島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

青森旅行3日目その1

2018-09-28 | 
   
 朝一番の6時半に朝食を摂って、奥入瀬の道がまだ混まないうちにと、朝霧がまだ残る十和田湖畔を出発しました。
    
 奥入瀬渓流の流れは十和田湖の水で、この水門によって十和田湖からの流出量が調節されているのを、最近ブラタモリで知ったところです。
    
 奥入瀬の流れで一番大きい銚子大滝。
すぐ近くの道に車を停めて、ゆっくり眺めることが出来ました。
まだ8時頃で、人も少なめです。
    
 支流から流れ込んでいる雲井大滝。
奥入瀬渓流っていつからこんなに有名になったのですかね?、カレンダーの写真でよく見るようになったのはいつ頃でしたかね?
オイラセはこんな字を書くのかと、私が知ったのはつい最近の気がしています。
 山奥から始まった谷川の水ではなく、大きな十和田湖から流れ出た水なら、琵琶湖から流れ出た水の瀬田川も奥入瀬も、変わらないのかなあと思ってしまいました。
    
    
 ところどころの道端に車を停める余裕はまだあるので、途中の大きな石ヶ戸(イシケド)休憩所に車を停めて、歩いたりバスに乗って帰ったりする予定をやめて、ちょこちょこ車を道端に停めて、ほんのちょっと歩いて見学する方法に変えました。
     
 シャッタースピードを変えたりして撮ろうと試みるも、やり方解からなくなり、雪でもない紅葉でもない、普通の奥入瀬渓流の風景写真です。
    
 阿修羅の流れと言う名の奥入瀬名物の流れは、極彩色モードで撮ってみました。
    
 そろそろ車の流れも増えてきて、連休の奥入瀬渓流になってきたようですが、まだまだ渋滞したり、停める場所がないほどでもなく、予定より早く奥入瀬渓流は終了。

      返事
花水木さん1:やっぱり和井内貞行の記憶は教科書なんですね。
花水木さん2:今の日本人バックダンサーは、
    前で歌う歌手より綺麗で脚長いですね。
    スクールメッツ時代と大違いです。

コメント (1)
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青森旅行2日目

2018-09-26 | 
    
 鯵ヶ沢の宿から車で小一時間、弘前城前の駐車場に車を停めて、弘前城観光から2日目開始。
   
   
 本当は5月連休の桜の弘前城に来れれば良かったのですが、ここの桜は管理が良いのか、この季節の葉が密集してる姿もすごかったです。
京都円山公園の有名な枝垂れ桜の葉が私の髪としたら、こっちの桜はマープ増毛したぐらい葉がありました。  
     
 江戸時代に一度天守は焼失し、その再建を隅櫓として江戸幕府に申請してだましたせいか、弘前城の天守閣は堀のそばの石垣の上に建っています。
丁度今は石垣補修工事の為、天守閣はそのまま70ⅿ水平移動していました。
写真の移動された天守閣は、なんかレゴで出来てるような姿に見えませんか。
バックの岩木山は、ここから見ると山の字の形です。
   
 たまたま近くにおられた案内人が、「ここから見たら鶴ですよ」と教えてくれて、ほんまに目の白い鶴そっくりの「鶴の松」でしたが、向かいの「亀の石」は少々無理がありました。
    
    
 弘前にはレトロな建物が沢山残ってるそうですが、駐車場近くのミニチュア建造物の庭を巡って、済ますことにしました。
   
 その中の本物、旧東奥義塾外人教師館内のサロンド・カフェ・アンジュでランチしましたが、右のりんごのスープが美味しい!
    
 この日は十和田湖畔のホテルに泊まったのですが、弘前観光をはしょったので、午後からは十和田湖周囲を観光出来ました。
   
 私にとって十和田湖と言えば、高村光太郎のこの乙女の像。
60年以上前に作られた乙女は、子供を2~3人産んだ40代女性の様に見えました。
乙女のイメージも時代と共に変わってきたんですね。
    
 私にとって十和田湖と言えばワイナイサダユキ。
苦労して十和田湖のヒメマス養殖に成功した偉人ですが、ここには和井内神社もありましたし、何故かカタカナのイメージで憶えていたワイナイサダユキは、和井内貞行と書くことも知りました。
   
