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京都市山科の西北の辺りに遍照墓(ヘンジョウノハカ)はあります。
通勤の帰り道に、天智天皇陵に近い地下鉄御陵(ミササギ)駅で降りて(地図上の方)、ブラブラと遍照墓(地図下の方)を訪ねました。
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地図を見て探しているのにもかかわらず、一度は見落として通り過ぎた、狭い道の奥に墓らしき姿を見とめました。
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ぐるっと回りを住宅に囲まれている、小さな円形の丘が遍照墓ですし、はっきりと宮内庁が管理してる制札がありました。
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遍照(ヘンジョウ)と言われてもピンときませんが、遍照の意味は「あまねく世間を照らすこと」らしいです。
このありがたい名前の持ち主は、桓武天皇の孫にあたります。
すなわち父親が良岑安世(ヨシミネノヤスヨ)で、桓武天皇の息子なんですが、生母の身分が低いので親王宣下を受けられず、良岑姓を賜与されて臣籍降下しました。
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この安世の八男として生まれた良岑宗貞(ヨシミネノムネサダ)(816~890)は、850年に出家して遍照僧正(ヘンジョウソウジョウ)となりました。
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なんといっても有名なのは、まだ出家する前の宮中に出入りしていた頃に作った小倉百人一首の11番目
天津風 雲の通い路 吹きとじよ
乙女のすがた しばしとどめむ
この和歌、昔ノック・フック・パンチのマンガトリオが、
天津風 余った風は どこに行く
と、漫才の冒頭によく使っていたので、憶えました。
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遍照も突然妻子を捨てて出家したのですが、その息子良岑玄利(ヨシミネノハルトシ)が父遍照を訪ねると、「お前もお坊さんになれ」と強引に11歳で出家させて、素性法師(ソセイホウシ)にさせられました。
まあそれでも、親子して小倉百人一首に載せてもらえるような歌人になったのですから、良しとしましょう。
でも、臣籍降下した天皇の孫の墓まで宮内庁が管理してるのは、何故なんでしょうかね?
返事
花水木さん:子供も多かったですが、妻も多いので、
私たちの祖母年代が、一人でたくさん産んでる方が驚きですね。
私の家族はAとBが結婚したので、
子供はO・A・ABと一家で全て揃いました。
どの型の子が産まれても、私の子だと言わなくてはならない、
悲しい定めの私です。
何だかなあ~。(花水木さんから盗作)