島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

鞍馬街道14.

2024-01-31 | 京都へ、京都から

 深泥池の左上黄色線折れ曲がった道を抜けて、幡枝切通しの峠を越えて、今回は地図青線をちょっと進むだけです。

ほんのちょっと前は、ここを越えるとほぼ人家はなかった気がしてますが、宅地開発が進み、国土地理院のこの地図でもわかるように、びっしり家が建ち並んできてます。

 幡枝切通しの峠を降りてすぐ右に、写真の石碑を見つけました。

圓通寺の何かかと思いましたが、家の前を掃いている女の人に尋ねて、これが幡枝切通碑(ハタエダキリトオシヒ)であることが解りました。

 近づいても文字は全く読めませんが、調べてみると;

この道は幡枝切通しと呼ばれていたが、夏の湧き水、冬の凍結で、往来の人達は苦しんでいました。そこで、深泥池村の炭売り吉三郎が主導して、1685年(貞享2年)に整備された、この顛末を、圓通寺の僧性通が記した碑だそうです。

元々難儀する道であったが、江戸時代に整備して、通りやすくしたと言うことですので、以後は近道でもあったので、次回に進む道より、鞍馬街道はこちらが本線になったのですかね。

 この碑の裏に拡がっているのが、比叡山を借景にする庭園で有名な圓通寺ですので、寄ってみました。

  拝観料500円

 元幡枝離宮 大悲山勅願所御幸御殿圓通寺(ダイヒザンチョクガンショミユキゴテンエンツウジ)と称し、臨済宗妙心寺派のお寺です。

 訪れた秋の日、本堂の畳に座って、借景である比叡山と庭を眺めながら、ぼーっとスピーカーから流れてくるお坊さんの説明を、聞くともなく聞きました。

 借景の比叡山山頂辺りには、なんか鉄塔みたいなものも見えますし、杉も新しそうですので、江戸時代第108代後水尾天皇や第112代霊元天皇が見た景色とは少し違ってきているかもしれませんが、市中から少ししか離れていませんが、静かで人家も見えないので、まあゆったり休憩は出来ました。

 圓通寺を出て、北へさらに鞍馬街道を進みますが、今はこの辺りも住宅開発が進んで、昔に通った時と全然違う印象です。

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5ヶ月ぶりにみた滋賀県

2024-01-29 | ノンジャンル

 先週の水曜日は滋賀県湖北は大雪、名神高速道路で渋滞7時間もあったようです。

写真の木曜日朝は、自宅辺には5㎝ぐらい雪が積もりましたが、家内のデイサービスの車を見送った後の重役出勤なので、道にはもう雪は有りませんでした。

 日曜日朝、家内がドライブしても良いよと言ってくれたので、往復1時間半ぐらいのドライブで、5ヶ月ぶりくらいに滋賀県に行きました。

 京都に戻ってから昨年8月まで、まあ週に1~3回は行ってた滋賀県詣で、久しぶりに八瀬から大原、途中を越えて、琵琶湖大橋まで。

途中の峠や遠くの山の雪を見て、ちょっと私は満足しました。

橋のたもとの道の駅で、二人で身障者トイレに入って一安心、缶コーヒーを買って、飲みながら直ぐ帰っただけでした。

 まあ進歩と言えば進歩です、徐々にいろんなことに挑戦して変化のある生活に戻したいです。

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鞍馬街道13.

2024-01-27 | 京都へ、京都から

 今回は又、「京へと続く街道歩き」竹内康之著から無断で取りだしたコース案内図の青〇、深泥池地蔵堂からスタートします。

 出発してすぐに、鞍馬街道左側の深泥池貴舩神社に到着です。

鞍馬街道は昨年10月家内が入院中に、家内の電動自転車(写真にも写ってます)で廻りましたので、丁度秋の大祭の頃でした。

 鞍馬街道を通って参拝する総本宮貴船神社は、洛中からの参詣者も多かったですが、なんせ遠いので、寛文年間(1661~1673)に御分霊が行われ、鞍馬街道筋のこの場所に鎮座されたのが深泥池貴舩神社です。

