島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

旧和中散本舗

2023-05-28 | 

 私の大学時代の同級生と田舎の小学校で同級生だった男、大学時代に私も数回会ったぐらいですが、確か毎日放送のディレクターをしていたと思います。

 滋賀県で悠々自適の生活だと思いますが、FACEBOOKで東海道や中山道の紹介を、羨ましくなるような綺麗な地図や写真と共に紹介しています。

私は最近、そのFACEBOOKの熱心な読者になって、地図や本文を印刷して、いつか彼のように歩きたいと思っています。

 先日もFACEBOOKで彼が紹介していた、東海道の草津宿と石部宿の間に有る旧和中散本舗の大角家住宅、いつもよく行ってる草津のショッピングセンターにも近いので、早速行ってみました。

 是斎屋大角家(ゼサイヤオオスミケ)の売薬「和中散」、徳川家康がこの近くで腹痛を起こした時に、勧められて服用した薬ですが、たちまち快癒したので有名になったそうです。

 写真は、二人が後ろの大きな車輪の中に入って、鼠のように歩いて回し、歯車に取り付けられた白い石臼が回転し、薬草を粉にすると言う仕掛けです。

店の外からも見えるようにしたデモンストレーションが、旅人たちの人気になってたようです。

 春・秋の特別公開(500円)で数日だけ開いている重要文化財大角家住宅ですが、普段は今も大角家の人が住んでいますので、町内会で配ったような安っぽいよくある「大角何々」の表札もかかっていました。

 ボランティアの案内人が見せてくれた「東海道名所図会 梅の木」の絵と比べても、屋根こそ今は瓦葺きですが、ほぼ昔のままで、向かいの細長い馬を留め置くような駐車(馬)場や地蔵堂風の建物もそのまま残っていますし、向かいは大角家の分家さんの家らしいです。

 (尚いろんな情報は、熱心に説明してくれたボランティアさんと、意外と大阪のおばさん風の大角家の奥さんから得ています。)

 店の中にあった大きな賽銭箱?、ではなくて金庫だそうで、売り上げのお金をこれにほり込んでいた、その頃のレジスターだそうです。

 是斎屋の屋号は、グンゼ(郡是)の「是」と同じなので、何かいわれが有るのかと大阪のおばさん風大角家奥さんに聞いてみたら、創業した初代の名前が大角是斎だったとのことで、平凡でした。

 しかし和中散の商標も是斎屋の屋号も、どんどん真似する人が出てきたので(今なら違法)、本家としては平仮名で「わちゅうさん」として、写真の看板にも「本元家梅木村元祖」として掲げていたそうです。

 東海道53次など街道の宿と宿の間には、立場(タテバ)と言われる休憩所が有ったそうで、ここは元々「梅の木立場」でした。

 和中散本舗は店の隣に座敷を増築して、「梅の木小休み本陣」としたそうで、店の横手の切妻造りの四脚門から入った玄関には、立派な欄間の彫刻が目につきます。

 玄関前に有った立派な石碑、今まさに私が天皇陵巡りで掲載しようとしてる第122代明治天皇・その養母英照皇太后・その皇后昭憲皇太后の名が有りました。

 明治天皇東京遷都の時の行列がここ東海道を進みましたし、その時も休憩し、以後も何度かこの本陣で休まれたそうです。(汽車などない頃です)

 シーボルトも長崎から江戸に出府する時ここに寄り、薬を参考資料として貰ったり、植物採集も依頼したそうです。

 これら偉い人が休む10畳の上段之間は、そこから見える写真左の手向山を借景にしたカキツバタが咲く庭が良く見えるように、又住人の目線から外れるように、母屋の建物から少しだけ角度をつけてマニアックに建てられているとの説明も有りました。

 すごい事には、ここに1ヵ月ほど宿泊した曾我蕭白が、上段の間入り口の襖絵を書いています。

戦前までは普通に、生活の場のここにあったようですが、さすがに今は保管庫に保存されているそうですが、表の方の松は写真パネルでもさすが蕭白!立派ですね。1億円でも買えないでしょうね(売らないでしょうね)。

 上段之間の棚の襖絵は、生活の場所なのに、蕭白の実物がそのまま不用心にも置いてありました。

またまた登場の大阪のおばちゃん風の奥さんは、昔はよくこの棚のふすまを開けていましたよ、と簡単そうに今にも開けてくれそうな雰囲気だったので、びくびくしました。

 スターバックスのスタバにあやかったのか、昔の休憩所であった「立場」から名付けたのか、「たてば珈琲」の店まで出てました。1杯400円。

 国指定史跡で重要文化財でもある旧和中散本舗大角家住宅の店先の、昔の絵にも描かれてた茶釜を見ながら、赤い毛氈の上に座って、これまた横で売っていた栗東あられ(1袋350円)をつまみながら、あっさりした「たてば珈琲」を飲みました。

