深泥池の左上黄色線の折れ曲がった道を抜けて、幡枝切通しの峠を越えて、今回は地図青線をちょっと進むだけです。
ほんのちょっと前は、ここを越えるとほぼ人家はなかった気がしてますが、宅地開発が進み、国土地理院のこの地図でもわかるように、びっしり家が建ち並んできてます。
幡枝切通しの峠を降りてすぐ右に、写真の石碑を見つけました。
圓通寺の何かかと思いましたが、家の前を掃いている女の人に尋ねて、これが幡枝切通碑(ハタエダキリトオシヒ)であることが解りました。
近づいても文字は全く読めませんが、調べてみると;
この道は幡枝切通しと呼ばれていたが、夏の湧き水、冬の凍結で、往来の人達は苦しんでいました。そこで、深泥池村の炭売り吉三郎が主導して、1685年(貞享2年)に整備された、この顛末を、圓通寺の僧性通が記した碑だそうです。
元々難儀する道であったが、江戸時代に整備して、通りやすくしたと言うことですので、以後は近道でもあったので、次回に進む道より、鞍馬街道はこちらが本線になったのですかね。
この碑の裏に拡がっているのが、比叡山を借景にする庭園で有名な圓通寺ですので、寄ってみました。
拝観料500円
元幡枝離宮 大悲山勅願所御幸御殿圓通寺(ダイヒザンチョクガンショミユキゴテンエンツウジ)と称し、臨済宗妙心寺派のお寺です。
訪れた秋の日、本堂の畳に座って、借景である比叡山と庭を眺めながら、ぼーっとスピーカーから流れてくるお坊さんの説明を、聞くともなく聞きました。
借景の比叡山山頂辺りには、なんか鉄塔みたいなものも見えますし、杉も新しそうですので、江戸時代第108代後水尾天皇や第112代霊元天皇が見た景色とは少し違ってきているかもしれませんが、市中から少ししか離れていませんが、静かで人家も見えないので、まあゆったり休憩は出来ました。
圓通寺を出て、北へさらに鞍馬街道を進みますが、今はこの辺りも住宅開発が進んで、昔に通った時と全然違う印象です。