 ホテル夕食のデザートは、やっぱり林檎のタルトで、美味しくいただきました。
露天風呂だけのホテルの温泉も珍しく、良いお湯でした。

   返事
花水木さん1:私の縄文時代のイメージは、
    静岡の登呂遺跡でしたが、登呂は弥生時代でしたね。
     私も自分の尻は自分で最後まで拭きたいですが、
    今はもうすでに、ウオッシュレットに拭いてもらっていますね。
花水木さん2:いいえ、堅穴式ではなく竪穴式ですよ。
    再確認してそれもまた間違う、
    私もよくするようになってるので、
    ますます花水木さんに親近感をおぼえますよ!
    お互いどんどん歳をとっていきましょう!
     私はA型ですが、ちゃらんぽらんです。

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青森旅行1日目その2

2018-09-23 | 
   
 青森県立美術館からは歩いても5分ぐらいの(レンタカーで移動しましたが)特別史跡三内丸山遺跡にも寄りました。
佐賀県の弥生時代の吉野ヶ里遺跡と違って、ここは無料です。
   
 たまたまボランティアガイドの案内人に声をかけたのと、案内時間も丁度良かったので、1時間ぐらい案内してもらい、詳しく説明を聞けて有意義でした。
 青森県にはプロ野球試合が出来るような野球場がなかったので、この場所に作ろうと観客席も少し出来た時点で、この遺跡がすごいことが判って、今に至ってるようです。
   
 ここから出土した大型板状土偶のレプリカですが、薄い板状にもかかわらず、口から肛門と思われる方向に、内部に穴が開いてるのが多いそうです。
 この三内丸山は縄文時代前期中期末(約5500年前~4000年前)の大集落跡で、100棟ぐらいの住居に500人ほどが暮らしていたようです。
    
 一番有名な大型掘立柱建物(オオガタホッタテバシラタテモノ)、これが出土したからここが残されたようです。
でも、見つかったのは6個の穴と土中の栗の木の柱わずかだけです。
それを元に、穴のわずかな傾斜や、底の土の固さ具合から、底にかかった加重を計算して作られた建物です。
見た人の想像力を刺激するように、わざと屋根は作ってないようです。
   
 掘立柱建物と思われる建物群も見つかってます。
地面が踏みつけられて固くなっていないので、竪穴式の建物ではなく、高床式の建物であったろうと考えたわけです。
 どの柱の間も35㎝の倍数できちっと出来ているので、尺と同じような長さの感覚を、縄文人はもう持っていたようです。
     
 大型竪穴建物(オオガタタテアナタテモノ)も、ほんまかいなと思うぐらい立派です。
たてあな式はなんとなく立穴式と書くと思ってましたが、竪穴式と書くんですね。
竪と言う字は縦と同じ意味でした。
しかも私は竪を堅いと思ってましたが、下は土でなく立でした。
本当におバカさんですね!
    
 これで三内丸山見学は終わりますが、ここはコインロッカーも無料で、さすが雪国、長靴の無料貸し出しまでありました。
    
 続いて西の方に車で小一時間、太宰治の父津島源右衛門が建てた「斜陽館」にも寄りました。
私の若いころは、旅館「斜陽館」でしたが、今は地元金木町が買い取って、太宰治記念館として一般公開されています。(斜陽館はてっきり弘前にあると思っていましたが)
   
 太宰治の生家は大金持ちです。
源右衛門の11人の子のうち10番目として生まれた太宰治は、薬中毒やたくさんの女性と浮名を流し、最後は玉川上水で愛人と心中した人ですが、才能があったんですかね、若い女性に人気ありますね。
私はわずか1ヶ月弱の違いで、太宰と同じ空気を吸えずに産まれていたことを知りました。
   
 立派な仏壇や、洋風な部分もある斜陽館、入館料は500円です。
    
 青森県のシンボル岩木山を北の方向から眺めながら、今夜の宿鯵ヶ沢を目指します。
岩木山は北から見ると、かなり尖った山頂を持つ山でした。
 道路沿いには、吹雪除けかいろんな型の折り畳み式柵が建っていましたが、全て道の片側だけです。
冬の吹雪の方向は一定してるんか、まさか他の施設?
 道路沿いの家も直角形が多く、瓦屋根の家はほとんどありませんでした。

   返事
花水木さん:ピンクなら出るものも出ないかもしれませんが、
    白は大丈夫でした
     ナラミチさんと、ついつい読んでしまいますね。
    読みやすい名前の人だけ、
    偉人になってほしいですね。
     沼津は小学校修学旅行日帰りですか!
    新幹線もまだなかったと思いますが、
    行って帰るだけですね。

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青森旅行1日目その1

2018-09-20 | 
   
 先週の3連休(私は4連休ですが)は、まだ行ったことがない青森県に。
これで行ったことがない県は、沖縄県と茨城県になりました。
 伊丹空港から青森空港まで、懐かしのプロペラ機ボンバルディア(福江に行くのよりやや大きめですが)で1時間40分。
    
 まだ飛行機が浮ゥった若いころ、YS≠P1で秋田まで飛んだことがあります。
日本海に沿って長い長い時間と、研究会で勉強しに行くのとで、辛く長い飛行時間でした。
その時と同じように、佐渡島の上を通りましたが、島の生活でもう飛行機にも慣れましたし、今回は遊びの旅ですので、快適です。
 青森市街の上を廻り込んで、青森空港には昼前に到着。
    
 先ずは青森市街の端にある青森県立美術館に、レンタカーで向かいました。
土地は無限にあるのか、無料のだだっ広い駐車場に、充分にスペースを取った白い建物が建っています。
    
 広い四角形のエントランスホールに、なんとシャガールが描いたバレエ「アレコ」の舞台背景画4枚が、大迫力で飾ってあり、びっくりしました!
    
 おおらかにもこの部屋だけは写真撮影OKです。
青森県が1994年に収集したとだけ書いてありましたが、どうしてシャガールの絵が手に入ったんでしょうかね。
    
 青森県の美術館だけあって、青森ゆかりの人々のコーナーがあります。
説明するまでもない棟方志功さん、見たらだれもが知ってる猫の絵の馬場のぼるさん、ベトナム家族が川を渡ってる写真で有名なベトナム戦争などの報道写真家澤田教一さん、ウルトラマンの生みの親成田亨さん、そして私も好きな奈良美智(ナラヨシトモ)さんの作品もたくさん有りました。
これらは写真撮影禁止なので、窓の外から一枚だけ奈良さんの作品をパチリ。
    
 8.5ⅿもあって、この美術館のために作られた奈良美智さんの「あおもり犬」、屋外展示で、空は晴。
     
 全体はレンガの壁を白く塗った、四角形の組み合わさった青森県立美術館、そのトイレの中もまぶしいぐらいの白一色でした。
   
 昼は併設されてるカフェ「4匹の猫」で、早速りんごカレーを食べましたが、普通でした。

     返事
花水木さん:ガロのひげと帽子の人、
    私は似てると言われてました。
     明治神宮はいいとして。
    伊勢神宮も行ってないのは珍しくないですか。
    静岡の小学生は修学旅行でどこに行くのですか?

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近江神宮

2018-09-18 | 天皇陵巡り番外
    
 日本書紀では神宮は、伊勢神宮・石上神宮・出雲大神宮だけだったようですが、明治政府は、天皇などを祭神とする神社を神宮に改めたり作ったりしました。
戦後は、神社に対する国家管理も無くなったので、神社にしようが神宮にしようが、基本神社側の勝手になったようです。
 それでも私の頭の中には、神宮→天皇を祀ってる、とのパターンが出来てしまっています。
    38≠P天智天皇を祀る近江神宮にも行ってきました。
      
 私がよく行く西大津のイオン近く、京都から滋賀へ抜ける山中越えを降りた所に、近江神宮はあります。
    
 京都から大津へは近いのでたびたび行きます。
 昔クイズ問題で、「県庁所在地同士が接してる県と市はどこ?」の答えは、京都府の京都市と滋賀県の大津市だけだったのですが、今は平成の大合併で、宮城県の仙台市と山形県の山形市、福岡県の福岡市と佐賀県の佐賀市も、山の中で接しているそうです。
    
 天智天皇と言えば時刻を政治に取り入れた人、水時計の漏刻の模型の噴水も境内にありました。
   
 又、小倉百人一首の第1番は天智天皇の「秋の田の・・・・・・」ですので、お正月のニュースでよく、ここ近江神宮で行われてる全国競技カルタ大会の名人戦やクイーン戦の模様が流れます。
 一応ここは、カルタの聖地にもなっているようです。
     
 最近は漫画の映画化で、広瀬すずや真剣佑さんの映画「ちはやふる」でも有名になったのが、この地で開催される全国高等学校かるた選手権です。
このため、袴レンタル1時間千円の安さもあって、袴姿の若い女性が境内をたくさん歩いていました。
近江神宮は若者に大人気のようですが、このことを天智天皇は知らないでしょうね。

     返事
花水木さん:子連れ狼・ゴルゴ13・同棲時代や
    雑誌ガロは、ちょうど私の大学時代です。
    漫画は読みましたが、子連れ狼のTVシリーズはほぼ観てません。
     帆立貝の殻と同じ形の古墳なので、
    中身の貝はなしですよ。
    連休に青森に行きましたので、帆立の中身はたくさん食べました。

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