島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

41.葛の里

2021-08-28 | 菓子たくさん
 
 また3連休ですが、困ってます。
初日はそっと越境して、小浜で海を見ながら魚を食べてきましたが、途中のトイレ休憩で道の駅にちょっと寄ったぐらいです。
 あとはパラリンピックを、すごい選手と言うか、選手もすごいが親の方がもっとすごいと思いながら観てます。
 高校野球は、近畿大会の様相ですね。
決勝は京滋大会になるかもしれないと思いましたが、智弁同士の戦いになりましたね。
決勝戦のユニホームは、どちらかが第2ユニホームでやるのでしょうか。
 相変わらずWOWOWでラクビーは迫力満点です、来年のW杯日本は大丈夫でしょうか。
 と言うことで、久しぶりの「菓子たくさん」です。
 
 この前吉野で泊まった宿のお茶うけに出てきた「葛の里」。
宿では食べずに、家まで持って帰りました。
 
 調べたら、創業明治15年、奈良県吉野郡下市町にある「吉田屋」の「大和路葛の里せんべい」、1個100円でした。
 
 軽いフアフアしたお饅頭かなと思って、開けてみたらびっくり!
びっしり薄いせんべいが、20枚も入っていました。
 
 これが意外と美味しい!
いわゆる煎餅とはまた違うと思いますが、20枚がどんどん口の中に入っていきます。
葛も入ってるんですかね。
これが20枚で100円とは、めちゃ安い!
 
 家に持って帰ってから食べたので、お土産に買わなかったことを悔やんでいます。
そっと2枚だけ出されても、それはそれで充分値打ちありそうですので、100円で10人のお茶菓子になれますね。

      返事
Toitenlabeeさん:真田広之さんは、
    アクションスターで男前で背が低いので、
    日本のトム・クルーズのような気がしてます。
    京都桃山城天守閣から飛び降りてから、もうずいぶんになりますね。
    師匠の手葉真一まで死んでしまいましたよね。

コメント (3)
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96-2後醍醐天皇女御尊称皇太后阿野廉子

2021-08-25 | 天皇陵巡り
 
 第96代後醍醐天皇(1288~1339)には沢山の妃(8人~20人)がいますが、皇太子時代の最初の妃中宮藤原嬉子(キシ)(?~1333)は溺愛されていました。(まあ、後醍醐は誰でも愛してしまう人のようですが)
この嬉子に中宮内侍として務めたのが19歳の阿野廉子(アノレンシ・カドコ)(1301~1359)です。
  写真は、河内長野市にある観心寺、息子第97代後村上天皇陵も有ります
 
 廉子はしばらくして後醍醐天皇に召されて、3男2女をもうけました。
日本史上最後の伊勢斎宮だった祥子内親王(ショウシ)(1322?~1352)・第5皇子で建武新政で皇太子にもなった恒良親王(ツネヨシ)(1325~?)・第6皇子で一時征夷大将軍にもなった成良親王(ナリヨシ・ナリナガ)(1326~1344?)・惟子内親王(イシ)(1336?~1389?)と、なんといっても第7皇子義良親王(ノリヨシ・ノリナガ)(1328~1368)は第97代後村上天皇になっています。
  廉子の墓ははっきりしないので、この観心寺内に有る息子後村上陵参道近く、楠木正成首塚の横に、コウボ坂陵墓参考地(大阪府河内長野市寺元)として治定されてます
 
 元弘の乱で夫後醍醐が隠岐島に流された時も廉子は同行し、1333年隠岐島から戻った後醍醐が建武新政を開始すると、直後に亡くなった正妃嬉子に替わって、廉子の地位は上がりました。
  コウボ坂は皇母坂と書くそうですが、ほんまですかね
 
 建武新政が失敗し、吉野に逃れた後醍醐にも同行し、後醍醐亡き後は息子が第97代後村上天皇として即位したので、廉子はこれを助ける政務能力にもたけた女性だったようです。
  一旦観心寺を出て駐車場に戻りましたが、写真の近くの駐在所の赤信号の左手に、滅茶苦茶分かり難い参道への細い入り口があり、木の段々が付いているのを拠りどころにして登って行くと、なんとか見つけましたよ
 
 しかしながら、南朝を正義とする論では、後醍醐天皇の人柄や政治能力を直接批判はしにくいので、廉子はそのやり玉に上がったようです。
正妃嬉子から後醍醐の愛を無理矢理奪い、他の親王ではなく我が息子を後継ぎにする為に護良親王などを葬り去ったなど、傾城傾国の悪女として描かれることが多く、最近再放送されてたNHK大河真田広之の「太平記」でも廉子(原田美枝子)は、後醍醐(片岡孝夫)に色仕鰍ッでせまる場面があったような気がします。
  なんとか見つけたもう一つの廉子の檜尾塚(ヒノオヅカ)陵墓参考地(河内長野市寺元)です
 
 廉子は河内に移った南朝軍の本体と共に女院(新待賢門院)となって、息子後村上を助け、観心寺で亡くなったようですが、はっきりした墓は分かっていません。
それでも宮内庁は三つもの陵墓参考地を、廉子の為に治定しています。
三つ目の川上陵墓参考地(奈良県吉野郡川上村高尾)ですが、ここには行けませんでした

       返事
Toitenlabeeさん:ほんまにあ~あ・・・・ですね。
     原本ではなく、ブロマイドですよ。
和さん:彼女のブログは読んでましたよ。
    残念ですよね!