よく他にもある、ここに参ったら同じご利益があると言う場所です。

総本宮は貴船と書きますが、ここは貴舩と遠慮したのか、船が舩になってます。

 この深泥池貴舩神社の境内には、火の神様を祀る秋葉神社も有りました。

明治の廃仏毀釈で打ち壊されましたが、その修復を怠った村に大火が発生。

焼け跡を整理していると、漬物桶は焼けてましたが、中身は焼け残っていました。

いい匂いがしていたので、村の長が試食し、「酸い茎や」と言ったそうで、これが今の賀茂の名産「すぐき」発祥の歴史だそうです。

私も「千枚漬け」より「すぐき」の方が好きですし、元々この辺りがルーツの友人が年末には必ず、「すぐき」を持って来てくれます。

 更に坂道を上がっていき、今の道から右に離れて、ケシ山山麓に沿うグネグネ道を、電動自転車でスイスイ上って行きました。(地図参照)

 再び元の新しい道に合流すると、そこはもう峠のてっぺん近く、越えると岩倉畑枝です。

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鞍馬街道12.

2024-01-24 | 京都へ、京都から

 今日は北の方は雪のようですので、家内が元気なころなら、滋賀県に雪見に行くところですが、家で暖かく、ちょっと降ってる細雪を見ながら書くことにします。

 写真の地図は圓通寺拝観券の裏にあった案内地図です。

今回は地図の左下にある深泥池(ミドロガイケ)横の青〇の五叉路から、左の切通しを通る黄色い色の付いた道の方の鞍馬街道を進みます。

切通しと言うからには人工の道、たぶん江戸時代に出来た新しい鞍馬街道だと思います。

 今回の出発点の五叉路にある愛宕灯篭ですが、その横の石柱には 東松ヶ崎 とあるように、ここから現在私の住む松ヶ崎までは歩いても15分ぐらいです。

横側面には、右岩倉 の表示も有りました。

 出発してすぐ、少しだけ左の道を行くと、勇身八幡宮 と言うあまり聞き慣れない小さな神社がありました。

「勇身」どう読むんですかね、坂上田村麻呂を評して「勇ましい身は人をこえる」と言う所からついたようで、祭神は坂上田村麻呂のようです。

 京の六地蔵の一つが深泥池地蔵でありましたが、明治の廃仏毀釈によって賀茂の神領外に追放され、この鞍馬街道でも紹介した出雲路橋手前の上善寺に祀られています(今の鞍馬口地蔵)。

1895年(明治28年)に二代目地蔵菩薩として奉納された場所が、この深泥池地蔵堂で、鞍馬街道を進みだしてすぐに、左手に有りました。

 お堂の正面には安産地蔵と書いてありましたが、中を覗いてみたお地蔵さんは、えらい金ぴかで七色仮面の様でした。

  デ~ンデ~ン ドロオ~リコ  や~つけろ! ♬

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第29回全国都道府県対抗男子駅伝

2024-01-22 | 五島列島

 先週は女子駅伝、そして今週は男子の都道府県対抗駅伝だと、競馬ばかりに集中せずにチャンネルを回したら、もう始まってた1区、眼鏡をかけた長崎の選手がトップ集団に並んでいました。

 去年も走ってた五島南高校の川原琉人選手。

五島列島福江島の三井楽出身で、福江の街中にある五島高校ではなく、福江の確か北西の方向なのに五島南高校と言う、田舎の小さな高校の選手です。

 昨年も1区を走り最後力尽きて3位だったので、いったん少し下がったのでダメかと思いましたが、5㎞を過ぎてスパート、どんどん他校を引き離していきました。

 なんとそのまま1位でタスキ渡し、しかも区間新記録です。

五島の子、以前も的野君や林君、箱根駅伝でも走った子がいますが、河原君は順天堂大学に行くそうですと、婿さんから情報も入って、来年の箱根も楽しみですので、応援します。

コメント (8)
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