島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

44-2長屋王

2019-01-30 | 天皇陵巡り
   
 古代に都のあった桜井や飛鳥から見て、奈良盆地の北西の対角地域としての辺国(ヘグニ)がなまって、平群(ヘグリ)という読みが難しい地名になりました。
 その平群には、今回の長屋王(676?~729)や以前紹介した山背大兄皇子と、政権争いに敗れて滅ぼされた人の墓があります。
     
 近鉄平群駅を降りて、住宅地のような農地のような道を歩いて、到着したのが長屋王墓(ナガヤオウノハカ)です。
     
 長屋王の父の高市皇子は、第40代天武天皇の長男ですが、母親の身分が低いために、高い身分の持統天皇系の皇子の補佐役として、天武天皇以後の皇親政治を支えてきました。
 長屋王の母親は第38代天智天皇の皇女で、第43代元明天皇の同母姉でもある御名部皇女(ミナベノヒメミコ)です。
 以上から長屋王は天皇に成れるに充分な身分だったのです。
 44≠Qではなく、天武天皇の40で紹介するべきだったかもしれませんが、44-1元正天皇が義姉弟なので、44にしています。
    
 長屋王の夫人は、母親は第43代元明天皇で、第42代文武天皇や第44代元正天皇を弟姉に持つ吉備内親王(キビナイシンノウ)です。
 しかも長屋王自身も、政治的にもなかなか優れた人だったようで、藤原不比等と共に皇親政治を支えたようですし、もしかしたら天皇位を狙っていたのかもしれません。
     
 長屋王墓の横にあるほぼトイレだけの長屋王御陵公園の案内板には、不比等が死んだ後も、不比等の娘宮子の子第45代聖武天皇を助けて政治の中心にいたのですが、藤原4兄弟の陰謀と言われてる謀反の疑いで、長屋王夫婦とその子4人は縊死に追い込まれた書いてありました。(729年長屋王の変)
 長屋王は吉備内親王以外にも、不比等の娘藤原長娥子(ナガコ)も妻にしていますが、長屋王の変でもこちらの子には御咎めなかったようです。
 この藤原4兄弟、変後天然痘で次々と死んでいったので、長屋王の祟りとか呪いとか言われています。
     
 奈良そごうの建設現場から、昭和63年に大量の木簡が発掘され、平城京の東南隅に長屋王の大邸宅があったことが、事実として証明されました。
    
 ここに建った、内部に夢殿を模した建物があったり、有名老舗店が入ったちょっと高い食堂街がある、バブル期の象徴奈良そごう店は、2000年(平成12年)に閉店に追い込まれ、その後に入ったイトーヨーカ堂も地の利が悪いのかもう一つパッとせず、2017年(平成29年)閉店しました。
 そして今は、ミ・ナーラという商業施設になっていますが、がらんとしていてもひとつ人は入っていませんでした。
これらは「今だに長屋王の呪いが続いているせいだ」と言われています。

     返事
花水木さん:若い時に憶えた事は今でも憶えていること多いので、
    わけのわからん暗唱も、全くの無駄とは言えないと思いますが、
    あの頃は嫌でした。
     歴代女性天皇は8人いますが、
    結婚した人の相手は皆男天皇ですので、その子は男天皇の子でもあります。
    愛子さんは皇室典範をなおしたら、天皇になれます。
    でも、一般人と結婚して子をなしても、
    その子が次の天皇に成るのは、私はやめておいた方が良いと思います。
    日本天皇家の拠りどころ、男系がつぶれるからです。

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44-1元正天皇

2019-01-25 | 天皇陵巡り
   
 氷高皇女(ヒタカノヒメミコ)の父は草壁皇子、母は阿閇皇女(後の第43代元明天皇)です。
氷高皇女の祖母である第41代持統天皇が望んでいた父草壁皇子の天皇即位は、皇女が9歳の時に草壁皇子が亡くなったので、ご破算になりました。
     
 しばらくして皇女の同母弟が第42代文武天皇になりましたが、この弟も体が弱かったので、いつ亡くなるかも分からない。
 そこで弟の息子(首皇子(オビトノミコ)後の第45代聖武天皇)が大きくなるまでの中継ぎ要員として、氷高皇女は独身のまま置かれたそうです。
 尚同母妹の吉備内親王は長屋王と結婚しています。
     