コメント (1)
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展覧会

2021-08-22 | ノンジャンル
 
 京都の新型コロナ感染者も500人越えで、一応医療従事者の私ですが、新型コロナに関しては、ほとんど手助けも出来ず、せいぜいがワクチン接種を手伝ったのと、勤務してる施設や診療所や病院で、新型コロナのクラスターが出ないことを祈ってるぐらいです。
 軽症~中等症患者用の大規模な野戦病院を作って、老人で外科医だった私では役に立てないかもしれませんが、私ぐらいの医者を送りこむ案があっても良いのですが、そしたら私は今の仕事場には簡単には戻れなくなるジレンマも出そうで、なかなか急には難しい。
もっと前から色々準備して置いたら良かったのに、とは思いますが、感染症は流行が収まれば忘れらられてしまう疾患、腹が立って私も批判はしてますが、言うは易く行うは難し。
それでも言い方ぐらい、もっと上手な首相の方が良かった気はしてます。
 
 今週の休みの初日の午前中は久しぶりの晴、岡崎の京都国立近代美術館で開かれてる「モダンクラフトクロニクル」展に、家内に誘われて行きました。
 その日から京都に発令された非常事態宣言で、岡崎の京都市駐車場は閉鎖中、向かいの京都市美術館も閉まっていまが、国立は開いていました。
この辺もなんか不思議ですね。
 
 モダンクラフトクロニクルって何?と思いましたが、京都国立近代美術館所蔵の現代工訣?iを時系列に沿って並べた展覧会と言う意味でしょうね。
 知ってる作家や作品もありましたが、自分とこが持ってる作品を見せるだけにしては、1200円はちょっと高いかも。
 
 非常事態宣言下でもあるので、入館者はまばらですので、儲けにはなってないでしょうね。
 食料品買い出しに、滋賀県にちょっと入らせてもらい、帰ったら午後からは又雨が降ってきました。
 
 その日の雨は夕方には止み、家の窓から西を見たら、島にも負けない夕焼けでした。
長かった大雨が終わっても、晴れたり降ったり変な天気が続きます。
WOWWOWと高校野球頼りの、近くを散歩しただけの休日です。
 競馬は相変わらず入る気配もありませんし、あれだけ強かった阪神も今年は3位ですね。
どさくさに紛れて巨人は中田まで獲って、相変わらずずるいですね。

        返事
Toitenlabeeさん:「歴史は夜造られる」は西洋の歴史だと、
    若い時はなんとなくそう思ってましたが、
    日本の歴史も同じですね。
     麗しい姿の実物もまだ持っていて、
    毎日眺めてますので、送る必要はないですよ。
和さん:吉田の綱引きでニアミスした人ですか?
    元気そうな人でしたが・・・・。

コメント (2)
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96-1後醍醐天皇

2021-08-19 | 天皇陵巡り
 
 止まない雨はない、終息しない感染症はないのですが、新型コロナは今だ出口が見えず、今朝出勤前は虹がかかってた京都も、昼前から又雨です。
 午前中で仕事も終わり、明日から又3連休ですが、パラリンピックは中止せずに始まりそうも、私の予定は全くなしで困ってます。
 ブログも天皇陵巡りぐらいしか書くこともないので、退屈でしょうがお付き合い願います。
 今回は誰でも知ってる有名な後醍醐天皇ですので、面白いですよ?
 
 大覚寺統の第91代後宇多天皇(1261~1324)の第2皇子で、母は五辻忠子(イツツジチュウシ)の尊治親王(タカハルシンノウ)は、異母兄第94代後二条天皇(1285~1308)の病死により、持明院統の第95代花園天皇(1297~1348)(在位1308~1318)に皇位が移った時に、後二条自身の息子邦良親王(クニヨシ)(1300~1326)が幼く病弱でも有った為に、花園天皇より年長でしたが尊治親王が皇太子になれました。
 
