島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

112-2霊元天皇皇后鷹司房子

2022-09-30 | 天皇陵巡り

 北陸自動車道SAで食べた、加賀名産棒茶ソフトクリームのパフェです。

棒茶味のソフトと共に入ってたのは一部見えてるアンコだけではなく、それにつながっているおはぎで内部は占められているという豪華?パフェでした。 

 こんな写真が有れば月輪陵(ツキノワノミササギ)ですよ。

 第112代霊元天皇(1654~1732)(在位1663~1687)は後宮の女官に次々と手を出して子を産ませ(計32人の子だくさん)、それが女官や関係者の争いに発展していたので、正式な妃を迎え、その妃が産んだ皇子を次期天皇に立てようと、父の後水尾上皇やその皇后徳川和子は考えました。

 そこで左大臣鷹司教平(タカツカサノリヒラ)(1609~1668)の娘鷹司房子(タカツカサフサコ)(1653~1712)が入内しましたが,皇女が生まれただけで皇子は産まれませんでしたし、霊元天皇との仲も上手くいかなかったようです。

それでも房子は新上西門院(シンジョウサイモンイン)の女院号も宣下され、月輪陵(東山区今熊野泉山町)に葬られて、写真の制札 霊元天皇皇后房子 月輪陵 です。

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112‐1霊元天皇

2022-09-28 | 天皇陵巡り

 ちょこちょこ行ってる小浜のケーキ屋さんでハーゼルナッツがまぶしてあるこれを食べました。

アイスクリームでもありませんでしたし、冷たいケーキでもなく、食べるのには時間もかかって、不思議だが美味しかったこれはなんと言うんですかね。

と言うことで、月輪陵ですよ。

 第108代後水尾天皇(1596~1680)(在位1611~1629)の第19皇子で、母は若い園国子(1624~1677)の高貴宮(アテノミヤ)は、生後すぐに兄帝後光明天皇(1633~1654)(在位1643~1654)の養子となり、4歳で識仁親王(サトヒトシンノウ)と親王宣下され、9歳で第112代霊元天皇(レイゲン)(1654~1732)(在位1663~1687)となりました。

 これで後水尾天皇の子からは4人が天皇になったことに成ります。

 19男が早々と皇位継承者に成れたのは、園家の力なのか時世なのか、何故だったのでしょうね。

 そして霊元と言う追号が、古代の第7代孝霊天皇と第8代孝元天皇から一字ずつ取ってつけられたのですが、何故なんでしょうね。

 霊元天皇の中宮は鷹司房子(タカツカサフサコ)(1653~1712)でしたが男子は生まれず、他に14人の妃に18人の皇子と14人の皇女をもうけ、典侍松木宗子(マツノキムネコ)(1658~1732)の産んだ第4皇子朝仁親王(アサヒト)(1675~1710)が次の第113代東山天皇になっています。

 これは月輪陵(ツキノワノミササギ)を横から塀越しに眺めた写真ですが、たくさんの石塔のどれが誰のかは全く分かりません。

 霊元天皇の在位期間は25年ありましたし、最初の20年間は父後水尾上皇が院政を敷いていましたが、朝廷儀式の整備などにも力を注ぎ、歌道の方にも才能を発揮し、また徳川幕府に対しても強い態度で出ることが多く、これまで押され気味だった朝廷の面目を一新した功績は大きいようです。

 制札6番目に名前があります。

 高野山奥之院の弘法大師霊廟の手前の左手に、写真の 霊元天皇歯塔 以下二十四塔 が有ります。

高野山にお参りされる時は、頭に入れといて下さい。

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四連休後の連休

2022-09-25 | ノンジャンル

 

    

先週は四連休、今週は三連休でしたが、その間の台風は九州や静岡は大変でしたが、関西はたいしたこともなく通り過ぎています。

 この三連休初日は雨で、孫Ⅲ-1・Ⅲ-2と地下鉄や市バスの旅。

 2日目は、いつものようにあてもなくドライブして、SAの地図を見て考えて、今回は刺身はやめて山の方に、蕎麦でも食べに行くことにしました。

 SAの地図で見つけた、日本の滝100選の「龍双ヶ滝(リュウソウガタキ)」に寄りました。

大きな機械がかっこいいダム建設工事の中を抜けて、最後はやや細い道の奥に、写真の駐車場があります。

 そこから100ⅿぐらい歩くだけで簡単に到着した「龍双ヶ滝」、川岸の一枚岩から落ちてくるような滝です。

 滝の上の方は水量かなりありそうですが、それが60ⅿの落差を一枚岩に沿って扇のように広がって落ちていくので、最後はかなり優美な落下になり、前方の古木がアクセントになった綺麗な滝でした。

