私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
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歴史教室9月 「大名の格式と参勤交代」

2022-09-20 15:06:55 | 歴史探索
 9月20日(火)    天気:晴れ    室温:27.7℃

 きょうは、公民館の9月度の歴史教室に 出席しました。 今月は、元城郭研究室長の中川
秀昭さんの 「大名の格式と参勤交代」 です。 きょうは 台風一過 爽やかな日よりでした。
 9月の ”公民館だより” には、 歴史教室より お誘い! として
 江戸時代徳川政権は、江戸と国元を 原則 一年交代で 往復する参勤交代を 義務付けるとと
もに、江戸城登城の際には、官位(朝廷から与えられる官職と位階) のほか、「殿席」とい
う登城の際の 「控えの間」 により 大名の家格を厳格に 類別し、厳しく 大名統制を行いました。
  大名たちは、このほかにも 様々な統制を受けましたが、中でも その代表格である 「参勤
交代」と 「大名の格式」 について その概要を 紹介します。       中川秀昭
 次の歴史教室も 今回の続きで、「姫路藩の参勤交代・大名行列」の予定だそうです。


 。。。。。。。。。。  「大名の格式と参勤交代」 。。。。。。。。。

1.大名とは
 (1)大名、旗本、御家人の区分
   ・大名:将軍と直接主従関係を結び、1万石以上の領地を与えられた者
   ・旗本:将軍と直接主従関係を結び、1万石未満で 将軍に御目見えできる者
     ※「交代寄合」:領地に居住し 参勤交代を 義務付けられた旗本
   ・御家人:将軍と直接主従関係を結び、1万石未満で 将軍に御目見えできない者
    江戸中期以降:大名約260人、旗本約5200人、御家人約17000~18000人
 (2)大名の区分
   ①親藩、譜代、外様の区分
   ・親藩:徳川家の一門(御三家、御家門)
   ・譜代:関ケ原の戦い以前からの家臣
   ・外様:関ケ原の戦い以降に 徳川氏に従った者
   ②領地の規模などによる区分
   ・国主(国持)、準国主、城主(城持)、城主格、無城(陣屋)
    ※国主(国持)大名は、前田、島津、黒田、伊達、細川など 18家
   ③殿席(でんせき)と 官位による区分
   ・殿席:江戸城本丸御殿で 将軍に 御目見えする際の控えの席
   ・官位:朝廷から与えられた官職と位階(実質的な叙任権は 将軍が掌握)

2.江戸時代の大名統制
  ・参勤交代:諸大名や交代寄合を交代で 江戸に出仕させる制度
  ・証人:大名の妻子を江戸に住まわせる(江戸周辺各所に関所 「入り鉄砲に出女」)
  ・改易(かいえき)・転封(てんぽう)・減封(げんぽう)
  ・縁組・政略
   ・大名の縁組の規制:武家諸法度(元和令・元和元年)・・大名同士の婚姻規制(届け出義務付け)
             武家諸法度(寛永令・・幕府の許可なく勝手に婚姻してはならない
    ※大名が 婚姻を通して 政治的・軍事的同盟を結び、幕府に敵対することを防ぐ 
   ・徳川将軍家と有力外様大名との婚姻(特に伊達家、鍋島家、前田家、浅野家など)


