10月14日(火) 天気:晴れ 一時 曇り 室温:22.1℃
きょうは 歴史教室へ行ってきました。 旭陽公民館が 改修中のため 福井総合センターで
行われます。 今月は 姫路地名研究会の田中 早春先生の ”地名の残る災害地名” です。
公民館だより10月号には
私達が居住する網干地区は 比較的災害の少ない場所ですが 油断は大敵です。 なぜなら
播磨灘に近く 大津茂川や 揖保川末端の砂州上に 生まれた土地ですから 当然 昔から 洪水
災害に 悩まされてきました。 そういう危険な所には 注意を促すための 危険地名を つけていま
すが 地名に関心の薄い最近では 先人の意思が活かされていません。
一度 見直してみたいと思います。 地名研究会 田中 早春

地名に残る災害地名
1】災害の起こる元は 地震と大雨でしょうか
・最近 災害の頻度が高くなったような気がします
・豪雨は洪水を起こし 山の崩壊に拍車をかけます
・記憶に新しい 8月の豪雨災害です
広島の土砂災害や 御嶽山の火山噴火災害などがあり 今回の災害地名は いいタイミングでした。
災害の起きる場所の地名には 字、小字に それが 隠されていることが 多い。
最近は ○○町○○番地しか使わないので そういうことが 分からなくなっている。
昔 地震、津波、土砂崩れ、洪水などの災害が 起きたと分かっていれば 誰も そこには 住まない・・。
地名研究は 学問にもなっていないし 最近は すたれる傾向にある。
地名研究が 災害の対策に 活かされれば いいのですが・・・。
2】広島市安佐という地名の由来を 探りましょう
・被災地 安佐は 安北(あきた)郡と 佐東郡の合成地名でした
姫路の合成地名は 例えば 御国野町は 御着+国分寺+深志野 です。
・被災地の旧名 八木 蛇楽地(じゃらくじ)悪谷(あしだに)は 崩落地名の一つです
過去に 災害の記録はないが ある人は 江戸時代の絵馬に 武者が 龍と戦っている絵があり
大昔には 水害があったことを 知っていた。
※10月30日の新聞に 関連記事が載っていたので 一番下に 追記します。
蛇は 鉄にまつわる地名で 佐柳(さらぎ)も 鉄にまつわる地名です。
落地は おろち で 蛇につながり おちじ は 崩落を意味する。
上郡町の落地や 一宮町抜山も 似たような意味がある。
・浄楽寺(じょうらくじ)が誕生します
・悪谷は 芦谷へと 変化しました
・蛇の地名解釈は 水と鉄に関係する地名です
・落地は 大蛇とも書きます

3】兵庫県 丹波市 市島町の土砂災害と勅使地名
・もと 氷上郡に属した市島町は 合併後 丹波市となりました
竹田川沿いにあり 川が西に曲がったところに 勅使がある。
・勅使地名の由来は 朝廷への献金説です(南北朝のころ)

4】姫路市の市川沿いの勅旨は 河川決壊地名です
・花田町 勅旨は ちょくし と読みます・・これは 詔(みことのり)
・地名の由来は 勅旨田の名残説など 13軒の謎です
花田村史には 国分寺や 書写山への道であったので 宿があった?
『姫路市史』は 永享4(1432)年8月 洪水、9月 地震、書写・増位・ 国分寺の堂塔多く倒壊す。
勅使大納言基秀が 状況を視察に訪れ 数日 増位山に逗留した。
宿にされたのは 増位山内と 記述が見える。 洪水で 軟弱になった地盤に・・・・
・丁の瓢塚古墳の旧名は ちょうし塚古墳でした・・語源は 倒し、 千葉県の 銚子も。
瓢塚古墳は 壇上山古墳についで 姫路市内では 二番目に大きい前方後円墳です。

5】和久の過去にあった災害地名です
・和久山山麓の神功皇后の 「船繋ぎ岩」 の伝説は 地震によるものでした
岩は 8000年前?の地震で 山から落ちてきた。
・土地の落差から生まれた 水音地名の数々を 紹介しましょう
水が ちょろちょろ流れる・・室津から馬場へ抜ける道に長老ヶ谷があります。
これは ちょろがたに と読みます。
・百町と書いて なぜ どどまち(北山田)と言うのでしょう
10×10=100 で とど、 圭ノ上は とどのうえ と読みます。

