島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

113-2東山天皇皇后幸子女王

2022-10-30 | 天皇陵巡り

 滋賀県マキノに有ったおしゃれな葉山珈琲、聞き慣れない名前なので、本店は湘南海岸に有るのですかと聞いたら、地元の建材店が作った喫茶店とのこと。

このチョコパフェは、アイスの下に入っていたババロア風の柔らかい何か?が美味しく、私の好みでしたということで、月輪陵です。

有栖川宮幸仁親王(アリスガワノミヤユキヒト)(1656~1699)(第101代後西天皇の第2皇子)の第1王女である幸子女王(ユキコジョオウ))1680~1720)は、1697年に第113代東山天皇(1675~1709)(在位1687~1709)に入内しましたが、内親王しか産まれませんでした。

養子にしたのが第114代中御門天皇にだったので、女院号宣下も受け皇后として月輪陵(ツキノワノミササギ)に葬られています。

 昨日29日(土)のNZ戦、最後の30秒はもしかしても有るかもと思いましたが残念、これが5分前なら奇跡もあったかもしれません。

まあ6万5千人も入った球技場で、これだけの試合が出来たことは良かったですが、この後ヨーロッパ遠征や来年の本番にアウエーでどれくらいできるか、心配でもあり楽しみでもあります。

11月はWOWOWでラグビー三昧です。

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113-1東山天皇

2022-10-28 | 天皇陵巡り

 暑すぎた今年の夏が終わったと思ったら、秋はなくてすぐに寒くなってきています。

まだ暑かった頃に食べた(飲んだ)マンゴーとメロンの氷(ジュース)、と言うことで久しぶりの月輪陵です。

 第112代霊元天皇(1654~1732)(在位1663~1687)の第4皇子で、寵愛した典侍松木宗子(マツノキムネコ)(1658~1732)が産んだ五宮は、七歳で儲君治定(チョクンジジョウ)(立太子以前に皇嗣の身分を定める制度で、今回の東山が初めてです)親王宣下され、朝仁親王(アサヒトシンノウ)となりました。

こうする前に、前回に報告した第1皇子済深親王を強引に出家させた小倉事件(1681)が有るのです。

  写真は月輪陵のある泉涌寺山門です。

 1683年に立太子した朝仁親王は1687年即位し、第113代東山天皇(ヒガシヤマ)(1675~1709)(在位1687~1709)となりました。

父霊元上皇の強い意向で、大嘗祭(ダイジョウサイ)などの朝廷儀式の復活もありましたが、徐々に父上皇の院政から離れ、親政時代は自身の温厚な性格もあり、徳川幕府と円滑な関係を築いたため、幕府より御料の増加や山稜の修復なども行われました。

 時は元禄時代、5代将軍綱吉の治世で、生類憐みの令が出され、1701年には東山天皇が幕府に送った使者の接待中に起こった、浅野内匠頭が吉良上野介を松の廊下で切りつけた赤穂事件(忠臣蔵)がありました。

 第101代後西天皇の第2皇子有栖川宮幸親王(アリスガワユキヒト)の娘幸子女王(ユキコ)(1680~1720)が皇后でしたが、内親王しか産まれませんでしたので、典侍櫛笥賀子(クシゲヨシコ)(1675~1710)との間の皇子が次の天皇になりました。

 東山天皇は譲位後半年36歳で痘瘡で亡くなり、月輪陵(ツキノワノミササギ)(東山区今熊野泉山町)に葬られました。

  月輪陵は横から塀越しに中が見えますが、なんせ30人以上の墓、どれが誰の墓かまでは確認できませんでした。

  NHK朝ドラ「舞いあがれ!」も2週間で五島の話は終わってしまい、やや興味も薄れた私は、放映時間中にこのブログを書いています。

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時代祭

2022-10-25 | 京都

10月22日(土)、京都は3年ぶりの時代祭行列がありました。

写真を撮り損ねていた京都御所近くの御陵に寄って、近くでランチして、ついでに裏側から御所に入って行くと、時代祭行列に参加する人が、三々五々集まってきてました。

 小学校の頃は、小学校の裏門から烏丸通に出て、歩道に座って毎年観させられていましたが、あれ以来の久しぶりの時代祭見学かも知れませんし、御所内で観るのは初めてだと思います。

 時代祭は葵祭・祇園祭と並ぶ京都三大祭りの一つですが、1895年(明治28年)に始まった新しいお祭りです。

 京都平安京の最初の天皇第50代桓武天皇と、平安京最後の天皇第121代孝明天皇の二柱の御霊が、住んでいた京都御所から祀られる平安神宮に移っていくという趣旨のお祭りです。

