島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

滋賀県南郷に

2016-07-30 | ノンジャンル
 
 夏休みになって、幼稚園児の孫Ⅱ≠Qを預かったので、じじばば二人で暑い中、滋賀県南郷にある瀬田の洗堰近くの南郷水産センターへ行きました。
この水産センターには自分の子供も連れてきましたが、混んでいないマイナーな遊び場です。
夏休み中も平日なので、入場者は釣り人を除くと2~3人だけ。
 
 5年ぐらい前には、この子の兄孫Ⅱ≠Pを連れても来ていますが、その頃より私たち夫婦も年をとりました。
餌になる麩1本(150円)を孫が使い切ったら、もう追加を買ってやる元気はなく、早々に炎天下から退却しました。
 
 隣にあるアクア琵琶は、室内ばかりの見学施設なのでゆっくり見学。
そこの雨たいけん室は、涼しそうで誰も並んではいないので、二人でゆっくりいろんな雨を体験しました。
 この雨は1982年に懐かしい長崎県長与町で記録された日本一の大雨で、1時間に187㎜の降雨量です。
でも最近の天気予報では、しょっちゅう観測史上初とか最高とか言っているので、もうこの30年以上前の記録は破られているかもしれません。

   返事
和さん:山鉾連合会には、私のように純粋京都人でない人は、
    入れないと思います。
花水木さん:この龍頭は新しすぎて、
    遠目にはプラスチック製に見えてしまいました。
コメント (2)
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後祭

2016-07-27 | 京都から
 
 7月24日(日)、何十年ぶりかの後祭見学。
私は後祭の鉾の近くで育ったので、確か高校ぐらいまでは先祭りと後祭が別れていて、17日の先祭りの巡行時はまだ学校があって、授業が終わって家に巡行の鉾と並んで帰っていった記憶があります。
また、後祭の時はもう夏休み、巡行が終わった鉾を引かせてもらったり、片づけを眺めていたことを思い出します。
 
 しばらくは先祭りと後祭は合同で行われていて、数年前から又元のような別々の巡行になったようです。
 17日の先祭り巡行に比べたら、この24日の後祭巡行の見物客は少なく、その分ゆっくり見ることが出来ましたし、ダラダラと間延びする長さと量でなかったのも良かったです。
 
 最近復活したこの大船鉾は初めて見ました。
船首のこの龍頭(リュウトウ)は、今年から付いた新品です。
 
 こんなきれいどころや鷺舞や神輿が行列する花笠巡行も、たまたま遭った友人の裏話付き解説を聞きながら見学。
 なんせ今や祇園祭山鉾連合会のナンバー1・2・3は、三人とも私の小・中・高の同級生で、なんか大丈夫かいなと心配する反面、ちょっとは誇らしく思ってます。

   返事
花水木さん:大人に抱き上げてもらわないとくぐれそうにないので、
    私はくぐってないと思いますし、知恵はつかなかったようですよ。
コメント (2)
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天橋立2

2016-07-22 | 
 
 橋立の傘松側から文殊側に戻って、知恩院文殊堂に寄ったのは50年ぶりくらいかもしれません。
雨も上がってきました。
 
 ここで有名なのはこの「知恵の輪」、元々は船の航路を照らす輪灯籠だったようですが、この輪をくぐると賢くなるので、知恵の輪くぐりと言ってました。
子供の時にこれをくぐったので賢くなったと、ずっと思っていましたので?、もう1回ぐらいくぐってより堅固なものにしようと思いましたが、久しぶりに見るとこれはそう簡単にはくぐれそうもありません。
そうなると、子供の時にくぐったかどうかも怪しい記憶になって、なんか賢く成れてなかったような気もしてきました。
  
 知恵の輪の背景にも写っていた小天橋の回旋橋、昭和39年に手動から電動になったそうで、舟がこの瀬を通るたびに橋が回ります。
昭和35年ならもう中学生、橋の真ん中でハンドルをグルグル回して、橋を回旋させていた姿を見てるはずですが、知恵の輪の力が付いていなかったかもしれない今、その記憶も不鮮明になってきました。
 
 回旋橋を渡って橋立の砂浜に立ちました。
ここで泳いでというか、砂遊びをして大きくなりました。(丹後は母の実家です)
 
 結構舟が通るため、何度も回旋させられていた回旋橋を渡って、文殊名物の赤福系おもち「知恵の餅」の店が並ぶ参道を帰りました。
 
 橋の見える喫茶店で「知恵の餅」も食べましたが、撮影忘れの失態。
しばしコーヒーを飲みながら、回旋橋が回るのをのんびり二人で眺め過ごしました。
 
 神武天皇から始まる天皇陵巡り、予告編や神代の時代の写真も集まってきたので、そろそろ開始します!
    乞う ご期待!!

