島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留ー長崎往復

2014-03-26 | 五島列島
 
 一昨日当直の深夜に救急搬入された患者さん、心臓ペーシング必要な為に五島中央病院に連絡も、「こちらも救急搬送必要な患者さんなどいて忙しい」と断られ、ドクターヘリを要請して長崎原爆病院に送る準備も、「ドクターヘリは今現在稼働中」と午後に回されました。
私の頼りげな内科治療でも患者さんはまあまあ元気、待ってる間に、「天候悪化で飛んで来れない」とドクターへリから連絡、ジェジェジェ!
明日までなんとか待っても、明日の天気はケセラセラ、外来しながら移送病院と患者家族と相談して、丁度昼に出る長崎直行の九商フェリーで送ることに急遽変更。
   あわてて看護婦さんと共に救急車で奈留港に、滑り込みセーフ!
 
 フェリーのパーサーが二等指定の部屋を空けてくれました。
3時間半のフェリー万葉の旅、カルテを書いていると気分悪くなる私、患者さんの横で横になりました。
 船からすったもんだの末要請した長崎市の救急車、隊員は親切で患者さんも落ち着いていたので、原爆病院までは同伴せずに、長崎本土の土は5分だけ踏んで元のフェリー万葉に逆戻りです。
 
 そのまま同じ船で福江まで3時間チョット、これに乗らなかったら長崎泊まりです。
さすがに眠ったので、往復ともに海は見ず、見たのは綺麗なこの万葉船内だけ。
   この便は空いてもいました。
  
 福江港は夜8時、酸素ボンベと心電図モニターを乗り合いの海上タクシーまで運び入れます。
 奈留島まで一人この時間は3千円、写真中央のレーダーを頼りに真っ暗な海を揺れながら30分走ります。
 私もこちらに来てからは海の男、フェリーなどの横揺れには対応し切れていませんが、海上タクシーのバンバンするたて揺れには順応しています。
 あと数日で定年退職同士の私と師長さん二人の最後のご奉公、付き添い奈留島ー長崎往復船の旅、もうしたくないですが終わってしまえば思い出か?
    これでパソコンも荷物の中に入りそうです。

   返事
花水木さん:俯瞰ではなく、横からの写真です。
大雪男さん:富江ー福江間は車で20分。
    奈留の人も道が良くなって「近くなった・近くなった」と言います。
花水木さん2:痩せていません!
    横の娘がきょうびの女の子にしては細くないせいです。
和さん:富江さくら祭があるようです、最初の報告はそれかも?
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3連休

2014-03-24 | 五島列島
 
 荷物の引越しが延期されたので、まだパソコンがある生活です。
 この3連休は、末の娘が京都の家から来てくれましたので、福江空港に迎えに行ったついでに、魚津ヶ崎公園まで。菜の花もほぼ満開。
 私の37歳の時に産んだ末娘ですが、そろそろ片付いてくれないと・・・。
久しぶりのツーショットも、せっかくの燈台が隠れました。
 
 私が撮ると、バックの燈台も島も菜の花も椿さえも入っています。
4月から働く富江病院にも少し顔を出しましたが、ここも色々問題はありそうで、少々心配はしていますが、まあなんとかのんびり働きたいものです。
 
 奈留島も3人でドライブ、車に弱くなったフークは留守番です。
江上教会のハートの枝と、幹にもハートが付いているのを再確認、家内も娘も納得していました。
 
 旧奈留小学校の桜も1本だけ咲きかけています。
かなり春になりました、来週引越しの頃は桜も満開か。
 
 千畳敷も波静か、これが見納めになるかも?
外来の患者さん達にもお別れを言いつつ仕事、少々涙目になっています。
     これでしばらく休憩かもう1回か?

   返事
大雪男さん:上五島は遊びに行くだけにしておきます。
花水木さん:「福江島の爺さん」に変更しておいて下さい。
和さん:スイムは朝早いですが、すぐ終わるので応援に行きたいと思います。
福山市さん:突然の訪問でびっくりです!ツアーだったのですね。
さんまさん:エトンジャの山下ですね。楽しみにしています。
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転勤

2014-03-19 | 富江
 
 前回お知らせしたように、3月末で奈留医療センターを65歳定年退職。
これを機会に京都に帰ってゆっくり働くことも考えましたが、いろんな事情であっさり帰ることも出来ず、私自身もまだまだ島の生活に未練もありますので、同じ長崎県病院企業団の富江病院の嘱託外科医として4月から働くことにしました。
 奈留島からいつもの船で30~45分、いつもの福江港に着いてそこから車かバスで20~30分で富江町に着きますので、五島列島の中です。
      島から~島へと~  てんきんしてゆくのよ~ symbol7
       フークと家内とこれからも  生きて~くわ~たし    (字余り)
       奈留は夕焼け   あしたあは月夜間 
       富江にいいっても  忘れ~ないねで 
 富江町の人口は5千人、閉ざされた空間ではないので奈留島より少しは便利になると思いますが、奈留島のように楽しく過せるかどうか・・・。
 