 その後、大覚寺統の長子として邦良親王を皇位につけるための中継ぎとしてですが、尊治親王は第96代後醍醐天皇(ゴダイゴ)(1288~1339)(在位1318~1339)として即位も出来ました。
 中宮藤原嬉子(キシ)・中宮ジュンシ(後伏見天皇皇女)・宮人阿野廉子(アノレンシ)など8人の妃に16人以上の皇子女をもうけています(20人の妃に32人の皇子女とも)。
この頃真言密教の一派立川流(タチカワリュウ)と言う、ややあやしげな宗教の広まりもあってか、宮中でも男女間は乱れていたようです。
  写真は、後醍醐天皇ゆかりの奈良県吉野の金峯山寺(キンプセンジ)の蔵王堂(国宝)です
 
 後醍醐天皇は政治に対して強い意志を持って臨み、1321年には父後宇多の院政を廃止して親政を望みました。
 しかしいかんせん、両統迭立時代の弟の弟である後醍醐の系統に皇位が廻ってくるはずもなく、なんとしてでもと望む心が、皇位を決定する鎌倉北条幕府への反感になり、討幕計画となりました。
  吉野にある写真の如意輪寺(ニョイリンジ)境内に、後醍醐天皇陵は有ります
 
 1324年の正中の変(ショウチュウノヘン)は未遂に終わり、1331年の元弘の乱では笠置山で挙兵しましたが、後醍醐は捕まって隠岐島に配流となり、幕府の指示で持明院統の(第97代)光厳天皇(1313~1364)(在位1331~1333)が即位しました。
  陵以外にも、如意輪寺境内には後醍醐天皇御霊殿もありましたが、内はどうなってるのか見れませんでした
 
 それでもめげない後醍醐は、1333年隠岐島を脱出し、裏切った足利尊氏などの協力で鎌倉幕府は滅び、光厳天皇は廃位されて、再び後醍醐天皇の治世になりました(建武新政)。
これは再び天皇になった重祚(チョウソ)なんですが、後醍醐天皇は光厳天皇の治世自体を否定し、ずっと後醍醐天皇の治世が続いていたことにしてしまい、明治になってからもこれが正しいという歴史観になっています。
 
 1335年から始まった建武の乱で足利尊氏とも袂を分け、その後は南北朝内乱の時代に突入、吉野に逃れた後醍醐天皇は、そのまま吉野の地で亡くなりました。
  御陵正面
 
 一般には南面を向いてる天皇陵ですが、この塔尾陵(トウノオノミササギ)(奈良県吉野郡吉野町如意輪寺内)は京都に帰りたい言う意味から、京都の方角の北面を向いてるそうです。
  前日に雨が降ったせいもあってか、山中にあるためか、後醍醐の恨みがこもってるのか、陵の周囲はなんか湿っぽいです。
 
 後醍醐天皇が立派な天皇だったのか、精力だけは有った暗君だったのか、評価は色々です。
私が子供の頃に田舎にあった戦前の本などから刷り込まれた、楠木正成などの忠君に囲まれた立派な後醍醐天皇、ではなかったようですね。

          返事
和さん:同級生の死はこたえますね。
    かと言って、同級生より自分が早く死ぬのも悲しいですね。
Toitenlabeeさん:50年以上前は賢かったんです。
    二十歳過ぎればただの人ですが、顔は綺麗なままです?
     ステイホームで送り火鑑賞できました、羨ましいでしょう。

コメント (2)
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新型コロナ禍の五山送り火

2021-08-16 | 京都
  
 2週間前ぐらいに廻ってきた回覧板は、山上での密集や観覧の密を避けるために、今年も点火の個数を大幅に制限して実施しますと、「おうちで送り火」のお願いでした。
 
 TV中継もあって、「大文字」は6個の火床だけですが、TVに映ってたのは5個。
まあ我が家は毎年、「おうちで送り火」です。
 
 送り火メイン「大文字」は、我が家からは、マンションの間にわずかに1個の火床が見えるだけです。
中央やや赤い小さな火です。
 
 昼間の「妙」です、数日前に妙の周囲の草は綺麗に刈られていて、すっきりした山の中央の白い火床だけに点火されるようです。
 
 8月16日午後8時5分に「妙」に点火、やはり一つだけでは寂しいですし、今年の我が家の見物人は家内と二人っきり。
 
 炎が燃え盛る頃には、「妙」の特等席に有る我が家からは、火床の周りを動き回る人がいつもは見えるのですが、今年はズームで上手に撮れた時だけ、周りの人が判りました。
 
 遠くの「船形」の火床も一つだけ、静かに寂しいまま今年の送り火も終わりました。
今年は大学の親しくしていた同級生も亡くなり、外科大学医局で一番世話になった先輩も亡くなり、だんだん私の順番が近づいてきてるのを実感する送り火です。
 急いでこのブログを書いて、もう寝ます。

        返事
Toitenlabeeさん:大学の受験票でしたか?
    私も全く記憶にないので、古いブロマイドではないですよね。
花水木さん:お盆休みは大雨だったので、
    人流にとっては良かったのかもしれません。
    まあしばらくは、人混みの中には行かないようにします。

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