私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

研修旅行 ( 湖東三山・彦根城 )

2009-10-17 10:41:09 | 旅行
 10月16、17日(金・土)  天気:晴れ 後 曇り 一時雨 後 曇り?

 今回は 山登りでは ありません。 広島発の一泊二日の研修旅行に 参加しました。
一日目は 広島から新大阪まで 新幹線で行き 新大阪から観光バスで 琵琶湖 湖東三
山 金剛林寺・西明寺・百済寺を めぐり 長浜温泉泊。 二日目は 国宝彦根城・玄宮園
へ。 鯉の里で 昼食後 近江八幡水郷めぐりの後 近江の街散策。 バスで 新大阪へ
戻り 新幹線で 広島へ帰ります。 私は 高速千均を利用して 12日の体育の日に 実家
へ帰り 18日 日曜日に こちらへ 帰ってきました。

 16日 廿日市市の実家から JRで 広島駅に行き 姉妹と合流し 三人で 参加します。
受付を 済ませ 8:44の のぞみ118号で 10:15 新大阪へ。 駅前で 観光バスに乗り
替え 10:40 出発。 バスガイドさんは みゆきさんで まだ新人です。  アナウンスに
間違いがないか 要チェックです。 どの道を 走ったか よく分かりませんが 新御堂筋
を 北へ進み 万博公園の太陽の塔?の下を通って 名神高速に 入ったようです。


 バスは 天王山トンネルを通ったのですが ガイドさんは 天王山の歴史的な意味を
ご存じなかったのかな?  11:40 草津PAで 休憩し 八日市ICを 降ります。
この先 どの道を 走ったのか 全く 分からないので 割愛させていただきます。
12:30頃 金剛輪寺前に 到着。 バスを降りて 華楽坊で 精進料理の昼食を 頂き
再び バスに乗り 坂道を登り 参道の少し上から 金剛輪寺の参道へ入ります。

 松峰山金剛輪寺は 聖武天皇の祈祷寺として 行基菩薩が 天平十三年(741)に 開山
された 歴史のあるお寺です。 本尊は 聖観世音菩薩で 行基菩薩作。 湖東三山は いず
れも 天台宗の お寺のようです。 頂いたパンフレットの 「略縁起」 には 詳しく書いてあり
ますが 割愛・・。 参道脇には 赤いよだれかけを 掛けた千体地蔵が 赤い風車を持って
並んでいます。 湖東三山(三寺)は いずれも 紅葉の名所ですが 今の時期 紅葉には
少し早いのが 残念ですが 一部 紅葉を 始めた モミジもあります。
 ここの紅葉は  ”血染めの紅葉” と言われ 行基菩薩が 本尊を刻んでいると 赤い血が
流れたことから ここの鮮やかな紅葉を そのように 言うそうです。


 大きな わらじが下げられた 二天門を 潜って 本堂へ。 団体行動なので 自分勝手に 撮
影場所を 探せない・・・。 現在の本堂 大悲閣は 七百年を越える歴史を 持つ大堂で 鎌倉
期の和様建築物の代表的なものとして 国宝に 指定されています。 中に入って 説明を聞
きますが 何も記憶できません。 本堂内部は 内陣、外陣、後陣に 分かれていて 内陣、
後陣には 多くの仏像があり ひとつ、ふたつ持って帰っても 分からない?
秘仏の本尊・聖観世音菩薩のほかに 阿弥陀如来像、十一面観音像、四天王像・・・。
 本堂の脇には 薄紫のシュウメイギクが 咲いていましたが 華楽坊の脇に咲いていた
白いシュウメイギクとは 色も形も 全然違う花ですが どちらも 秋明菊(キンポウゲ科)だそ
うです。


