私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

的場山 まとばさん 394.2m

2008-11-09 19:36:35 | 山歩き
 11月 9日  天気:曇り やや涼しい  地図:龍野(ほぼ中央)

 きょうは 天気がよくないので どうしようか 迷いましたが 近場の低山を散歩することにしました。
しかし 散歩にしては きつかった。 私の住んでいる 姫路市西部から 周辺を見回すと 南は 瀬戸
内海、西は 御津山脈、北は 新竜アルプスから 書写山、広峰山、東は 桶居山などの山に 囲まれ
ています。 近場の低山は この辺りから探すことになります。 きょうは 『はりま歴史の山ハイキ
ン グ』 (横山晴朗著) の鶏籠山(けいろうざん)、的場山を 歩きました。
 本では 的場山は まとばやま と 振り仮名がありますが 山頂の案内板には まとばさん とあり
ました。  この本は 私には 大変参考になる いい本で ただ単に 山に登るだけではなく 歴史の
一端に触れながら 神社仏閣、城跡などをめぐり 地域のことを 学びながら 好奇心を 旺盛に 働か
せながら 山を歩き それを 記録にまとめることが 私にとって 無上の喜びです。
 ちなみに この本で紹介されている 30コースは 全て踏破しました。 この的場山は 以前
北の亀池・亀山(城山きのやま)から 縦走したことがあり 的場山から 両見坂へ降りたのですが
ほとんど覚えていません。 後年 鶏籠山の頂上で 本の著者の横山さんに お会いすることがで
きました。

 朝 起きたときは 今にも雨が降りそうで 躊躇していましたが 西が やや 明るくなり 雨の
心配が なくなったので 山へ行くことにしました。 丁度 10:00に 出発。 龍野橋を渡り 狭い
市街路を抜け 10:20 龍野公園のグランド脇の駐車場に 駐車。 家から 20分ほどで ドラ
イブには 物足りません。 家からの距離は 10.1km。 グランドの隅で 菊花展をしていたの
で 菊の展示を見ながら 10:25 スタート。

 播磨の小京都と呼ばれる龍野をめぐる 歴史のハイキングです。 街角のあちらこちらに道標が
あるので 道に迷うこともありません。 まず 聚遠亭に 向かいます。 聚遠亭の前に来ると 凄い
人と 犬で 圧倒されました。 何事かと 尋ねると 犬を散歩させながら美化活動をするそうです。
聚遠亭は 前庭からの展望絶景をたたえて 名付けられたもので 江戸時代の数奇屋風の建物
である 池に浮かぶ 浮堂としての茶室と 前庭が 有名だそうですが・・・。   庭の紅葉も展望も
いまいちでした。 10:35 聚遠亭を 後にして 龍野城へ向かいます。

 龍野城は 500年程前 室町時代に 赤松村秀が 城を築いたそうです。 その後 羽柴秀吉に
城を明渡し その後 破却されていたのを 脇坂氏が 再建したそうですが 本格的なお城ではなく
御殿のようなものだった?  当初は 鶏籠山218mの山頂にあったのを 江戸時代に 麓の現位
置に 降ろしたそうです。
 10分足らず歩くと 西の門に出ます。 ここの復元された櫓の白壁は 見事で 背景に 鶏籠山が
あります。 西門から場内に入り 資料館の前から石段を降りて 東の門へ。 この辺りは 石垣も
あり 昔の雰囲気が漂い 一瞬 江戸時代に 戻ることが出来ます。 市街を見下ろすには ちょっと
木立がうるさく 残念ですが 右に 白鷺山のなだらかな裾に 国民宿舎赤とんぼ荘の建物も見え
ます。 そうです! ここ龍野は ”夕焼け小焼けの赤とんぼ” の歌で 有名な三木露風のふるさと
です。

 10:53 北の柵を通り 鶏籠山へ。 鶏籠山は 鳥籠のような形から その名が付いたそうです。
少し歩くと 分岐があり 左は 紅葉谷へ。 ここから 右の荒れた山道へ進みます。 この辺りは
原始林(国有林)で 伐採が 禁じられているのか 太い木が多いが 登山道は荒れて 分かり難く
なっています。 ほとんど崩れた 古い丸太の階段があるので これを 探しながら 登ります。
伐採された小枝が まとめてあるので 整備する人はいるらしい・・・。
 どこかにあった 想像復元図にも描かれているように 南北に長い尾根に 建物が ずらっと並ん
でいたそうで 山頂の本丸跡まで 10段くらいの削平地を越えて登ります。 ほとんど見晴らしは
ありませんが 二の丸跡から 僅かに 東が見えました。 登山口から 30分ほどで 本丸跡に 登頂。
 
 小さい龍野城跡の石碑があり 傍に 1本だけ 紅葉していました。 見るものもないので
右下に 降りると 昔の石畳があり 奥に 石垣も残っています。  北へ降ります。 しばらく
急な所を下ると なだらかになり 右に 新宮の街が見え 左に的場山の鉄塔が見えます。
11:42 両見坂に降りました。

 的場山側に 大きい石燈篭があり そのまま登ります。 ここからの登りは 急です。 段差の
ある丸太階段を登り 前を行く ハイカーのお尻を見ながら ガレた岩の露出部を登り 熟年女
性を横目に シダのジャングルを抜け 20分ほどで 本にある 明るく東の開けた305mピー
クに登りました。 ここに 先行した三人のハイカーが 休んでいました。  小柄な人が 私の
ように 80過ぎると・・・と 言っていたので もう 80歳以上らしいが 元気です。

