島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

越前海岸で刺身

2022-05-29 | 

 

ドライブするなら福井県が楽ですと、この日も越前海岸までドライブ。

敦賀から乗った北陸自動車道の杉津Pで休憩、敦賀湾を見ながら芭蕉の句碑もついでに写しました。

   ふるき名の  角鹿(敦賀)や恋し  秋の月 

たいしたことのない句だと思いますが・・・。

 武生の紫式部公園に寄りましたが、お目当ての藤の花はもう終わってました。

残った花は刈ってしまうのか、自然にそうなるのか知りませんが、緑だけの藤棚の下を、二人でとぼとぼ歩きました。

 本当のお目当ては、越前海岸「蟹かに亭」です。

綺麗に改装されて、混んでるかなと思ったら、意外と空いてます。

まあ本来の蟹の季節でもないですし、改装があだになったわけでも無いようですし、刺身はやっぱり美味しかったですし、甘海老の量などは半端ないです。

家内は海鮮丼を頼みましたが、半分も食べきれず、残りをパックに詰めて帰り、夕食はこれを二人で分けて食べて、丁度の量でした。

 

 天皇陵巡りで以前訪れた金ヶ崎城址の麓にある赤レンガ倉庫、ここでジンジャーフレークののったちょっと大人のジンジャーソフトを食べて、満足して帰りました。

       返事

Toitennさん:13人!!?

     どう返事したらいいか、思いつきません! 難しすぎる。

コメント (2)
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106‐3陽光太上天皇妃晴子

2022-05-27 | 天皇陵巡り

 

 勧修寺晴子(カジュウジハルコ)(1553~1620)は1567年に、第106代正親町天皇の唯一の皇子誠仁親王(サネヒト)(1552~1586)に女房として仕え、20年にならない結婚生活の間に、なんと13人の子供をもうけていますし長生きもしました。

  月輪陵制札の後ろから6番目に陽光太上天皇妃晴子墓とありました。

 13人の内半分は夭折していますが、第5王子興意法親王(コウイ)は織田信長の猶子に、第6王子智仁親王(トシヒト)は豊臣秀吉の猶子になった後に初代八条宮を開いています。

夫の誠仁親王は34歳で亡くなり天皇位のつけませんでしたが、晴子の産んだ第1王子和仁親王(カズヒト)が第107代後陽成天皇(1571~1617)(在位1586~1611)になったので、国母として新上東門院の院号を受けて、夫の眠る月輪陵(ツキノワノミササギ)(東山区今熊野泉山町泉涌寺内)に墓がもうけられました。

  門をくぐって陵内に入りましたが、白砂が敷き詰められていて近くには寄れませんでした。

         返事

Toitennさん:30うん年のお勤めで、

    素晴らしい院内報を残されたので、いいんじゃないですか!

    と、私は思ってますが。

花水木さん:鎌倉殿の13人は観ています。

    これからも小栗旬は、優柔不断で優しいふりをして、

    今出演してるほとんどの人を始末していきますよ。

    生き残れるのは小池栄子と山本耕史ぐらいですかね。

 

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106-2正親町天皇皇子陽光太上天皇

2022-05-25 | 天皇陵巡り

 第106代正親町天皇(1517~1593)(在位1557~1586)の第1皇子で。母は万里小路房子(マデノコウジフサコ)(?~1581)の誠仁親王(サネヒト)(1552~1586)は、唯一の男の子であり、母の出もまあ良いので、次の天皇位は確定でした。

でも、父の譲位もままならぬ世であった為に、34歳まで生きたのに天皇位につくことなく亡くなりました。

 

 女房であった勧修寺晴子(カジュウジハルコ)(1553~1620)との間に13人もの子供をもうけ(まあ半分は夭折ですが)、そのうちの第1王子和仁親王(カズヒト)が誠仁親王の父正親町天皇の猶子になった後に第107代後陽成天皇(1571~1617)(在位1586~1611)となりました。

他にも第5王子興意法親王(コウイ)は織田信長の猶子に、第6王子智仁親王(トシヒト)は豊臣秀吉の猶子になっています。

  月輪陵は皇室ゆかりの泉涌寺(センニュウジ)内にあります。

 1586年余りにも突然に亡くなった誠仁親王ですが、遺児である和仁親王が第107代後陽成天皇になったので、実父として誠仁親王は太上天皇の尊号を追贈され、陽光太上天皇(ヨウコウ)となって月輪陵(ツキノワノミササギ)(東山区今熊野泉山町泉涌寺内)に葬られています。

