島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

106‐3陽光太上天皇妃晴子

2022-05-27 | 天皇陵巡り

 

 勧修寺晴子(カジュウジハルコ)(1553~1620)は1567年に、第106代正親町天皇の唯一の皇子誠仁親王(サネヒト)(1552~1586)に女房として仕え、20年にならない結婚生活の間に、なんと13人の子供をもうけていますし長生きもしました。

  月輪陵制札の後ろから6番目に陽光太上天皇妃晴子墓とありました。

 13人の内半分は夭折していますが、第5王子興意法親王(コウイ)は織田信長の猶子に、第6王子智仁親王(トシヒト)は豊臣秀吉の猶子になった後に初代八条宮を開いています。

夫の誠仁親王は34歳で亡くなり天皇位のつけませんでしたが、晴子の産んだ第1王子和仁親王(カズヒト)が第107代後陽成天皇(1571~1617)(在位1586~1611)になったので、国母として新上東門院の院号を受けて、夫の眠る月輪陵(ツキノワノミササギ)(東山区今熊野泉山町泉涌寺内)に墓がもうけられました。

  門をくぐって陵内に入りましたが、白砂が敷き詰められていて近くには寄れませんでした。

         返事

Toitennさん:30うん年のお勤めで、

    素晴らしい院内報を残されたので、いいんじゃないですか!

    と、私は思ってますが。

花水木さん:鎌倉殿の13人は観ています。

    これからも小栗旬は、優柔不断で優しいふりをして、

    今出演してるほとんどの人を始末していきますよ。

    生き残れるのは小池栄子と山本耕史ぐらいですかね。

 

コメント (1)
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