島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

国道384号

2014-04-26 | 富江
 
 福江島はやっぱり都会ですね、県道168号しかなかった奈留島と違い、国道も走っています。
富江病院の横を通る、前回の低いカーブミラーもある、国道384号線です。
 病院や官舎の有るのは富江町狩立、お殿様の狩場があったようですね。
 
 写真奥のビルの向こうに富江病院がありますが、病院からこの坂道を下って5分、富江町に入る点滅信号の有るこの四つ角が、国道384号の起点です。
 ここからずっと左手に海を見ながら、大宝・荒川・高浜・三井楽・岐宿と福江島の外周を、時計回りに福江港まで、福江島をほぼ一周60数kmの景色の良い道です。
 ただし、残った福江港から富江までは国道ではなく、15kmほどの県道49号になります。
 
 国道384号は福江港で終わりではありません、ここからは海上航路で上五島の中通島へと続きます。
  【ここで豆知識:このように海上区間の有る国道は「海上国道」と言うそうで、そういえば昔岡山の宇野と四国の高松を結ぶ宇高連絡船にも「宇高国道フェリー」と書かれていました。
  日本には鹿児島と沖縄を結ぶ長い長い海上国道を含む国道58号など、このような国道が24路線あるそうです】
 福江島から中通島の奈良尾港までが海上国道、そして奈良尾から有川まで中通島を縦断して、私たちもよく走っていた道が約30km、有川港から再び海上国道で写真の佐世保港に着きます。
佐世保港からはたったの483mで、戸尾町の国道35号と接続、ここが終点です。
陸上部全長約100kmと、2回の海上航路を含めて国道384号と言うことになります。
 富江は佐世保に繫がりますか!、まあこの行程はまず使わないで、やっぱり長崎に行くでしょうね。

     返事
福山市さん:カーブミラーぐらいしか観察できないので、福山市さんの言葉はほめ殺しですね。
綾部のとしちゃん:フークにあとせめて1~2年は、癒してもらいたいです。
さんまさん:質問の「まんだかの~」は、「いもはまんだかな」と言う「芋巡り」の行事のことですよね。
   年配の患者さんや富江生まれの看護婦さんたちの話をまとめると、
   旧8月15日(今年なら9月8日です)十五夜の日に、子供達が「いもはまんだかな」と言いながら各家庭を廻って、
   芋やお菓子やジュース、時にはお金を貰って廻る富江の風習、福江にはないそうです。
   縁側(おえん)にお月見の飾りの有る家を廻る・どこでも手当たり次第廻る・中学生ぐらいまで・幼児は親と一緒も可・普通の格好・
   リュックやゴミ袋を持って廻る・用意してないとお金の時もある・何もくれない家も有る、
   元々は麦を植える季節に合わせて?や豊作のお礼で芋や餅を貰ったという人もいたのと、富江藩内なので、起源は江戸期?
    一言で言えば「富江ばハロウィンじゃ」らしいです。
   こんなもんで許してください。
コメント (6)
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何故カーブミラーが低いのか

2014-04-24 | 富江
 
 富江病院から海のほうにフークと下っていきます、国道384号です。
その途中の四つ角にあるカーブミラー、何故かえらく低い位置に鏡が付いています。
坂道だからでしょうか?富江小学校も近いので子供が見やすいようにでしょうか?鏡の中に、向かいに立つ私とフークが映ってます。
 
 近づいてみると、歩行者の私が完全に見下ろすほど低い位置に、鏡は付いています。
鏡の湾曲で、フークの胴は長く、私の足は短く映っています。
 
 向かいに立っているカーブミラーは普通の高さに鏡が付いている、普通のカーブミラーのようですし、これだけが何故ですかね?
 鏡に映る私の臍ぐらいの高さでしょう。
  
 何でかなあ?と思い悩んでいましたが、この写真を見ていて簡単に結果が出ました。
家のひさしが有るために、これ以上高く出来なかっただけなんですね。
 なんやと思ってしまい、これが正解だと思うのですが、そしたらこの支柱は個人の敷地内に立ってることになりますよね、もうチョット前に出して、公共の土地に普通の高さに立てるのが本来の姿では?と、疑問が振り出しに戻ってしまいましたよ。

