島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

菜の花

2017-01-28 | 京都から
 
 琵琶湖大橋の東岸にあるなぎさ公園、正月早々の新聞にもう菜の花が咲いてるとの写真があったので、雪の降った次の日の朝に行ってみました。
  
 比良連峰の雪山と琵琶湖と菜の花、この写真以上になかなか絵になる風景でした。
  
 これは福江島の魚津ヶ崎の菜の花畑、ここは3月頃が見頃だったような気がします。
背景が海か湖かの違いもありますかね。
  
 植えてる菜の花の種類も違うのでしょうか、琵琶湖の菜の花は12月から咲いてるようで、花もしっかりして大きいような感じです。
  
 京都の春はまだまだ、寒い日が続いていますが、だいぶ慣れてきました。

    返事
花水木さん:次男さんの専門が古事記と聞いて、冷や汗ものです。
     あまり嘘が書いてあったら、訂正お願いいたします。
コメント (2)
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神代三陵0≠P0鵜葺草葺不合命

2017-01-24 | 天皇陵巡り
 
 ホヲリノミコト(山幸彦)とワニだった海神の娘トヨタマヒメとの間に産まれたのが、今回の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒダカヒコナギサタケウガヤフキアヘズノミコト)です。
 母のトヨタマヒメは、お産のワニ姿を見られたので、海に帰ってしまいましたが、産まれた子のことを心配して、乳母役として妹の玉依昆売(タマヨリヒメ)を地上に寄こしました。
 ワニの妹ですからタマヨリヒメもワニでしょうね。
でも、ウガヤフキアヘズノミコトは子守役で自分の叔母でもあるワニと結婚して(英国のチャールズ皇太子も子守役と結婚しましたね)、4人の子供までもうけました。
この4人の末弟が初代神武天皇ですので、神武天皇の血の四分の一はワニになってるのですが、あまりそのことを言う人はいませんね。

 この神代三陵の最後ウガヤフキアヘズノミコトの陵は、鹿児島県大隅半島にある吾平山上陵(アヒラノヤマノエノミササギ)で、神宮は宮崎県の鵜戸神宮ですが、これは維新後、薩摩の輩が無理矢理鹿児島県内に陵を持ってきたようで、実際は宮崎県にあるほうが納得します。
 ここにも五島列島を離れる昨年4月末に寄り道して訪れる予定でしたが、出発1週間前に熊本大地震が起こり行けなくなりましたので、今回は陵印の写真のみになりました。
 天皇陵巡り終了までには行って報告する予定ですが、完全ではなく1ヶ所だけ欠けてるのも、また良いかなあとも思っています。

    返事
花水木さん:元々猫背でャPットに手を入れて歩く私、
    初老になって、その姿ますますみじめになっています。
コメント (1)
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京都は連日の雪

2017-01-21 | 京都から
 
 1月16日月曜日、15日に続き連日積雪がありましたが、15日が15㎝なら月曜日は5㎝ぐらいでした。
 
 月曜日は自転車で出勤ですが、歩道の雪が残っていて滑りそうなので、この日は地下鉄で出勤しました。
 今出川駅を降りて、相国寺境内を抜けて診療所まで歩きます。
 
   
  相国寺の雪景色は、水墨画の世界。
 
 昼に帰る頃には雪は少し融けだしていましたが、枝に積もった雪が風に乗って舞っていました。
 少しもち直した天気も、週末から又寒くなってきてます。
先週にUNIQLOで買ってもらった極暖のHEATTECH、人生68年で初めてのパッチですが、めちゃくちゃ快適ですね。

     返事
花水木さん:駄文を延々と書き続けて、
    やめようとしないのは、確かにツラの皮が厚いのかも。
和さん:ひげは出ませんが、ほうれいせんが出てしまいましたか。
コメント (1)
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京都の雪

2017-01-18 | 京都から
 
 1月15日日曜日、寒波襲来とのことでしたが、朝起きると15㎝の積雪。
 
 2時間後、雪も融けだし、日もさしてきました。
 
 時々行く宝ヶ池への散歩道、最近は北の方の病院にも自転車で行き出したので、そこへ行く道でもありますが、今日は信州のスキー場周辺の道になっていました。
 
 宝ヶ池も雪景色、比叡山の山頂もわずかに見えてきました。
それでもここはうれしそうに散歩する人や、自転車で走る人もいます。
 
 ベンチに積もった新雪に、思わず顔を押し付けて、雪のマスクを作りましたが、この写真では本当に私か福山雅治か判りませんね。
 
 その日は、都道府県対抗女子駅伝、折り返し点ではもう茨城県の選手・コーチが待っていましたが、開催決定はまだとのことでした。
 
 駅伝は始まりましたが、途中からは吹雪の中、それでも道路の除雪は完璧。
折り返し点も、朝とは違って雪が激しく舞っていました。
 最後はさされそうになった京都が振りきって、めでたしめでたしを炬燵で観戦。
  
