどのように実現させたのか。数々の危機を打開した生々しい交渉のやりとりが、ゴルバチョフをはじめ当時の政府高官たちの証言から明かされる。
さらに、米ソのある会談の発言記録から、いまのウクライナ危機にもつながる東西の禍根も浮かび上がった。
冷戦の対立を終わらせた首脳たちの交渉。その舞台裏に迫りながら、21世紀の危機打開の手がかりを探る。

【再放送】2015年3月21日(土)午前0時00分※金曜日深夜

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)