島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

勘次ヶ城

2014-06-29 | 富江
 
 勘次ヶ城(カンジガシロ)は丸い富江半島の一番端にある、富江でも一二を争う名所です。
 蛸壺状に構築された石塁で、中世の大陸貿易や倭寇の活動拠点に、又は江戸時代の密貿易の拠点として利用されたと伝えられていますが、この勘次ヶ城という名の由来は、江戸時代に気がふれた腕の良い大工の勘次が住み着いたので、こう呼ばれるようになったらしいです。
 
 さんさん富江のキャンプ場から海沿いのサイクリングロードを気持ち良く4㎞ほど走ると、ここに到着。
 ここでは城の石塁よりもインパクトのある倭寇?の像、大きなセメント?製の着色像が、岬の先端からはるか海を見ています。
 以前奈留島からも車を借りて数回ここに来て、この像も報告したことがあると思いますが、像の姿は奈留島在住の二人にそっくりです。
 
 
    *新しいPCは縦写真がうまくいかないので、お許しを!
 座って刀を持ってる方は、今も自転車に釣竿をくくりつけて奈留島中を走り回ってる人に似てますし。
右側(上側)の中腰の人は、昔はフークと散歩中にはいつも遭って、声を鰍ッ合う友達でしたが、今は体調を崩して動けず施設に入ってる人にそっくりです。
 この像が何をモデルにしたか知りませんが、倭寇の人とするなら、奈留島にいる二人は絶対に倭寇の血を受け継いでいる人だと思います。

 6月もあと1日、富江病院に赴任して3か月、昨日から五島も暑くなってきました。
天気も良いですが日当直、でも宝塚記念まんまと3連複5万8千円と馬連9千円までも獲れましたよ!!

       返事
花水木さん:マリーゴールドを全く植えてないタバコ畑もあったので、
    素晴らしい効果というほどではないようですが、まあ少しだけの効果の方が安全ですよね。
大雪男さん:記憶という行動は本当に不思議ですね。
    私の記憶は、絶えず自分の都合の良いように訂正が入っている気がします
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葉タバコ

2014-06-27 | 富江
 
 福江島は葉タバコ栽狽熕キんで、富江にもタバコ農家がたくさんあるようで、富江を散策していると、今が収穫期のタバコ畑があちこちで目につきます。
 
 五島では、タバコは2月ごろに苗を植えて、5月ぐらいから下の方の葉から順番に摘み取っていくようです。
上のほうの葉ほどニコチンを多く含んでいるとのこと。
 
 このタバコ畑の畝と畝の間に沿ってキャタピラ付の車を動かして、それに摘んだ葉を載せていくそうですが、この作業中にキャタピラに踏まれたタバコ農家の人が外来通院中です。
そのおじいさんに少し迷惑がられながら、タバコ栽狽フことをいろいろ尋ねて勉強しています。
 
 お気づきの様に、タバコ畑の畝の端にはこんな花がきまって植えられています。
この花はタバコに付く害虫を匂い?根の力?などで防いでいるようで、おじいさんに花の名を尋ねると、忘れてしまったとのことでした。
 富江病院の道の向かいに丁度JAがあるので尋ねに行くと、親切にもわざわざタバコ農家に電話してくれて、マリーゴールドと判明。
なんか聞いたことのある花の名だったので、少し拍子抜けしましたが疑問は解けました。

      返事
花水木さん:小倉百人一首を最近暗唱してみると、13番でつまずいてしまいました。
    その後はなかなかでない歌ばかりが続きます、もう一度覚えなおしが必要なぼんくら記憶力になっています。
大雪男さん:新しいことの記憶力は、全くダメになっています。
和さん:ビニールがない頃は、紙袋か餅を裸で投げていたのですか?
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈留島百人一首96

2014-06-23 | 奈留島百人一首
 
 96. 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
           ふりゆくものは わが身なりけり

                    入道前太政大臣(1171~1244)
 前の太政大臣で、出家されている人ということでこの名がついた藤原公経(キンツネ)は、小倉百人一首の作者中最後に死んだ人ですので、百人一首の作者は約600年の間から選ばれていることになります。
まあ定家が選んだ小倉百人一首は、「600年間ヒットチャートベスト100」と言えないことはないんでしょうね。
 「桜の花をさそい散らして激しい風の吹く庭は、ちょうど(降りゆく)ようだが、ふと考えると(古るゆく)のは、実は私なんですなあ。」
 この歌自体はなかなかのものだと思いますが、公経本人は鎌倉幕府にも取り入って、公家の間でも権力を握り、その金で贅沢な遊びに耽った、あまりいい人ではなかったようです。
 
 96. 皆さそふ 餅まきの日の 床ならで
           ふりゆくものは 紅白の餅

             さそふ・の・の・ゆ・ならで・ふりゆくものは  16字 同じ
 奈留島ではお祝い事や祭り、又何かの行事があると、「餅まき」をする習慣がありますし、餅まきがあると、それなりに人もたくさん集まってきます。
新築の上棟式では、餅の中にお金が入っている時もあったり、時には抽選券も入ってる餅まきもあるようです。
 