 この3連休は娘も来てくれますし、来週には荷物だけ先に送ります、パソコンも荷物の中ですので、2~3週間ブログお休みかもしれません。
      
   返事 
大雪男さん:五島列島からはまだ出ませんので、基本的には奈留と同じ生活でしょう。
花水木さん:人生何があるか分りません、風の向くまま気の向くまま、
        ツじんかんいたる処にスーツの青山ですツ
和さん:疲れてはいるんですが、なんとかなるでしょう。
和さん2:日曜日に船の中で家内と話したみかんやさんは、
    びっくりさす為に和さんには黙っていると、言っておられたそうです。
福山市さん:支所にも写真をお送りいただきありがとうございました。
    本日の訪問にもびっくりしました、ご夫婦でフットワーク軽いですね。
花水木さん:訂正しなければ気がついていなかったです。
    私の読み方もいい加減ですよ。
     というわけで、数日は人のブログも読めませんので、失礼します。
コメント (5)
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医療センターだより

2014-03-17 | 奈留島
 
 勤めている長崎県奈留病院が、今年の1月から長崎県五島中央病院付属診療所奈留医療センターになりました。
9年前に勤めだした時は長崎県離島医療圏組合奈留病院だったのが、長崎県病院企業団奈留病院に、又最後は長崎県奈留病院に名称は変わっていきましたが、病院は病院のままでした。
今回の変更は名称だけでなく、病院から19床の有床診療所へと大きく内容が変わりました。
 反対もありましたが、時の流れか、職員は減らさずに医療の質も落とさずにやっていこうという方針の元、診療所に変わりました。
しかしそれなりに少しずつ変化していきそうです。
 よい変化として、これを機会に地域と密着する医療サービスとのことで、「医療センターだより
という広報誌が発行されました。
3月1日発行のこの2号に、私も「ありがとうございました」という駄文とフークとのツーショット写真を載せていますが、その内容は、新しくなった奈留医療センターという名称の宣伝と、私がこの3月末で65歳定年退職を無事迎えられたお礼です。
 と言う事で、再びこの3月で奈留島を去ることになりました。
まだ奈留島百人一首も残っていますので、このブログは続ける予定です。

     返事
大雪男さん:椛島から椛島の海上タクシーで行く手はありそうですよ。
      ちなみに、今回奈留島発の椛島一周の海上タクシー代は4~5万円です。
花水木さん:長崎は葬儀関係は大事にしますね。
     いくら高齢の親でも死んだら1年ぐらいは宴会などには出ず、人前で酒も控えるそうです。

コメント (6)
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奈留島百人一首90

2014-03-14 | 奈留島百人一首
 
 90. 見せばやな 雄島のあまの 袖だにも
            ぬれにぞぬれし 色はかわらず

                    殷富門院大輔(インブモンインノタイフ)(平安時代末期)
 「見せたいものですよ、雄島の漁師の海水で濡れた袖でも色が変わらないのに、あなたに恋焦がれて流す涙で、色の変わるはずのない私の袖の色まで、こんなに変わってしまったのを。」
 大輔が仕えた殷富門院は、第77代後白河天皇の第1皇女ですので、一つ前の89番式子内親王の姉になります。
 
 90. 見せばやな 長崎の墓の 豪華さも
            書けにぞ金に 色はかがやく

                      見せばやな・の・の・も・にぞ・色はか  14字 同じ
 長崎県の墓は皆が皆立派です、もちろん奈留島の墓も立派です。
奈留島にある町営墓地も1区画は大きく、各地区や住人のすぐ近くにも墓地があって、この墓なんかは私の京都の家より遙かに大きい敷地だと思います。
お盆には、この前で皆が集まって花火をし、ビールを飲んで、小宴会様の墓参りが行なわれます。
 
 キリシタンの墓も立派です。
仏教の墓と同じく、墓石の字は全て金文字です。
 ここに飾る花が又極彩色の造花なので、京都のわびさび文化で育った?私には、少々違和感がありますが、墓には金を惜しまず、ご先祖様を大切にするのは宗派を問わず長崎県人のよき気質のようです。
 
 お盆には、この写真のように迎え提灯も墓地中にあふれます。
この提灯のろうそくの火が消えるまで、墓地で宴会《供養》をして帰るそうです。

    返事
花水木さん:YOUTUBEの動画に、途中まで登っている像がありました。
    ほんまに人が作った階段に見えます。
大雪男さん:このブログで有名になりすぎると?禁止になりそうですので、
    登るなら今のうち、少しの危険で登れそうです。
moonさん:皆さん、moonさんのブログ、2013年10月を開けると、
    もっと綺麗な椛島が出てきますよ
コメント (2)
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