島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島百人一首63

2013-11-30 | 奈留島百人一首
 
 63. 今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
            人づてならで いふよしもがな

                         左京大夫道雅(サキョウノダイブミチマサ)(993~1054)
 藤原道雅は54番の作者儀同三司母の孫、したがって儀同三司だった藤原伊周(コレチカ)の息子ですし、第66代一条天皇の后の定子の甥になります。
 一条天皇の従弟になる68番の作者三条天皇の皇女当子内親王(15歳)が伊勢神宮の斎宮職から帰った直後に道雅(24歳ぐらい)と愛し合いましたが、三条天皇の怒りに触れて仲を裂かれ、当子内親王は尼になってしまいました、その時に詠ったのがこの歌。
「今となってはきっぱりと諦めよう、ただそのことを人を通じてではなく、じかにお逢いして伝える方法があるとよいのになあ」
なんか、立派なのか女々しいのか、筋がとおているのかいないのか、判らない歌ですが、関白藤原道隆→伊周→道雅と続く実家の勢いが、道長の方の家系に負けだしたこともあるのか、乱暴なことをしたり、罷免されたり、道雅の人生はその後色々あったようですね。
 
 63. 今はなし 昔はたくさん とれたのに
            人づてなので いいかげんかな

                          今は・人づてな・で・い・かな  12字 同じ
  奈留島の水晶岳には、日本ではここ奈留島と山梨県の2ヶ所でしか採掘されない、双子水晶というハート型の水晶があるそうです。
 島の人に聞くと、昔は大きなものがたくさん、子供でも見つけられたそうですが、島以外からもたくさんの人が入ってきて盗掘された為に、今はもう獲れないそうです。
  
 以前一度島の人に連れて行ってもらい、今は無断入山禁止の水晶岳に入ったことがあります。
掘り返された残土が散らかっている辺りに、牛乳瓶が割れたかのように、小さな水晶片がたくさん落ちていました。
なんとなくハート型をしたようなものもありましたが、もう値打ちものはないようです。
 説明しないと歌の意味がまったくわからない一首なので、ランク下位の歌になりました。

     返事
大雪男さん:私の中では小さい頃から、清少納言は愛嬌のないブス、
     というイメージがインプットされたままになっています。
花水木さん:奈留島でも消防団組織はしっかりしていますが、
     沼津の週1回の訓練ほどではないです。
喜珍さん:「ばらか」は「口が悪い」という意味ですよね?
    漁師稼業は声が通る方がよいのか、大串もんの声はどこからでも聞こえてきますね。
花水木・喜珍さん2:豆で盛り上がれる知識はありませんが、
    お手伝いで筋を取っていたのは、サヤエンドウですかね?
コメント (3)
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奈留島百人一首62

2013-11-28 | 奈留島百人一首
 
 62. 夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも
            よにあふ坂の 関はゆるさじ

                                清少納言(966?~1025)
 「夜の明けない深夜に鶏の鳴き声を真似して通ろうとしても、決して逢坂の関は通れません、そのように私もあなたに逢うことは許しません。」
と、意地悪な貴公子藤原行成(ユキナリ)を拒絶した歌のようですが、もひとつ分った様な分らないような歌なのは、私が清少納言ほど頭が良くない性なのか・・・?
 清少納言の曽祖父は36番作者の清原深養父ですし、父親は42番作者の清原元輔です。
清少納言が966年生まれなら、父元輔が58歳の時の子になるんですが、これでいいのでしょうか?
  
 62. 餌さがす 烏の鳴き声に まさるとも
            大串もんの 声はうるさい
 
                            の・音・るとも・の  6字 同じ
 ゴジラの出る?土手で有名な?大串地区、奈留島の西北にある地区で、名所のビーチロックからは縄文時代の土器片も発掘されていて、「奈留は大串から開ける」と言われていますし、大串地区は奈留島の他の地区とは又違う人々が住んでいたようです。
昔は道路も発達していず、他地区との交流も少なく、狭い奈留島でも地区地区で住む人の気性が微妙に違うそうですが、最近はそれも薄まってきているようです。
 
 奈留島の他地区の人のみならず、自分達からもすすんで自分のことを「大串もん」と呼んでいる大串人は、声がなんせ大きく、自分のことしか言わないわがままな人が多いですが、付き合ってみると根は正直で裏表がなく、外科の外来診察にも来てくれる人が多く、私はそれなりに「大串もん」を気に入ってます。
 「鳥」と「烏」や「はかるとも」を「まさるとも」に替えられただけの、たいした歌にはなりませんでしたが、奈留島の情景だけでなく、その気性にも触れた一首となりました。

     返事
花水木さん:なんとなくサヤエンドウと、思いついた名前を書いたみたいで、
     インゲンが正解と思います。
喜珍さん:懐かしい!小林旭でしたね。
大雪男さん:西行が見た桜と、我々が見る染井吉野も別物ですかね。
和さん:本当に収穫や田植えの業者さんがいるんですね。
コメント (5)
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農業まつり

2013-11-25 | 五島列島
 
 11月24日(日)、用事で一人福江島に行き、ごとう農協のそばを通ったらたくさんの人。
    JAごとう 第13回 農業まつり
 奈留島には漁協はあっても農協はなし、福江島は「ごとうルビー」・「五島牛」・「ごとう豚」・タバコ栽狽ネど、むしろ農業の島です。
 なんにでも首を突っ込む私、早速見学です。
「さやえんどう」?の品評会か、優劣区別が付きそうもない豆がずらっと並んでいます。
 
