島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

東海道4.

2024-09-27 | 京都へ、京都から

 地図中央の細い川が高瀬川ですので、ここから鴨川に架かる三条大橋までは100ⅿも無いぐらいです。

 単なる騒動にしか過ぎない事件があった 池田屋騒動之址 の碑。

案内板にもあるように、過激な尊王攘夷派をこれまた過激な取り締まり集団新撰組が、祇園祭宵々山の夜に襲った池田屋事件。

映画や小説などで有名ですが、その池田屋の跡はごはん屋さんになっていました。

 高瀬川に架かる三条小橋のたもとにある 佐久間象山先生遭難之碑・大村益次郎卿遭難之碑 です。

でもこの石碑は、北へ壱丁とも刻まれてるように、本当の碑への案内用の碑に過ぎません。

 後ろに立ってるビルの中の雀荘で、30代の10年間ほどはよく麻雀をしましたが、遭難同然の負けもよくありました。

 その高瀬川沿いに北に一丁の 象山(ショウザン)(1811~1864)先生遭難之碑 です。

佐久間象山はやや世の中より先に行ったのか、西洋科学の導入などの開国論を唱え(彼の塾から勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬などが出ています)、公武合体に努めたのですが、1864(元治元)年7月11日に刺客に斬殺されました。

この碑は1915(大正4)年に建立されています。

 その横に並んで立つ 大村益次郎(オオムラマスジロウ)(1825~1869)卿遭難之碑 で、こちらは1934(昭和9)年建立です。

益次郎は長州藩出身で、藩の軍事指導者として活躍し、明治政府では近代兵制擁立に尽力したため、兵部大輔に任命されたため、卿と刻んでます。

廃刀論を唱えたため、1869(明治2)年に反対派士族に討たれました。

 1977(昭和52)年のNHK大河「花神」はこの益次郎(村田蔵六)が主人公でしたし、浅丘ルリ子のイネ(シーボルトの娘)さんに看取られて死んでたと思います。

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やっと来たかな

2024-09-25 | ノンジャンル

 一ヶ月前の窓からの夏空です、冷房の部屋から眺める夏空は良いのですが、戸を開けると熱気が入ってきてました。

 雨が降って、やっと朝夕は涼しくなった今朝の窓からの空。

家の窓からしか空を眺めない生活ですが、やっと秋が来ましたかね。

   何気なく見上げた 夏の空の雲から ♫

   風に揺れ涼しく 秋のように見えてく

   夏空が変わったあ  秋空に変わたの

   何気なく見上げた  青空が変わった  🎶

ベッツイ&クリスもおばあさんになって、たぶんアメリカ中南部の田舎で、トランプを応援してる感じかなあ。

この歌(先輩の北山修作詞)知ってる人は70歳以上になりましたかね。

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東海道3.

2024-09-22 | 京都へ、京都から

 豊臣秀吉の築いたお土居は、この地図の左端を南北に走っていたので、この地図はもう三条口を出てしまっている地域の地図になるのですが、何となく三条大橋が三条口と思ってる方が判りやすいですね。

 地図中央に青線を引いた、細い路地にあったスナック(バー)に友達と集まって、時には向かいの「河しげ」から名物満月弁当を頼んで食べたりした後、麻雀をしていた期間が40年ぐらい前に有りましたので、懐かしい路地です。

写真撮影中に、その頃はまだ20代であったと思っている河しげの三代目と偶然会って、懐かしい話が出来ましたが、彼ももうお爺さんでしたね。

 その後この辺りは、「おやじ狩り」がよく出たので、私たちは近づくのを止めました。

 この路地を三条通から抜けると、そこは15年前から龍馬通の名が付いています。

昔は、三本立てで1本は立ったまま観て、残り2本は出て行った人の席に座れて観てた「田園シネマ」、30円で活劇映画とトムとジェリーやポパイの漫画、それにニュース映画が付いていた「京劇名画座」が有りました。

 戦後10~20年、アメリカの戦争映画で、時々日本の零戦がアメリカの艦載機を撃墜したりすると、場内から拍手が沸き起こっていました。

 その龍馬通にある「酢屋」、酢屋があったから龍馬通の名が付いたのですが、坂本龍馬が暗殺される一ヶ月前まで住んでいて、海援隊の京都本部も置かれていた材木商の家です。

今もそれから持ち主が変わらずに、木工品を扱う店になっていますが、娘さんは(今ではおばあさんですが)私の高校の同級生でした。

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いい加減に秋が来い

2024-09-20 | ノンジャンル

 親しくして貰ってる人からのメールや、愛読してる人のブログから、中秋の名月を思い出しました。

 夜に外出しないどころか、月が出る頃にはもう布団の中の生活ですが、一昨日は8時頃に、表に寝巻のまま出てみました。

満月ですね! 島なら月夜間ですよ。

 村雲ですか? 雲がかかってたお月見ですが、このほうが良いかもです。

月見だんごは先日娘が持って来てくれたのを、もう食べ終わってます。

 私が小倉百人一首で好きな歌、以前のブログシリーズ物 奈留島百人一首 でもこれだけは替え歌にせず、そのまま出しましたよ 第79番。

  秋風に たなびく雲の絶えまより

    もれいずる 月の影のさやけさ

 そして昨日の窓からの夕焼け。

まだ35℃の京都、明日から雨が降って気温も30℃切り始めるようで、やっと短い秋が始まってくれそうですが、そうなったらすぐにストーブの用意をしなくてはならないなら嫌ですね。

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東海道2.

2024-09-18 | 京都へ、京都から

 京の七口の一つ三条口(粟田口)は、なんせ東海道の起点ですし、この地図に打った1~5は私の幼稚園から大学までの所在地ですので、1.の幼稚園に通った頃からや、映画館に通い続けた中・高校まで、自宅から一番近い七口として生活圏に入っていました。

 こんな狭い範囲で生活していた井の中の蛙が、離島に行ったとは自分でも信じられない時が有ります。

 戦後すぐの河原町御池の写真がFacebookに乗ってたので、お借りしました。

京都市役所は今もそのままです、右の洋館が京都ホテル(今のホテルオークラ京都)の様で、戦時中に広げられた御池通は進駐軍のテニス場になってます。

市電の辺りが、祇園祭でも辻回しが行われてる河原町御池交差点です。

多分カメラの位置は三条口辺りですので、右のバスが止まってるもう少し右に、この写真の数年後から私が通い出した1.河原町幼稚園(今は信愛幼稚園)が有ります。

 地図は右側を南北に流れる鴨川と三条大橋・三条口の手前付近です。

上端にある青〇河原町教会の付属のような幼稚園に行ってたので、結婚式に歌う有名讃美歌は結構歌うことが出来ますが、島で行った教会の結婚式の讃美歌は、全く知らない歌ばかりでした、

 もう一つの青〇の古くからあるまあ有名な喫茶店 六曜社 、大学時代は一人で街に出るとよくここに入って、だいたいホットオレンジジュースを飲んでいました。

全席が相席だったので、何か出会いがあるかもしれないと期待して行ってましたが、そんなことは全く起こらなかった私の青春時代です。

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