島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

46-1孝謙天皇

2019-04-28 | 天皇陵巡り
 
 第45代聖武天皇と藤原不比等の娘光明子との間に産まれた第1皇女阿部内親王(アベナイシンノウ)は、同母弟の基王が1歳にならずして死んでしまったので、藤原一族の後押しで、女性としては異例の皇太子になりました。
そして、父の聖武天皇が譲位したため、第46代孝謙天皇(コウケン)(718~770)(在位749~758)は平城京で6人目の女性天皇として即位しました。
 
 この陵はなんとなく平坦な感じのする陵でした。
749年の即位にあたって、先の元号である天平感宝をわずか3ヶ月で改元し、天平勝宝としました。
 あと3日で、232個目(北朝分も含めると248個目)の年号が令和になります。
元号は645年の大化から今まで231個(北朝含めると247個)有るので、1400年弱の間に90代ぐらいの天皇がいたことから、1代の天皇平均三つ弱の年号を持っていたことになります。
 新しい年号令和はもちろん、ほとんどの年号は2文字の漢字でしたが、この聖武~称徳の20年間の間だけ、4字の元号がいつつ有りました。
  天平感宝(テンピョウカンャE) 744年~
  天平勝宝(テンピョウショウホウ)749年~
  天平宝字(テンピョウホウジ)  757年~
  天平神護(テンピョウジンゴ)  765年~
  神護景雲(ジンゴケイウン)   767年~ の5です。
新元号も、いっそのこと4字熟語のような元号にしたら良かったのに。
 
 孝謙天皇の主な仕事は、聖武太上天皇・光明皇太后と共に、752年大仏開眼供養会を執り行ったことです。
 その2ヶ月後には、有名な唐僧鑑真を戒師にして仏門に下り、名を法基(ホウキ)としました。
 
 しかし孝謙朝の政治は、病弱な聖武太上天皇ではなく、母の光明皇太后と母の兄になる藤原仲麻呂(恵美押勝エミノオシカツ)に依って為されました。
新たな皇太子も仲麻呂の家で育っていた天武天皇の孫大炊王(オオイオウ)が選ばれ、ますますの藤原一族の台頭と共に、前回の橘諸兄一族の衰退につながりました。
 
 天平宝字2年(758年)、孝謙天皇は大炊王に譲位し太上天皇に成りましたが、その後重祚(チョウソ)して再び称徳天皇に成りましたので、この陵の制札には孝謙の名はなく、陵印にも孝謙ではなく称徳天皇高野陵(タカノノミササギ)(奈良市山陵町)と彫られているだけです。
しかし、陵の前の信号灯には、不思議にも孝謙天皇陵前Kokentennoryomaeと書かれていました。

     返事
花水木さん:私も高校の同級生にあつ子さんいました。
    そのお父さんに英語を習っていて、一緒に勉強もしていました。
    あつ子さんはイギリス人と結婚し、今は離婚したみたいです。
    会ってみたい同級生です。
     我が家は、私が1~2時間早く寝てます。
大雪男さん:広島は交流戦終わった頃には首位でしょう。
    阪神は借金10ぐらいまででオールスター戦を迎えてほしいです。
    巨人のことは考えたくもないです。

コメント (2)
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橘諸兄

2019-04-24 | 天皇陵巡り番外
  
 京都市伏見区にある老人ホームで午前中働いた後(午後からの他の病院での仕事は今年からやめています)、いつもならJR奈良線に乗って、京都駅の方に帰るのですが、この日は反対方向の電車に乗って、30分ほどの京都府南部、奈良にも近い井手町(イデチョウ)を目指しました。
  
 新しい駅舎になったばかりのJR玉水(タマミズ)駅で降りて、木津川の流れの反対方向である東の方、山手を目指して20分ほど歩きました。
 
 スマホの地図にも出てこないので、感を頼りに歩いて行って、やっと入り口を見つけました。
    橘諸兄公旧趾
 
 苧ムの中を走る寂しい道を少し歩いて、この石段に到着。
橘諸兄(タチバナノモロエ)(684~757)、何をした人かもひとつ憶えていませんが、日本史の教科書には載っていて、名前が印象的なので憶えていました。
皆さんも名前だけはなんとなくご存知と思います。
 
