島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

106-1正親町天皇

2022-05-18 | 天皇陵巡り

 

 第105代後奈良天皇(1497~1557)(在位1526~1557)の第2皇子で、母は万里小路栄子(マデノコウジエイシ)(1494~1522)の方仁親王(ミチヒト)は、父の死に伴って践祚し、第106代正親町天皇(オウギマチ)(1516~1593)(在位1557~1586)となりました。

  今まで何回も出していた写真の深草十二帝陵の石柱、師団街道沿いに立ってると書いていましたが、古い友人から「師団街道から一筋ずれてる所」と指摘されましたので、今までの分は訂正します。

即位礼も践祚後2年余りで、毛利元就(モトナリ)の献金で、祖父や父と比べてもかなり早く挙行出来ました。

40歳で天皇になり、治世も30年に及び、織田信長・豊臣秀吉の織豊政権とは巧みに付き合って、朝廷の威信回復を成し遂げた天皇でもありました。

NHK大河「麒麟がくる」では、玉三郎が正親町天皇役をしてましたね。

 典侍の万里小路房子(?~1580)との間に唯一の第1皇子誠仁親王(サネヒト)(1552~1586)が産まれましたが、皇位に就くことなく父に先立って亡くなっています。

 1586年に亡くなったその誠仁親王の第1王子、すなわち正親町天皇の孫にあたる周仁親王(カタヒト)(1571~1617)を猶子にして譲位し、1593年に崩御し深草北陵(フカクサキタノミササギ)(伏見区深草坊町)に葬られています。

       返事

Toitennさん:4人で遊びに来てください。

    その時は「かんぴょう巻き」を用意しておきます。

     当たり!奥の細道も半分の酒田までで極めています。

    でもやっぱり、残り日本海沿い南下をいつかやり遂げたいです。

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51.干瓢菓子るかんた

2022-05-15 | 菓子たくさん

 五島列島福江島の富江病院で働いていた時に一緒だった事務の女の子が、結婚して栃木県宇都宮に住み、旦那の学会ついでに夫婦で京都に遊びの来てくれた時の手土産が、「干瓢菓子るかんた」(150円かな)です、

 「るかんた」、フランス語の定冠詞「ル」に干瓢「乾太」を組み合わせた、「ザ・かんぴょう」というネーミングらしいです。

 この「るかんた」、栃木県小山市に本店のある、大正元年創業の「乙女屋・Otomeya]の製品です。

 子供の時に遠足の弁当のおかずは何が良いと聞かれたら、「干瓢と椎茸の炊いたの!」と答えてたぐらいの干瓢好きの私でしたが、大学時代に自転車で奥の細道を走ってる時に、栃木県の道端の畑で夕顔の大きな実から干瓢を削り出してる光景を目の当たりにして、「干瓢ってこうなってるのか!!!」とびっくりした想い出が鮮明に残っています。

 この郷土特産かんぴょうを、ジャムに仕上げて作ったのが「るかんた」ですが、食べても干瓢感は全くありませんでした。

好きだった干瓢ですが、そもそも干瓢に味なんてあるんですかね。

 

        返事

大雪男さん:野球というのは団体スポーツの割には、

    かなり個人にスポットが当たるスポーツですね。

    合間にご飯を食べたりトイレに行く時間も十分にあります。

    TV中継は選手のアップばかりで、

    他の選手がどう動いてるかTVでは全く分かりません。

    まああの間合いが、日本人に合うのですかね。

    ゴールデンウイークの阪神巨人戦TV中継は、合成にしたのか、

    いろいろな方向からの全体像も写る中継で、面白かったのですが。

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105-1後奈良天皇

2022-05-11 | 天皇陵巡り

 このgooブログで初めてですが、2ヶ月ぶりの天皇陵巡りの投稿です。

好評とは思えませんが、ここまで来たら止められません、今後もよろしくお願いします。

 第104代後柏原天皇(1464~1526)(在位1500~1526)の第2皇子で、母は勧修寺藤子(カジュウジトウシ)の知仁親王(トモヒトシンノウ)は、父の崩御で践祚(センソ天皇の位を受け継ぐこと)し第105代後奈良天皇(ゴナラ)(1497~1557)(在位1526~1557)になりましたが、内戦で即位式(皇位に就いたことを内外に明らかにすること)は10年後の1535年に、北条・今川・朝倉・大内など諸大名の献金でやっと行うことが出来たぐらいです。

 女院万里小路栄子(マデノコウジエイシ)(1494~1522)との間に2男2女をもうけ、その第1皇子方仁親王(ミチヒト)(1517~1593)が次の天皇になっていますし、他にも6人ほどの妃との間に皇子女をもうけています。

万里小路栄子は後奈良天皇になる前に亡くなりましたので、贈皇太后にはなってますが、その墓を私は見つけられませんでした。

  深草北陵の制札の10番目に、後奈良の名がありました

 父が桓武天皇の別称柏原帝にちなんで後柏原天皇と称したので、桓武ー平城親子にちなんで平城天皇の別称奈良帝より、後奈良天皇となったようです。

 宸筆(天皇直筆)を売って、朝廷維持費の足しにすることもありましたが、疫病退散で金泥で書かれた写経を24ヶ国一宮に奉納されて、その最後には自分の徳のなさを責めている、正直な天皇だったようです。