3.参勤交代
 (1)参勤交代とは
   ・参勤とは、もともと 「参覲」と書き、「まみえる」すなわち 「拝謁する」こと
   ・参勤交代とは、大名の服属儀礼であり、参勤しないと 幕府への反逆と解釈された
     ※元和9年、越前北ノ庄 藩主松平忠直が 参勤を怠ったとして 豊後萩原へ配流、隠居。
   ・参勤交代の源流
    ・鎌倉時代:「御恩と奉公」・鎌倉番役、京都大番役
    ・室町時代:守護大名の京・集住、戦国時代:城下集住か 領内から参勤を求めた
    ・豊臣時代:聚楽第で服属した大名に 上洛して 自己に拝謁させる
      ※京に屋敷地を与え、その妻を住まわせる(人質)
   ・徳川家康:慶長8年 江戸幕府を開くと、諸大名の江戸拝謁を歓迎、江戸に来た大名に屋敷地を与えた。
   ・徳川秀忠:家康が 慶長10年 秀忠に将軍を譲り、駿府に隠居。 諸大名は えど・駿府、そして
         西国大名は 大坂城の豊臣秀頼にも それぞれ拝謁
   ・大坂の陣の後(慶長20年):諸大名の江戸参勤が進み、大名の江戸屋敷整備と大名妻子の江戸在住進む。
    ※武家諸法度(元和令・1615):「諸大名参勤作法ノ事」
 (2)参勤交代の制度化
   ①寛永12年:寛永期武家諸法度 3代将軍 徳川家光
     「一、大名・小名在江戸交替定ム所也。 毎歳夏四月中参勤致スベシ。 従者ノ員数近来・・・・
    ※外様大名が対象 例年4月、東西両大名に分かれて 隔年交替で参勤
   ②寛永19年 下命~諸大名へ拡大
    ・諸大名は、当初は 遠国に領地があっても 江戸に詰めていた(常府)。
     寛永19年 5月~9月に 3回に分け、国許に帰り 領内の政務を行うよう下命が下る
     寛永19年 5月~9月に 3回に分け、国許に帰り 領内の政務を行うよう下命が下る
   ③享保の改革による緩和(享保7~15年)
    ・8代将軍 徳川吉宗の代に 「上米制」の実施に呼応し、参勤交代を隔年毎から、半年在府、一年半在国に改めた
   ④文久の改革(文久2年)と迷走
    ・諸大名を4グループに分け、3年に1回の参勤、在府は 最大で 100日、妻子は 帰国に自由に改めた
     ※元治元年 参勤交代制の元通りへの復旧を発令したが、諸大名は あまり従わず
 (3)参勤交代の大名行列
   ・構成(備) 行列は 軍勢の行軍・武威を見せつける軍事パレード
    先払~①前線部隊(鉄砲足軽・弓足軽・長柄足軽)~②本陣(持組・徒組・中小姓・大将・手回り小荷駄・惣供)
       ~③騎馬隊(騎馬の武士とその家来)~④小荷駄(物資輸送)
   ・規模:数十人~数千人  ※夜明けに宿を出立し、夕暮れ頃に到着。 一日に 10里(約40km)
   ・海の参勤交代:西国大名を中心に、陸路ではなく 海上を利用した参勤交代も行われた。
     参勤に使われた船の種類は、関船(御座船)、小早、鯨船、猪牙船、伝馬船、水取船など
   ・参勤交代の人員構成割合:金沢藩(文政10年)
      藩士(家臣)    家臣の奉公人    藩雇用奉公人    宿継人足      合計
     177人(9%)   827人(42%) 689人(35%) 276人(14%) 1969人
    ※「通日雇」:出立から 到着まで 全行程の荷物輸送を請け負った(「六組飛脚問屋」が 差配)

 (4)参勤交代による影響~全国各地と江戸との人的・物的移動
   ・政治都市江戸の発展・・・巨大な人口集中
   ・交通網の発達:五街道・脇海道(脇往還)などの整備
   ◇五街道         行   程        宿場数    関 所
    ・東海道    江戸・日本橋~京都・三条大橋   53次   箱根・新居
    ・日光街道      日本橋~日光        21次    栗橋
    ・奥州街道      日本橋~陸奥白河      27次
    ・中山道      日本橋~津籠~草津      67次   碓井・木曽福島 
    ・甲州街道     日本橋~甲府~下諏訪     43次    小仏
   ※奥州街道は、日本橋~宇都宮まで 日光街道と重複
   ・脇海道(脇往還):西国街道(山陽道)、山陰道、北国街道、羽州街道など
   ・宿場(問屋場・本陣・脇本陣・旅籠)、高札場、渡し(渡船場)などの整備
  

5.大名の格式
 (1)大名の江戸での生活
   ・住居:幕府から下賜された大名屋敷に住む(上・中・下屋敷)
    ※江戸・上屋敷(藩主と妻子等)、中屋敷(世嗣、引退した前半種等)、下屋敷(藩主の別邸)
    ※大名は、17歳になるまで国許に就封することはできなかった
 (2)大名の江戸での用務
   ・登城・御礼(将軍への謁見)、・御礼(権力者の前に出て挨拶すること)
    ・年中行事(年始(正月)、八朔(8月1日)、五節句、嘉祥(6月16日)、玄猪、月次)
    ・参勤御礼(献上品・下賜品)
   ・江戸城所門(36見附)の守衛や防火・辻番
   ・将軍の寛永寺・増上寺参詣などの警護   ・饗応・接待:勅使下向、朝鮮通信使等
   ・将軍の日光社参の随従等
 (3)大名の種別と統制
   ・官位と殿席
    ・官位:官位は朝廷から与えられる
    ・殿席:大名が江戸城 本丸御殿に登城した際の控えの間で、将軍家との関係から
     大廊下、溜之間、大広間、帝鑑之間、柳之間、雁之間、菊之間縁頬(えんきょう)の7つに分けられていた
   ・幕府は、年中行事、参勤御礼等で 大名が 登城し 将軍と謁見する際には、「官位」・「殿席」等の
    家格に応じ、将軍への御目見えする際の座席(礼席)や装束などを厳格に定め、大名を統制した。
   ※大名の殿席別家数(天保6年)
      大廊下  溜之間  大広間  帝鑑之間  柳之間  雁之間   菊之間    計
      10    9   29    63    79   43     33   266
  
   ・年始御礼の装束

  
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