第89代後深草天皇(1243~1304)は9人ぐらいの妃に20人弱の皇子女をもうけていますが、妃になった人の陵墓で宮内庁治定されてるのは有りません。
梅雨の晴れ間に先日訪問したばかりの墓は、京都高雄神護寺境内の多宝塔の右から山道を、熊が出そうなのでスマホの音量を一杯にして、中島みゆきの曲を6曲聞いた頃に、青空と共に見えてきました
後深草の子供は、第2皇子で第92代伏見天皇はまあ当然として、第3皇女で第91代後宇多天皇皇后の姈子内親王の陵も宮内庁治定です。
後深草天皇皇子性仁親王墓(右京区梅ケ畑高雄町)になんとかたどり着きましたが、新型コロナで運動不足か、ヘロヘロになりました
他にも有名どころでは、第6皇子で第8代鎌倉幕府征夷大将軍(宮将軍)になった久明親王もいますが、今回の第3(4)皇子性仁親王(ショウニンシンノウ)(1267~1304)墓が治定されてるので、登って行きました。
性仁親王の母は、兄の伏見天皇と同じ洞院愔子(インシ)ですが、単に真言宗仁和寺で出家した僧と言うだけで、特に逸話がある人ではありませんでした。
菊の御紋は輝いていましたが、殺風景なお墓でした
独立した墓として宮内庁が治定していてもあまり知らない人や、宮家の墓地として沢山の人と一緒に治定されてる人の墓へ参るのは、あまり面白くもないので(遠くで行きにくい人もあります)、今後はパスしていきたいと思ってます。
高い所にある墓の前が開けていたので、眺めは良かったですが、長居は無用とさっさと下山しました
返事
花水木さん:そんなに反応が出たなら、
れっきとした若人ですよ。