 寛元四年(1248) 建立の重文・三重塔を見て ガイドさんを 撮りながら 参道を降りて
名勝庭園に 寄りました。 池泉回遊式庭園で 江戸時代に 造られたそうですが ゆっくり
観る時間がありません。 
 14:20 次の西明寺へ向かいます。 場所は 分かりませんが あっという間に 西明
寺に着きました。 距離にして 2km?ほど 北。 名神高速道の上にあります。
 龍応山西明寺は 平安時代の承和元年(834)に 三修上人が 仁明天皇の勅願により
開創された寺院で 薬師如来が本尊。 平安、鎌倉、室町時代を 通じて 祈願道場、修業
道場として栄え 十七の諸堂、三百の僧坊が あったといわれるそうです。
 源頼朝が 戦勝祈願に来たこともある? 織田信長による 焼き討ちに遭うが 本堂、三
重塔、二天門は 難を免れたそうです。


 山門を入った所に ”不断桜” があり 花が 咲き始めていました。 この桜は 11月が
満開だそうです。 本堂は 山の中腹にあり 石段の坂道を 登りますが これが 結構 しん
どい。 モミジが 紅葉していれば 愛でながら 歩けるのですが・・。 脇にある大教大師
尊像や 十一面観音像を 見ながら登ります。 二天門の手前に 杉の大木があり 根元
近くから 二股に分かれ ”夫婦杉” (千年杉)の表示があります。
 その上が 二天門で 仁王さんの代わりに 四天王の持国天と増長天が 守っているので
二天門と言われるそうです。 これは 初めて見ます。 二天王とも 立派な寄木造りの像で
高さは 2m近くあり 院尋インジンの作。 応永14年(1407)の建立で 国の重要文化財。 
やっと 本堂に 辿り着きました。


 本堂は 鎌倉時代の初期 飛騨の匠が建立した純和様建築で 屋根は 桧皮葺きで 
国宝第一号に指定された・・。 本堂に上がり 説明を聞きます。 ここにも たくさんの
仏像があります。 本尊の薬師如来の両側に日光菩薩と月光菩薩像があり どこか
に 運慶?快慶?が 彫った仏像もありました。 光を当てると 顔の表情が 変わります。
 ここは 干支の寺とも 言われるそうで 十二支の干支を 頭に乗せた仏像があります。
暗いので 住職さんが 子、丑、寅と順に 懐中電灯で 照らして 説明してくれます。
 本堂の右に鎌倉時代建立の国宝・三重塔があります。 名勝庭園・蓬莱庭に 寄り
バスに戻ります。  15:20 西明寺を 後にして 百済寺に 向かいます。
湖東三山では 百済寺が 一番  南にあります。


 15:35 百済寺に着きました。 釈迦山百済寺は 推古天皇の時代に聖徳太子の
御願により 百済人のために 創建された古刹で 百済国の龍雲寺を 模して 建てられ
たそうです。 平安末期から 鎌倉室町に至る頃には 壮大な寺院だったようですが
戦火により 多くを焼失した。 本尊は 木造十一面観世音菩薩(秘仏)です。 
 ここも 本堂まで 長い石段の参道がありますが バスで 途中にある駐車場まで 上が
ってくれるので 助かります。 入口で 住職の長い説明を聞いて 表門から 参道を
登ります。 もう 日が落ち始め 薄暗くなってきたので 早く 拝観しないと・・・。


 表門を潜って 参道を上がります。 仁王門を 潜って 本堂にお参りして 説明を聞き
ました。 本堂は 唐破風付入母屋造だそうですが 建築学の知識のない私には 特徴が
よく分かりません。 戦火で 焼失後 慶安三年 本堂、仁王門、山門等が竣工し 現在に
至るそうです。 五重塔を 探したのですが 見当たりません。 現存しない?
 表門を出て 本坊を右に廻ると 立派な庭園があります。 喜見院の庭園は 池泉回遊
式で 山上眺望の見事なパノラマ庭園だそうですが 時間がないので 高台の遠望台に
上がることはできませんでした。 西方には 「比叡の御山」 が 眺望できたらしいのです
が・・・。 庭の奥には 不動岩があり 渓流が流れ落ち 池には 錦鯉が 悠々と泳ぎ・・・。
 湖東三山のお寺では この庭園が 一番良かった。
バスに戻り 16:30 百済寺を 後にして 宿泊する長浜温泉に 向かいます。