    返事
花水木さん:菜種梅雨は聞いたことありますが、筍梅雨は知りませんでした。
    人のブログやコメントは、結構勉強になりますよね。
京都の私、名前は、どすえ:三重の海・サメ肌女は昔の名前、久しぶりのコメントありがとう。
    出来ればもう少し短い名前でお願いします。
    富江病院の看護婦さんで、30年前に青野原の看護学校出身者を見つけましたが、そっちはもっと古いか?
大雪男さん:マートン下降、鳥谷上昇なので、なんとかもっていますかね。
     今回もくだらない・どうでもいいと言う視点で書かせてもらいました。
綾部のとしちゃん:としちゃんは昔は本当にグラマーだったのに、
    今は場所違いのグラマーですか。
     それはそうと、グラマーなんて単語は死語かも。
和さん:というわけで、くだらない系で続けます。
    そしてそのネタを、連休も富江で捜し続けます。
コメント (3)
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日曜日また雨

2014-04-22 | 富江

 富江に来てから20日ほど経ちました。
そして土曜日はまた当直、当直あけの日曜日はまたまた雨です。
 3月には家内と娘の3人で、4月初めには家内と二人で、そして今日は私一人で魚津ヶ崎公園の菜の花畑に立っています。
  
 本当は先週の日曜日に菜の花まつりの予定が、雨で1週間順延も、数日前から天候不良で今日の菜の花まつりも中止が決まっていました。
天気の予想の通り雨、菜の花は満開なんですがね。
 以前の2回と同じような所から、3回目の菜の花の写真ですが、姫島もかすんでいました。
  
 一人で写す人もいないので仕方がなく、南仏海岸を走る車のCMのように?、愛車を入れて撮ってみました。
 さてこれからどんなブログにしていくのか、迷っています。
福江島ではブログをやってる人も多いので、話がなんか重なりそうで、困ってます。
まあとりあえずは病院周辺のフークとの散歩の中で、細かい誰も取り上げないくだらない話題から始めますかねと、悩んでいます。

        返事
花水木さん:私の末期の水は煙草と思ってましたが、それも止めたので、
     今なら末期のアイスですかね。
大雪男さん:マートンは何故急に打たなくなったのですか?
和さん:揚げ物の時は、ソース?・ケチャップ・からしの入った小皿が出てきます、
    それを混ぜて完成さすのが、いつもの私のお手伝いです。
コメント (5)
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奈留島百人一首91

2014-04-19 | 奈留島百人一首
 
  【もう皆さんお忘れになったかもしれませんが、奈留島百人一首はまだ10首残っています。
   ボチボチ残りを埋めて完成させますので、お付き合いのほどお願いいたします。】

 91. きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに
             衣かたしき ひとりかも寝む

                        後京極摂政前太政大臣(1169~1206)
 作者は76番作者藤原忠通の孫で、関白九条兼実(カネザネ)の子である藤原良経(フジワラノヨシツネ)
です。
俊成・定家の良きスャ塔Tーでもありました。
 「こおろぎが鳴く霜の降りた寒い夜でも、私は着物の片袖を敷いて、寂しく一人で寝るばかり、彼女も誰もいないのですよ。」
 このように、もてないことを言いふらしながら、母性本能をくすぐってもてようとする作戦、私もとることもありましたが、この作戦あまり成功しませんよ。
 
 91. アジフライ 買ったある夜の べんとうに
              衣固しき それでもうまい

                            夜の・に・衣かたしき  10字 同じ
 「衣片敷き(固しき)」を使う為だけに作った歌なので、別にこの家内が揚げたアジフライの衣が固かったわけではありません。
 奈留島では500円の弁当に付いてくるアジフライでも非常にうまいですが、家で揚げたてのアジフライを食べるのが、最高にうまいです。