        返事
花水木さん:確かにどこに行っても中高年夫婦の二人ずればかり、
    なんせ数が多い!
     結局私たちがそんな所にしか行ってないので、思い切ってAKBのショーとかに行って、
    違う年代の人と混じりあう必要があるかも。
コメント (1)
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天橋立1

2016-07-19 | 
 
 ちょこちょこ天皇陵巡りの準備をしていますが、元伊勢を訪ねる目的で丹後まで足をのばしました。
 西国28番の成相山に寄りましたが、出発時は曇っていて暑くないのを喜んでいたのに、丹後は雨。
 
 そんな雨の中でも、さすがに西国33ヶ所の一つ成相山、私たちのような団塊世代の老夫婦が何組も参っていました。
 中学の頃、この寺の少し上にある成相山スキー場で滑った記憶がありますが、境内の地図にスキー場跡を見つけて、なんかやけに懐かしかった。
でも来ているのに、スキー場のことも成相山自身のことも全く記憶なし。
 
 本堂の中、本尊の真下まで近寄れて拝めますが、写真撮影は禁止、でも同じ本堂にあるこの左甚五郎作「真向の龍」は撮影OK。
左甚五郎はいろんな所に出没してますが、ここ丹後にも滞在してたとは知りませんでした。
 
 麓にあった丹後国分寺跡と京都府立丹後郷土資料館、家内は200円も私は65歳以上で無料、雨宿りのつもりで見学しました。
ここ傘松側からの有名な橋立股のぞきは、肝心の橋立が雨に霞んで全く見えませんでした。
 目的の元伊勢を調べた後、続いて橋立のこちら側、文殊側に戻って観光を続けます。

     返事
花水木さん:看板とかマンホールとかを廻ってる人もいますね、
    まあ私はしばらくは天皇陵巡りで行きます。
コメント (1)
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大亀谷陵墓参考地

2016-07-17 | 京都から
 
 天皇陵巡りを再開して、ブログにしようと準備中ですが、そもそも「陵」とは天皇・皇后・太皇太后(先先代天皇の皇后)・皇太后(先代天皇の皇后)を葬った所らしいです。
その数は188もありますが、まあ124代歴代天皇陵を中心に巡ってブログにしたら、150回ぐらいはいけそうです。
「陵墓」の内、「墓」はその他の皇族を葬る所で、他に何だかわからない「陵墓参考地」というのも46ヶ所あるそうです。
 
 京都の南の方伏見にある老人ホームにも、週2回の午前中だけですが通っています。
JR藤森の駅から、汗が出るような登り坂を20分以上歩いていますが、2か月でだいぶ慣れて楽に(1回は休憩しますが)なりました。
この坂道を登れなくなったらリタイアしようと思いますが、体力的よりも知力の衰えの方が早いと思っています。
 その道の途中、少し休もうかなと思う辺りにこんもりとした森があります。
   
 金網のフェンスがあって中には入れませんが、この看板の字で、なんとか大亀谷御陵参考地と分かりました。
近くに桓武天皇陵があるので、それと少しは関係あるのか?、まあ古墳なんでしょうね。
 宮内庁もこんな地所をたくさん持っていて、ここに入って研究が出来ない反面、いつまでも緑が残ったという利点も持っています。
 
 この金網に何枚か札がぶら下がっていました。
これは比較的丁寧な警告文ですが、宮内庁ならもうちょっと綺麗な札にしてほしい。
 
 この字は習字として上手なのか下手なのか、素人の私には解かりかねます。
   
 これは字も上手とは言い難いし、ちょっと高圧的になってきました。
 
 厳禁となってきました、自治会の看板の方が可愛いか。
   
 一番新しいのが一番高圧的です。
宮内庁ももう少し下てに出た方が可愛いのになあ。

     返事
花水木さん:伊藤若冲を伊東と変換していたので、
    家内の指摘と花水木さんのコメントから、伊藤に訂正してます。
     いつもありがとうございます。
大雪男さん:ちょっとした違いと思います。
    広島も勝って兜の緒を締めて下さい。
コメント (1)
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