 名神高速道に入り 北陸道に廻り 長浜ICで降りて 17:30 琵琶湖・湖畔にある長浜温泉・
長浜ロイヤルホテルに到着。 予定より30分遅れ。 立派なホテルで 5階の部屋に入ると 窓
から黄昏の北の景色が見え 左に 琵琶湖が 右下に 長浜城も見えます。 夕食は7時からなの
で 先に温泉に入りましたが 空腹で 疲れもあり 貧血気味だったのか 一瞬 ふらっとしました。
一命は 取り留めましたが・・。
 7時からの ”竹生の間” での 夕食は 懇親会で ビンゴゲームあり カラオケ大会ありで 9時
まで 楽しく過ごし 皆さん賞品を貰い 満足されたことでしょう。 そうそう 夕食のお膳に ”四方
より 花吹き入れて 鳰(にお)の湖” の一句が 添えてありましたが 誰も 鳰の字が 読めません。
勿論 私も・・。 調べると 鳰は カイツブリのことで 琵琶湖は 昔 鳰の湖(うみ?)と 呼ばれて
いたそうです。 カイツブリは オシドリくらいの大きさの水鳥のようで 滋賀 県の鳥。

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 二日目は 6時半起床、7時から朝食。 和洋中華のバイキングです。 皆さん 朝から よく
食べます。 朝食後 売店で お土産を買い バスに乗り込み 8:45 出発。
 まず 国宝・彦根城へ向かいます。 調べたところ 明治時代以前に 建てられた天守閣で
現在 残っているお城が 全国に 12あるそうで そのうち 姫路城、犬山城、松本城、彦根城
の四つが 国宝です。 彦根城は この前の台風19号で 石垣に 一部 被害を受けたようです
が・・・。 被害は 軽微で 見学するには 何の問題もありません。

 彦根城は 井伊直継、直孝により 約20年の歳月をかけて建設され 元和八年(1622)に
完成。 初代藩主・井伊直政より 14代藩主・井伊直憲に 至るまでの 260年間 国替えや
城攻めがなく 今なお 彦根の象徴として 気高い雄姿を誇ります・・・。 初代藩主・井伊直政
は 関ヶ原の合戦での 大功により 城主となり 18万石を授かった。 彦根城は お城好きの
人には 見所が多く たまらない魅力があるようです。


 9:10 観光協会のある駐車場に到着。 彦根城は 中堀、内堀の二重の堀に囲まれた城郭
ですが その中堀に沿って いろは松の並木道を ガイドさんに 付いて進みます。 道がやや
複雑で 往路と復路で 道が違うので 初めての人は 迷子になりそう・・・。
表門橋を渡り 表坂を登ります。 この辺りには 赤い服のガイドさんが たくさんいますが 観光
案内ボランティア? ここに ”登り石垣” と言われる斜面を登るよう 築かれた 石垣があったら
しいが・・。
彦根城は 石垣にも 特徴があるそうで 湖東の流紋岩が 使われ 石垣の積み方や 使われ方
が 多様で 自然石を そのまま用いる ”野面積み” や 接合面を加工した ”打ち込みハギ”(落
とし込み)といわれる積み方が 使われているそうです。 大きな石の隙間に 小さい石を詰めた
ところも 多く見られました。 北の玄宮園の方へ廻ると 中堀の水面から1mほどの高さに 石垣
を積み 石垣の上に 土塁を盛った ”腰巻き石垣” もありました。


 ループ状に 廻って廊下橋に出て 正面の左右対称に建てられている 天秤櫓(重文)を潜ると
本丸への最後の関門 太鼓門櫓。 これを 潜ると 広場に出て 正面に 天守閣が望めます。
 三層白亜の天守は 400年前の姿を とどめています。 金の飾りが 気になりますが 大きな
屋根が 何層にも重なる複雑な構造です。 屋根の端が合わさって三角になった部分を 「破風
(はふ)」 というそうですが 彦根城は この破風が 多いことも特徴だとか・・。
 最上部に 入り母屋破風があり その下に ウエーブを描いた 「唐カラ破風」 が施してあり これ
は 格式が 高く 神社などに多く 用いられるそうです。  きのうの百済寺の本堂が そうだった?