  月輪陵の制札の一番目四条天皇以外は江戸時代の13人の天皇ですが、その次に陽光太上天皇月輪陵が刻まれていました。

 誠仁親王は織田信長が献上した二条新御所に住んでいましたが、本能寺の変(1582年天正10年6月2日)の時には、信長の長男信忠がこの二条新御所に立て籠ったために、誠仁親王一行は禁裏に逃げざるを得なかったという事件も起こっています。

それぐらい、正親町天皇と誠仁親王親子は織豊政権に近いところにいたようです。

  月輪陵の正面の門です。泉涌寺に入るには観光料が要りますが、泉涌寺内の月輪陵だけに行くなら無料で通してくれました。

         返事

Toitennさん:京都の刺身にも慣れてきましたが、

    やっぱり海沿いで食べる刺身は違います。

元商家の嫁さん:鮨富には行きたいですが、予約要がネックかも。

花水木さん:花水木さんのコメントが届いて、

    やっとgooブログ移行を実感しています。

       迷い まあよわれて ジンセイ 

       夢ね 夢よだから 今日も  

       誘い さあそわれたら 何処へでも  アモーレ~です

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又小浜

2022-05-22 | 

 

 久しぶりと言っても1ヶ月ぶりぐらいの小浜までのドライブ。

海を見て、漁港近くの市場でイカを買って、いつもと違う漁港前の店で11時からランチです。

 小浜生まれ?の「元商家の嫁さん」さんが、何軒か小浜の店を推薦してくれたうちの一つです。

ランチで食べたのもイカの丼ぶり、まあ私はイカ好きです。

 刺身定食も食べて、二人で分けましたが、それほどの感激はなかったので、ちょっと残念。

次は別の推薦店に行きます。

 帰って夕食の、買って帰ったイカの刺身やバター焼きのほうが美味かったです。

         返事

Toitennさん:やっぱり、いろんな人としゃべって、

    少し仕事するのが必要なんでしょうね。

和さん:老いは人を弱気にしますね。

    これに打ち勝たなくてはいけないのですが、力がなかなか湧きません。

じょんのびかあさんさん:PCがちゃんとした漢字に変換してくれるので、

    自分の手書きの日記以上に、ブログは綺麗に書ける日記です。

     ほんまもんの鬱には絶対ならない性格だとは思ってますが、

    その性格も年とると変わるかもしれませんね。

大雪男さん:大雪男さんはまだまだ精力的ですよ!

    飽きずに今のペースで「大雪の空」ブログ、続けてくださいね。

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甘味に救われる

2022-05-20 | 日記

 

 島から京都に戻って早6年経ちましたが、その半分ぐらいが新型コロナの時代で、3ヶ月がウクライナ侵攻の時代と、なんか気が重い時代ですね。

 閉鎖されるブログ配信元から、何とか新しいGooブログに移行出来た喜びも、しばらくすると忘れてしまい、なんかブログを続けて行くことさえしんどくなってきています。

更新が少なくなったり、ずっと更新されないまま凍結したような他のブログを見ると、なかなかブログを10年・20年と続けている人も少ないかなあとも思いますし、ふと我に返ると、ブログが無意味に感じられる時も増えてます。

  今の楽しみは、孫Ⅲ-1と大好きな市バスに乗ることですかね。

 

 時々私がおちいる軽いうつ期なんでしょうか、仕事も年齢からくるしんどさが増えて、そろそろもう少し仕事量を減らそうかとも思ってますし、こんな時に転職の話が来たら、ふらふらとまた乗ってしまいそうな気もしてますが、まあ今の私の状態なら、それも無理でしょうね。

  孫Ⅲ-2もこれからしばらくが可愛い盛りの時代、後姿を見てるだけで気分は晴れます。

 

 もうじき74年生きたことになりますが、それでも今何のために生きてるのか、これから何を目標に生きていくのか、迷っています。

迷った時は甘い物です、お墓参りの帰りに行列がなかったのを幸い、祇園辻利で特選パフェを食べました。

最高の味というわけではありませんが、まあ満足。

甘い物は私を救います!

こんな甘い物ですぐに救われるぐらいの、私の人生は気楽な人生かも知れません。

同じくブログネタに困っても、甘い物の話です、甘い物はこのブログも救ってますかね?

 

 

 

コメント (4)
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