 滝から少し走って、いつもの越前大野です。 

三連休の真ん中だったので、いつもの駐車場も満車状態で少し待ってから車を停めました。

 前回行った時はちょうど建て替え工事中で休んでいましたが、今回はしばらく並んで、てんぷら付きおろし蕎麦を食べました。

 この店たぶん大野では一番の有名店、島に行く前頃に行った時はまだ普通の食堂風の店でした、綺麗に改装して味はどうなったか?微妙です。

 前回も行った美味しいコーヒー店は、この日は満員で入れず、有名店になったようでした。

    

 三連休最後は、少し夏が戻ったような秋晴れ。

近くのこどもの国で朝一番から遊びました。

 競馬は相変わらず1レースも入りませんが、優勝が決まってるヤクルト戦に、阪神は奇跡の残り3戦3連勝したら、CSに滑り込めるチャンスが復活しましたね。(願わくば巨人は残り2戦2敗を)

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連休

2022-09-19 | ノンジャンル

 世間は敬老の日の連休ですが、私は金曜日も休みなので4連休です。

特に予定はありませんし、大きな台風も近づいているので、余計に気持ちが乗らない4連休初日、家内にせっつかれて墓参りです。

朝も早く、お彼岸は来週なのでまだ人はいませんが、清水寺界隈には修学旅行生が増えていました。

 遠くに京都タワーも見える眺めですが、墓参りの人はいません。

 岡崎で展覧会も観ることにして、バスに乗ったり歩いたりしましたが、台風前の9月の朝、くらくらするような暑さは無くなりましたね。

 京都国立近代美術館の清水九兵衛/六兵衛展です。

この人は京都のあちこちにある目立った赤い大きな鉄のオブジェで有名です。

 美術館の1年間パスポート(5000円)を買いましたが、お得な感じはします。

美術館内の喫茶店も1割引きでした(JAF割でも同じでしたが)し、他の美術館でも割引ありそうです。

 美術館には早く着きすぎたので、開館までは隣の図書館前のベンチに二人座って、二宮尊徳先生の勉強姿を眺めながら、ぼーっと待ちました。

 エリザベス女王の棺にお参りするのに、24時間並んで待ってる人がいるそうですが、私も15分ぐらい待つのはへっちゃらになってます。

 昔は誉められた、歩きながらも読書する二宮金次郎が二宮尊徳であることを知った時、私は二宮損得だと思ってしまい、尊徳だと知ったのは中学生か高校生になってからだと思います。

今でも、二宮損?得?と言う発音で、二宮尊徳を発音してしまいますので、この像も得意の二宮表裏で撮ってみました。

 岡崎平安神宮の前では「京都餃子大作戦」が始まりかけていました。

お土産に餃子を買って、いつものお饅頭屋さんで赤飯と塩豆餅を買って、家路についた老夫婦です。

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111-2後西天皇皇子公辨法親王

2022-09-16 | 天皇陵巡り

 藤原冬嗣(フユツグ)の娘藤原順子(フジワラノノブコ)(809~871)は第54代仁明天皇の女御となって、第55代文徳天皇を産み、孫も第56代清和天皇になっているので、山科の奥の山中の後山階陵(ノチノヤマシナノミササギ)の葬られています。

2年以上前にこの陵を訪問した時、近くの毘沙門堂にも寄りましたが、たまたま輪王寺宮墓地も見つけてしまいました。

  この地図の上の方です

 横から墓地の全容が見渡せましたが、立派な墓地です。

後西天皇皇子 公辨親王墓以下六基五塔 輪王寺宮墓地 

と制札は読めました。

 第111代後西天皇(1637~1685)(在位1654~1663)には27人の子がいましたが、その第6皇子で母は梅小路定子(ウメコウジテイシ)(?~1680)が今回の公辨法親王(コウベンホッシンノウ)(1669~1716)です。

輪王寺(リンノウジ)門跡に就任し、関東にも出向いて日光山門跡や寛永寺貫主なども歴任し、江戸にも足跡を残して、忠臣蔵の赤穂浪士切腹の裁定にもほんの少し関係したようです。

 正面に廻りましたが、宮内庁管理ですので山中にあっても、きれいに掃除されているので感心しました。

天皇陵巡りとしてはどうでもいいかもしれませんが、揚げてしまいました。

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