 諸兄の父は美努王(ミヌオウ)、母は県犬養美千代(橘美千代)で、第30代敏達天皇5世の孫にあたるそうです。
母美千代はその後藤原不比等の後妻になって、聖武天皇夫人の光明子(光明皇后)を産んでますので、諸兄は光明皇后の異父兄にもなります。
 
 聖武天皇(妹の旦那になります)に仕えていましたが、藤原四兄弟や他の議政官(大臣・大納言・中納言・参議)が次々と天然痘で亡くなったので、自動的に官位が上がり、左大臣にまでなっています。
それと共に、政争にも巻き込まれ、藤原一族の巻き返しを狙った広嗣の乱(740年)や、孝謙天皇の時代になると、藤原仲麻呂の台頭もあって、謀反の疑いまでかけられたた為、756年自ら潔く職を去って引退しました。
 
 この旧趾(単に石碑を建てただけでしたが)から又駅の方に戻る途中に、この六角井戸がありました。
この辺りが本当に諸兄の別荘(玉井頓宮タマイトングウ)があった所らしく、このために諸兄は井手左大臣とも呼ばれていたようです。
 うろつきまわった聖武天皇が、この近くの恭仁京へ遷都した時に、ここを仮り宮ともしたと、案内板には書かれていました。
 橘諸兄の死後1年たって、諸兄の息子橘奈良麻呂(タチバナノナラマロ)は、藤原仲麻呂に対抗して乱を起こそうとしましたが、事前に密告により捕えられ獄死しています。
  橘奈良麻呂の乱(757年)

       返事
花水木さん:私たちは熟年夫婦以上、
    枯れきった老夫婦になっています。
     TV観たくないほど阪神弱いので、
    甘いものを食べて早く寝るしかありません。

コメント (2)
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海津大崎の桜

2019-04-20 | 京都から
    
 京都市内の桜はもう終わりそうなので、4月14日(日)は午後から雨の予報でしたが、琵琶湖の北にある海津大崎の桜を観に行きました。
    
 島に行く以前に行った時には、人と車で混雑していて、渋滞の中をゆっくり車で通る、良い花見が出来ましたが、この日は満開のちょうどいい時でしたが、雨の予報の為か人出は少なく、車も一方通行にされているのでスイスイ走りました。
湖の方から花見が出来る遊覧船も、空いているようで、予約しなくても乗れたかもしれません。
 写真は家内に任せて、私は運転を続けるしかありませんでした。
    
 トンネルを越えると、歩く人はほとんど見なくなりました。
桜は丁度満開ですが、雨がャcャc降ってきました。
    
 向こうの山の中腹に線状に連なる桜並木が見える奥琵琶湖パークウエイ、そこには4千本の桜並木があると宣伝してる立て看板につられて、あがりました。
    
 奥琵琶湖の向こうに、伊吹山が霞んで見えていましたが、写真では分かりにくくなっていました。
この展望台までで通行止め、再び同じ桜並木のドライブウエイを下りました。
    
 雨が激しく降ってきました、こちら側から海津大崎の桜を撮りましたが、霞んでるだけ。
桜の写真はやはり快晴の下が、綺麗ですね。
 それでも今年は桜をたくさん観ました、1万本は越えてると思いますよ。
    
 ついでに昨日19日(金)、北の豊岡にカバンを買いがてらドライブ、丹波・但馬の山や川や寺や神社や公園や墓地にも桜はたくさん咲いています。
ほとんどは葉桜になってますし、帰りに寄った篠山城の桜ももう終わり、でもこれで今年観た桜は1万五千~2万本になったかも。