 弟の文武天皇は予想通り夭折したので、先ずは母親である阿閉皇女が第43代元明天皇になり、その後母元明は譲位し、自分は後見役として太上天皇に成り、予定通りとっておいた氷高皇女が即位し第44代元正天皇(ゲンショウ)(680~748)(在位715~724)となりました。
  
 その治世中には、718年養老律令制定、後ろ盾になっていた藤原不比等は720年に亡くなりましたが、722年百万町歩開墾計画・723年三世一身法(サンゼイッシンホウ)と受験日本史で学んだけれど中身は覚えていない法令を次々と定めています。
    
 譲位して甥の聖武天皇に位を譲った後も、独身のまま20年以上生きて(68歳)、ここ奈良の北、甥夫婦や母親の陵にも近い奈保山西陵(ナホヤマノニシノミササギ)(奈良市奈良阪町)に葬られています。
 聖武天皇陵から元明・元正天皇陵に向かう道に、セメント漬されて半分地中に埋まった道標がありました。

      返事
花水木さん:俵屋吉富の雲龍ですね。
    京観世と雲龍はどっちが好きかは好みの問題ですが、
    どっちが古いかは詳しく知りません。

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3.京観世

2019-01-21 | 菓子たくさん
    
 京都の有名和菓子屋さんの鶴屋吉信。
以前働いていて、今も少しだけバイトで働いている病院の、堀川通りをはさんだ向かいに店があります。
柚餅(ユウモチ)も有名で好きですし、よく貰いました。
 この京観世(キョウカンゼ)も鶴屋吉信の定番商品です。
この絵柄は堂本印象の絵らしいです。
     
 以前は1本の羊羹状になっていて、切って食べてましたが、最近はこの様に一口サイズに切って包装して売ってる和菓子が増えましたね。
 こうなって1個260円です。
高い気もしますが、まずまずですかね。
   
 袋を開けると、いつでも新鮮な京観世が出てきます。
確かに切って食べてた時は、最後はやや硬くなってくるのが普通で、それがまた良いと言えば良かったのですが、その印象があるのか、久しぶりの京観世は昔より柔らかくなった気がしました。

     返事
花水木さん:都会では1個500円のケーキに、
    私も慣れてきて驚かなくなってきましたが、
    この笹乃雪は見かけより安いので、お土産に良いかも。

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2.笹乃雪

2019-01-17 | 菓子たくさん
    
 石川県能登の浜口長生堂という店の「笹乃雪」
    
 金沢市内にも店があるようですが、樗?本物ではないよう)に包まれたお菓子です。
見かけは豪華そうですが、意外と安く130円ぐらい。
    
 もちの中にきなこを練り込んで、雪に見立てた粉砂糖をまぶした、笹の葉の形をしたお菓子です。
3枚入っていて、粉が落ちるのに気を付けて、くるっと巻くようにして口に入れると、甘さが広がりました。
ものすごく上品な味というわけではありませんが、それがまた良いのかもしれません。
    
 私は初めて食べたと思います。
能登や金沢に行かれたら、お土産にどうぞ。

     返事
花水木さん:シホンケーキに目の前でクリームを塗って苺を載せて、
    孫と息子の嫁が作ってくれました。
     私は嫁や婿には恵まれてると思います。
どこまでも追っかけ、だった頃もあったさん:
    ある時はサメ肌の女、またある時は三重ノ海、
    しかしてその実体は、七つの顔を持つH病院のNさんですね。
    久しぶりのコメントありがとうございます。
         多羅尾坂内

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1.正月も終わり

2019-01-14 | 菓子たくさん
    
 成人の日の連休も終わり、今年の正月もなんということなく終わりました。
あとは年賀はがきのお年玉籤が当たるかどうかぐらい。
 娘夫婦が年賀の挨拶に持って来てくれた、近所の京都北山マールブランシュの正月用ケーキ。
    
 正月三が日過ぎは家内の誕生日でもあるので、皆で祝った嫁の手作り誕生日ケーキ。
    
 この連休は、近くの家族だけで夕食会。
お土産の、昨年秋に京都にも出来たパリの店ブーランジェリーのケーキ。
じゃんけんはべべから2番目でしたが、私はどれが当たったでしょうか?
ちょっとパリの味がする(知らんくせにと言われましたが)、右下のミルフュールでしたが、美味しかった。
 正月1.5㎏ほど太りました。

      返事
花水木さん:新元号の私の予想。
    Aだと思うので、「安○」という感じでどうでしょうか。

コメント (2)
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