私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

姫路市立公民館の集い

2013-12-17 16:55:41 | 日記
 12月17日(火)  天気:曇り   室温:14.5℃

 きょうは 午前中 公民館の歴史教室に 出席しましたが このとき 公民館の館長さんが 文化センターへ行かれ
不在と言われました。 そうか きょうは 文化センターで 公民館の集いがあるのだ・・・。
 歴史教室のブログは そっちのけで 午後 文化センタ-へ行ってきました。 文化センターでは 展示室で 各公民
館の作品が展示され 大ホールでは 舞台発表があり ハワイアン、舞踊、太極拳、大正琴、合唱などが演じられま
した。 が 行くのが遅かったので 24公民館の作品を ざっと見て 大ホールへ行くと プログラムの31まで ある
中で 既に 26番目の演技中・・。 ほとんどを見ることが 出来ませんでした。 歴史教室を 欠席すれば よかった・・。


~公民館の歩みについて~
 姫路市立公民館は 昭和29年に 太市公民館が 設置され 以後 年々 整備が進み 現在は 地域の特色を
 生かし 地域に根ざした公民館活動を展開しています。
 本年度は 「新たなニーズに対応した 地域に根ざす公民館活動~つどい・まなび・むすぶ公民館を目指しして~」
 をテーマに 誰もが 気軽に立ち寄れる公民館を 目指して 活動しています。 


 作品展示室には 30の公民館の作品が ところ狭しと 展示されています。 残念ながら 旭陽公民館の
作品は 展示されていないようです。 展示場所の関係で これ以上 展示できない? 作品の種類も 多い・・・。


 ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・



 ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・





 大ホールへ行って 舞台発表を見ます。 プログラムの26番 詩舞 古城、稀代の軍師 黒田官兵衛 豊浦公民館
をやっていました。 残念ながら 旭陽公民館は 17番で 太極拳は 既に終わっていました。 プログラムは 31番
までありますが 30番の四郷公民館のハワイアン フラを見て 退席しました。 最後まで見ると 混雑するのでは・・。



 。。。。。。。  。。。。。。。  。。。。。。。  。。。。。。。  。。。。。。。  。。。。。。。  。。。。。。。  。。。。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史教室 12月号 「地名 無所ノ下」

2013-12-17 12:23:17 | 歴史探索
12月17日(火)   天気:曇り   室温:14.1 ℃

 きょうは 公民館の歴史教室へ行きました。 今月は 姫路地名研究会(播磨学研究所) 田中
早春先生の 「地名 無所ノ下」 です。  本来の歴史から 離れていくような・・・。
 きょう 館長さんは 姫路文化センターでの行事に 出席のため 不在でした。 本日の ”無
所ノ下という地名” には 間歩や 六地蔵、春日神社などが出てきて 面白そうなので また 近
いうちに行って 現地調査をしたいと思います。
 ※飾東町 八重畑村の六地蔵へは 2013.12.20 に訪れ、現地調査しました。

”公民館だより12月” の案内には
 市川に架かる小川橋から 北東に道をとり 飾東町八重畑集落にさしかかると 河沿いに 二
組の六地蔵が 背を向けて立っています。 村の中には 秀吉が 掘り進めたという 太閤鉱山跡
があり、その辺の地名を 「銀山」 と言い 鉱山に付きものの 「金池」 も 水を湛え健在です。
 「金池」 の下にある 「無所ノ下」 という地名が 12月の主題ですが、いにしえの過酷な
条件下で 命を落とし この地に 骨を埋めた 鉱山労働者と 二組の六地蔵。これらの因果関係
を ご一緒に 探ってみませんか。 


きょう もらった資料は
    - 無所の下 という地名の話 -

1)無所の下の所在地は 現在の姫路市 飾東町です
 ・飾磨郡の名をとどめる飾東町 八重畑の小字地名です。
   この辺りは 昔は 丹波道の街道で 宿屋もあった・・・。
 ・小川新橋の東詰に お通さんの石像が建っています。
   お通さんは 吉川英治の 「宮本武蔵」 に 登場する架空の人物です。
 
2)八重畑鉱山は どのような鉱山だったのでしょう
 ・かな山八重畑村の記載の書物・絵図を 見てみましょう。
   かな山は 金山ではない。 金山は きんざん と読まれるから。
 ・播磨名所巡覧図絵のことです。・・・播磨国絵図(奈良に 一冊しかない)
   享和三年(1803)に書かれた。 伊能忠敬が 各地をめぐっていたころ。
 ・古所蹟便覧の表記は 飾東郡 八重畑村 銀山 長谷山 です。
   銅山古坑跡(長谷山坑山)の記述がある。 間歩=マフ=坑道
   銀山ですが 銀は出ず 銅、亜鉛、錫などが採れたが 産出量はごく わずか。
   大正の頃 自然に途絶えた。
   近くに もう一つ鉱山があった。・・・有乳山鉱山(有乳山は 北にある岩屋寺の山号)
   岩屋寺には ムカデの絵の提灯がある。・・これは坑道を意味する。

 ※私が 岩屋寺から 有乳山210mに 登ったのは 2011.4.24 のことです。 鉱山跡は?
 ※下の図に 字源図 とあるのは 字限図(あざきりず) の間違いです。 訂正します。


3)鉱毒に苦しんだ八重畑村の歴史を振り返ってみましょう
 ・宝暦2年(1752)の出来事を見てみましょう。・・川の水は 飲み水や田畑に使う。
 ・八重畑川沿いの二組の六地蔵です。
 ・六地蔵と三昧(火葬場・土葬)は セットだと思いますが

4)無所の意味を探ってみましょう
 ・「無所の下」 という地名を訪ねてみました。

5)無所という地名は 火葬場だとか 埋葬地と深くかかわっています
 ・無所というのは 墓所のことです。
   墓所は ムショと読む。(呉音) ムシオ=虫生(土葬にすると 虫がわく)
    土葬は 山に近いところ。 川に近いと 火葬にする。(川に流せる)        
 ・穴ムショは 穴無所と書きます。・・土葬の穴跡
 ・無所と鉱山の話を 紡いでみました。
   江戸時代・・鉱山がなくなり 行き場がなくなる。(無宿者)
   明治時代・・ムショはなくなり 無所の下は残った。

6)市内の墓所の呼び名は 地域で変化しているようです
 ・さまざまな墓所の呼び名を 紹介しましょう。
   一般的には 三昧。 ムショ、ムシオ・・大塩の虫生、穴虫(池)
   砥堀・・ムショガ谷。
   林田町・・祝田(はふりだ)神社。 はふる、ほふる(屠る)は 体を切り裂くという意味?
    たつのの揖西町清水にも 祝田神社があるそうです。 
   的形・・青   淡路島・・五反長(おさ)

 。。。。。  。。。。。。。  。。。。。。。  。。。。。。。  。。。。。。。  。。。。。。。  。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする