「あんたの子やで」であることを証明するために、産屋に火を付けたコノハナサクヤヒメは、無事に3人の子を産みましたので、ニニギノミコトも観念して認知したのでしょうね。
この3人の御子は、火照命(ホデリノミコト)・火須勢理命(ホスセリノミコト)と、火遠理命(ホヲリノミコト)、別名天津日高日子穂手見命(アマツヒダカヒコホホデミノミコト)です。
この最後の末弟ホヲリノミコトが、漢字は色々な書き方ですが、今回の主人公です。
こんな三人の名前を聞いてもピンときませんでしょう。
でも、兄のホデリノミコトが海幸彦で、末弟のホヲリノミコトが山幸彦のことだと言ったら、皆さんにも「ああそうか」と言ってもらえると思います。
今回のホヲリノミコトを祀る鹿児島神宮にも参りました。
小学校の学潔?ナも見たような気がする、浦島太郎の話ともちょっと混同してしまう、「海幸山幸」の物語。
兄のホデリノミコト(海幸彦)の使う大事な釣り針と、自分の使う許薰謔闡ヨえてもらった弟のホヲリノミコト(山幸彦)は、魚も釣れず、その釣り針さえ魚にとられてしまいました。
どう頼んでも許されず、自分の釣り針を返せと、兄に迫られたホヲリノミコトが泣き悲しんでいる時、塩椎神(シホツチノカミ)から綿津見の神の宮殿に行くように薦められ、そこで海神(ワタツミ)の娘豊玉姫(トヨタマヒメ)と上手に結婚し、3年間幸せに暮らしました。
私でも島で10年以上楽しく暮らしましたが、ホヲリノミコトは3年経つと、結婚生活に飽きたのか、故郷が恋しくなったのか、なくした釣り針を鯛の喉から見つけてもらい、地上に帰ってしまいました。
地上では、お土産に貰った玉で、兄のホデリノミコト(海幸彦)を何度も懲らしめ、隼人(ハヤトビト)として家来にしてしまいました。
その後、海に残してきたトヨタマヒメが、海原でホヲリノミコトの御子を産むのは良くないと、地上まで訪ねてきて、渚に鵜の羽根で葺いた産殿を作り産もうとしましたが、まだ出来あがらないうちに産気づき、ホヲリノミコトに「決してお産の姿を見ないでください」と言って産殿にこもり、御子を産みました。
見るなと言われたら見たくなるもので、ホヲリノミコトが産殿を覗いてみると、妻は恐ろしいワニの姿に変わっていたそうで、ワニ姿を見られたタマヨリヒメは恥ずかしがって生まれ故郷に帰ってしまいました。
ちなみに私は、万一妻がワニだったら、そのまま徳島に帰ってしまうのが悲しいので、お産には3回とも立ち合いませんでした。
ここの陵印は前回の可愛山陵で、神代三陵合わせてもらっています。
ホヲリノミコト、すなわちヒコホホデミノミコトは580年間高千穂の宮にいて、その陵は高千穂の山の西にあります。
鹿児島空港の近くにある高屋山上陵(タカヤノヤマノエノミササギ)には、2008年の奈留島からの鹿児島旅行で、フークも一緒に行っています。
二人が陵に参拝してる間、不安げに待ってるフークの姿が懐かしいです。
返事
花水木さん:元旦祭というのは、
京都は日教組が強かったのか、全く知りませんでした。
大雪男さん:山村総は「ただいま11人」で、
私はこちらの方を観ていました。