第7代孝霊天皇は4人の妻を持ち、8人の子をもうけていますが、4人の妻のうちオホヤマトクニアレヒメノミコトが産んだのが、古事記では夜麻登登母母會毘売命(ヤマトトモモソビメノミコト)、日本書紀では倭亦亦日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメノミコト)と表記されている娘(皇女)です。
巫女的存在として、皇女にしてはいろいろな話が残っていますが、卑弥呼のモデルではないかとの話が一番有名です。
その墓は、奈良盆地の東の桜井市にある大市墓(オオイチノハカ)、普通には箸墓古墳(ハシハカコフン)と呼ばれています。
近くにあった桜井市立埋蔵文化財センターに寄って、付近の様子を勉強した後に、箸墓に向かいました。
箸墓を真横から眺めた写真です。
長さ280ⅿ高さ30ⅿ、右に前方部左が後円部にあたります。
3世紀中頃に作られ、日本で11番目の大きさで、全国でも古いほうの前期古墳に入る大型前方後円墳です。
卑弥呼(~248年)と同時期に作られたこともあって、邪馬台国畿内説の人々には卑弥呼の墓ではないかと思われています。
「昼は人が造り、夜は神が造った」そうです。
ヤマトトトビモモソヒメノミコトは大物主神(オホモトヌシノカミ)の妻となっていましたが、夜しか来ないのでお顔が分かりませんでした。
ぜひ顔をお見せ下さいと願ったら、「櫛の箱に入ってる」と言われたので、朝になって箱を開いて見てみると、小さな蛇が入っていたので、思わず驚いて叫んでしまいました。
正体を見て驚き、恥をかかされたので、大物主神は「私は離婚して、お前に恥をかかす」と、山に帰ってしまいました。
姫は悔いて、その場にペタリと座り込んだ時、下にあった箸が陰(ホト)に刺さり死んでしまったので、その墓を箸墓という伝説があります。(ちょっと意図が不明の伝説ですね。)
箸墓のちょうど向かいに、昔から三輪そうめんやっまっもと
のコマーシャルソングで懐かしい三輪そうめん山本の店と広い駐車場があったので、ここに車を停めさしてもらって(もちろん帰りに細いそうめんを買いました)、箸墓をゆっくり見学に行きました。
三輪そうめん山本は創立300年の会社ですが、看板のごとく、株式会社三輪山本に名前が変っていたのですね。
少し勉強というか:
初代神武天皇から第124代昭和天皇まで、すなわち紀元前660年から1989年までの2649年間で124人の天皇ですから、1代の平均在位年数は2649÷124≒21年間。
これなら20歳で子供を産んで、20歳で即位して40歳で死んだ時に、子供が20歳になっていて、また即位して子を産むという繰り返しで、何とか計算は成り立ちます。
これに比べて初代神武天皇から第33代推古天皇まで、紀元前660年から601年までの一蔀1260年では、1260÷33≒38年間と、これはなかなか不可能な数字です。
さて、それで日本の始まりを紀元前660年としてしまった人たちは困ったんでしょうね。
続く
返事
花水木さん:カタカナで読み方を書いていますが、
書き間違ってるような、いないような、わからない時があります。
頑張るので、よろしくお願いします。