6】明治以降 大津茂川の洪水記録です
・大津茂川の歴史です
*明治以降 記録に残るだけでも 明治17年、29、32年、大正元年、7年、
昭和29年、昭和51年9月 台風17号による集中豪雨が 原因
・大津茂川の洪水地名 花見田 について
・花見田の場所は 大津茂川と 西汐入川が合流する辺り
・花見田の解釈は 花と見田が元のようです・・・花見田は 元御屋敷跡? お花見?
花は 端、鼻、 見田は 水田を表します。 深田も みた と読む。

朝日山の麓にある 「船繋ぎ岩」 を見て 東へ。 大津茂川に突き当たると 千日橋。
西汐入川が 大津茂川に合流する所に 花見田橋があり ここから 西汐入川を 遡ると
清水橋、家久田橋、前田橋・・。 川は 北へ曲がりますが 東の県道421号線に出ると
瓢塚古墳があります。 古墳を見て 朝日谷橋を渡って 帰りました。

7】網干区新在家の湿地地名 大泓(おおぶけ)について
・大泓の田が 水に漬かった、電車が動かない(昭和51年)
・川が 大きくカーブする場所で 洪水が起こります

※10月30日の新聞に 8月の広島市の土砂災害の関連記事が 載っていました。
8月に 広島市で 土砂災害が起きる前 現場の土地について 「土石流が繰り返し起きた不安定な
地盤」 と 認定した裁判があった。 訴えていた男性も 今回の土石流で 死亡した。
死亡した男性は 広島市の工事で 雨が降るたびに 地面から水が出てきて 地盤が沈下し 家が
傾いたので 市の責任と 市を訴えた。 これに対し 市は 背後の山から続く谷筋の末端にあり
土石流の堆積物がたまった不安定な地盤で もともと地盤沈下が 起こりやすい地盤と主張。
つまり 市は 土石流が 繰り返されてきた土地の性質を認識していて 住民に知らせていなかった・・。

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きょうは 歴史教室へ行ってきました。 旭陽公民館が 改修中のため 福井総合センターで
行われます。 今月は 姫路地名研究会の田中 早春先生の ”地名の残る災害地名” です。
公民館だより10月号には
私達が居住する網干地区は 比較的災害の少ない場所ですが 油断は大敵です。 なぜなら
播磨灘に近く 大津茂川や 揖保川末端の砂州上に 生まれた土地ですから 当然 昔から 洪水
災害に 悩まされてきました。 そういう危険な所には 注意を促すための 危険地名を つけていま
すが 地名に関心の薄い最近では 先人の意思が活かされていません。
一度 見直してみたいと思います。 地名研究会 田中 早春


地名に残る災害地名
1】災害の起こる元は 地震と大雨でしょうか
・最近 災害の頻度が高くなったような気がします
・豪雨は洪水を起こし 山の崩壊に拍車をかけます
・記憶に新しい 8月の豪雨災害です
広島の土砂災害や 御嶽山の火山噴火災害などがあり 今回の災害地名は いいタイミングでした。
災害の起きる場所の地名には 字、小字に それが 隠されていることが 多い。
最近は ○○町○○番地しか使わないので そういうことが 分からなくなっている。
昔 地震、津波、土砂崩れ、洪水などの災害が 起きたと分かっていれば 誰も そこには 住まない・・。
地名研究は 学問にもなっていないし 最近は すたれる傾向にある。
地名研究が 災害の対策に 活かされれば いいのですが・・・。
2】広島市安佐という地名の由来を 探りましょう
・被災地 安佐は 安北(あきた)郡と 佐東郡の合成地名でした
姫路の合成地名は 例えば 御国野町は 御着+国分寺+深志野 です。
・被災地の旧名 八木 蛇楽地(じゃらくじ)悪谷(あしだに)は 崩落地名の一つです
過去に 災害の記録はないが ある人は 江戸時代の絵馬に 武者が 龍と戦っている絵があり
大昔には 水害があったことを 知っていた。
※10月30日の新聞に 関連記事が載っていたので 一番下に 追記します。
蛇は 鉄にまつわる地名で 佐柳(さらぎ)も 鉄にまつわる地名です。
落地は おろち で 蛇につながり おちじ は 崩落を意味する。
上郡町の落地や 一宮町抜山も 似たような意味がある。
・浄楽寺(じょうらくじ)が誕生します
・悪谷は 芦谷へと 変化しました
・蛇の地名解釈は 水と鉄に関係する地名です
・落地は 大蛇とも書きます