 重要文化財の中でこんなことも許される、おおらかな史跡です。

目の前の旧東海道は、緩くカーブを描いていて、ゆっくりなら車がすれ違えるぐらいの道幅です。

 小雨が降ってきた、昼前の栗東市六地蔵からお伝えしました。

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北の庄城址・柴田公園

2023-05-26 | 

 芦原温泉で美味しい朝食後、二日目は車で30分ほどの福井市内に寄りました。

恐竜の絵が描かれてる福井駅の傍、福井の町の中に有る北の庄城址は、一度行きたかったので、親切なおじさんのいる駐車場に車を停めて見学。

 ビルの谷間に有る小さな北の庄城址公園・柴田公園、発掘され整備されて石垣の跡も地下に有りました。

北の庄城が落城したあと、徳川家康の次男結城秀康がここを吸収して福井城を築いています。

 横の柴田神社で祭神にもなってる柴田勝家(1523?~1583)、この像がよく出てきて有名です。

 勝家の像の横には、勝家と共に死んだお市の方と、お市の方と前夫浅井長政の間の子である三姉妹(茶々・初・江)の像も有りました。

 織田信長の家臣では、秀吉よりはるかに上にいた勝家、しかしてっぺんにたつ力量は無かったのですかね。

まあずるがしこい秀吉よりも、パワハラはしそうですが馬鹿正直な勝家を、私は憎めませんので、この場所を訪れてみました。

 帰りには賤ケ岳の戦いの勝家繫がりで、高速の賤ケ岳SAで、ミニソースカツ丼とおろし蕎麦のセットを二人で分けて食べました。

分けて食べてる割には、この旅行から帰ったら、人生初の体重70㎏台に突入していました。

 帰って間に合ったオークスも、絶対と思ってた3連単2点買いも入らず、しばらく競馬と甘い物は控えた方が良いですかね。

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三国祭見学後

2023-05-24 | 

 三国神社に集合した山車が動き出すのは13時ごろ、せっかく祭見学に来てるくせに、それまで待てない私はゆっくり帰り支度です。

 屋台で「けずりイチゴ」(500円)を初めて買って、少し祭りの人波から外れた公園で二人で食べましたが、私でも少し甘すぎました。

 お腹も減ったので、祭り見物はこれで終了。

皆とは逆方向のえちぜん鉄道に乗って、一駅先の三国港駅に向かい、以前行った店とは違う店で昼ごはんです。

 焼き魚定食と、

 刺身盛り合わせを、二人で分けて丁度良し。

10種類あった刺身は、美味しかったです。

 九頭竜川河口の三国港を、ぼーっと少し散歩。

 再びえちぜん鉄道に乗って、宿の芦原温泉を目指します。

無人駅が多いえちぜん鉄道ですが、若い女の車掌さんが乗っていて、車内で切符を切ってくれました。

2枚複写のこんな紙切符も、懐かしいですね。

 車窓からは、田植えを終わったばかりの田んぼが半分、麦秋の麦畑が半分。

 あわら湯の町駅前の公園には、福井県のいろんな場所に出没してる、白衣の恐竜がいました。

後ろのややレトロな建物が、1億円で10年前に作ったと宿で聞いた足湯です。

 公園内のキッチンカーで買った、スムージーとバナナクレープを食べながら、結構熱い足湯につかりました。もちろん混浴です。

 芦原温泉の「芦」とかけて「芦湯(アシユ)」という名の足湯だそうです。

 宿には一番早くチェックイン、全国旅行支援クーポンも利用できましたが、もう接種証明書の提示は必要なかったです。

 芦原温泉、温泉は良かったですし、土曜日で三国祭も有るからと思ってましたが、それほど混んでもいず、まあ満足ですが、三国祭は日帰りでも行けましたね。

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三国祭

2023-05-22 | 

 福井県三国町(ミクニチョウ)(東尋坊が有名です)の三国祭見学を目的にした1泊2日の旅行です。

 朝早く出発、車で3時間ほどで芦原温泉に到着、宿の駐車場に車を置かせてもらい、目の前からえちぜん鉄道で三国駅に5分程で着きました。

まだ混んでいず、先着400名までがもらえる三国名物の酒まんじゅうまで貰えましたが、早速食べて美味しいので、売るほど買って帰りました。

 北陸三大祭の一つ三国祭は、300年ほど続く三国神社のお祭りです。

我が家のお宝展、町内の家が40軒ほど、玄関やこのように店前にお宝を飾っています。

 三国祭は、替わり番こに人形を乗せた山車(ダシ)が6台ほど出る祭りです。

毎年の写真が飾ってありましたが、武者人形が多いです。

 以前の年に出た山車は、次の順番が来るまでそのまま山車蔵に置いてあって、祭りの時は又展示するようですね。

 これは明智光秀。

7年に1回ぐらい巡行の役目が廻ってくるそうですが、最近は山車も減って3年に1回になった、と法被を着てる町内の地元の人が教えてくれました(おっさんの話なので、確かでないかも)。

巡行に当たった町内は、上の人形は新しく作り直すそうです。

 

 空の山車蔵は、今年巡行に参加する町内の物でしょう。

 猪八戒、歌舞伎からや武者人形が多いようで、女性の像はないようですね。

 滅茶苦茶沢山の屋台が出てる、そう広くはない町内の道を巡って、やっと三国神社に到着。

三国神社参拝はたくさん並んでいたので、横の遠くの方からだけにしました。

 猩々の山車が到着して、山車は全て神社前に集合したようです。

 壱番 新選組 吉村貫一郎 浅田次郎の壬生義士伝で有名になりました、映画で中井貴一が演じてたと思います。

 弐番 勧進帳 安宅関 富樫左衛門尉(サエモンノジョウ) 山車人形の下の屋台は慶応年間の作品です。

 山車人形もちゃんと人形師が作ってるそうです。

 参番 釣鐘弁慶 山車は三国神社に奉納する目的でつくられました。

 四番 猩々 山車にはお囃子の子供たち5~6人と、指図する大人も数人乗ってますが、10人ほどで押したり引いたり曲げたりしてました。

 五番 永代櫻(エイダイザクラ) 一つだけ人形ではありません。

1753年(宝暦3年)に初めて奉納され、これが飾り山車のはじめと言われていますが、その後武者人形を飾ることが主流になったので、1774年この町内も恒例の永代櫻ではなく武者人形を乗せた山車を奉納したところ、10月?の宵宮に町内に大火が起こりました。

これは火伏せの願いを込めて永代櫻を奉納してた初心を忘れたことへの神罰とおそれ、以後は現在まで山車番に当たった時は永代櫻を奉納してるようです。

 六番 加藤清正 下の屋台は大正時代の作品で漆塗りですね。

この屋台は十区で共有してるようです。

 午後になったら山車は出発するそうですが、疲れて腹も減ってるので、待てづに帰りました。

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バラ

2023-05-19 | 京都

 すっかり花のブログになってしまったようですし、次のシリーズは花でいきなさいと提案してくれたコメンテーターもいますので、京都府立植物園に行ってきました、と言っても家から歩いて15分ぐらい。

 園内の薔薇園は満開でした。

午前中に行ったのですが、もうひなたは30度以上ぐらい。

色鮮やかな黄色いバラはゴールドマリー。

 バラと言えばやっぱり赤いバラですかね。

🎶バあラが咲いた~バあラが咲いた~

  真っ赤な バあラあが~ ♪

 薄紫のラベンダードリーム。

園内は平日の午前中と言うこともあってか、保育園児・幼稚園児と我々のような老人が大半です。

なんか最近は老人の行くような所に行ってるような気がしますが、まあ自分が老人だから不思議ではないですよね。

大人の半分は、この炎天下まだマスクをつけていました。

 白いバラも、それほど涼しげには思えない、5月にしてもう真夏日の日でした。

 薄いピンクのマチルダ。

休憩してお茶を飲みました。

 今の植物は栄養が良いのか、科学の力なのか、色が鮮やかすぎますね。

 これもバラかと近づいて札を見ると、外国の石楠花でした。

 真っ白な日本の芍薬は、涼しそうで、ホッとします。

 色・々・色で、コピー機の宣伝のような植物園です。福江島の椿園から椿ばかりを報告したことを思い出しました。

 上皇夫婦も観られた先日の葵祭の花、葵桂です。

 自然に咲いたような芝生の薄い野草?、色彩におぼれかけた後は、こんな方がほっとします。

 何でもない植物園の森の小径、究極の新緑の方が、結局よかったりして。

所詮私は赤いバラには成れず、せめてこんな緑の中の一本に成れたら、と老人風をふかしていました?

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