  深草北陵のこの写真も、もう2年前になりますかね

 後奈良天皇の在位は32年に及びましたが(1526~1557)、その間1531年享禄の乱・1543年鉄砲伝来・1549年キリスト教伝来・1553年~川中島合戦と、いよいよ戦国時代に突入しました。

1560年6月12日の桶狭間の戦いの3年前に亡くなった後奈良天皇は、深草北陵(フカクサノキタノミササギ)(伏見区深草坊町)に葬られ、その灰塚は月輪陵にもあります。

         返事

Toitennさん:楽しみです。

大雪男さん:粽を剥いて、この色が出てきたのは衝撃でしたが、

    剥くまでが楽しいお菓子に過ぎなかったようです。

     もう勝負を超越して見ることが出来る今年のNLBもそれなりです。

     団体スポーツの個人にだけ焦点を当てて喜んでる、

    日本人のMLB観戦は好きでは ありません。

     右上朱印「一日不可無」柏餅、

    たぶん唐詩からの引用で、(この柏餅)無しでは一日も暮らせない、

    の意味だと思います。

    

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50.粽

2022-05-08 | 菓子たくさん

  私の今年のゴールデンウイークは、3連休・一日働き・4連休でした。

前半は徳島の義母の見舞いに行きましたが、後半はほぼ何もせずに過ごしています。(まあ少しだけ休日出勤・麻雀・競馬・琵琶湖ドライブぐらいです)

 写真の柏餅は菓子たくさん35.で紹介してました。 

 柏餅の柏葉は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから、子孫繁栄の意味があるそうです。

この柏餅は鶴屋吉信製で、餅は道明寺製で、つぶあん・こしあんの2種類を食べました。

 新芽の孫も上はもう中学生、子供も新芽とは言えなくなった今、古い葉の私はいつ落ちてもいいのに、甘いもの食べたさに枝にしがみついています。

 

   柱あの~きいずうは一昨年い~の

     ご~があついつかああの 背比べ

   ち~まき 食べたあべ かあさあん~が

     作うってくれ~た ・・・・・ あれっ! 違うなあ!

粽(ちまき)は、関西では食べるのが定着してるようですが、関東にはその風習はないようですね。

したがって、上の歌は関西人の作詞家製でしょうね。

 虎屋の粽、1本450円はするので、これは買ったものではなく貰いものです。

 祇園祭でも鉾からちまきを撒きますが、そのちまきには中身は入っていません。

 虎屋の今回の粽、白っぽい餅ではなく、予想に反してこんな色鮮やかな葛?製の餅が入っていました。

 ゴールデンウイーク前半は、ブログ移行出来たり阪神が巨人に3連勝など、夢のような出来事が続きましたが、後半は麻雀も負けましたし阪神も勝てず、歳を思いきり感じるようにもなりましたし、やや落ち込んでます。

 明日から仕事、と言っても大した仕事ではないですが、これを書いてから、景気づけに墓参りにでも行って、商家の旦那さんの予想も参考にしたマイルぐらい入らないかなあ!

        

      返事

じょんのびかあさん:お元気ですか!

    9月には久しぶりに同窓会とメール入りましたね、来てくださいね!

元商家の嫁さん:LINE受け取りました、小浜の店行ってみます。

    旦那さんの予想も少し加えて買っています。

Toitennさん:そうですね。 仕事で皆と話するのが生きがいなので、

    辞めるのはダメでしょうね。

     豆大福なしでも、

    その悪いこと言いの口があれば十分お土産になりますよ。

大雪男さん:Gooブログに移行は、

    クリック一つで出来るようになっていたようです。

     大雪男さんは丈夫だから85歳までは今のペースいけますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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想い出8.

2022-05-06 | ノンジャンル

  京都に戻って6年経ちました。

京都に戻ってからは、時間給で病院・診療所・老人施設などで、外来や外科処置や訪問診療をしています。

 徐々に仕事の量を減らして、75歳で軟着陸リタイア・80歳没を考えて島から戻りました。

しんどくなってはきているので、仕事の量は減らしていますが、85歳没に方針変更したので、75歳を過ぎてもまだ働かなくてはいけないかなあ、とは考えています。

  京都に戻って、送り火も特等席で毎年観れます。

 「島の医者になって」は「島の医者になって、た頃もあった」に名前を変えて、あまり好評ではない天皇陵巡りを中心に、コメンテーターさんの応援で続けさせてもらってます。 

   本当に感謝しています。

この度teacupブログ消滅の危機を、何とかというか何となく、このgooブログ移行で乗り切ったので、この想い出8.もgooブログで書けています。

  京都に帰って、W杯ラグビーも2試合観に行きことが出来ました

 teacupのブログ消滅で移行も出来ず、阪神も開幕から勝てず、桜花賞も皐月賞も天皇賞も負け、で4月はかなり気落ちしていました。

しかしゴールデンウイークに入って阪神は巨人に三連勝、そして頑張って色々試したかいあって、何となくGooブログに移行してしまえました。

何のために想い出を8回も投稿してしまったのか判りませんが、まあ良かったです。

 消滅するという危機感から、天皇陵巡りの印刷保存をしていて、やっぱりこのブログは花水木さん・大雪男さん・和さん・Toitennさんのコメンテーター四天王で成り立ってることがよく分かりました。

出来ればこの四天王の牙城を崩し、五天王~十天王となるべき人が増えてくれることを祈って、これからもこのgooブログで誠心誠意精進することを誓い、想い出8.の言葉といたします。

   移行成就!

     ご清聴 ありがとうございました!!

コメント (4)
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