3】兵庫県 丹波市 市島町の土砂災害と勅使地名
・もと 氷上郡に属した市島町は 合併後 丹波市となりました
竹田川沿いにあり 川が西に曲がったところに 勅使がある。
・勅使地名の由来は 朝廷への献金説です(南北朝のころ)



4】姫路市の市川沿いの勅旨は 河川決壊地名です
・花田町 勅旨は ちょくし と読みます・・これは 詔(みことのり)
・地名の由来は 勅旨田の名残説など 13軒の謎です
花田村史には 国分寺や 書写山への道であったので 宿があった?
『姫路市史』は 永享4(1432)年8月 洪水、9月 地震、書写・増位・ 国分寺の堂塔多く倒壊す。
勅使大納言基秀が 状況を視察に訪れ 数日 増位山に逗留した。
宿にされたのは 増位山内と 記述が見える。 洪水で 軟弱になった地盤に・・・・
・丁の瓢塚古墳の旧名は ちょうし塚古墳でした・・語源は 倒し、 千葉県の 銚子も。
瓢塚古墳は 壇上山古墳についで 姫路市内では 二番目に大きい前方後円墳です。



5】和久の過去にあった災害地名です
・和久山山麓の神功皇后の 「船繋ぎ岩」 の伝説は 地震によるものでした
岩は 8000年前?の地震で 山から落ちてきた。
・土地の落差から生まれた 水音地名の数々を 紹介しましょう
水が ちょろちょろ流れる・・室津から馬場へ抜ける道に長老ヶ谷があります。
これは ちょろがたに と読みます。
・百町と書いて なぜ どどまち(北山田)と言うのでしょう
10×10=100 で とど、 圭ノ上は とどのうえ と読みます。



6】明治以降 大津茂川の洪水記録です
・大津茂川の歴史です
*明治以降 記録に残るだけでも 明治17年、29、32年、大正元年、7年、
昭和29年、昭和51年9月 台風17号による集中豪雨が 原因
・大津茂川の洪水地名 花見田 について
・花見田の場所は 大津茂川と 西汐入川が合流する辺り
・花見田の解釈は 花と見田が元のようです・・・花見田は 元御屋敷跡? お花見?
花は 端、鼻、 見田は 水田を表します。 深田も みた と読む。



朝日山の麓にある 「船繋ぎ岩」 を見て 東へ。 大津茂川に突き当たると 千日橋。
西汐入川が 大津茂川に合流する所に 花見田橋があり ここから 西汐入川を 遡ると
清水橋、家久田橋、前田橋・・。 川は 北へ曲がりますが 東の県道421号線に出ると
瓢塚古墳があります。 古墳を見て 朝日谷橋を渡って 帰りました。



7】網干区新在家の湿地地名 大泓(おおぶけ)について
・大泓の田が 水に漬かった、電車が動かない(昭和51年)
・川が 大きくカーブする場所で 洪水が起こります


※10月30日の新聞に 8月の広島市の土砂災害の関連記事が 載っていました。
8月に 広島市で 土砂災害が起きる前 現場の土地について 「土石流が繰り返し起きた不安定な
地盤」 と 認定した裁判があった。 訴えていた男性も 今回の土石流で 死亡した。
死亡した男性は 広島市の工事で 雨が降るたびに 地面から水が出てきて 地盤が沈下し 家が
傾いたので 市の責任と 市を訴えた。 これに対し 市は 背後の山から続く谷筋の末端にあり
土石流の堆積物がたまった不安定な地盤で もともと地盤沈下が 起こりやすい地盤と主張。
つまり 市は 土石流が 繰り返されてきた土地の性質を認識していて 住民に知らせていなかった・・。

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