官舎から車で5分ほど、富江の丸子地区の保尾神社(ホノオジンジャ)のお祭り、10月25日(日)の午後からあるというので見学に。
神社の前庭で、ご神体を乗せたお神輿が左右に暴れまわり、鳥居から出ていく出て行かないでひっぱりまわされます。
その日の朝は雷が鳴り、大雨が降りましたが、今は晴れて暑いぐらい。
三つめの海岸近くの鳥居をくぐる時も、すったもんだで、なんとか海岸に出ました。
丸子の海岸は砂浜ではなく、こんな風な石の海岸。
丸子の地名は、海岸の小石が波浪のため丸くなっていることに由来するというそうですが、本当かどうかわかりません。
向こうの方の海岸沿いに見えるのが、丸子地区の墓地。
絶好のシュチエイションですが、昭和60年ころの台風で一度墓石はバラバラに流されたようです。
結構波のある海へ、十数人の担ぎ手と共にお神輿は入って行きました。
すぐ深くなる海岸なので、私には無理なことです。
丸子の患者さんによると、「テトラャbトを置くまでは遠浅の海岸で、わかめもよく獲れた」と嘆いていました。
それほど水は冷たくなくて気持ち良いのかどうか、しばらく沖でのんびり神輿は海に浸かっていました。
沖に見える島は、釣りと形で有名な波多羅島(ツタラシマ)。
海からあがる頃には又、あがるあがらないともみ合っていましたが、さすがに皆ばて気味。
あがってきたお神輿の周りで神主さんが祝詞をあげ、御神楽が舞われました。
保尾神社、穂尾神社とも書くそうで、保食の命(ウケモチノカミ)が祭神です。
この女神が朴の木に乗ってこの丸子の海岸に流れ着いたと言われていると、地元の人に教えてもらいました。
ここで日本書紀のお勉強:
月夜見尊をもてなすために、保食の神(ウケモチノカミ)は口からいろんな食物を吐き出しましたが、「吐き出した物を食べさすのは汚らわしい」と斬り捨てられました。
それを聞いた天照大神は怒って、「もう月夜見尊には会わない」と言い、その為に太陽と月は昼と夜に別れて出るようになりました。
担ぎ手さんは神楽の間休んだので、又帰り道は帰る帰らないと、うろうろしながら神社へ。
最後に神社になんとか戻されました。
富江神社は4日間お神輿が廻りましたが、丸子は1日だけ、それでも中に乗っていた神さん、毎年毎年こんなに振られてつらいでしょうね。
神社の鬼瓦?。
これはなんという動物をあらわしているのですかね?鯉?足も手も有るようにも見えますが?
3時前になったので、当たりもしない菊花賞を観るため帰りました。
その後、仮面をかぶった踊りなどもあったそうですが、来年の楽しみに・・・。
返事
花水木さん:さすがに家内は「つみれ・かまぼこ」までは作りませんが、
島の出来合いの「つみれ」は美味しいです。
大雪男さん:次は「うちわエビ」を報告予定です。
上五島では釣れたりはしないのですか?釣るものではないか。