 トラクターに乗っての写真撮影コーナーには誰もいませんので、早速450万円のトラクターに乗って撮影してもらいました。
 これに色々付属機を買って付け、走らすそうで、こういう車には全て免許もいるそうですよ。
  前に付いている装置は、後ろとバランスを取る為の単なる重りで、48㎏と書いてありました。
  
 この一度に4列の稲刈りと同時に脱穀も出来る稲刈り機は700万円、これ買っても1年に1週間ぐらいしか稼働せず、それ以外は車庫に眠らしておくだけ。
米・麦の収穫以外に用途はない様で、「どうすんや」と思いますが、稲刈りだけを請け負ってる会社もあるようで、そういう所や大きな農家が買うようですね。
  
 この2列(条)の稲刈り機は312万円、人手が足りないのでこれくらいなら個人農家も買うそうです、寿命は8年ぐらい、軽油で動き、メンテナンスも必要なようです。
 病院もCTやMRIなど高い医療器具の償却に追われていますが、農家も大変でしょうね。
儲かるのはクボタ・ヤンマー・三菱などだけかと、買うわけがないのにメーカーさんに色々質問してる私でした。

    返事
花水木さん:たぶん10m以上はあるでしょうね。
喜珍さん:やはり喜珍さんは理屈好きなんですね。
大雪男さん:昔の八重桜は小ぶりだったんですか?
コメント (4)
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奈留島百人一首61

2013-11-22 | 奈留島百人一首
 
 61. いにしへの 奈良の都の 八重桜
            けふ九重に 匂ひぬるかな

                                伊勢大輔(イセノタイフ)(平安時代中期)
 「けふ九重に」の「けふ」は「今日」と「京」の且戟A「九重」は「宮中」と「このあたり」の且撃ナす。
又、八重桜がもう一重を加えて九重に、もっと華やかに咲いたと言う意味も含まれているそうです。
 伊勢大輔は49番の作者大中臣能宣朝臣の孫娘で、中宮彰子に仕えていました。
この歌は、当時奈良でしか見られなかった八重桜が献上された時に、桜の受け取りを紫式部から任されて詠んだ歌で、この歌の素晴らしさに宮中全体がざわめいたそうです。
  
 61. いにしへの 奈留の夏井の 大椿
             けふここの地に そびえ立つかな

                  いにしへの・奈・の・の・けふここの・に・かな  16字 同じ
 夏井地区の裏通り、と言っても海岸沿いの道がなかった昔は、この道が表通りだったと思いますが、その民家の間に大きな椿がそびえています。
やけに周りをセメントで固めて、かわいそうな気もしますが、冬には無数の小さな花をつけています。
     奈留島で一番有名な椿、夏井の大椿です。
前の恵比寿さんの祠から見上げた時に、自然と口からこの替え歌が出てきました、と言うわけありませんが、の・のと調子よく、リズミカルな良い歌になりました。

      返事
花水木さん:現在の奈留島は学校直下の奈留病院まで、車の送り迎えが普通です。
    夕方6時には病院前に中高生がたくさんいますので、都会と変わらないですよ。
喜珍さん:永這から川に沿って真っ直ぐ水晶岳方向への道のことですか?
大雪男さん:時間が有ったらこの道を、
    大雪男さんにラッセルしてもらって行くかとも考えていたのですよ。
コメント (3)
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奈留島百人一首60

2013-11-20 | 奈留島百人一首
 
 60. 大江山 生野の道の 遠ければ
          まだふみも見ず 天の橋立

                   小式部内侍(コシキブノナイシ)(1000?~1025)
 私の母が丹後の出身なので、大江山・生野・天橋立と子供の時から耳に馴染んでいた地名が入るこの歌、子供の時は得意札でした。
 64番の作者藤原定頼から、「歌がうまいお母さんの56番作者和泉式部が丹後の国に行ってしまったので、母親に歌を作って貰えず困るでしょう、添削や手紙のやりとりはありますか?」とからかわれた時に、意地悪のお返しとして詠んだ歌です。
 「母の居るそんな遠い丹後には行ったこともないし、もちろん手紙も見てませんので、母に歌を作ってもらったことはありませんよ。」
  
 60. 汐池の その先の道の 遠ければ
           まだふみも見ず 袋部(フクロベ)の里

                       の道の・遠ければ・まだふみも見ず  16字 同じ
 奈留島の北東にある地区「汐池」、その港の北から一本の道が、島の北東端へ写真の如く延びています。
 道のあるところ奈留島はほとんど踏破したつもりですが、唯一行ってないのがこの道の先の袋部です。
もうこの道は途中で途切れていて、そう簡単には行けなくなっているという話もあります。
  
 昔、奈留島を舟で一周した時に、この袋部の海岸は海から眺めました。
この浜の奥の方に数軒家があって、子供達は朝暗いうちからここを出て、山道を越えて船廻小学校に通っていたと聞いています。
 奈留島でまだ唯一踏んでいない袋部の里を想う、情緒溢れる替え歌となりました。

     返事
大雪男さん:白内障の犬の瞳は、カラフルできれいですね。
喜珍さん:PC安くなったので買ってもいいなあと思いますが、
     つぶれるまで使う方なので、なかなか一歩が出ません。
花水木さん:花やキノコにも興味を持たないとダメですね。
コメント (3)
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