 最近の女子スメ[ツ選手は可愛い人が多いですが、このタスキを渡そうとしてる千葉の選手は、アイドルにしてもいけそうなぐらいのかわいらしさでしたので、今後が楽しみです。

   返事 
花水木さん:「心へこむことなど見ずに通り過ぎてしまいたいです」
    との花水木さんのコメント、私も年とればとるほど、そういう気持ちになっています。
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神代三陵0≠X彦火火出見尊

2017-01-13 | 天皇陵巡り
 
 「あんたの子やで」であることを証明するために、産屋に火を付けたコノハナサクヤヒメは、無事に3人の子を産みましたので、ニニギノミコトも観念して認知したのでしょうね。
 この3人の御子は、火照命(ホデリノミコト)・火須勢理命(ホスセリノミコト)と、火遠理命(ホヲリノミコト)、別名天津日高日子穂手見命(アマツヒダカヒコホホデミノミコト)です。
この最後の末弟ホヲリノミコトが、漢字は色々な書き方ですが、今回の主人公です。
  
 こんな三人の名前を聞いてもピンときませんでしょう。
でも、兄のホデリノミコトが海幸彦で、末弟のホヲリノミコトが山幸彦のことだと言ったら、皆さんにも「ああそうか」と言ってもらえると思います。
 今回のホヲリノミコトを祀る鹿児島神宮にも参りました。
   
 小学校の学潔?ナも見たような気がする、浦島太郎の話ともちょっと混同してしまう、「海幸山幸」の物語。
 兄のホデリノミコト(海幸彦)の使う大事な釣り針と、自分の使う許薰謔闡ヨえてもらった弟のホヲリノミコト(山幸彦)は、魚も釣れず、その釣り針さえ魚にとられてしまいました。
どう頼んでも許されず、自分の釣り針を返せと、兄に迫られたホヲリノミコトが泣き悲しんでいる時、塩椎神(シホツチノカミ)から綿津見の神の宮殿に行くように薦められ、そこで海神(ワタツミ)の娘豊玉姫(トヨタマヒメ)と上手に結婚し、3年間幸せに暮らしました。
 私でも島で10年以上楽しく暮らしましたが、ホヲリノミコトは3年経つと、結婚生活に飽きたのか、故郷が恋しくなったのか、なくした釣り針を鯛の喉から見つけてもらい、地上に帰ってしまいました。
地上では、お土産に貰った玉で、兄のホデリノミコト(海幸彦)を何度も懲らしめ、隼人(ハヤトビト)として家来にしてしまいました。
  
 その後、海に残してきたトヨタマヒメが、海原でホヲリノミコトの御子を産むのは良くないと、地上まで訪ねてきて、渚に鵜の羽根で葺いた産殿を作り産もうとしましたが、まだ出来あがらないうちに産気づき、ホヲリノミコトに「決してお産の姿を見ないでください」と言って産殿にこもり、御子を産みました。
   
 見るなと言われたら見たくなるもので、ホヲリノミコトが産殿を覗いてみると、妻は恐ろしいワニの姿に変わっていたそうで、ワニ姿を見られたタマヨリヒメは恥ずかしがって生まれ故郷に帰ってしまいました。
 ちなみに私は、万一妻がワニだったら、そのまま徳島に帰ってしまうのが悲しいので、お産には3回とも立ち合いませんでした。
 ここの陵印は前回の可愛山陵で、神代三陵合わせてもらっています。
  
 ホヲリノミコト、すなわちヒコホホデミノミコトは580年間高千穂の宮にいて、その陵は高千穂の山の西にあります。
 鹿児島空港の近くにある高屋山上陵(タカヤノヤマノエノミササギ)には、2008年の奈留島からの鹿児島旅行で、フークも一緒に行っています。
 二人が陵に参拝してる間、不安げに待ってるフークの姿が懐かしいです。

    返事

花水木さん:元旦祭というのは、
    京都は日教組が強かったのか、全く知りませんでした。
大雪男さん:山村総は「ただいま11人」で、
    私はこちらの方を観ていました。
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