番外編高瀬川で枚数稼ぎの寄り道をしてる間に、NHKのブラタモリ「東海道57次」(11月2・3・4日)で紹介されてしまった✖三条大橋に、いよいよと言うかやっと私も到着です。
三条大橋の周囲には、昔はなかったいろんな物が出来ていました。
橋の北西には、タモリさんたちもこの前で説明していた石柱と、高札場(コウサツバ)があったことを示す案内板が有りました。
鴨川の橋橋は、ここ数年で耐震化工事がなされていたせいか、三条大橋の欄干の木はまだ真新しいです。(欄干の手すりは高欄(コウラン)と言うそうですが、市内産みやこ杣木(ソマギ)が使われてます)
向こうの山は大文字山です。
三条大橋が歴史に登場するのは室町時代ですが、1590年豊臣秀吉命令で石製の橋脚に改修、日本初の石柱橋なりました。(ブラタモリで説明済み)。
江戸時代には幕府が維持管理してましたが、鴨川にしばしば水害が発生したのか、35回も改修工事がなされたようです。
現在の橋は1950年(私は2歳)に建設されたそうですが、写真の擬宝珠(ギボシ)は昔の物がそのまま使われて今に至っています。(擬宝珠にはブラタモリでも言ってた豊臣の名の他にも。池田屋騒動で付いたと言われてる刀傷も残ってるそうですし、木材部分の埋め木にはハート型もあるようなので、ここに来られた時は探してください)
橋の南西角には、いつの頃からか十辺舎一九作東海道中膝栗毛の主人公弥次喜多像が建っていました。
東京の日本橋にも、こんな弥次喜多像は有るんでしょうか?
写真は桜の頃に撮ったものですが、奥にある山が比叡山です。
弥次喜多像の少し南に昔からある「珉珉」。
私の高校時代に高校の近くに出来た「王将」は、その後大きく全国区になりましたが、私にとって餃子と言えばこの「珉珉」です。
ここの餃子は皮の厚みが私にぴったりですし、この餃子以外にジンギスカンかモヤシ炒めにライスが私の豪華定番定食でした。
夢は酢豚や焼き飯も追加だったんですが、その頃は金が続きませんでした。
三条大橋(三条口)を左から右に(西から東へ)渡って、いよいよ東海道53次が始まります。(と言っても最初の大津宿までも行きませんが)