シャンソン歌手

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シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY 天国のパパ歌手になれて有難う

2014年03月14日 03時24分08秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY 天国のパパ歌手になれて有難う

現在 私は 58才ですけれど
我が父の写真を 見て 命日に父を思う時の気持ちは
18才位です。

父は八人男だけの兄弟の三男として生まれたのに
戦争で 上二人が亡くなり 長男になり
下の弟たちを 全員大学を出すまで
家長として 育て
私が生まれた時は まだ 叔父さんたちが我が家に
住んでいました。

男兄弟というのは 壮絶な喧嘩をするものなんだなー
という 記憶があります。
一人づつ 叔父さん達が 我が家から自立して行き
静かな女所帯なったものの
結構 お正月や 法要の度に 取っ組み合いの喧嘩もありました。

というわけで
父は 母に 女の子以外は生むなー と
もし 男を産んだら 許さないぞー と
それで 
私と 妹が 偶然に 女の子で 母は 安心したそうです。

私が父に 相当に可愛がられたというのは 三歳までで
その 頃のことは
記憶になくて 写真やら 話として聞いただけです。
物心ついてからは 怒られてばかりで
それも 溺愛ゆえかもしれませんが・・・・

頭が悪いとか 人生をナメテルとか 
顔もスタイルもたいしたことないから 努力しろとか
滝にでも打たれて精神を鍛えろとか
銀行員か 公務員と結婚しろ とか
音楽家と絵描と スポーツマン にだけは なるな とか

ずーっと父は 私に言い続けていたのに
いう事を聞かないと 直ぐ「勘当だー」と騒ぎ
とうとう ちゃっかり 勘当されて しまった私です。

その後
藝大大学院に受かったら
「おまえさん 自費留学は駄目だぞ。
奨学金試験受けて 受かって留学して 帰国したら
大学の先生になれ」と
もう その頃は
私には 
芸術信奉者の第一番目の亭主がいたのに(後に離婚しますが)
奨学生として住んでいたベルギーに
父が 仕送りしてくれましたよ。

私は 我が父に背いて 勘当されて 自由に生きたのに
それでも 父は ここかしこで 私を助けてくれて
いたなー

父の会社の跡継ぎになった後も
怒られっぱなして
父が他界するまでの 一年半
私が泣くほど 私の欠点とアラさがしをし続けて
壮絶な 罵倒の連続・・・・

仕事が 間に合わなかったら 徹夜しろ
目的達成のためには
三時間より 余計寝るなー とも 言われたなー
ゴルフの練習は 寝ないでするものだぞー
ビジネスやるなら 音楽は捨てろー

なかなか 父の言われたことは 守れなかったけれど
かなりのラインで セーフ的に 寝ないで頑張り続けました。
店では 余興で毎夜歌っていたけれど 舞台は中止。
ハードボイルド 徹夜連続。

死ぬ間際に 父は
「 俺のDNA そのものだ」みたいな
事を 皆に言っているのを聞いたり
「玲子は 俺に似ている」とか
言っていました。

確かに 今の私は 妹からも パパにそっくり・・・と
言われます。
亡き母にも よく そう言われていました。
私は 父の女版 ミニチュアらしいです。

舞台活動は七年間 父の忠言通り 止めていましたけれど
再び シャンソンの舞台を開始するとき
お墓参りして 父に
「経済低迷 私の社長としての実力不足で 資金が足りないの。
会社の従業員のボーナス払うために また歌うね。
その収益で 会社の人たちに払うから 舞台で歌う事を
許してね。パパ ごめんね」1999年のこと。

今の私は シャンソン歌手のみの人生。パパ ありがとう。
パパが 成ってはいけないという音楽家人生よ。とても幸せ。
天国で 許してくれてたのね。感謝しています。