     返事
花水木さん:花水木さんは枝垂れ桃タイプって、
    じゃあ美人薄命タイプと言うことですね。
    私の人生は、枝垂れ首という感じで、うなだれて歩んでいます。
     お母さんにうつされた風邪は、
    息子である旦那さんにうつして、治って下さい。

コメント (1)
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通勤桜3

2019-04-17 | 京都から
       
 先週は月~土と6日働くしんどい?週で、4月13日(土)も月に一度だけの外科外来に自転車で出勤。
京都植物園北側の鴨川沿いの半木の道(ナカラギノミチ)、ここの枝垂れ桜は遅咲きなので、まだ綺麗。
    
 裏千家の今日庵の玄関前には、桜がありました。
    
 隣り合ってる表千家の不審庵には、桜はありません。
     
 病院近くの首途八幡宮(カドデハチマングウ)には、紅白の枝垂れ桜が咲いていると、看護婦さんに言われて、帰りに寄りました。
 源義経が鞍馬山から奥州に旅立つ前に、安全祈願した首途八幡宮には、1本の木から、はっきりと紅白別々に咲く花が確かに有りましたが、桜ではなく、源平枝垂れ桃と言う桃の木でした。
桃でも何でも、不思議で綺麗でした。
     
 ついでに、その近くの雨宝院(ウホウイン)の桜も教えられて、寄ってみました。
御衣黄桜(ギョイコウザクラ)と言う、薄緑色の花が咲く八重桜があるのですが、まだ満開には少し早く、捜すとチラホラと、確かに緑色の花でした。
今日ぐらいは満開かもしれません。
      
 そして今週15日、満開だった本満寺の枝垂れ桜は、立派な葉桜に変わっていました。
    
 我が家の小さな2代目八重桜も、やっと満開になりました。
やや暑苦しい桜ですが、我が家のものと思うと、それなりに見事です。

      返事
花水木さん:五島列島の桜より、
    京都の桜の方が綺麗とは思いますが、
    弘前の桜なんかは、京都よりきれいそう、
    桜と紅葉は寒い所の方が綺麗になりますかね。
     エンペラ、なんか烏賊とはなじまない言葉の感じがします。
     そろそろ花水木さん忙しく嬉しくなると思いますので、
    連休明けぐらいまで、コメント休まれても決して怒ったりしませんよ!

コメント (1)
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通勤桜2

2019-04-14 | 京都から
    
 先週4月8日、自転車通勤で渡る葵橋から、鴨川上流の桜を撮りました。
満開で、暖かくなってきました。
    
 北の方岩倉の病院の庭のソメイヨシノは満開ですが、前の週満開のピンクの桜はもうだいぶ散っていました。
    
 しかし2日後には冷たい雨が降り、同じ病院庭の桜も寒そうで、風も強かったので、だいぶ花びらも落ちました。
今週で京都市内のソメイヨシノは終わりそうです。
    
 伏見区の老人ホームの庭の枝垂れ桜は、やっと満開近くになりました。
    
 山の上にある老人ホームから、ぶらぶら歩いて降りて行く帰り道、名もなき家の庭に咲く枝垂れも満開ですし、道端のソメイヨシノは落花さかんでした。
    
 山科川の土手は花吹雪が舞っていました。
    
 月に2回は京都の西の嵐山でも働いているのですが、訪問リハビリの車の中から撮った渡月橋下流の桂川。
沢山の観光客の中を進みましたが、渡月橋では写真を撮るのを忘れてしまい、後の祭りの写真です。
     
 この日も仕事は午前中だけなので、帰りは西の方の御陵巡り兼花見。
沓葛゚くの大枝神社の桜、さすが大枝?神社。
 阪神やっと勝ちましたが、私の皐月は咲きませんでした。

      返事
花水木さん:天気によって桜の写り具合は変わりますね。
    ソメイヨシノの白っぽい花を美しく撮る技術は、
    私にはまだ備わっていないようです。
     エンペラを知らなかったので、調べると、
    ナャ激Iンの帽子に似てるので、
    「エンペラ」と言うそうですが、本当ですかね?

コメント (1)
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