    返事
綾部のとしちゃん:間違ってすみませんでした。  行ってあげて下さい。
大雪男さん:やっぱり5月5日までのカープは強いということですね。
和さん:富江の入口、商店街に入る大きな四辻の一等地、空き地になってますが、
      ここに映画館があったと聞きました、当たってますか?
花水木さん:人間の性って浮「ですな、ビール看板なんて、私にはまったく思いつかないことです。
     「直ぐに極められる」って、それは私は挫折するってことですよね。
コメント (3)
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海嶺

2014-04-17 | 富江
 
 富江病院から歩いて3分、富江小学校がありますが、その向に小さな教会を見つけました。
ここは隠れキリシタンではなく、カトリックでもない、プロテスタントの教会である富江バプテスト教会でした。
 京都にもバプテスト病院があって、私の初孫も出産直後そこのNICUに担ぎこまれたので、私も5年前に奈留島から初孫に面会に京都バプテスト病院に行き、NICUのガラス窓越しに対面したことを思い出しました。
 確かブログにも、嬉しくて書いていたと思います。
 
 4月13日(日)夕方7時前、富江の空低くに満月に近い月が懸かっていました。
 富江バプテスト教会で映画会があるという看板に誘われて、初孫がお世話になったバプテストも何かのご縁と、どこでも行きたがり屋の私は、早速入ってみることにしました。
もちろん無料です。
 米国北部バプテストの宣教師が、1911年から瀬戸内海で伝道していた「福音丸」と言う伝道船を使って、平戸から五島まで布教活動をして、丁度今から100年前の1914年に、その頃は福江よりずっと繁栄していたと思われる富江に教会を作ったと、映画の後で聞きました。
 
 プロテスタントの教会の内部は、十字架だけでシンプルです。
この中での映画会ですし、教会の人が3人、観客は私を入れて5名、しかも私が一番若そうですので、五島でのプロテスタントの布教はなかなか苦労が有りそうですよ。
 窓から薄暮の外の光や、車の音も聞こえますし、画面も大きくはなさそうですが、なんか昔の校庭での野外映画会を思い出すようで、少しワクワクしてきました。
 さすがに一応教会での映画会、賛美歌の斉唱で始まりましたが、「いつくしみ深き」なのでオルガンに合わせて大声で歌えました。
 
 映画は聞いた事もない「海嶺」。
日本史でその名前だけはなんとなく憶えの有る幕末1837年の「モリソン号事件」の日本人漂流民の話でしたが、さすがに教会での上映会、原作は三浦綾子さんですし、初めて聖書を和訳した話も出てくる、約30年前の松忠f画でした。
 若い若い西郷輝彦・あおい輝彦・井上純一など懐かしいアイドル達に、忠コ景子・米倉斉加年・田村高廣・火野正平などが脇をかためていました。
そしてびっくりの、なんか見た顔と思った、昔LPも持っていたジョニー・キャッシュまでもが出ています、CDでも買ってまたカントリーウエスタンを聴きたいような気分にもなった、なかなか楽しい富江の日曜の夜でした。

    返事
和さん:65年間使用の血管が切れるより、20年間使用のゴムが切れるほうが、
    まだ良かったですよね。
大雪男さん:カープを三たては望んでいませんが、カープが三たては嫌ですよ。
花水木さん:遅いけどフォームがきれいって、私の理想です、
    花水木さんが出来るのなら(失礼)、私もクロール挑戦するかも?
綾部のとしちゃん:ご愛読ありがとうございます。 メールで分りました。
    綾部の上林のカフェ「じょんのび」、夫人が高校同級生です。
    ドッグランも整備されていますので、あの時の愛犬まだいるならどうぞ行ってやって下さい。
コメント (4)
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