 この人の家が ここから見えるらしい・・。 直ぐ下の揖保川の東側? 下に 見える金輪山や
愛宕山や 鶴嘴山の話をし 鶴嘴山の奥に見える山は 明神山ですねと言うと ヒルの話になり
最近は 雪彦山にも ヒルがいるという話になり しばらく話し込んでしまい・・。 三人を残し 一人
で 山頂へ向かいます。 ここからは きつい登りはなく 歩きやすい山道を 緩やかに登り 左の
鉄塔を過ぎ 丸太の階段を登り 12:25 的場山に登りました。 山頂には 誰もいません・・。

 山頂から 南の見晴らしが いいが きょうは 曇り空でかすんでいます。 それでも 瀬戸内海に
浮かぶ家島諸島も 小豆島も見えた。 東寄りには 太子町の立岡山や 檀特山、京見山、白毛
山などが見えます。 南西方向には 御津山脈が 見えるが なだらかで 同定し難い。
 この前登った 天下台山も見えていると思ますが・・。 西は 建物があり 見えにくい。  北は
この前来たときより木が 茂り見えにくくなったようです。 亀山と 大倉山の頂が確認できます。
写真を 撮り 12:33 下山。 三人は 登ってきません・・・。

 登ってきた階段を降りて 左に見えていた鉄塔の方へ入ります。 ここに 道標を 設けて欲しいな。
鉄塔の下を 左へ巻くと いい山道が 延びていいました。 なだらかな 桧林は いい道で どんどん歩
けます。 雑木林になると シダが茂り道が 狭くなり 急な下りになります。 次第に 岩が露出し
ガレて 歩きにくくなり・・。 途中 前方が開け 南のたつの市街が 望める所を過ぎ ガレた所を
下っていると 下から アベックが登ってきました。 夫婦だったのか?  山歩き風には 見えなかっ
たが・・。

 急な下りを降りて 分岐を左へ廻ると 野見宿祢(のみすくね)の墓の前に 出ます。 野見宿祢は
相撲の始祖らしい。 扉が閉まって 中を見ることはできません・・。 長ーい階段を降りて 展望台
へ上がったが 展望は よくありません。 鶏籠山も 的場山の鉄塔も見えません。
 階段の下から西へ降ります。 コンクリの階段は 暗く やや急で 丁度 歩幅に合わない段差に
なっていて 転びそう・・。 桧皮用の林を抜け グランドの傍へ降り 13:12 車へ戻りました。
ついでに 南の白鷺山へ登りましょう。

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 きょう(11/13) 野見宿祢について 調べようと WEBを見ていると ”野見宿祢を 追って
のロマンの旅” というページに 行き着き この人のプロフィールを 見ていると 涙が出てきました。
 野見宿祢は 「日本書紀」 に 登場するのかは 分かりませんが 大昔(紀元前23年?) 当麻蹴
速という力自慢の勇士がいて 当時の天皇が これを 負かす者は 居ないのかと言われ 出雲の
国から呼ばれた野見宿祢が 相撲をとり これを負かし 天皇から 土師という姓を与えられた。
 学問の神様と言われる菅原道真の先祖だそうです。 龍野で 病死したとき 人々が ”野に立ち”
並び 川から石を運び 宿祢の墓を造ったことから この地が  ”立野” と呼ばれるようになり
後に ”龍野” になり 宿祢が 地名伝承に係わっているそうです。 いやー いい勉強になりました。
 この人は 難病にかかり 今は 身体障害者で 車椅子生活だそうです。 1935年生まれ。 龍
野市出身で 奈良在住。 そうそう この人の 「ふるさと龍野」のページには 本に書かれている
私が 行かなかった梅玉旅館の片しぼ竹(国指定天然記念物)の写真も ありました。
それから 『播州野歩記』さんの H17.6.12 にも 記録がありました。
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 道路に出て 小さい動物園の臭い匂いをかぎながら 哲学の小径から 童謡の小径を歩き
”月の砂漠” や ”みかんの花咲く丘” のオルゴールを 聞きながら 登ると山頂に出ます。
 四等三角点:日山のある山ですが この辺りは 山というより しらさぎ山公園で 散策する
人も多いようです。 前に来た時 山頂のベンチに 座って 弁当を食べたことを思い出します。
 三角点の写真を撮り 少し下から 東へ回ると 鶏籠山が 目の前に望めます。 南へ進むと
立派な展望台があり らせん階段を上がると 南が一望できます。 写真には 写りませんが
肉眼では 家島諸島が望めます。 
これで 本にある小京都の歴史をめぐるルートを ほぼ 歩いたと思いますが・・・。

 13:50 車に戻り 弁当を食べ 14:05 帰路につきます。 本にある写真を 撮ろ
うと 龍野橋を渡り 左折し 川沿いに東へ行くと すぐ駐車場があり 山が 見渡せますが
少し先の旭橋のところまで行くと 前景に 揖保川の水面が写り いい写真になると思います。
写真を撮って 真直ぐ 家に帰りました。14:40 帰着。
本日の走行距離は 往路10.1km 復路11kmで 計21.1kmでした。
 
 。。。。。。。。 的場山の項 おわり 。。。。。。。。。。。
コメント
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