島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

今年も終わり

2022-12-31 | ノンジャンル

 正月は仕事などで忙しい子供達ですので、年末に集まってくれて、ついでに来年早々の家内の誕生会もしてしまいました。

 小さい孫たちも、だいぶしっかりしてきました。

 大きいほうの孫たちも、上二人はもう中学生、可愛げなくなってきましたし、ゲームばかりして、言うことも聞かなくなりましたが、「ブログ用に、写真向こう向いて撮る」と命じたら、素直に向こうを向いてはくれました。

 私は基本的に番号が向こう任せの宝くじは買わないのですが、年末にビンゴ5を買ったついでに、売り場のおばさんに勧められて1枚だけ買った年末ジャンボが下460で、今ネットで調べたら、なんと1万円が当たってました!!

 今年は良くない方が多かった気がしてましたが、競馬の今年最終メイン競争も獲りましたし、終わり良ければ総て良し!

 これから除夜の鐘を撞きに行って、今年も終了です。

   2回目の 良いお年を!!!

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仕事納め

2022-12-28 | ノンジャンル

 先週日曜日、久しぶりの西脇工業の快走でしたが、勝ったのはやはり強かった倉敷。

 京都産業大学は1点差で慶応に勝って、何とか正月に関西勢残りましたが、やっぱり帝京の天下ですかね。

 そしてメインの有馬記念まで、ずっとテレビを見続けた一日ですが、安い三連複は獲れました。

秋からは方針転換で、人気の高い馬を買うようにしてるので、貯金は増えませんが目減りの速度は落ちています。

 今日(28日)の午前中の仕事で、今年は仕事納めです。帰ったら今日も競馬が有ったことに気づき、急いで中継のある3レースだけ購入。

GⅠホープフルステークスはダメでしたが、今年最後のメインレースは獲れて、ほんの少し勝てました。

 こういうちょっと勝つ人生を、来年は目指していくことにしようかなあと、甘い考えに浸りながら、正月休みを過ごします(明日はちょっとだけ仕事ですが)。

  良いお年を!!

          (もう一回言うかもしれませんが)

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12月24日クリスマスイブ

2022-12-25 | ノンジャンル

 12月24日クリスマスイブ、今年は南国土佐でもホワイトクリスマスのようですし、徳島の義母からは電話で「雪が積もってる」とわざわざ電話が有ったようです。

京都は南国と日本海の雪の谷間でか、雪のないイブです。

 歩いて1~2分の北山通の結婚式場のエセ教会にも、なんか催し物が有るのかアベックが集まっていましたので、寒さ対策万全後出かけました。

 なんかアベックがたくさんいるだけで、何をしてるのか判りません。

 もう一つのエセ教会にも、アベックが集まってますが、なんでしょうね?

二人でいるだけで楽しい若い人に比べて、寒いのが身に染みる我々二人は、すぐに撤退です。

 近くのコンビニでコンビニケーキを買って、暖かい家の中で食べましたが、やや甘すぎますが意外と美味しい!

 かくしてクリスマスイブもつつがなく終わりました。

今日25日クリスマスは、これから高校駅伝を観て、大学ラグビーの京産大を観て、有馬記念でクリスマスプレゼントを貰えたら、満足ですが・・・・。

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115-3桜町天皇典侍姉小路定子

2022-12-24 | 天皇陵巡り

 権大納言姉小路実武(サネタケ)の娘姉小路定子(アネガコウジサダコ)(1717~1789)は、第115代桜町天皇(1720~1750)(在位1735~1747)の典侍(ナイシノスケ)となり、1741年に桜町天皇の唯一の皇子である遐仁親王(トオヒト)を産みましたが、その皇子は摂関家からの女御二条舎子(イエコ)の養子に出されました。

  大本山清浄華院(ショウジョウケイン)内には、江戸時代の皇子女や公家の墓がたくさんありますが、その中にこの写真の立派な門を持つ塀に囲まれた所が墓所です。後ろにちらっと見えるのは、私の母校です。

 その遐仁親王が第116代桃園天皇(1741~1762)(在位1747~1762)に成りましたが、若くして亡くなりました。

この時姉小路定子の処遇は、実母になってる二条舎子もいるために問題が生じ、何とか女院号開明門院は貰えましたが、皇太后などの称号はなく、月輪陵ではなく、清浄華院のこの墓に十一基の中の一人として葬られています。

 この辺りは藤原道長が建立した大きな寺法成寺が有った場所で、最近幻の寺と言われてた法成寺の礎石が出てきたので、清浄華院内に飾ってあるそうですが、この写真を撮った時はまだ有りませんでした。

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115-2桜町天皇女御二条舎子

2022-12-21 | 天皇陵巡り

 少し田舎のお土産屋さんの片隅にあった休憩所で、コーヒーとケーキを頼みました。たぶん二つとも冷凍のケーキだと思いますが、最近の冷凍技術の進歩か美味しいです。

 そして又月輪陵(ツキノワノミササギ)ですよ。

 関白左大臣二条吉忠(ヨシタダ)と、加賀藩4代藩主前田綱紀(ツナノリ)の娘利子(トシコ)との間に産まれた二条舎子(ニジョウイエコ)(1716~1790)は、1733年4歳年下の皇太子昭仁親王(テルヒト)の妃として入内、昭仁親王が第115代桜町天皇(1720~1750)(在位1735~1747)として即位すると、舎子は女御となりました。

  写真は、月輪陵に行くと言って、無料で入れた泉涌寺の仏殿です。

昔はここの石の上で昼寝してるお爺さん(今から思えば今の私より若い人か)をたくさん見ましたね。

月輪陵はこの裏手です。

 1937年・1740年と、二人の皇女を産みましたが皇子は産まれず、典侍姉小路定子の産んだ遐仁親王(トオヒト)を養子に迎えています。

  月輪陵に入って振り向いた写真です。

左へ進むと陵の横に廻れました。

 夫桜町天皇が譲位し、養子にした遐仁親王が第116代桃園天皇(1741~1762)(在位1747~1762)に成ると、舎子は皇太后に成り。4年後夫の桜町上皇が亡くなると、舎子は女院号青綺門院(セイキモンイン)も宣下されています。

 写真は月輪陵正面です

 その桃園天皇は22歳の若さで亡くなり、その皇子は幼かった為に、中継ぎ天皇として、舎子の実子である第2皇女智子内親王(トシコ)が第117代後桜町天皇(1740~1813)(在位1762~1770)と成っています。

 その後、舎子にとっては血は繋がってませんが孫にあたる第118代後桃園天皇(1758~1779)(在位1770~1779)も即位しましたが、父と同じく22歳で亡くなりました。

夫・義理の息子・孫の死を見届ける75歳まで生きた舎子は、月輪陵に葬られ、その制札には櫻町天皇女御尊称皇太后舎子月輪陵と書かれていました。

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