 天守閣に上がることはできたようですが 止めました。 右の一段高い所が 月見台で 左の
琵琶湖から 北の山並を望む展望台ですが きょうは 雲が厚く 遠くは 望むことができません。
天守閣の左から 石垣の間を 北へ降ります。 


 黒門を抜け 内堀を渡ると玄宮園(名勝)。 西から玄宮園に入りました。 玄宮園は 近江八景
を模して 造られた縮景園で 第四代藩主・井伊直興が造営した 大庭園です。 魚躍沼と言われ
る池に 臨んで 臨池閣や 鳳翔台(茶室)などの建物が設けられ 彦根城を借景とする江戸時代
の大名庭園です。
 西の楽々園は 槻御殿と呼ばれた彦根藩の下屋敷で 大老・井伊直弼(第11代藩主の十四男)
も ここで 生まれたそうで 32歳まで 彦根で過ごしたそうです。
 左に 彦根城の腰巻き石垣を見ながら バスに戻り 10:40 昼食場所の鮎家の郷に向かい
ます。 走っていると バスの窓に 水滴が付き始めました。
 11:30 鮎家の郷に着き 鮎鴨亭で昼食です。 鮎の塩焼きと 鴨の鉄板焼き。 これに マッ
タケごはんがあれば 申し分ないのですが・・。 昼食を終えて バスに乗り込もうとすると 急に
雨が降ってきました。 12:30 出発。 近江八幡・円山水郷めぐりに 向かいます。


 車中で 誰かが ガイドさんに 懺悔しなさい と言っていましたが 懺悔の甲斐があったのか
13:00 水郷めぐりに着くと 雨は 気にならなくなっていました。 二番船に乗ったのですが
お歳を召した船頭さんは 櫓をこぐのも 説明も 上手でした。 櫓をこぐと 6人乗りの小さい船は
左右に 揺れるので 写真を撮るのは 水平度が傾き 大変です。
 アシの茂る水路を進みますが アシも 春に水面で 切り取って 成長する高さを 揃える作業は
大変なようです。 アシは 水を浄化する作用があるそうですが 水路の水は 濁って 深さが 分
かりません。 水鳥や柳の木を見ながら 橋をくぐり 水路の広くなった所から 引き返します。
 前方に 安土城跡の山が 見えるらしいのですが 私には よく分かりません。 水路は 安土城
の近くまで 続いているそうです。
14:10 船を降りて 次の近江八幡の街へ向かいます。 雨は すっかり上がりました。 結局
傘は使わずじまい・・・。 14:30 近江八幡の狭い駐車場に着きましたが 満車です。


 バスを降りて ガイドさんに付いて 北の日牟禮神社へ歩きます。 近江商人の街並みを 歩き
ましたが それほどの情緒はありません。 悪いことに 神社の近くに 行列のできる相談所?が
あり マイシスターズが 並んで オミヤを買うのです。 待ってられないので 独りで 日牟禮神社
にお参りしました。 どっさり 御土産(バームクーヘン?)を買ったので 手に持つと 写真も撮
れません。 トホホ・・・。 姉妹と はぐれそうになりながら なんとかバスに戻りました。


15:40 近江八幡を 後にして 新大阪に戻ります。 16:04 竜王ICから 名神高速に入り
ました。 ガイドさんが 皆さん お疲れでしょうと言って ビデオをかけてくれました。 U2主演の
洋画でしたが 最後のクライマックスシーンというところで 突然 ビデオが切られてしまい お疲
れさまでした 間もなく 新大阪に 到着します・・・。
 いつもは 小学生の修学旅行の相手をしている若いガイドさんも 口の悪い年寄り連中相手で
さぞ お疲れだったことでしょう。 でも 最後に 未熟な私ですが 今度 お会いできるまでに 成
長した 私が 見せられるよう精進しますと 言われ 皆 拍手して お別れしました。 
 バスは 渋滞もなく 17:10 新大阪に到着。 18:09の のぞみ41号に乗り込み 19:38
広島に 着き 今回の研修旅行を 楽しく終えることがでました。 気分転換にもなり いい歴史の
勉強を させていただきました。
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