 基本的には、このようなビニィール袋に入った紅白の餅が撒かれます。
餅まきの餅は、奈留島の餅屋さんの餅だと思いますが、なかなか美味しく、家で作るぜんざいに入れると絶品です。
 餅まきで餅をたくさん拾うコツは、決して撒いてる人や空中を飛んでくる餅を見てはいけません、ひたすら下を向いて床をすべってくる餅を拾うのです。
 そんな情景やコツを上手に入れ込んだ一首になりました。

       返事
花水木さん:宗教で戦争が起こる理由がわからない時がありますが、
     あまり信じ込むのは宗教も主義主張もよくないですね、
     全てのことに少し疑問を持って、自信なく生きていくことの方が好きです。
大雪男さん:前回の本歌、ホンマになんか良さがわかりませんよね。
     ラグビーはイタリアにかろうじて勝ちましたが、もう1歩2歩前進を願っています。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈留島百人一首95

2014-06-20 | 奈留島百人一首
 
 95. おほけなく うき世の民に おほうかな
             わが立つ杣に すみ染の袖
 
               前大僧正慈円(サキノダイソウジョウジエン)(1155~1225)
 「身の程をわきまえないと言われてもしかたないが、つらいこの世に住む民を祈りで救いたい、比叡山で僧侶として住みはじめた私は。」
 慈円は76番作者前関白藤原忠通の子供で、兄の九条兼実(カネザネ)は関白、91番作者後京極摂政前太政大臣藤原良経は甥になります。
4回も天台座主(テンダイザス)となり、更に大僧正という坊主の最高位まで上った人で、偉いとは思いますが、元々身分が高く家柄の良い人が坊主になって、どんどん位が上がっていくことに反発して、親鸞や日蓮は出てきたのでしょうね。
 
 95. アーメンと 奈留島の民に 祈るかな
             わが立つ泉に 白色の袖

                  の民に・かな・わが立つ・に・の袖  14字 同じ
 奈留島には今でも教会は三つありますが、実際に毎日ミサなどが行われていて、神父さんも常駐しているのは、この奈留教会だけです。
 
 奈留教会の中庭にあるルルド、聖母マリア出現のフランスのルルドの泉を模した石窟で、カトリック教会にはよく見られます。(私も何故かカトリック系幼稚園の育ちで、園庭にあったルルドのマリア像に小さな手を合わせていました)
 前の94番で奈留島の寺を紹介したので、偏らないように、元歌は坊主の歌ですが、今回はなんとか無理矢理キリスト教関連施設の歌に変換してみた、それなりの一首です。

       返事
花水木さん:少年時代の葬儀や法事は、なんとなく記憶があいまいで、
    それでいて印象的な場面を妙にはっきり覚えていたりしますね。
     やりたくないですが、やっぱり儀式は必要かなと思うときもあります。
大雪男さん:この本歌のような歌が良いとは、大人ですねえ。
    日本、限りなく通過が困難になりましたが、私は明日のラクビーのイタリア戦のほうが気になります。
和さん:少し検索しましたが、PCで五島TVを見る方法はわかりませんでした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈留島百人一首94

2014-06-18 | 奈留島百人一首
 
 94. み吉野の 山の秋風 さよふけて
           ふるさと寒く 衣打つなり

                 参議雅経(サンギマサツネ)(1170~1221)
 「昔々は天皇の離宮のあった吉野の里、でも今は山から里へ吹き降ろす秋風に、夜も更けていっそう寒さが身にしみますし、砧で衣を打つさみしそうな音も聞こえてきますよ」
 藤原雅経は「新古今集」の撰者の一人となる歌の名人でしたが、又蹴鞠も名人で、飛鳥井流蹴鞠の開祖ともなりました。
彼の住んだ館跡に建てられたのが、77番の作者で、怨霊となった第75代崇徳天皇の御霊を祀る白峯神社です。
私はこの白峯神社の横にあった病院に9年間ほど勤めていましたが、その頃から人気の出てきたサッカーとは蹴鞠つながりで、そこはサッカー選手の聖地にもなっていました。
 
 94. み仏の 顔に秋風 さらさらと
          ふるさと寒く 衣着るなり

                み・の・秋風・さ・ふるさと寒く・衣・なり  19字 同じ
 奈留島には入明船の記録にも残る海安寺、トンネルの名に残る延命寺などがあったようですが、現在も和尚さんがいる寺は浄土宗の教永寺だけです。
唯一の仏教寺院の和尚さんは忙しく、福江島や長崎までも呼ばれてお務めをされていて、その無理がたたったのか、昨年秋突然死のように亡くなられました。
亡くなる1か月前までは一緒に熱心にラージボール卓球をする仲間でしたのに、寂しい限りでした。
お葬式は葬儀の列が幟を立てて、停トに入った硬貨入りの紙ふぶきを撒きながら、ぐるぐる家の周り回ったりする、昔からのお葬式だったので興味深くはありましたが、その教永寺の門前にある赤い前鰍ッを着けたお地蔵さんの列にも、当日はさらさらと秋の風が吹きわたっていました。

        返事
和さん:五島TVは関西でもPCで観られるのですか?
大雪男さん:シフォンさんなどが頑張って、
     翌日は選手たちも一緒にコースのゴミ拾いをされてました。
花水木さん:風呂に入れたり、暖かいペットボトルを抱かしたりして、暖をとってもらいました。
     エリートクラスの人の体は、より立派に見えました。
さんまさん:トライアスロンを観てると、自分もやりたいと一瞬は思いますが、
     命には代えられないので、観るだけにしておきます。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする