島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

暑い京都

2016-08-30 | 京都から
 
 京都は朝から暑い日がまだまだ続いていますが、そんな朝早くから、瓢亭の有名な朝がゆを食べる機会がありました。
同伴者の顔で、一番上等な茶室の部屋に通され、瓢亭ご主人夫婦も挨拶に来られ、40年ぶりぐらいの瓢亭を満喫しましたし、かゆだけでもお腹いっぱいになりました。
 朝がゆや名物瓢亭卵の写真は、遠慮して撮らずにおきましたが、部屋の隅に射してきた朝日の光を撮って、これで瓢亭気分を味わって下さい。
瓢亭からお土産まで貰って、知り合いとはここで別れました。
  
 その後は夫婦二人だけで瓢亭の隣の無鄰菴を、これまた30年ぶりぐらいに訪れました。
無鄰菴室内のトイレは、水洗ではありましたがなんか懐かしさが残る和式です。
 
 無鄰菴は山形有朋の別荘で、1894年(明治27年)に出来ています。
  
 無鄰菴は庭が有名で小川治兵衛の作庭、疎水の水を引いて、池よりも流れの有る川を重視した庭園だそうです。
 
 ここにある洋館のこの部屋で、1903年(明治36年)4月21日に元老山形有朋・立憲政友会総裁伊藤博文・総理大臣桂太郎・外務大臣小村寿太郎と誰もが日本史で憶えた4人が集まって、日露開戦直前の我が国の外交方針を決める「無鄰菴会議」が行われたそうです。
  
 まだ昼前ですので、帰り道の喫茶店で家内はコーヒー、私はみつまめを食べて帰りました。
京都らしい夏の半日でしたが、スイーツは写真に撮りやすいです。

    返事
大雪男さん:阪神CSも遠くなっています、最下位争いでしょう。
    広島はなんとか決まりましたね、おめでとうございます。CSも勝ってくださいよ!
花水木さん:戦後生まれですし、右翼でもありませんが、
    古事記の話は断片的には知っているので、自分でもそうだったんだと再確認しながら書いています。
コメント (1)
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神代の時代0≠P蚕ノ社

2016-08-26 | 天皇陵巡り
 
 さていよいよ天皇陵巡りを始めます。
第1代神武天皇から第14代仲哀天皇までは、実在を確認できないと言うのが今の認識らしいです。
 その第1代神武天皇のもっと前、神代の時代も少し見ていきましょう。
 写真は、嵐電の蚕ノ社駅前の蚕ノ社(カイコノヤシロ)の鳥居です。
  
 先ずは神代の時代のことが書いてある古事記のお勉強から;
712年、第43代元明天皇(天智天皇の皇女で文武・元正両天皇の母)の時代に、第40代天武天皇からの悲願であった古事記が、稗田阿礼(ヒエダノアレ)の口誦の素に、太安万侶(オオノヤスマロ)によって献上されたことは、歴史の教科書で学び、まあだいたいの人が知っていますよね。
また江戸時代には、師の賀茂真淵から古事記を研究するように勧められた本居宣長が、注釈書古事記伝を編纂し、良いかどうか嘘かまことかわかりませんが、古事記は日本人のものになりました。
 写真は、蚕ノ社の正面。
  
 その古事記の最初に、宇宙の初め、まだ天も地もはっきりしない頃に、高天原に三柱(ミハシラ)の神が次々と現れた書いてあります。
ビッグバンのイメージと重なる気もしますね。
 この三柱の一番目、天の中央にあって宇宙を統一する神様が、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ) これがそもそもの初めです。
ただこの神様、最初に出てきた以後はまったく出てこないので、その神を祀ってある所はあまりないようですが、京都太秦にある木嶋坐天照御魂神社(コノシマニマスアマテルミタマジンジャ)蚕ノ社がそうだと調べましたので、先ずはここから私の天皇陵巡りを始めます。
 写真は蚕ノ社の社殿、夏の日の早朝家から10㎞はどのここに自転車で来ましたが、ここまで入ると少し涼しい。
  
 中国や朝鮮から先進の技術・文明や仏教をはじめとする高い文化が、侵略の不安と共に入ってきた奈良時代の始まりの頃、渡来人である秦氏が住み着いたと言われる京都の西の太秦(ウズマサ)。
*その頃未開地だったような洛西の地のどこが良かったのか
*機織り集団だから秦氏と言う、わかったようなわからないような話。
*太秦をウズマサとは、京都人か映画好きでない限り読めないので、なぜこの名なのか。
 疑問は色々有りますが、木嶋神社はその前から住み着いていた人々の神社のような気がします。
 水は枯れていましたが、境内には元糺の池と言う神池があります。
下賀茂神社に、時代劇映画やTVでよくロケ地にされる糺の森(タダスノモリ)がありますが、元々はこの神池を下賀茂神社に移したので、こちらを元糺と言うそうですので、なんとなくこの辺りは下賀茂神社の糺の森の雰囲気が漂っていました。
  
 この神池には、三つの鳥居を三角に組んだ三柱鳥居(ミハシラトリイ)があり、中央の組石は祭神の神坐であり、宇宙の中心を表わしているそうです。
いかにも一番目の神さまアメノミナカヌシノカミに相応しい場所と言えます。
  
 本殿には明かりの灯った提灯が下がっていましたが、この提灯にある蚕ノ社の神紋はフタバアオイ、上賀茂神社も下賀茂神社も神紋はフタバアオイなので、やっぱり関係ありそうです。
秦氏と賀茂氏自体が、元々は同じだと言われているそうですが。
 と言うことで、一応天皇家も直接ではないですが、この宇宙最初の神さまアメノミナカヌシノカミと繋がっているようなので、天皇陵巡りの最初を蚕ノ社から始めました。
   1回目からあまり面白くない文ですね、反省!

       返事
花水木さん:孫に名前を付けられる祖父母も、今は少ないでしょうね。
     でも、命名権は親が子に出来る唯一の権利なので、この方が良いと思います。
大雪男さん:このごろのわけのわからん読めない名前は、
    キラキラネームと言うんですか。
     自分の孫にはやめてほしいですが、もし付けられたら、
    それでも孫なら可愛がるでしょうね。
コメント (2)
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伊吹山

2016-08-21 | 
 
 西日本はまだ暑い日が続いています。
百名山の中で、私が登ったことがあるのは乗鞍岳と伊吹山の2山だけですが、せめて高い所で涼もうと、二人でその伊吹山に登りました。
 伊吹山1377ⅿですが、伊吹山ドライブウエイがあって、その山頂駐車場は1260ⅿの所にあるので、登ると言っても標高差100ⅿだけ、40分ほどの登山です。
 
 下界は晴れて暑い日でしたが、上は霧と言うか曇り気味で、余計に暑く無くいけました。
登山道周囲は、ほとんどが高山植物のお花畑で、これはイブキトラノオ。
 
 これはイブキトリカブト、可憐な花も根には毒があります。
若い時と違って、ゆっくり花を愛でながら歩けるようになっています。
 
 この赤いのはワレモコウ、歌にあるようにお盆に咲くんですね。
 
 山頂には、この伊吹山の神様に戦いを挑んで殺された日本武尊の像がありましたが、出来たのは明治末のようです。
 
 まだフークが若い時にここまで一緒に登ってきて、うっすら積もるほど雪が降りだし、紅葉と雪で綺麗ではありましたが、少しあせったことを思い出しました。
今はもう、自然環境を守るため、ペットは連れて登れなくなっています。
 
 360°御嶽山も見えるはずですが、本日は眼下の琵琶湖も見えませんでした。
 
 イブキトラノオとイブキトリカブトの群生の競演を見ながら下りましたが、車に乗ってドライブウエイ入り口に戻ると、そこはまだ暑い夏でした。

    返事

花水木さん:大文字が大だけと思ってる人がいるのは、
    ちょっとショックです。
コメント (2)
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雨の五山送り火

2016-08-18 | 京都から
 
 8月16日(火)夜は京都五山の送り火、子供の時は単に大文字と言ってた気もします。
今年は18時から3時間もNHKのBSで、近くの洛北高校屋上に陣取っての生中継がありましたが、その頃から雨が降ってきました。
 昨日から用意された妙の火床も、準備完了。
松ヶ崎に古くからある家だけが、一家で1火床管理しているので、私のようなよそ者は上がることも出来ません。
 
 20時、大文字が点火された時には、土砂降りの雨。
大文字の火床はTVでは燃えていますが、雨に霞んで下からはほとんど見えなかったようです。
 こんな雨の大文字は初めてのような気がしますし、いつもは窓の下の教習所内は人であふれるのですが、傘をさして少しだけ人がいる程度でした。
 20時5分、我が家の目の前の妙法の妙にも火が付きました。
   
 今年は嫁いだばかりの娘の家族を招待してるので、ちょっと緊張した大文字です。
 娘が電話で確認した、近所の友人の家が今年管理する火床は、妙の女のくの部分ですが、そこの火の付き具合が少々悪い。
土砂降りの雨の中、苦労してるのか。
  
 綺麗に妙が燃え出しました。
島に行ってたので、私にとっても久しぶりの大文字鑑賞です。
 いつもは近すぎて、煙が目立つのですが、この大雨が幸いするのか、いつもより綺麗に鮮やかに妙が見える気もします。
  
 我が家から居ながらにして、昔は大文字も左大文字も見えたのですが、40年近くでマンションもたくさん建ち、今は妙以外はこの舟形が見えるだけです。
  
 妙も綺麗に燃え尽きて、今年のお盆も終了。
子供の頃は、大文字が終わると、急に2学期が現実のものになってくる悲しみがありました。
 夏も終わろうとしていますが、今日も暑かったです。

    返事
花水木さん:ここ美山でも、白川郷のように年2回の一斉放水が、
    観光ショーになっています。
和さん:私のロフトは夏暑く、冬は寒い気がしてますが。
    
コメント (1)
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美山かやぶきの里

2016-08-14 | 京都から
 
 私の友人の娘さんがフランス人の建築家と結婚して、子供二人を連れて夏休みの帰省中。
美山の茅葺き家を見たいというので、家内と車で案内しました。
 *この写真の道、坂になっているので、私がより低く見えます。
 
 市内が混んでいたので、1時間半ぐらいかかって到着。
山の中ですがやっぱり暑い。
 稲の穂もだいぶ実って、この地区に30棟以上の茅葺き屋根の家が集まっていて、生活しながら保存されています。
 
 絵になるというか、写真になる風景があちこちにたくさんあって、民俗資料館などの縁側に座っていると、なんとなく小学校の夏休みの思い出がよみがえってきます。
 
 2~30年に一度はふき替えなくてはならないそうですが、古くなって苔が生えてきたような屋根もいいですが、この数日前にふきあがった出来たての茅葺き屋根の白さもすごく良かったです。
 ふき替えには8割ほど援助が出るので、何とか残せているようですが、この家もおばあさん一人だそうで、なかなか維持は大変そうです。
 
 ここに移住して藍染をしてる先生は、家内の大学の恩師です。
「ちいさな藍美術館」をこの地で開いています。
 師弟同士が話してると思ったら、連れていったフランス人の奥さん(私の友人の娘)とこの先生の娘さんはメール友達で、私・家内・仏人・先生・先生の奥さんと、小さなつながりですが複雑に繋がっていました。
 
 茅葺き屋根の家の屋根裏は、予想以上に涼しい。
私の部屋は屋根裏(ロフト)で、ブログもここで書いていますが、めちゃくちゃ暑いので、私の家も茅葺きにしたいぐらいです。

     返事
花水木さん:私もこのHOTOKIの陶結ウ室に通っていたときがあったので、
    家にはいらなくなったような私の作品が余っています。
コメント (2)
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