祭りが10月22日であるのは、長岡京から平安京に遷都されたのが794年のこの日だからそうですが、私も初めて知りました。

 行列参加の人々が、仮設トイレに行ったりして準備していましたが、急に良い天気の秋晴れになってきました。

 時代祭行列は、維新勤王隊の「ピーヒャラヒャ」の笛の音で始まるのですが、偶然高校の同級生に声を掛けられ(マスクなのによく見つけてくれたと思いますが)、同窓会のことや昔の話をしてる間に行列は進んで、織田信長公上洛行列になっていました。

 暑くてしんどくなってきましたし、旅行で観てる祭りでもなく、京都の祭りなら来年も観れるか(死んでるかもしれませんが)と思う安心感から、早々と帰ることにしました。

何とか行列を横切ることなく、通用門を潜り抜けて丸太町通りに出て、地下鉄で帰りました。

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大阪中之島2

2022-10-22 | 

   続き

 昼のスペイン料理で満腹になったので、休憩がてら近くの大阪市立科学館でプラネタリウム見学(600円)、やっぱり一瞬寝てしまいました。

星座や星の名は、何回憶えても忘れてしまいますね。

 長居でラグビー観戦の後、再びホテルのある中之島に帰って、淀屋橋を渡ります。

大阪は水の都、と言うかやっぱり都会ですね。

 ホテルの朝食バイキングでお腹いっぱいになった後、開館時間に合わせて、1年前に出来たばかりの黒い四角の大阪中之島美術館へ行きました。

美術館前広場にあるのは、ヤノベケンジ制作「SHIP'S CAT」シリーズの一つだそうです。

 観たのは同時代に生きた「ロートレックとミュシャ展」(1600円)。

ロートレックは子供の時に観た馬車の絵が好きで、まあ好きな方の画家ですが、36歳で死んでいます。

 ミュシャはまあもう飽きましたが、展覧会で写真撮影許可は嬉しいです。

 この日が展覧会初日でしたが、意外と人は少なく、ゆっくり観れました。

 2日間とも秋晴れのやや暑いぐらいの中之島散策。

中之島は堂島川と土佐堀川に挟まれた中州で、長さは3km・幅は最大300ⅿです。

この2日間で、中之島を計10Kmほど歩きました。

 たまには大都会に出て、熱心そうなサラリーマンやしゃきっとしてる女の人を見るのは、刺激になりますね。

それでも昼前には疲れ切った二人は、お好み焼きを買って、京阪電車特急で帰りました。

 尿管結石痛み発作は、ありがたいことに遠い昔のことに成っています。

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大阪中之島

2022-10-19 | 

 大阪長居ヨドコウ桜スタジアムでのラグビー観戦は夕方からだったのですが、朝から家を出て、出町柳から北浜まで京阪特急の二階建て車両に乗って旅を楽しみました。

 ついた北浜から、なんば橋を渡ってすぐ、雲一つない中之島公園のバラ園を散策しました。

 重要文化財大阪市中央公会堂は、明治44年(1911)に大阪市民の岩本栄之助(1877~1916)から寄付された100万円をもとに建設、辰野金吾や月岡安の設計で、大正7年(1918)に開館されています。

 岩本栄之助さんは株式仲買業で財を成し、明治42年(1909)には70歳の渋沢栄一が団長の渡米実業団に参加し、欧米富豪の利益の寄付精神に共鳴し、この100万円寄付につながったようです。

その後株式投機で苦境に陥った栄之助は、子孫は株式投機は絶対にするなと遺言し、39歳で自決。

公会堂落成の時は、遺児である4歳の長女から、鍵が大阪市長に渡されたそうです。

 公会堂内部も観覧できましたので、窓から外の写真も。

 中之島には三好達治の詩の石碑もたっていました。

小学校の担任が三好と言う姓だっただけで、三好達治を憶えましたが、大阪市生まれなのでここに碑があるようです。

 最近詩人と言うジャンルは無くなったのか、別の名前になったのですかね。

 こんな古い忘れられたようなビルも所々に在りますが、なんか懐かしいこの建物も空襲でよく残りましたね。

 2代目フェスティバルホールは、すごく高い建物になってました。

大阪市中央区が本籍の私ですが、たぶん中之島の地を初めて踏んだと思います。 

 お昼を食べた淀屋橋近くのスペイン料理の店からは、川向こうの大きく立派な大阪市役所と先ほど行った公会堂が見渡せました。

  水の都で 燃えたあ恋 

  たくさあん食べた 淀屋あ橋 

  ぽお~ろり落とした パーンくずを

  あなたあと二人 拾う街

  あああ~ ここは大阪 中之島~ブルースよ   

 最初に出てきた「磯魚の温かいテリーヌ、マッシュルームのソース」は、

柔らかく柔らかく!美味しい!!

噛まなくても良い食べ物好きの私にはぴったりでした。

         続く

コメント (2)
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